国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

彼はギターを燃やさないわけにはいかなかった。それは何か大切な思いがあったからではない。

2011年12月28日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
「ジミヘン」といえば言わずと知れたギタリストのジミ・ヘンドリックスである。
さて、今日のジャケットを見てほしい。
手前に座り、ギターを弾くような素振りを見せているのがジミヘンである。
その奥には燃えているギターがある。
これは1967年の「モンタレー・ポップ・フェスタ」に出演した時、
ジミヘンが最後に演奏した「ワイルド・シング」中の写真だ。

武士が刀を持つように、ミュージシャンは各々の楽器を持つ。
武士の魂が刀ならば、ミュージシャンの魂は楽器…といかないようなシーンである。
だが、この「ギター燃やし」が偶発的でもテンションが上がりすぎてでもなく
ジミヘンの「十八番の芸」であることは多くの人が知るところである。

ジミヘンはアメリカのシアトルで生まれた。
ギタリストとして数々のバンドを渡り歩くも
「いつかビックになりたい!」という野心も強く持っていた。
そんな時にローリング・ストーンズのキース・リチャードの
当時のガールフレンドのリンダに見出され、
元アニマルズのチャス・チャンドラーがジミヘンをイギリスへ連れて行き、
プロデュースをしたことからその名が知られるようになっていく。

モンタレーのライヴはいわばジミヘンにとって「故郷に錦を飾る」凱旋ライヴになった。
ライヴ参加にはビートルズのポール・マッカートニーの推薦もあったという。
ジミヘンが演奏を始める前に、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが
大々的に紹介をする。
だが、アメリカでその名がまだあまり知られていないジミヘンは
1曲目から「ガツン」とやってやろうと凄まじい重さと高速のギターさばきで
「キリング・フロアー」を演奏する。
これも曰くがあり、イギリスでエリック・クラプトンと初めて会った時に、
この曲でクラプトンを「ガツン」とやっつけてしまったのだ。
2曲目は「フォクシー・レディ」とジミヘンのオリジナルで攻める。

ここまであまりの凄まじさに観客もポカンとしてしまい、反応が薄かったという。
つまりどう反応をすればいいのか分からない状況に会場がなってしまったようだ。
3曲目にボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」で
ようやく観客の反応が大きくなり始める。
合間合間にジミヘンはMCといえるほどではないが、いろいろとしゃべっている。
僕が正確に聴き取れていないので何とも言えないが、
それでも緊張からくる弁明や独り言に近いような印象を受ける。
とにかく演奏をしていない時に話をして場をつなぎたいという
ジミヘンの緊張が伝わってくる。

実際に7曲目の「ザ・ウインド・クライズ・マリー」では
ギターのチューニングが狂ってしまい、
しかし楽器を替えることができずに演奏を続けている。
(モンタレー用に色を塗ってしまっていた)
そして最後の9曲目の「ワイルド・シング」が始まる前に、
すでにギターを燃やすことを暗に告知している。
演奏しながらライターで火を付け、
火が付きながらもまたがるようにして演奏をしたという。
だがこれも「芸」の内である。
ジミヘンの「芸」は多様で歯や頭の後ろでギターを弾いたり、
ステージの上で横になりながらも演奏をしたりと目立つならば
どんな格好ででも演奏したという。
だがそれで演奏の質が衰えないのだからまさに驚くべきテクニックなのだ。

ジミヘンの前にザ・フーが演奏している。
ザ・フーのピート・タウンゼントとジミヘンはいろいろとイギリスから因縁があった。
加えてザ・フーは「ギター壊し」という「芸」を持っていた。
「どうしたらあの連中よりも目立てるか?」
それがジミヘンの「ギター燃やし」へつながる。
まぁ、これが初犯ではないらしいが、いきなりギターに火を付けて、
しかも演奏している人を見たら会場は否が応でも盛り上がってしまうだろう。
実際にCDでも燃えていくギターの音と
演奏後にアンプが「ピー」と歪んだ音を立てているのが入っている。

この後、ジミヘンはアメリカでようやく「ビック」になっていく。
だが、その「ビック」になることで、だんだんと精神的に追いつめられていってしまい、
やがて謎の死を遂げてしまうことになるのだ。