国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

この忙しい時代であっても音楽の聴き方を忘れちゃいけない

2011年01月18日 | マスターの独り言(ジャズ以外音楽)
僕はちょうどファミコン世代である。
小学校2年生の時に友達の家に行き、
初めて「ファミリー・コンピューター」なるテレビゲームを知った。
それからは絵に描いたようにゲームにはまる。
とはいっても小学、中学とゲームソフトは高価な物だったから
そんなに簡単には手に入らない。
そこで同じソフトを何度も何度もやったことを覚えている。
『スーパーマリオ3』『ドラゴンクエスト3』などなど…

不思議なことに何度クリアーして、話の筋も分かっているのに
また最初からやり直したくなる。
RPGなどレベル上げなど面倒な作業もあるのに、
クリアーしたデーターでやるよりも、
また新たに始めようと思ったのだからなかなかの根性だ。

この「繰り返し」という作業が、歳を取るごとにきつくなる。
まぁ、永遠の時間を過ごす子どもと違い、
時間に制約がある大人というのは、安易な楽しみを得たがってしまう。
一回で何とか完璧に仕上げてしまおうというのは、
大人としての欲というよりも、社会生活がそうさせてしまったのだろうか?

ここに1枚のCDがある。
一回聴いて「分かった!」と等々力警部並にぽんと手を打った人は、
そのアルバムの楽しみを十分に吸い尽くしていない。
正直1回目というのは、「とりあえず流してみた」という既成事実作りだと思う。
2回目、どことなく音は分かるのだが、まだ何だか形にならない…
ここら辺から変わってくる。
繰り返し繰り返し、何度でもしつこく聴く。
すると「名盤」と呼ばれているアルバムは不思議なことに
今まで聞こえてこなかった音が聞こえてくるのだ。
別に幻聴というわけではない。
つかみきれなかった音が、徐々に慣れてきたことで拾えるようになる。
またその拾った音が曲に影響を及ぼしてくることが分かると、
もう一度聴きたくなってくる。
もしかするとチャンスは一回だけかもしれない。
次は別の表情をつかまえられるかもしれない。
そう思いながらもう一度再生する…

スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『フレッシュ』
マイルス・デイヴィスが繰り返し繰り返し聴いたというアルバムだ。
最初はこのジャケットがイヤだった。訳が分からない。
まさか聴くことになるとさえも思ってもみなかった。
意を決して聴いてみると「意外に聴ける」
でもまだマイルスが繰り返し聴いた理由が分からない。
だから僕も繰り返し繰り返し聴いてみる。

その時は突然来る。
音がすっと耳の中に表れ、身体中の血液と混ざり合い、全身が熱くなる。
一瞬にして自分が音楽に包まれているような感じがするし、
音楽そのものと自分が一体になったような感じがする。
全てが開けたようになるのだが、その一瞬はあまりにも尊い。
もしかすると次はつかめない場合もある。
でも確実に自分の中に何かが残ったという満足感と興奮…

おそらくコーヒーをブラックで飲んでいたからではないだろう。
確かに「何か」が僕の中ではじけた。
だから繰り返し聴くことは大切なのだ。

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