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『ポートレイト・イン・ジャズ』について語ろう 3 さぁ、いよいよアルバムの中身へ

2011年08月17日 | ビル・エヴァンスについて
ドラマーのポール・モチアンについても少し取り上げておく。
モチアンとエヴァンスはすでに共演済みであり、
エヴァンスの初リーダー作『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』のドラマーでもある。
ところが1959年時点で、正式なトリオメンバーではなかった。
実はこれは後も言えるのだが、ジャズはロックと違い、
メンバーが常に固定化されているわけではない。(ロックもそういう場合があるが)
一回こっきりの契約メンバーということもある。

エヴァンスが『カインド・オブ・ブルー』の録音が終わった後、
とりあえずで組んだトリオが、
エヴァンス、ジミー・ギャリソン(ベース)、ケニー・ドニス(ドラム)であった。
ところが11月に「ベイジン・ストリート・クラブ」に出演中、
最初の一週間も経たないうちに2人は抜けてしまう。
(原因は対バンだったベニー・グッドマンのバンドの対応との比較や
 金銭面でのやりとりだったと考えられる。後で補足)
残りまだ2,3週間残っているのにだ。

そこでとりあえずエヴァンスは手当たり次第にベーシストとドラマーに声をかける。
エヴァンスの記憶ではベーシストが7人、ドラマーが4人であったそうだ。
ドラマーではエヴァンスの「お友達」でもある
フィリー・ジョー・ジョーンズも参加している。
最終的に時間の空いたポール・モチアンと遊びに来ていたスコット・ラファロが
トリオを組むことになる。

『ポートレイト・イン・ジャズ』は、その約1ヶ月後である
1959年12月28日、1日の録音で誕生することになる。
録音曲数は全11曲で、内1曲はアウト・テイクとなり、残り10曲が本テイクとなる。
リヴァーサイド側のプロデューサー、オリン・キープニュースにとってみれば、
前作からすでに1年近く経っているため、
そろそろエヴァンスのリーダー作を出したいとも思っていただろう。
何せエヴァンスはマイルスとも共演したピアニストである。
これは後々というか、他のジャズアルバムとも共通してくるのだが、
ジャズ・ミュージシャンたちは何も芸術作品を作りたいと考えていたわけではない。
売れないレコードを作るというつもりはなく、
ましてレコード会社の方では売れることも大切な目標の一つとなる。

エヴァンスにしてみればようやく自分の満足できるバンドができ、
その記録を残しておきたいという気持ちがバンド結成から1ヶ月後の録音につながり、
キープニュースにしてみれば、とりあえずアルバムが1枚作れそうだという考えから
生まれたアルバムとなる。
マイルスの『カインド・オブ・ブルー』は2日間の録音日が与えられている。
しかも向こうは5曲である。アウト・テイクもいくつもある。
ところが『ポートレイト・イン・ジャズ』は1日で11曲だ。
その待遇の差も見えてくるだろう。

最初に録音されたのはエヴァンスのオリジナル曲
「ペリズ・スコープ」(アルバム6曲目)である。
ジャズの曲名には意味がないものと意味があるもの、そして人物名を入れたものがある。
この曲はエヴァンスが当時付き合っていたガールフレンドのペリの名をつけたものだ。
軽やかなエヴァンスのタッチが、ぴょんぴょんと跳ねていく。
1曲目であるにも関わらず、ラファロのベースは遠慮なく、
エヴァンスが意図的に空けた音の隙間を縫うように
柔らかな低音で曲の外輪を組み上げている。
モチアンのシンバルがリズムを取り、その間を他のドラムで変化を付けていく。
エヴァンスしかソロはないが、他の2人の存在が否応なしに浮かび上がってくる。

この「ペリズ・スコープ」から、ほぼ全ての曲をワンテイクで取り、
1日で『ポートレイト・イン・ジャズ』が完成することになる。

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