ぶら・のび

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アンビリーバボー 加古郡稲美町

2016年02月06日 | Weblog
この前TV「アンビリーバボー」で、オマーン国王が日本人女性との恋愛物語をやっていました。

超ビックリです!

ペルシャ湾岸ホルムズ海峡に接するオマーン国、まだイギリスの保護領だった80年前の話しです。

お忍びで日本の神戸を訪れた国王タイムールは、ダンスホールで踊っていた19歳の少女、大山清子さんに一目ぼれをしてしまう。

大山さんは神戸の税関に勤めるOL。 国王は熱烈に大山さんにアプローチするが何度も失敗。

しかし懲りずに日本滞在中何度もアプローチし、やがて大山さんも惹かれていった。

そして結婚を意識し母親に紹介するが、猛反対! そしてどうしても結婚したいのなら日本に永住する事を母親は条件に出した。

国王の年齢は40後半、「わかりました、日本に永住する為身辺整理をしてくる」と言い残し帰国。

それから月日はながれるが音沙汰は無く、不安にかられる大山さん。

オマール国は一夫多妻で6人の妻と5人の息子に娘がいた。

そして半年が経ったある日、国王は来日し約束どおり大山さんにプロポーズし1936年5月5日、遂に結婚。

その翌年には長女、節子が誕生した。

この間、国王は自分の身を明かさず。

そして娘の誕生を祝う為、オマーン国のサイード国王が二人の前に現れたのです。

実は、結婚をする為に国王の座を息子サイードに引き渡す為の帰国だったのです。

そして妻たちに日本で結婚し永住する事を告げる必要もあったからです。

この時点でやっと大山さんと母親は、オマーン国の国王で国王の座を捨てた事を知ったのです。

そして幸せな生活が始まったが長続きはしなかった。

1939年11月に国王は所要で一時帰国、その時悲劇は二人に突然降りかかりました。

当時は難病扱にされていた急性腎盂炎で大山さんが亡くなります。


失意のタイムール元国王は、1940年9月に娘をオーマン国の王妃として、ブサイナ妃と名付け一時帰国する。

しかし、歴史のいたずらは更に続きました。

1941年12月、大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発、イギリスの保護領でもあったオマーン国にとって日本は敵国となってしまったのです。

日本への帰国も許されず大山家とも音信不通になってしまった。

時は経ち1971年にイギリス保護領よりオマーン国は独立、1978年ブサイナ王妃(節子)は再び日本の土を踏み、母、清子さんが眠る加古郡稲美町の墓を訪れ故人と再会を果たすのです。

その後、2011年3月11日、東北地方を東日本大震災が襲う、壊滅的な被害を受けた東北地方へオマーン国は義捐金を寄付!

この額、アメリカ・イギリス・台湾に続いて世界4位の額8億円を寄付してくれたのです。

しかも、震災の影響で「落合工機」とその家族も被災にあい、倒産の危機を迎えそうになるが、オマーン国は落合工機が作っている浄水器約26億円分ものオーダーで倒産を免れた。

そして完成した浄水器は水に困った被災地で使って、復興が終了してから送ってもらえればいいと・・・

お金をポンと払って後は自分たちで使ってください!という義捐金ではなく、復興に一役買う形で応援してくれたそうです。

今もオマーン国と日本は友好な関係です。