ぶら・のび

自分のために何か楽しいことやってますか?

それでも俺は生きている 最終話

2017年03月23日 | Weblog
俺が小学校の時、手加減なんか知らないおとんがおかんを蹴り飛ばし足の骨を折った事がある
でもそんな時もおとんは病院に付き添わず家で酒を飲んでいた

また俺が学校から帰ってきた時、おかんが包帯で腕をぐるぐると巻いている時もあった
口喧嘩で逆上したおとんが台所から包丁を持ち出し振り回しおかんに斬りかかったのだ
それを避けようとしたおかんがおとんが振りかざした包丁で運悪く腕を切った
もうキチガイとしか言いようのない男である

兄弟俺たちもおかんほどではないが
よくどつき回され鼻の骨などをへし折られた事もあった

大きくなった時、いつかはこの男を殺したる思った事も何度もあった
ある時思わず手を上げてしまいそうになった時
おかんは「やめ時!そんなことしたら お前もお父さんと同じような最低の人間になってしまう」と止められた
それを聞いてたおとんは
「こら、誰が最低やねん? おんどれらにそんな言い方される覚えはないで
お前ら誰のお陰でここまでこれたと思うてねん? ごちゃごちゃ抜かしておったらしばくで! どアホらが」
くそ〜、俺は「誰がやねん? お前やろ!」と、余に腹が立ち 何とか抑えようとしたが
さすがの俺も辛抱の限界を超えてしまった

「なんじゃ貢、おどれ親に向かって何抜かしとんじゃ え〜加減にせんと殺すぞ」
さすがに俺も切れてしまった
おとんとも変わらぬ体格になってきた今
いつかはこの男をどつきたい気持ちに火がつき
右の拳がいつの間にやらおとんの左顔面に突き刺すように当たっていた
さすがに酔っていたおとんもスローモーションのように
後ろの壁によろけながらドスンとぶつかり尻餅をついた
口からは多少の出血
興奮の冷めない俺は
「え〜加減にせんと殺したるからな」と、思いもよらぬ暴言を浴びせてしまった

ずっと長年鬱積していた気持ちがついに出てしまったのだ
いくらどうしようもない親だとしても、言ってはいけない言葉だとわかっていても
この時だけはどうしても抑え切れなかった

だから俺もおとんと一緒でカッとなったら見境がつかなくなってしまう

その時おかんの平手が俺の顔面に当たってきた
「貢、もうえ〜加減にし、あんたもあんな男と同じような人間にだけはなったらあかん!」
「外へ出て頭でも冷やしといで」と泣きながら言った。

その後 おかんはまたおとんにこっぴどく しばかれたと思います
ある意味俺が原因でおかんにはだいぶん迷惑をかけてきたと思う

おとんが死んだ後、おかんは俺たちのために一生懸命働き
また俺たち兄弟も新聞配達などのアルバイトをしながら
なんとか普通の生活ができるようになりました



終わり




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1 コメント

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しばきたい父親 (ドンガバチョ)
2024-06-08 10:15:45
私も中学生の頃貢君と同じように父親をしばきたいと拳を握り締めた時、母親が「辞めとき!」と私を静止させた事があります
しかし今になって・・・
昔は子育ては母親の役目と当たり前のようになっていたので相談事も全て母親
母親は絶対正しいものだと思っていました
だから親の喧嘩の発端は状況も分からず全て父親が悪いものだと決めつけていました
子供だから父親の言い分なんて分からず全て母親の味方だったように思います
今思えば夫婦喧嘩なんて些細な事から始まるケースが多い
おまけに男は口では女にはかなわない
こんな状況子供だった時には判断もつかずその場の状況だけで父親を責めていたようにも思う
また決めつけていたと思う
だからある時期からは父親との会話もなく死ぬまで殆ど無かった
今思えば・・・
父親は私の事をどのように見ていたのか?
わからない
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