父はヒーロー?
台風の時、窪地の一軒家である我が家は倒壊の恐れがあった。
そこで、父は皆を近所の丈夫な家に避難するように命じた。
長男は私の手を引き、次男は弟の手を引き、母は妹を背負い三男の手を引き家を後にした。
父は、大黒柱に体を括りつけ、一家の主人が逃げ出すと家はなくなると私たちを避難させたのだ。
翌朝、家を見に行くと父は元気だったが、家の半分、裏の崖がせり押して来て土砂に埋もれていた。
豆腐を作る事も出来ず布団もなく一家が体を寄せ合っている時に、アメリカの支援物資が届いた。マットレスのような布団と洋服など。
本当に嬉しかった。
学校では被災地の子供として、給食が無料で食べられ、
それも、校長先生と一緒に食べられて何だかとても得したような気持ちだった。
そんな時に、妹が大やけどを負い、毎日毎日が病院通い。
リヤカーにのせて、両親は病院に通っていた。
私はこの頃から置いてけぼり・・・。
妹の症状が落ち着くと、両親は、朝、豆腐をつくり、母は復旧工事で働き、現金収入となり、生活も落ち着いてきた。
ところが、この頃から父の酒の量が増えていった。
父は、昼頃には豆腐も売り切れて帰宅し、
母が帰宅する頃には酔いつぶれている事も多く、喧嘩も良くしていた。
今思えば、父は母に対して嫉妬していたのだろう。
この時、父は40歳位だったのかな?
父の良い所は?
ある日、母に聞いた事がある。
片手しかない父さんのどこが良くて結婚したの?と
その時、母が何と答えたかは定かでないが、父さんは、人の嫌がる事を進んでする人だというような事を言っていた。
島原に帰って、まだ私が生まれる前、近所に結核を患った家があり、誰も近づこうとしなかったが、そこのおばあさんが亡くなった時には、父が一人でリヤカーを引き、火葬場まで運んだとか、嫁・姑でもめると母の味方をして守ってくれたとか。
母に対する父の行動が恨めしく、母の味方ばかりしてきた。
父の心情を察する事など出来なかった幼い自分が見える。
そんな事を思い出していると、父と触れ合った様々な事が甦ってきた。
父と触れあったことを思い出しつつ・・・。
父とのふれあい
たしか小学校3年生の夏だったと思う。
豆腐を配達するように言われ、持って出たものの途中転んでひっくり返してしまった。
家は忙しくしているのにどうしてよいか分からず泣き崩れその場に座り込んでいたら、
帰りの遅い私を心配して見に来てくれた。
その時、怒られると思っていたのに、「早くもって行かないと待っている人がいるぞ。」
でした。
また、兄が友人の家の干し柿を盗んで食べた時、父は激怒し、兄を縛って半日天井に吊り下げた。
父は、怖い人だと優しい父より激しい父の姿が脳裏にずっと残っている。
今年の同窓会の時に、友人が言った。「貴女のお父さんは優しくて器用だったね」と
「えっ?」
「だって、貴女の宿題の浴衣縫ってくれたじゃないの。」
ああ・・。そうだった。優しいかったのに、ちっとも気付かず、母に嫉妬し、深酒をしている姿の
ほうがより大きくて母が可愛そうだとばかり思っていたから。
少しずつ、父の背中が見えてきた。
心の中に沈みこんでいる父への思い。
今、押し込められている父への思いに光を当てて・・・。
光の当たった場所に父の優しさが・・・。次の機会に
台風の時、窪地の一軒家である我が家は倒壊の恐れがあった。
そこで、父は皆を近所の丈夫な家に避難するように命じた。
長男は私の手を引き、次男は弟の手を引き、母は妹を背負い三男の手を引き家を後にした。
父は、大黒柱に体を括りつけ、一家の主人が逃げ出すと家はなくなると私たちを避難させたのだ。
翌朝、家を見に行くと父は元気だったが、家の半分、裏の崖がせり押して来て土砂に埋もれていた。
豆腐を作る事も出来ず布団もなく一家が体を寄せ合っている時に、アメリカの支援物資が届いた。マットレスのような布団と洋服など。
本当に嬉しかった。
学校では被災地の子供として、給食が無料で食べられ、
それも、校長先生と一緒に食べられて何だかとても得したような気持ちだった。
そんな時に、妹が大やけどを負い、毎日毎日が病院通い。
リヤカーにのせて、両親は病院に通っていた。
私はこの頃から置いてけぼり・・・。
妹の症状が落ち着くと、両親は、朝、豆腐をつくり、母は復旧工事で働き、現金収入となり、生活も落ち着いてきた。
ところが、この頃から父の酒の量が増えていった。
父は、昼頃には豆腐も売り切れて帰宅し、
母が帰宅する頃には酔いつぶれている事も多く、喧嘩も良くしていた。
今思えば、父は母に対して嫉妬していたのだろう。
この時、父は40歳位だったのかな?
父の良い所は?
ある日、母に聞いた事がある。
片手しかない父さんのどこが良くて結婚したの?と
その時、母が何と答えたかは定かでないが、父さんは、人の嫌がる事を進んでする人だというような事を言っていた。
島原に帰って、まだ私が生まれる前、近所に結核を患った家があり、誰も近づこうとしなかったが、そこのおばあさんが亡くなった時には、父が一人でリヤカーを引き、火葬場まで運んだとか、嫁・姑でもめると母の味方をして守ってくれたとか。
母に対する父の行動が恨めしく、母の味方ばかりしてきた。
父の心情を察する事など出来なかった幼い自分が見える。
そんな事を思い出していると、父と触れ合った様々な事が甦ってきた。
父と触れあったことを思い出しつつ・・・。
父とのふれあい
たしか小学校3年生の夏だったと思う。
豆腐を配達するように言われ、持って出たものの途中転んでひっくり返してしまった。
家は忙しくしているのにどうしてよいか分からず泣き崩れその場に座り込んでいたら、
帰りの遅い私を心配して見に来てくれた。
その時、怒られると思っていたのに、「早くもって行かないと待っている人がいるぞ。」
でした。
また、兄が友人の家の干し柿を盗んで食べた時、父は激怒し、兄を縛って半日天井に吊り下げた。
父は、怖い人だと優しい父より激しい父の姿が脳裏にずっと残っている。
今年の同窓会の時に、友人が言った。「貴女のお父さんは優しくて器用だったね」と
「えっ?」
「だって、貴女の宿題の浴衣縫ってくれたじゃないの。」
ああ・・。そうだった。優しいかったのに、ちっとも気付かず、母に嫉妬し、深酒をしている姿の
ほうがより大きくて母が可愛そうだとばかり思っていたから。
少しずつ、父の背中が見えてきた。
心の中に沈みこんでいる父への思い。
今、押し込められている父への思いに光を当てて・・・。
光の当たった場所に父の優しさが・・・。次の機会に