心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

ハーブ

2009-05-30 | 日記
時間がゆっくり使えるようになったら1日一つの事しか出来なくなってしまった。

それでも今週はよく動いた。

PC教室で1日が過ぎ、パスポートの受け取りで1日を小倉で過ごし、

同窓会の打ち合わせで大分まで行って1日が過ぎ、その案内状作りで1日、

高齢者予備軍の勉強会で1日・・・。

大分でガーデニングに嵌まっている友人からハーブの苗を頂いたので早速鉢植えた。

ハーブには色んな種類があり、料理にも良く使われているようだが、これまで

関心が薄くハーブと知らず使っているものもある。

隠し味に使うと料理も高級感が増すようだ。

今日の昼食、友人が訪ねてきたので早速スパゲティにバジルを使ってみた。

なかなかイケてる

昨夜はピクルスに月桂樹とセボリーというのを加えてみた。

味はまずまず香りもまずまず。

ローズマリーとミントの苗も植えてみた。

ハーブの使い方・料理への活用などが満載の本も一緒に頂いたので楽しみが増えた。

ベランダが賑やかだ。きゅうりも随分大きくなったし、

ミニトマトは10個色づきを待っている。


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セレブ体験?

2009-05-25 | 日記
セレブって
リッチな生活って

私のセレブ体験。
娘が、宝塚歌劇のチケット2枚をプレゼントしてくれました。

宝塚歌劇は何回か観る機会はありましたが、娘からのプレゼントではありません。
豪華な衣装に身を包み軽やかに歌い踊る姿にはうっとりします。夢の世界です。

久しぶりに電車、地下鉄に乗り、人にもまれて福岡市民会館に着きました。
開演までの時間を公園で過ごしました。(ホッとします)
やっぱり公園は良いですね



セレブとは夢の世界なんでしょうか。
夢の世界にどっぷり浸かりこめない自分があります。
帰宅して、友人から戴いたバラの花をお風呂中一杯に浮かべました。
ああ・・・。
私にとってこれがセレブでこれがリッチなひと時・・・。




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幸せって

2009-05-22 | 日記
カラオケをこよなく愛する友人に誘われて、
何年ぶりかに出かけた。場所はスナック

そこには
年配の人たち7~8人が「ストレス解消です」と楽しんでいた。

夫の介護に明け暮れているという方はもう80歳近い。
夫に逆らわない・・。全てに「はい」と答えているそうだ。

ほんの少し前まで、「スナック」は、夜専用かと思っていたのに、
今では昼間は、奥様方のカラオケの場所となり、ストレス解消の場所と化している。
この場所で仲間と食事して、思い切り歌って・・・4時間で1000円。
それで、家庭円満 結構なことですね。

私は、人気の無い公園で一人本を読んだり歌ったりが幸せって感じる時なんだけど。
シロツメクサが一面に咲き誇る中で・・・。花言葉は「幸福」



そして
バラの花をこよなく愛する友人を訪ねると・・・。
あま~~~い香りを漂わせている。
嬉しい事・悲しい事・辛いこと・・・。
人間の様々な感情を置き去りにして、周りの木々も草花も成長し、
愛情をもとめている。

バラの花は手を入れてやらないと綺麗な花を咲かせてくれない。
バラの花が貴女を必要としている・・・。
貴女は必要とされている。

次の年もまた咲かせて楽しませて欲しいな。
あなたの上に神さまの慰めと癒しがありますように。

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ナルホド 認知症

2009-05-19 | 日記
先日、以前お世話になった方がホームへ入所されたというので尋ねて行った。
おばさんは元気で再会をとても喜んでくれた。

ところが、会話が全く先に進まない?
「良く来てくれたね」
「ここに居る事が良く分かったね」
「家へ帰ってもじっとして居れないから却って皆の足手間になるものね」
「子供たちが良く頑張っているから安心」
「主人は優しかったよ」

その言葉に答えたらまた最初から始まる。
他の話題に移れないのだ。
答える私も同じ言葉を言っている。
アレレ ????????

もしかしたら認知症
どこも変わった所は見えないし、昔どおりのおばさんなのに。
家族の人に聞いたら「年やけんね、家に居ても退屈するから」と言って「少しボケもあるんよ」と付け加えた。
働いて、働いて、
店を切り盛りしていたおばさんだったので、とても信じがたい。

そこで、丁度「認知症とは」という題で講座が開かれるのを聞いて出かけた。

認知症とは、1度獲得した知的機能が脳の病気によって進行的に著しく低下した状態。
物忘れが進行して知能障害がおき、日常生活に支障をきたす状態 のこと。
ナルホド
話を聞いていると、私にもすぐそこまで忍び寄ってきているようで、背中がゾクゾクッとした。
更に、認知症には種類があって、アルツハイマー型と脳血管性認知症があるそうだ。

ボケない為の10か条・・・・だって
① くよくよしない。
② 物事のプラス面を見ること。
③ 楽しみをもつこと。
④ 学ぶ姿勢。
⑤ 役割意識をもつこと。
⑥ 人との交わりをたいせつにすること
⑦ 「年寄り気分」をはいじょすること。
⑧ 身体を動かすこと。
⑨ 歯を守ること。
⑩ 身体の病気に気をつけること。

これに加えて噛むことが良いそうな。
この話を聞いて、「ナルホド」とおばさんとの会話が思い出され、
次は少し気持ちを楽にして会いに行かなくちゃ。






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母の日に思うこと

2009-05-12 | 日記
母が昇天してやがて3年になる。
子供たちが私のことを労わってくれるたびに母のことが思い浮かぶ。
長いホーム生活だった。
「貴女がオムツをかえてくれたから今度は私の番だよ。気にしないで」と
言っても、母はいつも嫌がっていた。思えば気恥ずかしかったのだろう。
子供の前では常に毅然としていた。
だから看護婦さんから聞かされる母の行動や言動は信じ難いものがあった。

昨日、偶然にもテレビで介護のことが放映されていた。
老いた親から子供たちへの手紙を歌にしたもの。

私がご飯を服にこぼしても叱らないで
洋服のボタンを掛け違えても、くつの紐を結べなくても・・。
もうすぐ去っていく自分を受け入れて欲しいと・・・・。

母がオムツをかえてくれたこと、こぼしたご飯を拾ってくれたこと、
くつ紐を結んでくれたこと、
お風呂を嫌がったときでも色んなことを話し掛けて入らせてくれたこと。

そんなことが盛り込まれた詩でした。

介護するのは本当に大変です。
姑の介護は若い時でしたので、子供のオムツと一緒でした。
辛くはありませんでした。
実母の時は仕事をしていましたので、申し訳なさが先立ちました。

母が元気な時に一緒に暮らした時がありました。
母が庭先に出て私の帰りを待っています。そして、しきりに話し掛けるのです。
疲れているのに「ウザッタイ」と思ったことがあります。
今、まさに母と同じことをしています。仕事を辞めて夕食の準備が早く済み、
娘の帰りが待ち遠しいのです。
同じことを繰り返している・・・。きっと娘も「ウダッタイ」だろう。反省。

天に召されるまでの時間が穏やかであって欲しいと願う母の日でした。
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母の日

2009-05-11 | 日記
母の日です。
東京の息子からお花が届きました。
素直に喜び受け入れています。とても良い音楽とも巡り合いました。
↓の音楽視聴できます。ここです
BELIEVE
【作詞・作曲】杉本竜一
1.たとえば君が 傷ついて、くじけそうに なった時は
   かならずぼくが そばにいて、 ささえてあげるよ その肩を
   世界中の 希望をのせて   この地球は まわってる
   いま未来の 扉を開けるとき   悲しみや 苦しみが
   いつの日か 喜びに変わるだろう
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる
2. もしも誰かが 君のそばで、泣き出したそうになった時は
  黙って腕を とりながら、いっしょに歩いてくれるよね
  世界中の やさしさで この地球を つつみたい
  いま素直な気持ちになれるなら
  憧れや 愛おしさが
  大空にはじけて輝だろう
  アイ ビリーブ イン フューチャー
  信じてる 

  
   
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遠藤周作記念館

2009-05-08 | 日記
所属する教会の「女性の会」が企画したバスハイクに20数年ぶりに参加した。
目的地は遠藤周作記念館。

彼の作品「沈黙」の舞台となった外海地区を1度尋ねてみたいと願っていたので、
この企画一番乗りで手を挙げた。

連休明けで混雑も無く、コースとしては、まずは大浦天主堂。
ゆっくり拝観する。
中に入ると年末のミサの風景が思い浮かんできた。
なんとも荘厳であり、癒しの場所である。



天主堂からグラバー邸を素通りして、昼食の中華「四海楼」
食事をしながら眺める風景。


途中、姉妹教会である飽之浦教会に立ち寄り、
海岸線沿いをひたすら外海地区へ。

「沈黙」を読んだ時、正常ではいられないほどの衝撃を受けたのを思い出した。

この外海地区の記念館の場所は、
彼に「僕のために神さまがこの場所を用意してくださった」
と言わしめるほど視界の素晴らしい場所である。

記念館の中には、周作氏の生涯や作品が陳列されている。
どれもこれも興味深く、足は中々先に進まない。
時間が無いので駆け足の出口辺りに、
きちんと覚えていないが、

母が愛したものだから私も愛します。
兄が愛したものだから私も・・・。
佐藤や・何々が愛したものだから私も愛します。

といったような文があり、人を愛すること・絶対の信頼をおくことのすばらしさ・・・。
私にとって、妙に胸に迫りくるものがありました。
(私もそのような立場の人になりたいし、信頼されたいと願うからかもしれない)





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映画 おっぱいバレー

2009-05-06 | Weblog
題名からしてなにかしら違和感を感じていたけれど、
友人のご主人がこの映画の撮影に少々関わりがあったとかで、招待状を戴いていた。
3月頃だったのですっかり忘れていた。
昨日、甥っ子が尋ねてきた時に「今から映画に行く」というので思い出した。
映画は
1979年ごろの話で「はぎわら」が当時の様相に合うので撮影場所に設定されたとか。


あらすじは
 性に目覚めようとしている思春期の男子中学生5人。バレー部に所属しているが、全くやる気が無い。
そこに若い女の先生が赴任してきて顧問となる。
生徒らとの成りゆきで一勝したらおっぱいを見せるというもの。
その為に、5人ではできないので、一度は入部したが、先輩部員たちの態度にやる気を無くした新入部員を再び入部させる。
おっぱい見たさに生徒らは健気に頑張り、バレーをする喜び、負ける事の悔しさを味わいながら成長していくという物語。
これは実話をもと作られたという。

女にとっては男性の性がどんなものか想像しがたい。
そういえば息子が中学生の頃、変な雑誌を学校へ持っていき先生に見つかったとか。
息子は背丈が一番低く大変幼かったので、皆の前では叱られたけど、
職員室では頭を撫でて「成長してるのお~」って抱きしめてくれたそうな。

それにしても満席。
連休だし『空いているはず』と思って行ったのだが、30分前から行列ができていたのには驚いた。
本当に久しぶりの映画館。
何処を見回しても定番のポップコーンと飲み物を手にしている。
私のように自宅からお茶など持参する人はいません。

電車は久しく乗ることはないので、その存在さえ忘れかけていたら
目の前を電車が通った。
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リスカバリー=発見する

2009-05-04 | 教会
5月3日
礼拝における牧師の説教は「イエスはキリスト」「復活」について。

北九州の高校に編入した時、最初に言葉を交わした友人から教会に誘われて行った
のが、私の教会デビュー。

私の故郷は島原半島の片田舎であって教会の存在さえ知らずに育ったものだから、
教会でのお話はとても受け付けたものではありませんでした。
常に死人が生きがえるだの、
嵐を静めるだのと、もってのほかなんて内心反発ばかりしていました。
それでも、友人の熱意に引きずられ通っていましたが・・。

就職をしてからは教会へ足を運ぶこともありませんでしたのに、
どうしたことか結婚したら姑や義姉は熱心なクリスチャン。
陰で私のことを常に祈っていてくれるです。

当時、生活のこと、姑とのこと、義兄弟のことなどで、
とても心に重荷を感じていました。
ところが、ある日突然に稲妻に打たれたような心が弾ける思いを感じたのです。
その時に感じた心の平安を、牧師は今日の説教の中でひもといてくださいました。

私たちは先入観にとらわれ色眼鏡をかけて物事を見てしまうが、
自分の持っている先入観を捨てて信仰を見直してみると新しい発見がある。
聖書の奇跡も復活も人間の側からではなく神さまだからできることと信ずれば心の中に平安が生ずる。
目に見えないものを信じること、肉体的な死は新しい生命の出発点であることを意味するのが復活であると。

あの時以来、頑なだった心は随分と楽になり、姑の自宅介護を果たし、
天国へ見送ってもう25年を過ぎました。
神さまは信じて祈り求めれば必ず叶えてくださいます。
今では教会に連れて行ってくれた友人に感謝しています。

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小次郎さま

2009-05-01 | 日記
小次郎のことが何だかいとおしくてならない。

燕返しの握り方かな

名残惜しく小次郎さまと別れ再び門司港です。

門司港駅は何時見ても堂々として何やら懐かしいような感傷的な思いにさせてくれます。
駅前に椅子が置いてありしばしうっとりしながら眺める。
聴けば大正13年に建設され、国の重要文化財に指定されているそうだ。

通りががかりに丁度跳ね橋が下りる所でした。

ぶらりぶらりのんびりと歩きます。
猿回しもいます。立ち止まる人がいないのでサクラになって手を叩きます。
商売人根性が抜けきれていません。(・・;)
人が集まってきました。そっと抜け出します。

和布刈公園は高校生の頃遠足に行ったことがあり、懐かしい場所でした。
当時まだ珍しかったラジカセを持っていき、皆でフォークダンスをしました。

まだあげそめし・・・じゃないけど淡い恋心を抱いた時期です。
と言っても、私の初恋はジュリアーノジェンマでしたが・・・。
その和布刈公園から見下ろす関門橋です。




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