寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

上り最後の寝台特急富士はやぶさ号を見送る

2009年03月14日 11時20分13秒 | 生活手帳
寝台特急富士号・はやぶさ号の上り最終列車を近所の踏み切りで見送った。
時刻表では沼津駅8時17分発になっていたが、未明の低気圧通過で風雨共に激しく運行ダイヤが遅れた模様。踏み切りの袂でグッショリ濡れながら定刻より1時間以上遅れて9時38分通過。運転手が二度三度と警笛を鳴らしてくれた。







◎東京駅より121,691Kmの地点/東海道本線原分踏切

寝台特急富士には過去2回乗った。
初めて乗ったのは修学旅行の時で学生帽を車内に忘れて叱られた思い出がある。二度目にして最後の乗車は新婚旅行に沼津駅から、鹿児島の南州墓地に西郷隆盛の墓を訪ねた。寝台特急さくらを沼津駅に見送ってから四年、皆の夢と希望を運んでくれた富士・はやぶさ号、長い間お疲れさまでした、ありがとう。そしていつの日か、オリエント急行のように夢の復活を願って止まない。

◎左側BOOK MARK
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◎サイト内関連記事
沼津発19:53 寝台特急さくらを送る、の記事(05年2月27日)

《追記3/20》
決して売らない本~

◎鉄道ジャーナル別冊33/列車追跡リバイバル/青い流れ星ブルートレイン

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4 コメント

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富士はやぶさ (mytech)
2009-03-15 22:24:18
いつかこの日が来るだろうと予感していました。
そんな思いもあって昨年の秋頃ですか、まだ廃止が発表される前、熊本への出張で寝台特急富士はやぶさに乗ろうかという話があったのですが、実現には至りませんでした。
何か事故や災害があってダイヤが乱れて到着が遅れてしまっては相手に迷惑がかかるというのがその理由でした。
写真きれいにとれてますね。さすがです。
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いつか復活してほしい (寅の子文庫)
2009-03-16 04:28:47
mytechさんコメント有難うございました。
実は私も家族で1月に乗ろうと話していたのですが、あいにく胆石の手術と重なり断念しました。
こんな小さな田舎の踏み切りに雨の中、私の他に7人もの人が富士はやぶさの通過を今や遅しと待っていたんですよ。みんな傘一本でズブ濡れでした。でも其々に思い出があるんでしょうね、戦友みたいものです。コテツの友達とお母さんも来ていましたー。列車が警笛を二度三度と鳴らしながら走ってきたときには感無量、年甲斐もなく持っていた傘を放り出して夢中でシャッターを切りましたが3枚撮るのが精一杯でした。時代の流れとは寂しいの一言です。またいつか、復活してほしいです。
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昭和の鉄道 (勇舞satocyan)
2009-03-20 03:21:06
 良き昭和の時代が又一つ消え去っていくんですね、寂しい限りです。東京駅では大変な騒ぎだったようですね。
 私も十数年前に鉄道ファンの友人に連れられ御殿場線開通60周年で記念列車が入線するという事で、御殿場~足柄間の富士山バックの田んぼの中で車中泊した事があります。キハのディーゼルカーが走ったり、EF58という電気機関車が重連で客車を引いてくるんです。当日は数千人という鉄ちゃんが普段は何も無い田んぼの畦に集結し、目的のイベント列車めがけてシャッターを切りまくってました。列車を待つ時間の緊張感が何とも言えず、その後、今回話題のブルーとレインと富士山バックの撮影が出来る三島~函南間の竹倉の踏切にも何回か撮影に行きました。
 その当時はブルートレインの全盛期でもありましたので、夜明けとともに東京へ向うブルートレインのオンパレードでした。三脚、レリーズ、シャッター速度優先、置きピンを固定、そしてタバコを一服して準備完了です。暗い切り通しの中を走る列車と、朝日に照らされた富士山との露出の差が難しい場所でした。「瀬戸」「出雲」「なは」「あさかぜ」「さくら」「富士」「はやぶさ」と、誇らしげにヘッドマークを付けたEF66型電気機関車が颯爽と駆け抜けた懐かしい時を思い出しました。
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次代のこどもに残してほしい (寅の子文庫)
2009-03-20 07:14:59
勇舞サトチャン、コメント有難う。
サトちゃんは生粋の鉄道ファンだったですね、朝もやの中でスタンバイしている姿が目に浮かぶようです!!御殿場線も以前(昭和40年くらい?)は岩波駅にスイッチバックがあって汽車がモクモク煙を吐いて勾配を登っていったそうですが私には見た記憶はなく、唯一、沼津駅の転車場に機関車が煙を上げていたのをおぼろげに憶えています・・・。

今回の富士・はやぶさ号の廃止で東京駅発着の寝台特急も総て消え、寂しい限りです。一緒に(よく世話になった)深夜の大垣行きも無くなったように聞いていますが・・・。新幹線を博多まで乗ると窓の景色は早すぎてつまらないし、もう腰が痛くてもたないんです、その点、寝台特急は違うんですね。時間を最大限有効に活用でき疲れればゴロンと横になれる。深夜の車窓から街の灯りが流れ星を見ているようでしたー。でもこんな合理的な輸送手段も現代人の生活には受け入れられないんでしょうか。いろいろ工夫して単なる旅の輸送手段というだけでなく、移動中もワクワクドキドキできるようなエクスプレスに生まれ変われればいつの日か夢の復活もあり得ると思うんですが。
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