寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

沼津発19:53 寝台特急さくらを送る。

2005年02月27日 23時26分58秒 | 生活手帳

東京発長崎行き『寝台特急さくら』は明朝長崎到着で半世紀に亘る営業の幕を閉じる。底冷えのする夜の沼津駅・人影まばらな2番ホーム西端、19時53分定刻発車に立ち会う。立会人はくだんの親子3人と御殿場から70cmのドカ雪を掻き分けてきたご婦人方三名。思いは皆同じ、カメラ片手にホームの隅で臨時の座談会に花が咲いた。

『何が新しく生まれた美しさで何が失われた大切なものか』それをいつも考えなさいと柳田國男は言う。今回一連の船や電車に適切かどうかは判らないが、しかし人生の一時期を自身の血肉と化し、共に精一杯時代を駆け抜けて来た戦友?との別れは辛い。スカンジナビア然り、さくら然り・・・失われていくもののなんと多さよ。今必要なことは、せめて前を向いて、新しく生まれてきた美しさを見つけられる眼を磨くことかも知れない。

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3 コメント

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the last (寅の子文庫)
2005-02-28 09:43:44
1日早合点、今夜もう一度会える!
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別れ (ライアン)
2005-06-11 10:14:00
本当にそう思います。私の父は公務員でしたので県幼い頃は、県内各地を転々としました。その中でも特に思い出深いのは、昭和37年から昭和45年まで過ごした御殿場での生活です。海抜が高いという地形からか、夕暮れには郷愁を誘うような独特な光の陰影が、当時何処にでもあった里山を映していたように思います。冬の夜は寝床に就くと遠い高原の彼方から、汽車の汽笛が聴こえます。その音色を子守唄にしていました。それも当時は当たり前の音でした。

ちょっと嬉しい事は、大きなデパートがある沼津に買い物に行く事でした。行き来には御殿場線を使いましたが、電化前で蒸気機関車やディーゼルかーが主流でしたの。駅のホームには、いつも重油?や石炭の匂いが漂っていました。行程も今よりかなり時間がかかったように思います。スイッチバックの築堤や、畑の中に建てられた電化製品の大きな宣伝看板。当時の車窓には、ゆっくりゆっくり流れ去って行った光景があります。どの光景も、どの音も、どの匂いも私の心に刻まれた、今は無き惜別の宝物です。
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車窓風景よ、いつまでも。 (寅の子文庫)
2005-06-12 07:36:02
ライアンさんの車窓風景が目に浮かんで来るようです。心温まるお話を有難うございます。今、本棚から1冊出してきました。昭和41年発行で駿東地区中学校の郷土読本【駿東】という本です。その中に『岩波駅』のスイッチバックに蒸気機関車が走っている写真が出ています。残念ながら私はスイッチバックも御殿場線を走る蒸気機関車も記憶の中には殆ど無いのです。かすかに沼津駅構内で線路が何本も付いていて方向変換ができる円形盤の転車台?のような上を蒸気機関車が乗っているような、、また腰を抜かすようなあの大きな汽笛、、と断片的な記憶しか有りません。まだ小学校に上がる前、昭和42~43年頃、よく父の自転車の後に乗って東海道線を走る緑とオレンジ色のツートンカラーの湘南電車を見に行ったことはよく覚えています。自宅からほど近いところを線路が走っていたので、黄瀬川橋の鉄橋を渡るゴォーゴォーという音が夜の闇をついで響いていたのを、もの悲しく聞いていました。私は特に貨物列車が好きで、一番後ろの車掌さん?が乗っている小さな箱、いつも居眠りしている車掌さんを見つけるのが楽しみだったんですよ。子供の頃の思い出は今、思い返せば、みなどれもかけがえの無い宝ものですね。電車に限りませんが、あのころは自分を取り巻く全てのものがどこかゆったりとしていたように感じています。

さくらの最後の勇姿、良かったですよ。ちょうど御殿場から3人連れのご年配のご婦人方とご一緒してとても楽しいひとときでした。さくらを見送った後、記念に1枚撮ったのですが、まだ写真を送っていませんでした。今日これから、封書を出そうと思います。
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