寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

水疱瘡から疱瘡地蔵へ→徳政碑文のこと。

2005年03月06日 21時29分00秒 | 石塔石仏~埋もれていく風景
【日本の歴史10 下克上の時代/CHUKO BACKS中央公論社/1971年初版】に
疱瘡地蔵=徳政碑文の記事が出ている。要約すると、
時は室町、正長元年(1428)の京都奈良を中心とする大規模土一揆で、
徳政令が発布され近郊の農民は課役免除等を勝ち取った。

その喜びを名も無き郷の民が、通称疱瘡地蔵と呼ばれていた花崗岩の巨石の右脇に
わずかに4行、27文字で小さく刻み、後世に遺した。
今でこそ、この 『徳政碑文』 は歴史の教科書で広く知られているが、
明治・大正時代にはまだ埋れた史実だった。

奈良、柳生の郷土史家、杉田定一氏がひとり、この定ならぬ碑文にとりつかれ
十余年の苦心の末、大正末期に解読、永い歳月を経て、日の目を見る。

『正長元年ヨリ サキ者カンヘ四カン カウニヲヰメアル ヘカラス』
(正長元年より先者は、神戸四ケ郷に負いめあるべからず)
=正長元年以前の借金課役は全て棒引きとなった!

官に対する農民勝利の事実を農民自らが記した記録だけに価値がある。
文中この徳政碑文を解読された杉田定一氏の苦労話が面白い。

『疱瘡』なんて漢字はパソコンあればこそで、普段馴染みがない。
書いてみろ!なんて言われて虫眼鏡で辞書を凝らしても、ちょっと難儀。

こどもの水疱瘡から、思わぬ勉強が出来た。