「日本全国都道府県には、それぞれ歌がありますが、知名度が低く市民に知られていない」などニュースで見ました。
生まれてこのかた埼玉県民の夫に、「埼玉県歌、知っている?」と問うと「知らん」案の定の答えである。
小学1年から2年の夏休みまで埼玉県民だった私、「ち~ち~ぶ~の、く~も~の~」と始めたものの、途中失念、
最後の「お~おお!さいたま!さいたま~、かがや~く、さいたま~」とサビを披露しました。
とはいえ、以後、都民だったのに「東京都の歌」なるものは、小中高大、いずれも聞いたことはありません。
では、夫に「校歌は?」と聞くと、「覚えてない」と即答。
私、深川小学校の校歌を唱します。
「みやこのたつみ、そらすみて~、も~りのしたかげつゆしげく~、みどりもふ~かき、ふ~かがわの~、みぃずにうつろう、にわの~おも~」
明治の早々に立った学校だけに、詩の言葉使いが古くて、子供心に難解だ~と思いながら歌っていました。
お次、大妻学院の校歌を、
「千代田の森の、影明るく~・・・」あれっ!?次の詩が出てこない。では、2番冒頭「千鳥ヶ淵に、立つさざ波~・・・」ううっ!でてこない
最後のさび、「喜び満ち足り、我らの学園、この学園に、我らあり~」あー・・・良かった・・・しかし途中の詩が思い出せない・・・・
中学高校の6年間も、歌わされてきたのに・・・・・
大学の校歌、応援歌も、この十年歌ってなかったら、出てこない・・・
いやあー・・・歳をとると、若いころの想い出は活き活きと思い出されるのに、直近の記憶が薄れる、・・・
と聞きますが、まさに、その通りですわ・・・
更に、月日と共に、忘却が進むのでしょう・・・
それでも、インターネットで調べると、埼玉県歌も、校歌も、すぐに検索できて、思い出してそらんじて歌えました。
それにしても、小学生の時に刻まれた記憶は、深いところで残っているのですね。
このまま、忘却が進んだらどうしよう・・・などと密かに心配する私です。
生まれてこのかた埼玉県民の夫に、「埼玉県歌、知っている?」と問うと「知らん」案の定の答えである。
小学1年から2年の夏休みまで埼玉県民だった私、「ち~ち~ぶ~の、く~も~の~」と始めたものの、途中失念、
最後の「お~おお!さいたま!さいたま~、かがや~く、さいたま~」とサビを披露しました。
とはいえ、以後、都民だったのに「東京都の歌」なるものは、小中高大、いずれも聞いたことはありません。
では、夫に「校歌は?」と聞くと、「覚えてない」と即答。
私、深川小学校の校歌を唱します。
「みやこのたつみ、そらすみて~、も~りのしたかげつゆしげく~、みどりもふ~かき、ふ~かがわの~、みぃずにうつろう、にわの~おも~」
明治の早々に立った学校だけに、詩の言葉使いが古くて、子供心に難解だ~と思いながら歌っていました。
お次、大妻学院の校歌を、
「千代田の森の、影明るく~・・・」あれっ!?次の詩が出てこない。では、2番冒頭「千鳥ヶ淵に、立つさざ波~・・・」ううっ!でてこない
最後のさび、「喜び満ち足り、我らの学園、この学園に、我らあり~」あー・・・良かった・・・しかし途中の詩が思い出せない・・・・
中学高校の6年間も、歌わされてきたのに・・・・・
大学の校歌、応援歌も、この十年歌ってなかったら、出てこない・・・
いやあー・・・歳をとると、若いころの想い出は活き活きと思い出されるのに、直近の記憶が薄れる、・・・
と聞きますが、まさに、その通りですわ・・・
更に、月日と共に、忘却が進むのでしょう・・・
それでも、インターネットで調べると、埼玉県歌も、校歌も、すぐに検索できて、思い出してそらんじて歌えました。
それにしても、小学生の時に刻まれた記憶は、深いところで残っているのですね。
このまま、忘却が進んだらどうしよう・・・などと密かに心配する私です。