6日 富士山。 高速道路から撮影。
4日の新年会の後、甥っ子長男8歳はお泊りしましたが、
次男5歳は 母親と離れられず、祖母と3人で帰りました。
次男は、私がお昼中に 都内の実家から兄弟二人で連れ出すと、泊まれるのですが、
このように夜、今回は母、前回は兄が、先に帰るパターンでは、泊まりきれません。
さて、5日は甥っ子の希望で、近所の市営植物園へ行きました。
そこは、多種多様な滑り台があって楽しめます。
しかし・・・隣接に「スケート場開園」と大きく看板が上がり、
スケートをやる!!!と甥っ子が言い張ります。
スケートは危険が伴い、保護者がいない状況で、甥を遊ばせていいものか・・・
悩みましたが、夫が「いいや、やってみよう」の一言で決まり、
とはいえ、夫はスキーはできてもスケートはできず、
私が、30年ぶりのスケート靴を履き、しかも年末の「ぎっくり腰」の不安の中、リンクに立ちました。
夕方、1時間。
スパルタ叔母の下、4回転んだあたりで「もおいい、やめるよ~」と弱音を吐く。
「私、ヒロくんと同じ、小学2年のお正月、初めてスケートをしたけど、
21回転んで、滑れるようになった。2回や3回転んだくらいで、泣かない!!!」
思えば、、、、補助なし自転車も、駄々をこね、せがまれた甥っ子に応え、
私が最初に教えましたが、数回転んだあたりで、「もうやだ~」と泣きが入り、恨み顔。
しばらく間をおいて、母親と2回目の挑戦では、「すーっと乗れたよ!」と得意げに報告が来ます。
なんか、私、損な役回りだな・・・と感じます。
さて、最終日の6日。
夫が「富士山がいいか?海がいいか?」、甥は「富士山」と答え、河口湖へ。
河口湖畔の富士ビューホテルからの富士山の眺め。
信玄縁の御室浅間神社にお参りして、
ホテルでランチをいただき、ついでにショップのお洋服を大人買い。
私が子供の頃、このホテルでお正月を過しました。
昭和11年に建った旧館は、木造3階建て、
木製の重厚な回転扉を通ると、巨大な木柱4本が吹き抜けを支えるロビー、
木枠の堂々とした窓、格子組の天井、寄木細工の床、ビロードのカーテンに天蓋ベッド
食卓には金縁の皿類に、磨きこまれたカトラリー、洗練された料理。
敷地内の温室で、職員によって育てられてた花が、正月の食卓に添えてありました。
風格と日本の美が、建築・内装・庭園の全てから かもし出され
忘れられない、宝物の記憶です。
昭和60年に鉄筋コンクリートに建て替わり、どこにでもあるホテルになってしまいました。
7日まで、夫の会社はお休みです。
今年のお正月休みは、九十九里浜の日の出を仰ぎ、更に、富士山を眺め、
御節料理も鯛料理も、夫や家族の皆に喜ばれ、充実し幸福な始まりでした。
習慣性ぎっくり腰が再燃したのが「玉の傷」ですが、本年も精進あるのみ!!!