犯罪被害者は被害に遭いたくて被害に遭ったのではないから,警察が住所氏名を発表するかどうかについて,決定する権利を有している…という考え方があります。確かに犯罪被害者は自分の意思の働かないところで被害に遭ったのであり,社会としても援助するべき対象ではあるでしょう。でも,だからって,マスメディアが警察から氏名などの情報を入手することを拒めるのでしょうか…。
例えば,私は車を運転しません。不便でもいいから,できるだけ車の数を少なくしてほしいし,車の速度規制だってきちんと車自体に規制装置を設置してほしい,そう思っています。毎日何十人の人が死んでいると想像するだけで車を見るのも嫌になります。しかも,事故だけではありません。排気ガスの問題だってあります。
しかし,そうは言っても現代社会の中で生活している以上,車と共存することは仕方ありません。現実には,車に乗らないで日々を過ごすことは出来ません。
「一日数十人の死者を防ぐ利益,きれいな空気を吸う利益」と「車のある便利な社会を維持する利益,車を生産することで得られる経済的豊かさを得る利益」…日本では後者が優先されています。
犯罪に遭った…本当に辛いと思います。でも,その事実を検証するためには,捜査する側だけに情報を保有させることは出来ません。捜査する側だけが情報を持っていると,手を抜くかも知れないし,不正を働くかも知れないからです。警察が自由気ままに活動できる社会で人権を守ることはできないでしょう。また,警察は我々の税金を使って動いているのですが,捜査名目で好き勝手に使ってしまうかも知れません。
捜査する者以外が情報を共有することではじめて捜査する側に緊張感が生まれるわけです。
そんなことは我が身を振り返れば分かることです。見られていなければ…。
社会で生きている以上,場面場面に応じて,意に反して耐えなければならないことが出てくるのは仕方がないことだと思うのです。車のところでも述べましたが,要は対立する利益のバランスの問題です。
警察というシステムをできるだけ正当なものとして維持する利益と被害者がメディアから取材を受けることを拒否する利益,どちらが大きいでしょうか…。
そう考えると,被害者の情報がメディアに伝えられることも許容するしかないのではないでしょうか…。
もちろん,情報を入手したメディアがどのような取材をし,どのような報道をするかという点について,今後もメディアの姿勢を糺し続ける必要があるのは当然ですが…。
例えば,私は車を運転しません。不便でもいいから,できるだけ車の数を少なくしてほしいし,車の速度規制だってきちんと車自体に規制装置を設置してほしい,そう思っています。毎日何十人の人が死んでいると想像するだけで車を見るのも嫌になります。しかも,事故だけではありません。排気ガスの問題だってあります。
しかし,そうは言っても現代社会の中で生活している以上,車と共存することは仕方ありません。現実には,車に乗らないで日々を過ごすことは出来ません。
「一日数十人の死者を防ぐ利益,きれいな空気を吸う利益」と「車のある便利な社会を維持する利益,車を生産することで得られる経済的豊かさを得る利益」…日本では後者が優先されています。
犯罪に遭った…本当に辛いと思います。でも,その事実を検証するためには,捜査する側だけに情報を保有させることは出来ません。捜査する側だけが情報を持っていると,手を抜くかも知れないし,不正を働くかも知れないからです。警察が自由気ままに活動できる社会で人権を守ることはできないでしょう。また,警察は我々の税金を使って動いているのですが,捜査名目で好き勝手に使ってしまうかも知れません。
捜査する者以外が情報を共有することではじめて捜査する側に緊張感が生まれるわけです。
そんなことは我が身を振り返れば分かることです。見られていなければ…。
社会で生きている以上,場面場面に応じて,意に反して耐えなければならないことが出てくるのは仕方がないことだと思うのです。車のところでも述べましたが,要は対立する利益のバランスの問題です。
警察というシステムをできるだけ正当なものとして維持する利益と被害者がメディアから取材を受けることを拒否する利益,どちらが大きいでしょうか…。
そう考えると,被害者の情報がメディアに伝えられることも許容するしかないのではないでしょうか…。
もちろん,情報を入手したメディアがどのような取材をし,どのような報道をするかという点について,今後もメディアの姿勢を糺し続ける必要があるのは当然ですが…。
被害者に選択権を与えることによって、被害者が望む場合や、望むタイミングで取材を受けられるようになることは評価できると思います。現状では、被害者がショックを受けて混乱している、いちばん平静が欲しいときに取材が押し掛けてますよね。
被害者のプライバシーと対立する利益はマスコミの特ダネを報道する権利だと多くの国民が認識していることが、情報開示の規制の根拠となっているように思われます。マスコミ自ら、取材のあり方に実効力のある自主規制をもうけたり、謝罪・訂正広告をきちんとしたり、「名誉毀損に対する賠償金額が低すぎる」というキャンペーンを張ったりして、自浄作用があることを証明して欲しいものです。
また、犯罪被害者の取材・報道被害は特定の人(不幸にも犯罪の被害者になられた方やその遺族)がさらにマスコミに傷つけられるという二次被害なので、誰もが被害に遭う可能性のある交通事故や交通公害と比較するのは無理があると思います。(そもそも、人権の制限を論じるのに比喩という手法を使うのは乱暴では?)