情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

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靖国問題Q&A、発刊!~「体当たり攻撃は、日本精神の発露である」(解説より)

2007-05-08 03:27:15 | 靖国問題Q&A
 内田雅敏弁護士の著作、靖国問題Q&A~「特攻記念館」で涙を流すだけでよいのでしょうか(←クリック)がこのほど発刊された。以前から、その内容の一部をお伝えしてきたが、全39問にわたる質問を設定し、真摯に答えている。靖国のあり方を肯定する人はぜひ、この著作を読んで、考え直す機会をもってほしい。

 内田弁護士の回答は、本を手に取って読んで頂くとして~あっ、図書館に購入するよう要求してそれを読むのも手です。その方がより多くの方の目にとまるので内田弁護士も喜ぶかも(笑)~前田哲男氏の解説の一部を引用したい。


 前田氏は、内田弁護士の手法にならい、ある著作を引用する。陸軍航空本部所属の報道班員だった高木俊明氏が書いた「特攻基地 知覧」だ。

 --鬼の玉垣軍曹に殴られて、五組の飛行兵の2名が鼓膜を破られた。いつも練習機の座席は、血でくろずんでいた。操縦者として大事な耳を傷つけるとは血も涙もないどころか、全く非常識であり、凶暴であった。後方座席にいる助教は棒で殴りつけたり、「飛びおりてしまえ」と脅迫した。木村の隊では飛行中に飛びおりて死んだ者もいたし、脱走や自殺するものも続出した。

 --鉾田飛行学校の研究部では、体当たり論を研究した。その結果、飛行機が爆装して体当たりしても、軍艦は沈まないことを公式計算で明らかにした。もし、撃沈できるとすれば、小艦艇か、あるいは艦船内の火薬庫などに誘発をおこすような、まれな偶発の場合しかないと考えられた。
 しかし、三航研はさらに公文書で反論してきた。「体当たり攻撃は、日本精神の発露である。そこに計算外の威力がある。精神力を持って決行すれば、必ず敵艦を撃沈し、勝利を収めることができる」というのだ。

 
…この現実に目を向けないで9条2項を変えようというのは、目をつむって運転するようなものだ。周りの人をひき殺し、いずれは自分も衝突死する。









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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新靖国Q18.東京裁判において、被告全員を無罪とする意見を書いたパール判事の見解とは?

2007-03-31 15:30:19 | 靖国問題Q&A
 Q.東京裁判において、被告全員を無罪とする意見を書いたパール判事の見解とは、どのようなものなのでしょうか。

 A.靖国神社境内、遊就館に隣接するところにパール博士顕彰碑というものがあります。この碑について、同神社発行の「やすくに大百科、私達の靖国神社」は以下のように説明しています。

    「昭和21年から行われた極東国際軍事裁判(通称 東京裁判)のインド代表判事であったラダ・ビノード・パール博士は、事実を曲げた訴えに対し、裁判官の中でただ一人、被告団を全員無罪とする意見書を出されました。その勇気と情熱を称え、後の世へ伝えるために平成17年に建立されました。」

    極東国際軍事裁判(東京裁判)所は、米、英、仏、加、中、ソ連、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フィリピンの11カ国より派遣された判事団によって構成されました。このうち、インドから派遣されたパール判事は、被告全員を有罪とした法廷意見(多数意見)に反対し、全員無罪とする意見書を出しました。彼の意見の骨子は、あくまで法律家としての立場から、当時の国際法上は被告らが問われた「平和に対する罪」「人道に対する罪」は事後法であって、その適用は許されないとするところにあり、日本の侵略戦争と植民地支配を肯定しているわけではありません。ですから、近・現代における日本の戦争をすべて「聖戦」として肯定する靖国神社が、パール判事について「その勇気と情熱を称え……」と顕彰碑を建てているのは些か「我田引水」の気味があると思います。パール判事の見解の根底には、単に法律論だけでなくイギリスの植民地支配の中で苦しめられてきたインドの歴史があり、日本を裁く西欧列強もその手が汚れていないなどとは決して言えない(それ自体は正論です)という気持があったのではないかと思います。

    なお、東京裁判では、ウエッブ裁判長(オーストラリア)、ベルナール判事(仏)、ローリング判事(オランダ)らによって、25被告全員が有罪ではなく、一部を無罪にすべきだとか、7名の死刑判決中、広田被告については死刑は相当でないとか、統帥の最高責任者天皇が訴追されない状況で国際裁判はこれを行う価値があるであろうか、そのことは被告達に対する量刑において、考慮すべきであるとかの個別意見書が提出されています。なお靖国神社遊就館で放映されている前記ドキュメント映画「私たちは忘れない─感謝と祈りと誇りを─」では、ウエッブ裁判長が後に「東京裁判はまちがいであった」と語っていると紹介がされていますが、これは彼の発言の一部だけを自己の都合のよいように剽窃したものにすぎません。

    文官で唯一絞首刑となった広田弘毅については、裁判中亡くなった松岡洋右(外務大臣として日独伊三国同盟を締結)らの身代りとされたなど、悲運の人として同情する人もいます(城山三郎著・「落日燃ゆ」など)。確かに絞首刑というのは重すぎるとは思いますが、しかし広田弘毅自身が自己の戦争責任を認めており、そのため裁判においては他の被告達とは異なり、一切弁明せずという姿勢を貫いたのでした。

    日中「戦争」拡大の中で1938年1月近衛内閣が「国民政府(蒋介石政権)を相手にせず」という声明を発してますますの泥沼に入り込んでいった際、広田弘毅が外務大臣として慎重論を唱えた統帥部を押切り、積極的な役割を果したことは正確に認識されておくべきです。

 「当時、東京の軍の中枢部では、戦争指導に必要な思索と教養をもたず、狭く浅い視野で、唯我独尊、強いことばかり主張し頑張る連中が、肩で風を切って横行していた。
 組織の中では、多くは正論は威勢が悪く、強行論者が勢力を張って生き残り、組織としての動向を決定するにいたることが多い。
 だが、この深刻な悲劇の深まる重大な転換点「蒋政権否認」の政府声明の公表を前にして、これに反対し抵抗した人物がまったくなかったわけではない。
 当時、最高の戦争指導方策を決定していたのは、政府と統帥部の連絡会議であったが、その席上で政府側(首相近衛文麿)の代表意見として、広田弘毅外相がまずその意見を述べた。
 『中国側の回答文は、日本側の条件内容を大体承知しながら、なお中国側の意見を示さず、しかも日本側の条件につき説明を求めるのは、和平に誠意がなく、遷延策を講じておるものと考えるほかない』
 この所見に対し、統帥部を代表する多田駿参謀次長は(当時の参謀総長は閑院宮だったので、参謀次長が実質的な全責任者)、『この回答文をもって脈なしと断定せず、脈あるよう図るべきである。中国側の最後的確答も待たずに、わずかの期日を争い、挙国的決意も準備も不十分のまま、前途暗澹たる長期戦に移行することが、いかに重大かつ困難なことであるか……』と述べ、中国側の真意を探る方策などを提案して、今ただちに交渉を打ち切ることに反対した。
 だが、広田外相は、『永い外交官生活の経験に照らし、中国側の応酬ぶりは、和平解決の誠意がないことは明らかである。参謀次長は、外務大臣を信用しないのか』と切り返し、杉山元陸相もこれに同調した。
 ついで米内光政海相は、『統帥部が、外務大臣を信用せぬは、同時に政府不信任である。政府は辞職のほかない』と、一流の政治的発言で詰めよった。
 多田参謀次長は、やむなくいったん参謀本部に帰って首脳会議に図ったが、遂に、『蒋政権否認を本日の会議で決定するのは時期尚早であり、統帥部としては不同意であるが、政府崩壊が内外に及ぼす悪影響を認め、黙過してあえて反対を唱えない』と、譲歩せざるを得なかった。
 多田参謀次長の『脈なしと断定せず、脈あるように図るべきである』という提唱は、日中の和平を願い、国運を憂える至誠の声であったが、時の大勢はこれを圧殺した。
 当時戦えば勝てると多くの政治家や軍人が安易に考えていた時、多田次長は独り『前途暗澹たる長期戦に移行する』ことを見透し、憂慮のあまりの発言であった。」(杉浦義教「ラバウル戦犯弁護人」光人社文庫) 


■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

 大臣はそれぞれが真剣に市民のためになることは何かを考えて行動してほしいし、我々市民もそのような政府を選びたいし、そういうプレッシャーを与え続けたいですね。







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
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新靖国Q17.A級戦犯東條英機陸軍大将は、本当のところ何をしたのでしょうか?

2007-03-13 05:51:15 | 靖国問題Q&A
Q.A級戦犯東條英機陸軍大将についてはいろいろ言われていますが、本当のところ彼は何をしたのでしょうか。

A.A級戦犯合祀問題などに揺れる靖国神社に国内外からの厳しい反対の声を無視し、8月15日、小泉首相は「公約」どおり、靖国神社参拝をしました。
    この参拝について、東條英機元首相(陸軍大将)の孫娘由布子氏が「中韓の内政干渉に対して毅然と対処した。独立国としての威信を守ることができた…晴れ晴れとした。心の中で霧が晴れたような気がする」(2006年8月16日・東京新聞)と堂々と述べているのを見て、歴史の真実が正確に伝承されなければならないことを感じさせられました。
    東條英機陸軍大将には、第三次近衛内閣の近衛首相が中国から撤兵をして日米和平の途を探ろうとした時、陸軍大臣としてこれに反対し、同内閣を崩壊させ、自ら内閣総理大臣となって日米戦争への途を進めた無謀な開戦責任があります。そして同大将は、陸軍大臣、内務大臣も兼務(後に内務大臣の兼務は解いたが)、その後外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣も兼務し、さらに統帥部に属する参謀総長をも兼務し、文字どおり政府と軍の権力を独占し憲兵政治を敷いて国民の批判の声を封じ、また政敵を容赦なく弾圧しました。 
    さらに内閣総理大臣を退いた後も、陸軍を背景とした重臣として政治に睨みをきかせていました。

    いささか私的なことですが、私は敗戦の年1945年4月5日この世に生を受け、現在61歳です。生れた当日の出来事を調べてみました。
    この日、前年の1944年4月7日、東條内閣総辞職の後を受けて政権を担当していた小磯國昭(陸軍大将)内閣が総辞職しています。当日午後5時に後任内閣の首班選定のために、重臣会議(歴代の首相経験者らによって構成)が開かれたが、このときのやりとりについて昭和天皇の内大臣であった木戸幸一は、自身も被告として裁かれた東京裁判において提出した口供書において以下のように述べています。
    「当日午後5時に重臣会議が開かれたが、重臣らもまた大本営内閣(国務と統帥の一体化、小磯前首相が構想)には反対だった。この際は今までの行懸りのない肝のすわった真に大局の見える人が後継内閣の首班に選ばれるべきである。必ずしも現役軍人の必要もないとの意見がでた。
     しかし東條大将のみは、戦争は本土決戦の段階に入るので、後継首相は現役軍人であることが必要であると力説し、畑元帥を主張した。
     私は、これに対してもし本土決戦ともなれば、何千万かの無辜の国民をいだいての戦争であり、それには銃後の政治力が肝要であるとのべ、現在陸軍は国民からはなはだしく不人気なので、むしろ陸軍軍人でない人物を可とするとものべた。東條大将はなかなか承知せず、もしそんなことをするならば陸軍はソッポを向く(陸軍によるクーデターを意味する)であろうとのべた。これに対して、私は、もし陸軍軍人が推薦されるならば、国民がソッポを向けるであろうと応酬した。この会議では誰も平和工作に関しては明らかには触れなかった。それは、この会議に東條大将が出席しており、ウッカリしたことを言って陸軍を刺激して逆の手を打たれることを恐れたからだ」(『東京裁判』朝日新聞東京裁判記者団著・講談社。1983年刊)
    結局この重臣会議で予備役の鈴木貫太郎海軍大将が後任首相候補として選定され、大命降下、終戦内閣の成立と歴史は流れますが、上記木戸幸一口供書に見られる東條英機陸軍大将の頑迷さ、国民の生命の無視には驚きとともに怒りを覚えます。
    すでに、東京大空襲など米爆撃機による日本本土の空爆により日本は焦土と化しつつあり、多数の死傷者を出していました。そして沖縄への米軍上陸など日本の敗戦は決定的であり、指導者としては一刻も早い終戦を模索しなければならない時期になお「本土決戦」を呼号し、クーデターの脅しをかけるなど絶対に許されることではありません。「本土決戦」がどのような事態を招来させるかは沖縄の地上戦の実態が物語るところです。国民の生命など文字どおり「鴻毛ヨリモ軽シ」(軍人勅諭)としてしか考えていないことがよく分かります。
    東條陸軍大将は、内閣総理大臣として靖国神社に父親が戦死した遺児を集め「決してお父様の名を恥かしめぬよう」諭し、その写真を「靖国の子らに父の慈愛、東條総理誉れの遺児を激励」というキャプション付きで報道させたりもしています。政府広報誌は、「靖国の遺児に寄す」と題して「靖国の社頭に頭を垂れ、父の遺志に耳を澄ます可憐な姿、やがて父子相傳へて国に殉ぜんことを誓ふ、われらひたすらその健やかな成育を祈り、心を一つに力を共に、われらすべてがその父たらんことを希ふ」と報じています。遺児に対して、父のように「国のために」死ぬと云っているのです。
    このように東條英機陸軍大将の戦争責任とは無謀な戦争の開戦責任だけではなく、戦争の終結を遅らせた継戦責任もあるのです。
    同大将が、陸軍大臣在任の際に作った「戦陣訓」の中の「生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ」によってどれほど多くの軍人・民間人(サイパン島、沖縄などでの民間人の集団自決)が斃れたかも忘れてはなりません。

    このような人命軽視の発想の延長上に、特攻とか玉砕という思想が生まれてきたことは前に述べたところです。
    また日本の敗戦後、占領地において連合国の戦犯裁判において少なからざる日本軍の将兵・軍属(植民地出身者も含む)が戦時中の捕虜虐待、斬殺、刺殺などの責任を問われ処刑されました。占領地において日本軍による国際法無視の捕虜虐待などの事案が多数発生した背景には、前述した人命軽視の「戦陣訓」や、「上官の命令は天皇の命令」であって、絶対服従すべしとする「軍人勅諭」などがあったと思います。
    日本の敗戦後、由布子氏ら東條英機の孫達が小学校で担任のなり手がいなかったり、あるいは担任から「東條君のおじいさんは泥棒より悪いことをした人です。」と言われたりするなど心無い仕打ちを受けた(『さまざまなる戦後』保阪正康)ことについては、不当だとは思います。しかし、「中韓の内政干渉に対して…独立国としての威信を守ることができた。……」など、東條由布子氏の一連のコメントを読むとき歴史を学ぶことの難しさをつくづくと思います。

■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

東条英機が何をしたのか、その事実を把握しようともしないで靖国を語る資格はないっていうことでしょうか…。






★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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新靖国Q16.日本の政治家は、海外、例えば国連の場などで東京裁判史観のような主張をしますか

2007-03-01 06:27:46 | 靖国問題Q&A
Q.靖国参拝に絡んで東京裁判史観とかいろいろ云われていますが、日本の国内だけでなく、海外、例えば国連の場などでも日本の政治家がそのような主張をなすことがあるのでしょうか。


A.全くありません。確かに日本国内においては一部の政治家が声高に威勢のいい言説を語っていますが、これらはいずれも国内消費型ナショナリズムというかナルシズムであって、国際社会にあっては全く通用するものではありません。

      例えば中曽根康弘元首相は、日本国憲法制定当時、
      一、ああ嗚呼戦に打ち破れ 敵の軍隊進駐す
        平和民主の名の下に 占領憲法強制し
        祖国の解体計りたり 時は終戦六ヶ月
      二、占領軍は命令す 若しこの憲法用いずば
        天皇の地位請合わず 涙をのんで国民は
        国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり
と、日本国憲法を批判する歌を作りましたが、1985年10月28日首相として国連総会で演説したときには次のように述べているのです。

      「1945年6月26日、国連憲章がサンフランシスコで署名されたとき、日本は、ただ1国で40以上の国を相手として、絶望的な戦争をたたかっていました。そして、戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大な惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、我が国固有の伝統と文化を尊重しつつ、人類にとって普遍的な基本価値、すなわち、平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、そのための憲法を制定しました。我が国は、平和国家をめざして専守防衛に徹し、二度と再び軍事大国にならないことを内外に宣明したのであります。戦争と原爆の悲惨さを身をもって体験した国民として、軍国主義の復活は永遠にありえないことであります。この我が国の国是は、国連憲章にかかげる目的や原則と、完全に一致しております。
      そして戦後11年を経た1958年12月、我が国は、80番目の加盟国として皆さんの仲間入りをし、ようやくこの国連ビル前に日章旗が翻ったのであります。
     議長!
      国連加盟以来、我が国外交は、その基本の一つに国連中心主義をかかげ、世界の平和と繁栄の実現の中に自らの平和と繁栄を求めるべく努力してまいりました。その具体的実践は、次の三つに要約することができましょう。
      その第一は、世界の平和維持と軍縮の推進、特に核兵器の地球上からの追放への努力であります。
      日本人は、地球上で初めて広島・長崎の原爆の被害を受けた国として、核兵器の廃絶を訴えつづけてまいりました。核エネルギーは平和目的のみに利用されるべきであり、破壊のための手段に供されてはなりません。核保有国は、核追放を求める全世界の悲痛な合唱に謙虚に耳を傾けるべきであります。とりわけ、米ソ両国の指導者の責任は実に重いと言わざるをえません。両国指導者は、地球上の全人類・全生物の命を断ち、かけがえのないこの地球を死の天体と化しうる両国の核兵器を、適正な均衡を維持しつつ思い切って大幅にレベルダウンし、遂に廃絶せしむべき進路を、地球上の全人類に明示すべきであります。」

    一瞬耳を疑ってしまうほどのまともな発言です。この発言に先立つ同年8月15日、中曽根康弘は内閣総理大臣として初めて東京裁判でA級戦犯として処刑された東條英機元陸軍大将らをも合祀している靖国神社に公式参拝し、中国・韓国・北朝鮮ら近隣アジア諸国からの厳しい批判を受けました。

この批判を受けて、特別国会において、
「やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政干渉は敢然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。アジアから孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか」
と答え、以後参拝を取り止めました。

    安倍新首相も官房長官の時代の4月に密かに靖国参拝をし、それを自らリークしながら公式には参拝したとも、しなかったとも答えないというまことに奇妙というか姑息な方法をとっているのです。

    このように、国内においては威勢のいいことを言っている彼らも国際社会においては靖国参拝を正面切って言えないのが実情なのです。

    2006年10月6日毎日新聞によれば、5日、靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会が開かれ、「遊就館」の展示中、米国から批判の出ていた第2次世界大戦の米国関係の記述の見直しを決めたといいます。しかし、中国や韓国などアジアの国々から「侵略戦争の認識が欠けており、アジアの独立を促したと正当化している」などと批判されている展示については、見直さない方針だとのことです。

    米国とアジアとでその対応を異にする戦後日本の随所に見られるダブルスタンダードです。この点について日本近・現代史を専攻する纐纈厚山口大学教授は、朝日新聞「歴史認識」インタビューで以下のように語っています。

「日本が戦争で米国で負けたことは多くの人が認めるでしょう。しかし、中国に負けたとなるとどうですか。
米国との戦いが始まった41年、中国に投入されていた日本陸軍の兵士は138万人で、総兵力の65%だった。米国との闘いで兵力は南方戦線(南太平洋戦線)につぎ込まれ、敗戦の45年には164万人に達した。だが、同じ時点で中国にはそれをしのぐ198万人もの兵力が配備されていた。
中国戦線の比率は非常に大きかった。しかし、あの戦争は米国の物量に負けたと総括することで、日本の侵略に抵抗した中国やアジアの人々の存在を忘れることにしたのです」(2006年10月16日夕刊)

    中国との戦いに敗れたということを認めぬまま総括を誤ってきたのが、戦後の日本であり、日本人の戦争観の根本的な問題がそこにあるというのです。全くそのとおりです。遊就館のビデオが日中「戦争」について「支那事変、総攻撃」という戦前のニュース映画をそのまま流していることは前に述べたところです。

    今、靖国神社遊就館では「日本会議・英霊にこたえる会」が製作したというドキュメント映画「私たちは忘れない─感謝と祈りと誇りを─」(約50分)が上映されています。

    「あなたは考えたことがありますか? 国のために生命を捧げた多くの人々の上に、私たちの“今”があることを─。」
    「日清・日露の大戦から大東亜戦争まで─。わが近・現代の戦争史を、貴重な映像と史実に基づき再現した初めての本格的ドキュメント映画。教科書では教えられない真実の歴史が、今よみがえる─。」
   という解説語句からも明らかなように凄まじいまでの自己肯定(ナルシズム)の映画です。“大東亜戦争は白人の植民地支配からのアジアを解放する目的で闘われた。”“日中戦争は、中国とりわけコミンテルンに指導された中国共産党の目論見により長期化させられた。”“ABCD包囲網により日本は闘わざるを得なくなった。”“戦うも亡国かも知れぬ。だが戦わずしての亡国は魂まで喪失する永久の亡国である。たとえ一旦亡国になろうとも、最後の一兵まで戦い抜けば我らの子孫はこの精神を受け継いで必ずや再起するであろう。”(永野修身海軍軍令部総長)等々のトーンで満ち溢れています。そこでは重慶無差別爆撃も南京大虐殺も中国人・朝鮮人強制連行も、従軍慰安婦も泰緬鉄道建設工事に狩り出され連合国捕虜及びアジア人労働者6万以上の死等々のことは一切語られてはいません。

     地上兵力をもたず、したがって行軍や占領を考える必要のない海軍にとって中国作戦はそのまま航空侵攻作戦だといってよかった。上海に始まって南京、安慶、武漢、宜昌、重慶と揚子江の流域をなぞりながら内陸部へと分け入って行く「空からの侵略」の道は、疑問の余地なく海軍によって主導された作戦であり、その意味で中国における海軍は、陸軍と同じように血ぬられた手をしていた。銃剣による突入・占領・掃討によるのとは違う殺戮の形、突然空からやってくる侵入・制圧・爆撃が海軍のやり方であった。姿を見せず足跡を残さず速やかに現場を去り、しかも凶器は飛散して消えてしまうので跡づけることの困難な行為であったが、中国における日本海軍もやはり侵略の先兵、無差別・大量殺戮の実行者の告発から逃れるすべはありそうにない。日中戦争の鏡に映し出された日本海軍と日本陸軍の違いは、それぞれに属した人々の考えと振舞いに徴しても、結局のところ「ペストとコレラ」の差でしかなかった。……

      重慶空襲は「南京までの道」を一層拡大再生産する行為といえた。なぜなら南京空襲までは、都市占領を企図する陸軍侵攻作戦への支援という在来型の戦争形式をまだしも残していたのに対し、重慶爆撃はその枠を超え、都市恐怖爆撃、あるいは敵国民の抗戦意思破壊という、全く新しい航空戦力運用の思想を開示するものだったからである。無差別爆撃はここに至って「結果」から目的へ、「過失」から故意へと変換する。そして支那方面艦隊参謀長に井上成美少将が補佐されるや対重慶戦略爆撃はさらに大規模化し、かつ「緻密な無差別性」をもって実行されていくのである。対米政策に関してなら理性と沈着さを主張できる米内、井上両提督も、中国作戦と中国人の目から判定する限り、アジア人に対しては野蛮さを隠そうともしない、他と同列の日本軍人でしかなかった。
                 (前田哲男「戦略爆撃の思想」朝日新聞社、凱風社)

  先の戦争がアジア解放のための闘いであったなどと、ソウルで北京で、南京で重慶で、台北でシンガポールでマニラで、その他アジアの各地で語ることができるでしょうか。

    「大東亜戦争」が白人の植民地支配からのアジア解放の戦いであったとするならば、朝鮮、台湾の植民地支配は解放しなくてもよかったのでしょうか。ポツダム宣言で履行されるべきとされているカイロ宣言(1943.11.27)では「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」と述べています。

    この点に関し、評論家の加藤周一氏が自伝「羊の歌」(岩波新書)の中で戦時中の旧制一高の寮での作家横光利一とのやりとりについて興味深いことを書いております。

     激論がはじまったのは、その講演会が終わった後、私たちが粗末な茶菓を用意した座談会の席へ移ってからである。集まった15人ばかりの学生は、横光氏をかこんで車座になっていた。……
     「物質文明というのはだね」と横光氏はいった、「近代の物質偏重のことを、ぼくはいっているのだ。日本もこの〈近代の毒〉におかされてきたのです。だからこの厳しい時代を生きぬくために、われわれ文学者が召されているとぼくは思っている。その毒から日本を清める。──これが〈みそぎ〉というほんとうの意味ですよ、〈みそぎ〉の精神は、民族の心だ。今のこの時代ほど、偉大な時代はない。今こそわれわれは日本文学の伝統に還る……」。
     「どういう伝統ですか」と一人がいった。そして横光氏の答えないうちに、別の誰かがすかさず「化政の江戸……」と半じょうを入れた。それを聞くと、横光氏は爆発した、声の方をふり向くや否や、大喝した、「そんなことはいうから君たちはだめなのだ」。……
     横光氏の一喝は、私を興奮させた。たしかに「化政の江戸」は、毒を含んだ皮肉にちがいない。しかしそれは少なくとも権力を後楯にしたものではなかった。私たちの立場は、たとえ機会が与えられたとしても、駒場の寮の外では、もはや公言することの憚れるような立場であった。横光氏の立場は、当人自身が権力にへつらうことを目的としてはいなかったにしても、軍国主義権力が承認し、歓迎するものであった。議論をうち切って、大喝一声することは、横光氏にはできても、私たちにはできない。「だまれっ」ということは、軍人にはできても、代議士にはできない。相手が決して怒鳴ることのできない条件のもとで、怒鳴るのは〈フェア〉でないだろう。本人の主観の如何を問わず、事実上、権力をかさに着るのと同じことではないか。「君たちはだめだ」などと思い上がったことをいうな。……
     「だめなことはないでしょう」と私は声をしずめていった、「文学芸術の趣味は、化政の江戸で洗練の極みに達していた。それはほんとうの〈伝統〉ではないというわけですね。しかし元禄──といってみたところで、代わり映えもしないではないですか。元禄振りと〈みそぎ〉とは何の関係もない。平安朝の物語、いや、万葉集までさかのぼっても同じことだ。なんですか、一体、その万葉・源氏・西鶴・近松と全く関係のない日本文学の伝統というのは」。……
     「西洋自身が〈近代〉のいきづまりを自覚しているのだ」と横光氏は書いていた。「だから日本でその行きづまりが打開されることになりますか」「なぜならないのだ」「日本の行きづまりではないからです、近代社会が遠くの西洋で行きづまろうと、行きづまるまいと日本は近代社会ではない、そんなことを心配するのは場ちがいではないですか。68年の革命は、フランス革命ではなかった。この国の小作料は、おどろくなかれ、まだ物納なんですよ、しかもそれが収穫の半分以上だ、一体どこに〈近代的〉な土地制度がありますか。労働入口の過半数が農村に集中している国で、封建的土地所有と零細農民の収奪を保存しながら〈近代〉を語るのは無意味だと思う。いわんや〈近代〉を超えるの超えないのという議論は、滑稽そのものですな」「滑稽ではない」と横光氏は抗議したが、私たちの仲間は、もはや抗議を相手にもせず、自分の言いたいことを喋りまくった、「零細農民が封建的収奪のもとで窮乏化し、低賃金労働者の供給源となる。それを足場にして膨張した日本資本主義にとって国内市場のせまいのは、当然ですね。(大東亜共栄圏)というのは、要するに、その当然の帰結としての大陸膨張ということにすぎない。植民地の独立解放? 冗談じゃない、権力は英米の植民地を解放したいのでしょうが、日本の植民地は決して解放しませんね、その証拠には朝鮮の独立ということはおくびにも出さない。それどころか矢内原忠雄が台湾・朝鮮の植民地政策を批判してさえ教壇を追われているではないですか。そこで持ち出された(国民精神総動員)とは、誰が何のために、国民を動員しょうとしているものなのか。それさえ見極めずに、文学者が──ぼくは文学のことは知りませんが、文学者が、横光さん、(偉大な時代)とか何とかいうことがわかりませんね。なにが〈偉大〉ですか。あなたがだまされているのなら、愚劣ですよ。だまされていないのなら、みずから魂を売りわたしているのではないですか……」。    

    この記述は戦後に書かれたものでいささか整理されすぎている気もしないでもないのですが、しかし「大東亜戦争」が植民地解放のための「聖戦」であるとの虚構を見事に暴いていると思います。  

    ところで安倍新首相が好きなのは、吉田松陰だとのことですが、彼は近隣アジア諸国でどのように見られているのでしょうか。

    韓国のソウル郊外に「独立記念館」があります。韓国の歴史、とりわけ日本の植民地支配下での状況、その軛からの脱出、そして近年の朝鮮戦争までをわかりやすく展示したものであり、直接的には1982年の日本の教科書問題──高校社会科の教科書で「侵略」を「進出」と書き替えていた事実が発覚し、アジア諸国から厳しい批判を受けた──が契機となって建設され、1987年8月15日開館されたものです。

    かつてこの「独立記念館」を訪れた際、韓国・朝鮮を植民地化した元凶たる日本人として伊藤博文、西郷隆盛らとともに吉田松陰の顔絵が掲げられているのを見て驚いたことがあります。明治維新の「イデオローグ」吉田松陰が彼の地では帝国主義植民地者として位置づけられているのです。日本と韓国・朝鮮とでは歴史認識においてこのような大きな差異があることに私達は気付くべきです。
井出孫六『杏花爛漫─小説佐久間象山─』(1983年朝日新聞社)は、幕末列強に開国を強いられ、不平等な条約を締結させられたことに憤激した吉田松陰が師である信州は松代真田藩出身の洋学者佐久間象山に、
     「……国力を養い、取り易き朝鮮、満州、支那を切り随え、交易にて魯、墨に失う所はまた土地にて鮮満に償うべし……」
   と書き送ってきたことに対し、「それでは間違いができる」とさとす象山の姿を描いています。残念ながら日本の近・現代史は象山の憂慮したとおりの「間違いの道」を歩んでしまったのです。

    なお、松蔭は靖国神社に祀られていますが、象山は祀られていません。同じく暗殺された坂本龍馬は祀られているのですが、洋学者象山の暗殺は、当時尊皇攘夷を唱えていた長州勢によるものであったからでしょうか。

■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

中国に負けた…。確かに連合軍に負けたのだから…




★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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新靖国Q15.A級戦犯の合祀が問題とされているが、靖国神社の合祀はどんな手続で行われるか

2007-02-17 07:49:01 | 靖国問題Q&A
Q.A級戦犯の合祀が問題とされていますが、靖国神社の合祀はどんな手続で行われるのでしょうか。

A.戦前、靖国神社は陸・海軍省所管の「宗教的軍事施設」でした。したがって合祀は陸・海軍省から送付されて来た名簿に基づいて行っていました。しかし、戦後は陸・海軍省はなくなり、靖国神社も単なる一宗教法人に過ぎなくなったのですから、合祀は、遺族からの要請かあるいは靖国神社自らが調査して行うべきなのです。ところが実際には、厚生省援護局が戦傷病者・戦没者遺族等援護法の該当者の名簿を靖国神社に送付し、同神社はこれに基づいて祭神名簿に載せているようです。つまり厚生省が戦前の陸・海軍省の代りの役割を果たしているのです。

    これは厳格な政教分離原則を定めた憲法20条に反する行為です。しかも伝えられるところによれば、戦後復員業務との絡みで援護局には旧陸・海軍関係者が多く、靖国神社への合祀に協力する事務作業は通常の厚生行政とは別枠で、A級戦犯の合祀に関しても「省内にいる軍関係者の人たちが相談して(祭神名票)を送ったというようにしか理解できない」(2005年10月31日東京新聞・牛丸義留元厚生省事務次官)とのことのようです。重ねての引用ですが、前述した渡辺恒雄・保阪正康の対談は、この点について以下のように述べています。


保阪 A級戦犯を合祀した第6代宮司、松平永芳の歴史観はおおいに問題があると思います。総代会の青木一男や賀屋興宣など、A級戦犯に擬せられた人物もそうです。それからもっと問題なのは、戦後のある時期の厚生省の引揚援護局ですよね。

渡辺 あれは軍そのものですから。陸・海軍が潰れて、行く所がないから援護局にまとめて入れたんです。あの連中の課長補佐クラスが、合祀名簿をつくったんじゃないですか。

保阪 そうです。戦後のある空間の中、具体的には昭和34年ぐらいから、ひそかに戦前の思想、価値観に基づいて旧軍人の復権が行われています。その拠点が靖国神社だったように思う。これが、A級戦犯問題にずっと潜んでいる本質的な問題です。A級戦犯合祀は昭和53年というけれど、根本的な問題は、援護局の旧軍人と、靖国神社の宮司、総代会の青木一男たちがトライアングルをなし、見えないところで旧体制を復活させたことにあります。

渡辺 そうですよ。旧体制の復活という意味では、旧軍人で参議院議員にまでなった源田実、辻政信なんてひどいもんだ。源田実は、桜花という特攻兵器の命名者ですよ。それが戦後、自衛隊の空幕長として残って、国会議員になって大言壮語していたんですからね。僕が防衛庁の記者クラブにいた頃、源田さんは記者会見で気に入らない質問をされると「文句があるなら、俺のT33の練習機に乗れ!俺が戦闘機の操縦をお前らに教えてやる!」という調子なんですね。変わってねえなと思いましたよ。(笑い)

    ところで靖国神社が軍関係者らのみを祀り、空襲による被害者など一般の戦争被害者を祀っていないのは、天皇の軍人のための神社として設立された靖国神社の沿革、そしてその教義もさることながら、そもそも合祀が厚生省から送られてくる祭神名票によるということも大きく影響していると思われます。というのは前記援護法によって軍関係者らには、年金など比較的手厚くなされているにもかかわらず、一般の戦争被害者には全くの手当てがなされていないからです。もし、靖国神社が一般の戦争被害者も祀ったとするとそのことが逆に援護法行政に跳ね返ってくるのではないでしょうか。

    空襲の被害者、「私財」としての在外資産を日本国の賠償に当てられた被害者、中国「残留」孤児らが、国を相手として損害賠償を求めた裁判において、裁判所は「戦中及び戦後において、国民のすべては多かれ少なかれその生命、身体、財産上の犠牲を耐え忍ぶことを余儀なくされていたのであるから、戦争損害は、国民がひとしく受忍しなければならないものであり、このことは、被害の発生した場所が国内のまたは国外のいずれであっても異なるものではないというべきである」として請求を棄却しています。

    一般国民と戦争指導者を区別していないこのような判決の論旨には納得できないものがありますが戦傷病者・戦没者遺族等援護法(軍人恩給)を見ても「国民がひとしく」というのがまやかしであることが分かります。

    遺族年金の支給については、なお「天皇の軍隊」の階級がそのまま生きており、例えば、1994年の時点での調査によると、「大将」の最高額が年間761万余円であるのに対し、一般の「兵」の最低額は104万余円であり、7倍以上もの差がありました。2004年3月末現在でも、「大佐」で年間285万余円、一般の「兵」で59万余円となっています。

    ところが中国「残留」孤児に対しては、自立支度金としてわずかな一時金(大人1人で総額31万9千円、2人の場合は47万8900円)だけなのです(2005年3月16日、衆議院予算委員会における社民党・又市征治氏の質問に対する回答)。

    日本の敗戦後においてもなお天皇の軍人、軍属が(それも当時のままで)一般国民に比べてはるかに手厚い保護を受けるという不条理が続けられているのです。

 「もし恩給を寄越すなら、召集令状で無理矢理ひっぱられた兵隊にやるのはいい、戦争に負けたくせに、職業軍人になんかやる必要はない、軍隊の階級を、負けたあとまで目くされ金で押しつけられるのはご免だ、おれはとにかく生き残ったが、戦死した兵隊は、死んでしまったから文句も言えないで、死んだあとまで遺族年金などの階級差別をされている、死んだ兵隊が可哀想だ、いくら国のためだったとしても、死んだ兵隊はほんとに可哀想だ、腹ペコの栄養失調で、敵の弾をくらって、好きな女も抱けないで、マラリアにやられ、コレラに罹り、げっそり痩せこけ、ぼろぼろの乞食みたいな服で、傷口に蛆が湧いて、シラミだらけの白い頭で、ようやくジャングルを越えたのに、氾濫した河に流されてしまった者も随分いた、」
(結城昌治『軍旗はためく下に』)

    なお、この「軍人恩給」は日本軍の軍法会議で懲役2年を超える有罪判決を受けた者については支給されていません。

    サンフランシスコ講和条約後、恩赦事務に携わり膨大な件数の軍法会議記録を読み、「軍隊の暗い部分」を知った。前記『軍旗はためく下に』の作家結城昌治氏は、日本の敗戦後軍事の指揮系統が崩壊する中で、心ならずも敵前逃亡の汚名を着せられ処刑されてしまった兵士が少なからずいたと指摘している。

 「──分かりません。前線では連隊長や大隊長、中隊長にも司法権があります。したがって、軍法会議を経ないで処刑された者がいてもおかしくない。しかし、ほかの部隊ではそういう者も病死で扱っています。わたしは運送会社の社長室におさまっている千田と会ったとき、叩っ殺してやりたい衝動に駆られました。10人の兵を銃殺させたとき、彼は狂っていたと考えてもいい。降伏に応じるとき、彼ひとりが徹底抗戦を主張したというし、戦犯で引っぱられるのではないかとビクビクしていた。しかし現在の彼は違います。自決した僚友の参謀に戦犯容疑をなすりつけ、無事に帰国してぬくぬくと暮らしている。だが、私はそんなことを責めたくて彼に会ったのではない。また、不当な銃殺命令が事実だったとしても、今さら彼の弁解を聞いたって始まらない。彼が馬淵軍曹の死にかかわりあろうとなかろうと、それはもはやどうでもいい。しかし、かつての部下の死因が疑問につつまれ、その遺族が苦しんでいるなら、一瞥の力をかすべきではないか。わたしはそう思って彼に会った。かれにはその力があるからです。馬淵軍曹の不名誉な死を語るものは一片の曖昧な書類にすぎない。判決書がなく、裁判官や検察官たちも事実を否定している。だったら厚生省の係官に会って、その暇がなければ手紙でも構いません、当時の悲惨な状況を説明して、馬淵軍曹の処刑云々という連名簿の記載は誤りだと証言して欲しい。そうすれば本人の魂も救われようし遺族も助かる。師団参謀で軍法会議にも関与していた彼の発言は、有力な証拠になるはずなんです。さらに望むなら、当時は軍法会議を経ないで処断された者も多く、それらが不法だということも証言してもらいたかった。馬淵軍曹の問題は、厚生省の諮問機関である援護審査会において再審査中ですが、すでにその再審査も数年を経過して、未だに宙ぶらりんの恰好のようです。わたしにはなぜ審査会が時日を空費しているか分らない。わたしが会った厚生省の係官は、もと職業軍人で参謀本部にいたひとですが、戦線を離脱したら銃殺されるのが当り前じゃないか、譬えばゲバ棒を振回す学生を前に機動隊員が逃げたら免職されても仕様がないのと同じだなどと言っている。厚生省側の認識はそんな程度です。その係官は2年ほど前に退職したそうですが、いくら説明してもまるっきり分かってくれません。彼らの内部には今なお戦陣訓が生きている。そして最初に申請を却下した上司の対面をかばい、自分たちの立場を守ることに汲々としている。見事な軍人精神と官僚主義です。」
                      (結城昌治「軍旗はためく下に」)





■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

【腹ペコの栄養失調で、敵の弾をくらって、好きな女も抱けないで、マラリアにやられ、コレラに罹り、げっそり痩せこけ、ぼろぼろの乞食みたいな服で、傷口に蛆が湧いて、シラミだらけの白い頭で、ようやくジャングルを越えたのに、氾濫した河に流されてしまった】~ほんの数年前までそんなことになるとは思ってもいなかったはずだ。私たちはそうならないようにしたい。





★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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新靖国Q12.台湾、韓国の遺族の人々は何故靖国神社合祀の取下げを求めているのでしょうか

2007-02-14 06:21:24 | 靖国問題Q&A
Q.台湾、韓国の遺族の人々は何故靖国神社合祀の取下げを求めているのでしょうか。

A.親、兄弟、祖先の霊が靖国神社に囚われていると考え、その解放を願っているのです。

    靖国神社は、軍人、軍属として亡くなった日本人だけではなく、軍人や軍属として狩り出された台湾、韓国など旧植民地の人々も、本人や遺族の意向に関わりなく勝手に祭神として祀っています(この点は日本人についても同様です)。当事者らの意思に関係なく、遺族に連絡もないままにです。中には生存しているのに祀られてしまっている人すらもいます。しかも植民地下、創氏改名、つまり日本名のままで「○○みこと命」として祀っているのです。ですから、台湾、韓国の遺族の人々が合祀の取下げを求めたならば、靖国神社はこれに応じなければならないのです。
    しかし、同神社は神道の教義として一旦合祀したものは取下げできないと遺族の要求を突っぱねています。こんな馬鹿なことがありますでしょうか。死者や遺族の意思に無関係に、天皇との「関係」だけで勝手(合祀後の連絡もなし)に祀ってしまう。こんな傲慢な「宗教」が他にあるでしょうか。かつて、日本は台湾、韓国などの植民地に神社を建立し、現地の人々にその参拝を強制しましたが、そのことについての反省がないのです。
    韓国ソウル郊外に海外で亡くなった人々のための慰霊施設「望郷の丘」があります。そこに父の墓を作ったドキュメンタリー映画「あんにょん、サヨナラ」の主人公でもある李煕子さんは、朝鮮人軍属として靖国に合祀されている父の魂を取り戻すまでは、名前を刻まないとしています。霊魂に対する考え方は、その国、地方によって異なりますが、死者に対する慰霊の気持は尊重しなければなりません。
    2006年8月11日から15日まで、「平和の灯をヤスクニの闇へ キャンドル行動」として、日本(ヤマト)、沖縄、韓国、台湾の4地域から人々が東京に集まり、集会、文化交流、デモ等連続行動を行い、8月14日には約1000名によるキャンドル人文字「YASUKUNI NO!」を作り、アッピールするなどしました。韓国から国会議員11名を含む250名、台湾から立法院議員1名を含む50名の参加があり、全日程を成功裡に終えました。
    8月12日、上記キャンドル行動に参加した韓国の国会議員ら10余名が、韓国人戦没者の合祀の取下げを求めて靖国神社に申し入れに行きましたが、その際、神社境内にいた人々の群れの中から「朝鮮人帰れ!」という罵声が飛びました。勝手に合祀をしておいて「朝鮮人帰れ!」はないでしょう。恐らくこの罵声を浴びせた人物は「神聖な」靖国神社に韓国・朝鮮人も祀られていることを知らないのではないでしょうか。
    東京新聞8月23日付朝刊コラム〈論説室から〉「靖国参拝と台湾人」は、前期キャンドル行動に参加した台湾の立法院委員高金素梅さんらについて、「日本の植民地であった台湾では、多くの台湾人が戦地に赴いた。時代の風潮に逆らえず出征した人も少しはいただろうが、多くは名誉と思い、光栄と感じていたと現地で聞いた。」「台湾で犬に噛みつく(靖国合祀に反対)のはたった二人。立法委員は台湾国内での票目当てのパフォーマンスだ。それなのに、『台湾人の遺族も反対』とは大きなミスリードだ。…」と書いております。驚くべき妄言です。

    同じ植民地支配といっても、台湾と韓国ではニュアンスの違いがあるのは事実です。台湾の場合は日本が去ったあと国共内戦に敗れた国民党が来て苛烈な弾圧政策を敷いたということもあって、その反感が強く、日本に対する反感は韓国ほどは強くないようです。
    しかし日本は、韓国と同様台湾でも「皇民化」政策を強行し、これに抵抗した人々に対して霧社事件──1930年台湾台中州霧社で発生した高砂族の抗日反乱──に見られるように容赦のない弾圧を加えた事実は消せません。「高砂義勇隊」のように日本軍が台湾原住民を「義勇隊」の名の下に陸上特攻(捨て駒としての切込隊)として使った事実も記憶されておくべきです。
また植民地出身者を軍属として捕虜収容所の看守などに使ったため、日本の敗戦後、BC級戦犯として処刑された人も少なくありません。

「蓬莱の島の若草も
ラバウルの島に散るが悲しき
今日の日を神様は
何と母に知らせていよう
     交わりし四年歳の友よ
      別れの手振りも懐かしく
     友よ泣いてくれるな
      明日の光を心に秘めよ
          天壁山(台湾人軍属)」
           (杉浦義教「ラバウル戦犯弁護人」光人社文庫)

    植民地支配と日本軍の捨て駒という二重の被害者たちを護国の英霊として、本人・遺族らの意向と関係なく、しかも加害者(日本人)側と一緒に祀っている靖国神社のデタラメさについては多言を要しないでしょう。靖国神社に祀られることが、何が「名誉」「光栄」なことでしょうか。

    今般、内閣府を通じて小泉首相宛になされた靖国参拝反対・台湾人戦没者の合祀取下げ申入書には、高金素梅さんを含め28名の立法委員が署名しています。「台湾で犬に噛みつくのはたった二人」というコラムは、歴史的事実を無視した妄言以外の何物でもありません。ヤスクニの闇、日本の闇には深いものがあります。
    なお、日本人で靖国神社に合祀されている者は、戦傷病者・戦没者遺族等援護法の対象となっていますが、台湾、韓国の人々は合祀されてはいるものの援護法の対象外となっています(台湾については、その後特別立法により一部対象)。
    靖国神社は旧植民地の人々をも合祀している(その意思を問うことなく)理由として、彼らも天皇の軍隊(赤子)として日本のために戦って亡くなったからだとしていますが、それならどうして援護法の対象とならないのでしょうか。いわゆる国籍条項による差別です。
    この点に関し、韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」会長李鶴来氏は、以下のように述べています。

    「       BC級戦犯 韓国・朝鮮人への償い未完
      『BC級戦犯』だった私がスガモプリズン(巣鴨刑務所)から釈放されて、この10月で50年になった。私が問われた罪は何だったのか。……
      私たちが日本軍の軍属として『徴用』され、朝鮮半島から南方各地に派遣されたのは42年の夏だった。捕虜収容所での監視任務に就かされたが、捕虜の取扱いを規定したジュネーブ条約も教えられず、粗悪な衣食住、医薬品の欠乏、過酷な労働環境の中で、各地の収容所で多数の犠牲者を出した。当時17歳の私にとっては厳しい任務だった。
      敗戦後、捕虜虐待などの『通例の戦争犯罪』を行ったとされ、無謀な捕虜動員計画を立案・遂行した責任者より、現場の捕虜監視員が多数、BC級戦犯として訴追された。監視員の多くは朝鮮と台湾の青年で、合計321人が有罪となり、内49人が処刑された。
      理不尽を負わされた無念もさることながら問題はその後の日本政府の対応にあった。私たちは『日本人』として収監され服役したが、釈放された時は『外国人』。その後は『国籍がないから』と補償や援護の対象から外されたのだ。先に釈放された仲間や友人の世話で生き延びてきたが、日韓のはざまで見捨てられた身分だった。…………
      韓国政府は今年6月、私たち朝鮮人元BC級戦犯は、植民地時代の日本の強制動員の被害者であると初めて認定し、11月中旬までに合計83人の名誉を回復してくれた。…………戦後61年たってようやく、韓国の国民がBC級戦犯問題を知り、理解するところとなった。………………
      この問題解決の残りの半分は日本政府が動いてくれない限り、実現しない。私たちを捕虜監視員にして派遣したのは韓国政府でなく、日本国なのだから。
      立法府は因果関係を踏まえて、『深刻かつ甚大な犠牲ないし損害』(最高裁)に対する立法措置を速やかに講じて欲しい。日本国民の道義心と良識に改めて訴えたい。」(2006年朝日新聞「私の視点」)

     靖国参拝問題とは直接は関係がありませんが、このようなことを放置しておいて『美しい国へ』と語るのは虚しいことです。まず戦後補償を実現して   『道義ある国』になることが先決です。

■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

日本人遺族は票田だから遺族年金を出すが…





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新靖国Q11.欧州の5月8日とアジアの8月15日はかなり違うように見られますがどうでしょうか

2007-02-12 11:42:07 | 靖国問題Q&A
11.Q.先の大戦が欧州で終わったのは1945年5月8日、アジアで終わったのが8月15日ですが、欧州の5月8日とアジアの8月15日はかなり違うように見られますがどうでしょうか。


 A.2005年6月20日、ソウル青瓦台で行われた小泉首相、盧武鉉大統領の首脳会談は、その大半が靖国、教科書問題などの歴史問題に費やされました。拉致、核、6カ国協議、竹島(独島)問題など、今、日韓の首脳間で話し合わなければならない問題は多々あります。にもかかわらず、歴史問題でのやりとりに終始し、しかも言いっぱなし、聞きっぱなしで何らの成果がなかったといいます。

    この報道を聞いて、5月の欧州との違いをつくづくと感じさせられました。欧州において第2次世界大戦が終了したのは61年前の1945年5月8日です。2005年5月8日、9日、戦争終了60周年を記念して欧州では、様々な行事が行われましたが、そこには戦勝国首脳らと並んで戦敗国ドイツのシュレーダー首相(当時)の姿がありました。

    5月9日、モスクワ、赤の広場で行われた対独戦勝利60周年式典でもブッシュ米大統領、シラク仏大統領、ブレア英首相ら50を超える国や、国際機関の指導者が出席する中、ドイツのシュレーダー首相も「無名戦士の墓」に献花をしました。

    2004年6月、フランスのノルマンディーにて挙行された連合国軍によるノルマンディー上陸作戦60周年記念式典にもドイツのシュレーダー首相の姿がありました。
    シラク仏大統領に「式典にドイツの指導者を招待するのが望ましい」と進言したのは、戦時中のフランスの抵抗運動統一組織「レジスタンス全国評議会」の副事務局長を務めたロベール・シャンベロン氏(90才)でした。同氏は毎日新聞のインタビューに応じて、「フランス人にとり、対独戦の終わりはファシズム・イデオロギーの解体を意味した。欧州市民がファシズムから解き放たれた。ナチズムからのドイツ国民解放でもあった。……我々はドイツ国民と戦争をしていたのではない。ヒットラー主義、ファシズムと闘っていたのだ。レジスタンス闘士の中には『ドイツ国民万歳』と叫びながらナチスに銃殺された者が大勢いた。ドイツ国民に恨みはなかった。……」と語っています(2005年5月9日毎日新聞夕刊)。

    ドイツ史を専門とする三島憲一大阪大学名誉教授によれば、戦後のドイツはナチスの第三帝国の罪を認めようとする勢力とそれに反発する勢力のせめぎ合いの歴史であったといいます。このようなせめぎ合いを経ながら、なおいろいろ問題はあるにせよ、戦後ドイツは戦争責任、戦争賠償など歴史問題について真摯に向き合いフランス、ポーランドなど近隣諸国と話し合いを継続する中で、彼らから一定の信頼を得てきたのです。
    1970年12月にポーランドのワルシャワを訪れた西ドイツ(当時)ブラント首相が、ナチスの犠牲者の慰霊碑に跪いて謝罪したことは、ポーランドの人々の心を揺さぶった出来事として記憶されています。

    翻って日本はどうでしょうか。小泉首相も前述した赤の広場での対独戦勝利60周年記念式典に参列し、他の首脳と同じように「無名戦士の墓」に献花をしましたが、彼はこの献花の意味を本当に理解しているのでしょうか。
    欧州における5月8日は、アジアにおける8月15日です。8月15日にソウルで、北京で、南京で、香港で、マニラで、シンガポールで、小泉首相は先の戦争で斃れた無名戦士たちに献花をすることを考えたことが一度でもあるでしょうか。
    彼の頭のなかには、8月15日に靖国神社へ行くことしかないのです。

■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

8月15日にアジア各国で謝罪のできる首相こそが真に愛国的な首相だといえるはずだ!

※写真は、こちら(←クリック)から





★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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新靖国Q10..歴史問題はいつまで続くのか。靖国神社参拝をやめても、ほかの理由で文句つけられるのでは

2007-02-03 22:45:09 | 靖国問題Q&A
Q. 歴史問題はいつまで続くのでしょうか。靖国神社への参拝をやめたとしても、中国や韓国は他の理由でまたいろいろ言ってくるのではないでしょうか。



A.靖国問題を解決しても、歴史問題で中国や韓国がなおいろいろ言ってくるかもしれません。しかし、私達日本人としてはまず靖国問題を解決すべきなのです。

    前述したように2005年3月1日、韓国の盧武鉉大統領は、日帝の植民地時代に起きた「三・一独立運動」の86周年記念式典における演説の中で「日本はすでに謝罪した。我々は日本にくり返し謝罪を求めようとは思わない。謝罪に見合う行動をすることを求めているにすぎない……」と述べ、植民地支配はよかったなどと相も変らずなされる日本国内における「妄言」に警告しました。私達は、この警告を真摯に受け止めなくてはならないと思います。
    韓国はともかくとして、中国政府は歴史問題を外交カードとして使用しているのではないかと見られるふしがないわけでもありません。しかしそうさせないためにも、まず私達が靖国問題について解決すべきなのです。その上でもし理由のない批判がなされるようなことがあったならば、それには毅然とした態度で臨めばいいのです。
    今年6月サッカーワールドカップがドイツで行われましたが、その開催に合わせてニュールンベルグの競技場に、ナチスの非道を記した碑が建てられたといいます。ニュールンベルグは、ナチ党大会が行われるほどナチ党ゆかりの地であったのです。歴史問題は永遠に記憶され、私達はそれと向き合ってゆかなければならないものです。
    1985年5月8日、西ドイツ(当時)ヴァイツゼッカー大統領は、欧州における戦争終結40周年を記念して行った演説「荒野の40年」において「過去に目を閉ざすものは現在を見ることができない」と述べ、全世界の人々に深い感銘を与えました。
    1989年昭和天皇の死に際して、ヴァイツゼッカー大統領が大喪の礼に参加することを知り、私達は市民の立場で日本国内は必ずしも天皇賛美一色ではないことを伝えようとして同大統領に手紙を出したことがあります。
    1週間後、駐日ドイツ大使館を経由して、同大統領の署名入りの返書が日本語訳文を添えて届きました。
返書は「御趣旨を拝読し、文面とそこに含まれる貴国現代史との取り組みを貫く皆様の真摯な態度に強い感銘を覚えました。」という丁寧な書き出しで始まる格調の高いもので、同返書中の「いかなる民族も各々の歴史に、その高揚の時と低迷の時代を含めて自覚を持たねばなりません。とはいえ、自らと己の歴史にけじめをつけることは、全くそれぞれの民族に委ねられた事柄であります。」という一節に深く感銘を受けました。
    河野洋平衆議院議長も朝日新聞の「歴史と向き合う」シリーズのインタビューの中で、
──若い政治家の間では、日本の過去に誇りを持つべきだという意見が強いようです。
「世代の問題ではなく、事実に目をつぶり、『なかった』とうそを言うことは恥ずかしいことです。知らないのならば、学ばなければならない。知らずに、過去を美化する勇ましい言葉に流されてはいけません」
(2006年10月26日付朝刊)
   と述べています。

■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

犬死にさせられたことへの怒りを持とう!

なお、新靖国Q&AのQ2~Q9までは、旧Q&Aとダブっているのでここでは省略します。後ほど、改訂版を掲載します。





★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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新靖国Q1.靖国神社はどのようないきさつで建てられたものでしょうか

2007-02-01 00:05:17 | 靖国問題Q&A
内田弁護士が靖国Q&Aを改訂されました。そこで、従前のバージョンの紹介も途中なのですが、最新版をQ1からご紹介します。すでに紹介した部分については、どの部分が変わったかを指摘するようにしてダブって掲載しないようにしたいと思います。それでは、早速、Q1…

Q.先日靖国神社に行ってきました。静かなどこにでもある、ごく普通の神社に見えましたが、靖国神社はどのようないきさつで建てられたものでしょうか。


A.確かに日本の終戦記念日の8月15日前後とか春秋の例大祭の時期を除けば、靖国神社の境内は静かなものでその意味では、伊勢神宮や明治神宮と大差はありません。しかし、8月15日をめぐる「賑わい」は、この神社が建てられたいきさつと密接な関係があります、後の質問に対する答えの中で詳しく述べる予定ですので、ここでは概略だけを述べておきます。
    靖国神社は、最初は幕末、明治の戊辰戦争で亡くなった兵士、それも朝廷(官軍)側の死者だけを祀るために1869(明治2)年作られた東京招魂社を起源とし、1879(明治12)年に靖国神社と改名し現在に至っております。
    この官軍側の死者だけを祀るという基本方針は徹底しており、例えば同じ明治の元勲でも西郷隆盛は祀られておりません。
    その後さらに遡り、倒幕のために闘い、明治維新を見ずに斃れた幕末期の「勤王の志士」達も祀るようになったのです。例えば、橋本左内、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作などがそうです。何故か佐久間象山は祀られておりません。祭神中、死亡年次で一番古いのが1854年ペリー来航の年の12月3日、尊皇攘夷、国事を憂い時運の否を憤り自刃した久留米藩家老稲次因幡正訓だとのことです(半藤一利「偽作『安吾巷談』靖国の神々」文学界2005年10月号)。そして日清、日露戦争のように我国がアジアにその権益を拡めて行く過程で亡くなった人々を祀ることになり、戦没兵士達の慰霊というよりも、その顕彰のための神社へとその性質を変えてゆくことになったのです。戦争で死んだら靖国神社に神(○○みこと命)として祀り、その功績を顕彰するというシステムを作り出すことにより兵士達の拡大再生産が可能となったのです。
    現在までに246万6千余柱が祀られています(「やすくに大百科」靖国神社社務所)。神として祀る以上、彼らが参加した戦争はすべて正しい戦争─聖戦─でなければなりません。靖国神社はアジア・太平洋戦争を含む日本の近・現代における戦争をすべて、日本の自存・自衛のための正しい戦争であったとしており、このことは日本の敗戦後も全く変っていません。
    もちろん祭主は国(天皇)ですので、当然に国営つまり、陸・海軍省所轄で宗教施設であると同時に軍事施設でもあったわけです。
    ですから靖国神社の外観だけを見ただけで、この神社の性質を見ることはできません。建てられた経緯、どのような人々がどのような基準で選別され祀られているか等々のことを見なくてはいけないのです。靖国神社に併設された戦争記念館たる「遊就館」での展示も検証してみる必要があります。これらの点についても後の質問に対する回答の中で詳しく述べたいと思います。 

■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■

政府を守った人は神様!政府に逆らった奴はただの人!





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靖国Q11.小泉首相が8月15日に靖国神社参拝したことに対し、中国や韓国などが激しく非難したのは何故

2007-01-28 16:50:04 | 靖国問題Q&A
Q.小泉首相が8月15日に靖国神社参拝したことに対し、中国や韓国などが従来にも増して激しく非難しましたが何故でしょうか。

A.日本の侵略戦争や植民地支配に苦しめられた国々の人々にとっては8月15日は日本の支配から解放されたとして記念すべき日なのです。中国では毎年この日、日本軍国主義を打倒した日として記念式典が行われ、韓国でも同じように光復節として祝われています。

     このような解放記念日に日本の首相が、日本の近・現代における戦争はすべて自存自衛のための聖戦であったとする61年前の8月15日以前と全く変らない歴史観を持ち、かつ侵略戦争の責任者らであったA級戦犯をも祀った靖国神社に参拝したならば、日本は61年前と何ら変ってないのかと怒るのは当たり前ではないでしょうか。
     例えば、日本では8月6日広島、9日長崎での原爆投下に対する抗議とその被害者に対する慰霊を行っていますが、この同じ日に、米国で原爆を讃える集会が行われたとしたら私達は怒るのではないでしょうか。このように8月15日が私達日本人にとっての敗戦記念日ということだけではなく、アジアの人々にとってどういう日であるかを考えなくてはならないと思います。ですから日本の首相が靖国神社に参拝することに反対している中国や韓国にしてみれば、自分達にとっても特別な日である8月15日の靖国参拝は、或る意味では挑戦ではないかと把えるのです。



■■以上、内田雅敏弁護士執筆(小泉政権当時)■■


他国の市民の痛みが分からない人は、自国の市民の痛みも分からないんじゃないでしょうか…

写真:光復節、大学路で開かれた大集会(JCJ←クリック)





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靖国Q10.A級戦犯を分祀すれば、外国からも批判されることもなく、また天皇の参拝も可能になる

2007-01-27 16:53:30 | 靖国問題Q&A
Q.A級戦犯を分祀すれば、外国からも批判されることもなく、また天皇の参拝も可能になる。

A.A級戦犯を合祀するということは、先の大戦が日本の侵略戦争であったことを否定するメッセージを対外的に発信することになり、重要な問題ではありますが、しかしこのことが、靖国問題の本質というわけではありません。

    確かに中国などはA級戦犯が合祀されている靖国神社に日本の首相が参拝することを問題にしており、A級戦犯を分祀すれば批判はなくなるかもしれません。しかし、靖国問題の本質は、前述したように日本の近・現代史における戦争をすべて聖戦であったとする靖国神社の持つ特異な歴史認識にこそあるのです。
    このような歴史認識からすれば、A級戦犯の合祀は当然(そもそもA級戦犯という観念がないのであり、その意味ではむしろA級戦犯こそを祀るにふさわしいと云えましょう)であり、これを分祀したとたんに靖国神社は靖国神社でなくなってしまうのです。ですからA級戦犯の分祀なんてできるはずがありません。それは神道の教義上というよりむしろ前述した靖国神社の成立の経緯、特異な歴史認識が故にです。


■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■


A級戦犯を分祀したとたんに靖国神社は靖国神社でなくなってしまう…確かに、戦意高揚装置としての靖国が戦争を推進した指導者を分祀するわけにはいかんですよね…。

マンガは、橋本さんの連載30回で掲載したものを再掲させいていただきました。


★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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靖国Q9.「罪を憎んで人を憎まず」は中国の孔子の言葉だ。日本では死ねば皆同じように祀られる

2007-01-26 01:07:40 | 靖国問題Q&A
Q.A級戦犯の話がたびたび論じられるが「罪を憎んで人を憎まず」は中国の孔子の言葉だ。日本では死ねば皆同じように祀られる。


A.「罪を憎んで人を憎まず」と孔子が言ったかどうかは知りません。しかし、この言葉は加害者が被害者に向って言う言葉でないことくらいは最低限知っておくべきです。

靖国神社が戦死者を祭神として祀るに当っては明確な基準があります。
それは「朝敵」か否かです。
幕末期から明治初期にかけての戊辰戦争で朝敵となった会津藩など奥羽列藩同盟の戦死者達が靖国神社に祀られていないことはよく知られています。しかし、同じ会津藩でも会津藩と薩摩藩が組んで朝敵長州藩と戦った「蛤御門の変」のときの会津藩の戦死者は靖国神社に祀られており、このときの長州藩の戦死者は祀られておりません。
西郷隆盛ら西南戦争における薩摩藩の戦死者が祀られていないのも同じ理由によるのです。
朝敵か否かというこの選別は、それは見事なほど合理的になされているのです。


■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■


都合のいいときはAといい、違う場面ではBという。こういう手口に乗らないようにしないといけないですね。




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靖国Q8.小泉首相は私的参拝だから政教分離原則に抵触しない。自分にも内心の自由はあると言っている

2007-01-25 04:12:55 | 靖国問題Q&A
Q.小泉首相は公的参拝でなくて私的参拝であるから政教分離原則に抵触しない。自分にも内心の自由はあると言っていますが、そうでしょうか。


A.公的参拝と私的参拝を都合よく分けることは許されません。

    小泉首相は、自民党総裁選の公約として8月15日の靖国参拝を掲げました。そして、中国・韓国らからの批判に対しては内政干渉だとも反発しました。また、靖国参拝をやめるべきだという経済同友会の提言について、「政治と商売は別だ」と小泉首相自らが靖国が政治問題であることを認めています。最近では「(靖国参拝の)公約は生きている。」「公約は守られなければならない。」などと或る種居直り発言すらしています。小泉首相の靖国参拝を違憲だと断じた大阪高裁判決(2005年9月30日)も「靖国神社に到着後、約1時間もテレビ取材陣が到着するのを待って参拝している」と認定しています。このように公約に基づき、しかも公表した上であえて公共の関心事である靖国神社へ参拝することは、例え一私人の立場をとったとしても内閣総理大臣の地位にある者と同一人物であり、密接不可分であることから実質的には政治的効果を狙った公的参拝であることは否定できません。

■■以上、内田雅敏弁護士執筆(小泉政権当時)■■

私的というなら、神社の外からでもこっそり祈ることはできるはず…

写真はこちら(←クリック)より



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Q7.小泉(前)首相は昔から靖国神社に参拝していたのでしょうか   

2007-01-24 01:44:54 | 靖国問題Q&A
Q.小泉(前)首相は昔から靖国神社に参拝していたのでしょうか

A.小泉首相は、首相になる前から30年以上も国会議員をやっていますが、この間靖国神社に参拝したのはわずかに3~4回程度です。

   もともと彼は郵政民営化問題などを除けばほとんど政策らしいものを持っていない人でした。小泉首相誕生当時、小泉の「盟友」山崎拓が、新聞記者にそう語っています。小泉首相が「自民党をブッ壊す」「改革を止めるな」「日米同盟」など、政策をワンフレーズでしか語っていないことを思い起こしてみる必要があります。
   それが、首相になって急に靖国参拝を言い出したのです。その理由は、当時劣勢と云われた自民党の総裁選で自民党員である遺族会の票欲しさに≪8.15靖国参拝≫を公約として言ってしまったからです。云わば、自縄自縛となってしまったのです。
   もっとも、最近の小泉首相の動きを見ていますと、靖国問題を利用して、日本国内の一部に見られる排外主義を煽り、諸外国からの批判に屈しない強い指導者という虚像を作り上げることによって、求心力を維持しようとしているようにも見えます。小泉首相のこの手法は、郵政民営化法案に際して「抵抗勢力」との対決という図式を作りあげたのと全く同じです。
   靖国参拝に対する国内外の批判が拡がるのに対して、小泉首相は「心の問題だ、何回でも行く」と述べましたが、その際、同じ自民党の高村元外務大臣が、「挑発的な発言を敢えてして排外主義を煽り、支持率を上げようとしているのはよくない」と批判しています。


■■以上、内田雅敏弁護士執筆(小泉政権当時)■■


 小泉が結局、自民党政権維持の装置でしかなかったことを忘れないようにしたい









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靖国Q6.伊勢神宮を参拝しても文句は言われないのに、何故靖国参拝だけが文句を言われるのか

2007-01-22 23:21:25 | 靖国問題Q&A
Q.伊勢神宮を参拝しても文句は言われないのに、何故靖国参拝だけが文句を言われるのか。


A.伊勢神宮と靖国神社は、その設立及び活動につき歴史的経緯が違います。

 憲法20条の政教分離原則を素直に解釈すれば、首相の伊勢神宮参拝も違憲ということになります。江戸時代の「お伊勢まいり」にも見られるように、伊勢神宮や熊野宮などは、庶民の中の信仰として根付いたものでした。しかし靖国神社は明治以降になって作られた宗教的軍事施設であり、その歴史は浅く、或る意味で「特別」なのです。日本国憲法の政教分離原則は世界に類を見ないほど厳しいものだと云われています。それは戦前、神道が国家に結びつき他の宗教の上位に立つ国家神道として日本の侵略戦争を推進したという歴史的経緯を踏まえて、その反省の上に政教分離原則が成立したものであるからなのです。つまり歴史認識によって支えられた政教分離原則なのです。

 愛媛県知事の靖国神社、護国神社への玉串料支出を違憲とした1997年4月2日、愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決も、
   「明治維新以降国家と神道が結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記の憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことゆえに、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されるとはいえない」
   と述べ、
   「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は、本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えれられる」
   と判示しています。


■■以上、内田雅敏弁護士執筆■■


 政教分離は9条と並ぶ世界遺産だと思う。









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