皇国の母
2012-03-12 | 音楽
(ハナエさんの日記より)
私の人生。21才の4月親の勧めにて嫁に行く。
5年目の10月に息子が生まれ、
2才にならないハイハイの頃、赤紙が来て
その時は喜んでやり、送りださなければならなかった。
みんな帰り夜になって
子を抱きしめながらぞんぶんに泣いた。
あとは一生懸命に銃後の守り。
私ばかりではない。国中がそんなだった。
つらい事も多かった。
昭和19年に戦死のこうほう。
歓呼の声やハタの波
後はたのむのあの声よ
これが最後の戦地の便り
今日も遠くでラッパの音
思えばあの日は雨だった
坊やは背なですやすやと
旗を枕にねむっていたが
ほほにゃなみだが光ってた
東洋平和のためならば
なんで泣きます国のため
散ったあなたのかたみの坊や
きっと立派にそだてます
ハナエさんの日記が発見され、一頁をコピーしてくださった。
これはその一部である。後半の詩は何だろうと調べてみると、
「皇国(みくに)の母」という歌の歌詞であった。
ハナエさん自身の歌と思って、聞き、口ずさんだことだろう。
歌声が聞こえてくるようだ。
いただいて来た百合が香っている。
ふっとその香りを感じるたびに、ハナエさんを思う。