goo

何のために働くのか・2

右のビルの上からうっすらと虹がかかっているのがわかりますか?

とりえなし、目標なしで就職した私が配属されたのは総務部でした。玄関正面の席で受付をしながら事務処理と電話応対、お茶くみというよくある一般事務職です。携帯電話はもちろんのことダイヤルインというシステムさえなかった時代、会社を訪ねるすべての方と顔を合わせすべての電話を(一人ではないですよ)受けるという仕事は、今思うとどんなにか私をきたえてくれたでしょうか。

昨日コメントをくださったnaorinさんも書いているように
「とりあえず与えられた仕事をがむしゃらにこなしていくうちに、仕事の価値や意味がわかってきたり」という状態でした。

その中で発見したことはふたつ。

仕事というのは努力したり工夫すると結構誉めてもらえるものだ

自分はクールな人間だと思っていたけど意外と熱中する面もある

学生時代までいかに集中する、熱中する、努力すると無縁だったかバレちゃいますが、このふたつの発見は仕事を楽しいと思わせてくれました。ま、こんなふうに整理して自覚していたわけじゃないですが。

1986年、私が25歳のときに男女雇用機会均等法が施行されて今や死語となったキャリアウーマンという言葉がひらひらと舞っていました。ばりばり仕事する女性はかっこいいというイメージにあっさり洗脳されてもいました。

なぜこんな古いことを書くかというと、自分の価値観と思い込んでいることも時間がすぎるとその時代のブームに巻き込まれていた面がないとはいえないからです。現代なら「ワークライフバランス」でしょうか。ファッションだけではなく働くスタイルにも流行があるということです。

脱線しましたか。元々本筋もないのでいいかな。

20代の後半、同じ企業が子会社を作り私はそちらに移りました。そこで経理を覚えました。またその子会社のビルの1Fに社員・来客用のティールームが置かれその運営も任されました。でもベースとなる仕事はやはり事務職でしたし、私にはそれが合っていると思っていました。

私がつきたくない職業は3つ。化粧品の販売、先生と呼ばれる仕事、保険のセールスでしたから

同じ頃、就職情報会社が企画した講演会に何度か行きました。そこで東京の就職情報誌で有名な企業の女性管理職が講師だったことがありました。受講者のひとりが「貴女は自分に合う仕事に転職しながらキャリアを積み上げてきたようだが私は自分に何が合うのかわからない、どうすれば見つかるのか」と質問しました。

そのときに彼女は「わからないのはあなたが追い詰められていないからだ」という答えを返したことをいまだに覚えています。そのときはちょっと冷たいと感じたりもしたけれど、今となると誠実な答えだと思います。

今の学生さんが就活にあたって「自分に合う仕事はなに?」と真剣に悩むのは、現在の厳しい就活環境に追い詰められているからでしょう。だからバブル時代の学生のようにぼやーっと就職してしまうよりずっといいと思います。

でも、でも、です。立ち止まって頭だけで考え続けても永久に答えは見つからないと思うのです。メニューとレシピだけをどんなに読んでいても自分がおいしいと感じる料理は見つからない。せめて試食しないと。インターンシップだったりバイトだったり、ボランティアでもクラブでも、チームで何かをやりとげる場なども試食にあたるのではないでしょうか。

そもそも「自分に合う仕事」とはどういう意味なんでしょうね。私などいまだにそれがわかりません。20代の頃「自分には事務職が合っている」と思っていたのは「営業」「接客」「販売」などは“あり得な~い”ので消去法で事務職だったというのが本当のところだったような気がします。

専門的な知識も技能もなく、なりゆきでいろいろな業務を体験していった私ですが、それでも仕事は好きで楽しかった。努力とか勉強というのが学生時代とはまったく別の次元で取り組めるのが働くことの不思議なところです。

ちょっとカッコつけすぎましたはい、愚痴も文句もたっぷり言ってましたよ。   (つづく)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のために働くのか・1

四季咲きのバラが夏の花をつけました。

なんだかものすごいタイトルですね。このブログにはミスマッチなテーマかな

先日、I社さんで行われた『大学生と社会人で「何のために働くのか」を気楽に真剣に語り合ってみよう!』という企画に社会人のひとりとして参加してきました。学生はI社さんにインターンシップに来ている方たち、社会人はI社さんの社員の方々です。

“気楽にまじめな話をする場”というオフサイトミーティングと呼ばれるスタイルでした。私は午後からの参加だったのですが、午前中から「仕事をする上での軸」ということがひとつの注目点になっていたようです。

私にもその質問が振られたのですが「・・・うーん・・・べつに、ありませんねぇ」
(たぶん)がっかりさせちゃったかもしれません
企画運営されているコンサルタントの方が「これだけは大切にしているというものでいいんですよ」とフォローしてくださったのですがやはりちゃんと返すことができませんでした。スミマセン

学生のみなさんは「自分に合った仕事が何かわからない」ということも気になる課題のようでした。

私は学生のときそんなこと考えたこともなかったような気がします。短大の卒業直前になって家庭環境が激変し、就職というのはとにかく正社員で確実にお給料のいただける会社に雇ってもらうこと以外の何かではなかった、という事情もあります。厳しい現実の出来事にあっぷあっぷだったから就職後の不安に思いを至らせるゆとりがなかったともいえます。

それに私はみごとに何のとりえも得意なこともない学生でした。合うとか合わないとか、まして軸とか、そんな発想自体がなかったです。

だから、4年制の大学に進学できて卒業できて、就職を前にこういうテーマで真剣に悩むことができることはすごく恵まれたことだと思うのです。ましてこのようなユニークなミーティングの場に参加できることはとても幸せなことだと思います。

恵まれて幸せな立場の学生だからこそがっつり悩んで考えて、とエールを送りたい。答えがでるわけではない抽象的なテーマを真剣に深く考えられる機会はそんなに多くないからです。

正社員で給料がもらえる会社に就職できればいい、だった私がその後「なんのために働くのか」は「給料」だけだったかというと、そうでもないのです。

仕事はやってみたら面白かった。私は20年のサラリーマン時代に4社経験していますが、どれも仕事は好きでした。フリーでやっている今ももちろん好きです。

都合があり会の終了まで参加できず、大変中途半端な出席者になってしまったわけですが、後で学生のひとりから丁寧なメールをいただきました。うれしかったありがとうございます。そこで、その学生さんに向けてもう少し対話を続ける気持ちでこのような記事を書いてみることにしました。

といってなんの結論も教訓もありませんよ~                 (つづく)

コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の焼津海上花火

 

ただ美しいだけではない本来の意味を思って見るようになった今年の花火。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真

ちょっと必要が生じまして、20歳頃からのカビくさい写真を引っ張り出しています。
ネガもたくさん出てきました。要らないとは思うものの捨ててしまう踏ん切りもつかず、とりあえず整理しておこうとカメラのキタムラへ。

3月の震災で大切な写真を失ったり、大量の写真がボランティアによって洗われたりと、写真はなにかとニュースになりました。その影響でか手元のネガやプリントをデータ化するお客様が増えたということです。

古い写真は、忘れていたシーンがよみがえってきて楽しい。よみがえってきて悲しい。よみがえってきて苦い。いろいろエネルギーをつかいます。

幼い頃の写真はアルバムに貼ってあるのに、何枚かは別に保管してあったりして。これもその一枚。全くなんの記憶もよみがえらない一枚です。まぶしいのか機嫌悪いのか。腕がかゆいんだね

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする