なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」小野 美由紀文 2016年1月
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47501#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%86%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%81%E6%9D%B1%E4%BA%AC,%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E8%A9%B1%E9%A1%8C%E3%82%92%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A0%E3%80%82
「東大教授なんて、高い高い断崖絶壁の上を走るレールを、ひたすら一人で登り続けているようなもの。レールを太くて頑丈にすればするほど、どんどんそこから外れることができなくなる。“レール”って、何のことか分かる? それは、『男らしくあれ』っていう強迫観念。東大教授の大半は男だからね」
そう語るのは、東京大学東洋文化研究所の教授・安冨歩(52)だ。
身体的には男性だが、普段からスカートやワンピースなどの女性の装いをし、テレビ番組や講演会にもその姿で出演する。2014年10月、マツコデラックスの番組「アウト×デラックス」(フジテレビ系)にて「女性装の東大教授」として取り上げられ大きな話題を呼んだ。
装いのみから注目を集めているのではない。気鋭の経済学者としても注目を浴びている。
特に3.11の原発事故後に出版された『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語』(2012年1月出版)では、原発事故を取り巻くマスコミや政治家の言論が、第二次世界大戦前の戦争に関する言論とよく似ており、社会の暴走が加速する時には、きまって知的特権階級の人々の間でよく使用される「欺瞞的で、相手を言いくるめ、服従させるための」話法がメディアや政治の場で頻発すると指摘した。
自分自身が「エリート」であるにもかかわらず展開する痛烈なエリート批判と、その装いによって視線をあびる安冨だが、彼は最初から現在のような自由な人生を歩んで来たわけではない。彼の人生には長い間、家族から植え付けられたと脅迫観念がつきまとっていた。
親の価値観―“靖国精神”で満たされた家庭
安冨の両親は昭和9年、10年生まれ。生まれた時には満洲事変は終わっており、物心ついた時には日中戦争が起こり、太平洋戦争を経験した。父は学校の校長、母は元教師という家庭の長男として安冨は育った。
「男の子は大きくなったら戦争に行って、天皇陛下のために死ぬ。女の子は銃後を守り、息子を兵士として育て、立派に戦死したら靖国の神になったと随喜の涙を流す。私の両親はこの“靖国精神”を植え付けられたど真ん中の世代。私の教育にも当然それは影響した」
終戦後、世は戦後民主主義に急転換。しかし国民の腹の中はまだ靖国精神で満たされている。この世代の多くの人は、この二重構造を背負っていたはずだ、と安冨は指摘する。自らは、そのような両親からのただならぬプレッシャーを全身に受けながら育ったと言う。
「口では『お前の好きにすればいい』と言いつつ、内面では『良い学校に行って、出世しろ!』という無言の強烈なアピール。家族はお父さんの役、お母さんの役、子供の役、とそれぞれが立場を演じているだけ。心の交流は無かった」
「あのね、『勉強しろ』って言葉で命令するのはまだ二流だよ。本当に支配的な親って言うのは、勉強しなさいって言わなくても子供が気配を察して自分で勉強しはじめるような無言のプレッシャーを与えてるの。最初から、親の価値観の枠組みから外れないようにガチガチに仕込んで、そこから外れることすら想像させないんだよ」
中学生のころ、本心では指揮者や作曲家になりたかったが、親には鼻で笑われた。ゴッホ展を見て画家になりたいと思った時には、もう口にすらしなかった。エリートになる道以外に選択肢はありえない。そんな無言の空気が安冨を苦しめた。
父は職場では子供や同僚のことを第一に考え、教育に粉骨砕身する人物ではあったが、家では母親の言いなりであり、安冨の味方ではなかった。
親の期待通りに登りつめたエリートの階段
安冨は親の期待を一身に受けて京都大学経済学部に進学。卒業後は住友銀行に就職し、バブルを発生させる業務に従事したが、優秀なはずの人々が命まで削って異常な活動に没頭する姿に耐えきれず、2年半で辞職した。
京都大学の修士課程に進み、人文科学研究所にて助手を務め、その後、名古屋大学を経て、東京大学の東洋文化研究所にいたるまで、順調に研究者としてのキャリアを築いてきた。そのころは、特に自身の性認識に疑問を持った事はなく、「男の大学教授」としての立場を全うすることに全力をかけていた。
一見、華々しいエリートコースだ。しかし、心の重圧は取れず、たびたびわき起こる自殺衝動や、持病の頭痛に悩み続けたという。
東大教授という、研究の世界では日本最高峰の立場を手に入れたにも関わらず、なぜ安冨の心は晴れず、自責の念に苦しみ続けたのだろう?
「エリートにありがちだけど、高い目標を掲げて全力で取り組み、それが達成できたら“やれやれ失敗せずに済んだ”とホッとすることの繰り返し。達成の瞬間にホッとしても、喜びは感じられない。かといって、挑戦することをやめると気が狂いそうになるので、やめられない」
耐えられないほどの焦燥感。それは、子供のころから両親の教育によって植え付けられたものだった。
どんなに登り続けてもゴールの見えない断崖絶壁を、一人、延々と登り続ける孤独と不安。そこから飛び降りるきっかけを探しながらも、安冨はずっと苦しんでいた。
「靖国の母」から植え付けられた呪縛
最初の“飛び降り”は、妻との離婚だった。
その頃の安冨は、前妻からの度重なる暴言に疲れ果てていたが、「モラル・ハラスメント」という言葉も無かった時代、黙ってそれに耐え続けていた。結婚生活がうまくいっていないこと自体に、自責の念を感じていたからだ。
堪え兼ねてついに離婚を考えたとき、立ちはだかったのは両親の猛烈な反対だった。苦しんでいる安冨を擁護するどころか、あちら側について、「良くても悪くても、とりあえず結婚生活は続けろ」の一点張り。
安冨は激しい自殺衝動に襲われた。その衝動の根源を考えたとき、ようやく気づいた。それは母親から無言のうちに送られてくる「離婚して私のメンツをまるつぶれにするくらいなら、自殺しろ」というメッセージだったのだ。
「今思えば、完璧な息子を産み育てたはずの“良妻賢母の鑑"としての立場が、息子の離婚によって失われる。そういう恐怖心からの反対だったのだろう」
自分の結婚が家族全員を苦しめている――安冨はがむしゃらに離婚した。そうしなければ、本当に自殺してしまうと思ったからだ。両親へは、弟を通じて絶縁を伝えた。すると自殺衝動も消え、持病も急に軽くなったという。
安冨を長い事苦しめていた、母から植え付けられた呪縛。それは立派な兵士を育てようとする精神の現れであった。
教師の資格を持つ安冨の母は、賢くよく働き、子供家族に献身する“良妻賢母”を体現するような女性だった。しかし、母から自分に向けられる期待と強制は、彼にとっては呪縛でしかなかった。
「日本の“正しい母親像”は、戦中に作られたもの。『子どもを立派な兵士として育て、戦死したらニッコリする』って言うね。戦後はその精神が、経済活動に向けられて、“産業戦士”に変化したに過ぎない。
70年経ってもずっとその呪縛が日本人を縛っている。今でも大半の母親は、知らないうちに“靖国の母”を目指している。外側は民主主義だけど、内面はいまだに“靖国精神”。その二重構造が子供を苦しめる」
“靖国の母”に植え付けられた、男は苦しんで戦死してこそ一人前という、無意識のメッセージ。それが安冨を大人になっても苦しめていたのだ。
日本の男を苦しめる「ホモマゾ社会」と「立場主義」
「母親だけじゃないよ。日本は戦時中の軍国主義のマインドのままで、表面だけ民主主義に変わっちゃったからね、精神は復員できていない。女は銃後、男は戦場。その証拠に、日本の社会って、基本的にホモマゾ(ホモソーシャルでマゾヒスティック)じゃない。
たとえば会社組織って、おっさんが集まっていちゃいちゃしてるでしょ、昼も夜も休日も。ずっと一緒にいて、それでいて集団マゾなの。一緒に我慢しようね、みたいな。
つまりは『貴様と俺とは同期の桜』っていう日本軍のモードのままなのよ。表面上は自由で豊かでも、腹の中は、いまだに戦時中なわけ。酒飲んで、一瞬だけプレッシャーを忘れて、また元のホモマゾの中に戻って、の繰り返し。だから日本人の男はこんなに生きづらい」
軍国主義によって構築された「ホモマゾ社会」。それは、第二次世界大戦以降、日本が温存し続けている「立場主義」システムの一部だ、と安冨は続ける。
「立場っていう単語は、他の言語に翻訳できません。日本独特のもの。それが日本人をがちがちに縛り付けて”自分でないもの”にしている」
立場を失くす、立場を守る、立場上できない……何の疑問も持たずに、私たちが普段使っている言い回しだ。しかし、「立場」とは何か、いざ考えてみると、上手く説明できないことに気づく。立場にいる“私”は“私”ではないのか? 立場って、一体、なんだろう?
「『立場主義』システムは明治維新後に『家制度』に変わるシステムとして形成されたと私は考えている。それ以前は家単位で動員されたものが、徴兵制で個人単位になった。
そうすると『お家のために命を捨てる』というイデオロギーが失われるから、代わりに靖国神社が作られた。それを変だと思わせないために、学校教育が全国民に施されて、各人は『家のかわりに、自分の立場を守るために、命を捨てる』ようになった」
無理やり徴兵して、“兵士”と言う立場、“国民”という立場に依拠する形で人を行動させる。実に曖昧な概念なのに、いや、それゆえにこそ、“立場”は日本の社会で物凄いパワーを持ち、人を抑圧している。
立場主義の例として、安冨はSNSでの振る舞いを挙げる。日本人は実名でfacebookをやって、立場上、当たり障りの無い事を書いて、食べ物の写真ばっかりアップする。一方で、匿名でやっているTwitterでは、人をさげずんだり罵ってみせる。他の諸外国ではこういった極端な二面性は見られない。
「立場を守るために、溜まったストレスをどこかで発散しないと気が済まないんだよ。それが自分に向いたら自傷や病気になるし、外に向いたら、他人や家族への攻撃になる。ネトウヨとか、ネトサヨなんてのがあるのも日本だけ」
強固すぎるシステムは人を殺す
第二次世界大戦中に軍隊から生まれた「男らしくあれ」というホモマゾ的な強迫観念と「立場を守れ」という立場主義。この2つのシステムが戦後に著しく成長してしまったからこそ、現在の日本の社会は息苦しいのだ。
「でも日本はそのおかげでありえないくらい戦後の経済復興に成功しちゃったから、ずっと続けてれば良いって、いまだに思ってるわけ。立場を守るために、男は命を投げ出す。それが正しい、それが正義って。おかしいよね。女はある程度やって、くだらなさに気づいたらやーめたって抜けられるけど、男は一生、ホモマゾと立場主義から抜け出せない」
では、日本以外の国々はどうだろうか。安冨はどの先進国にも、人を抑圧する強固すぎるシステムは存在すると語る。
「中国はメンツ主義。メンツがすべて。メンツを守るためには死すらも厭わない。アメリカは多分『幸福で前向きなフリ』を続ける社会。そのフリを続けるために薬物に依存して、それでも続けられなくなると銃器が出てくる。英国やフランスもまた、それぞれに形態は違うけれど、同じような抑圧のシステムを抱えている。
一見、民主主義のふりして、内部はガチガチのエリート主義で非民主的。システムがものすごく上手くできているから文句のつけようがないけど、エリートは精神的に追い詰められていて、階級差別が人々の魂を殺している。だから、男たちはそのストレスをスポーツ観戦で発散して、フーリガンになる」
「女性が活躍する社会」についても、安冨は異議を唱える。
「女性が活躍する社会っていうのは、男のホモマゾ社会の中に、女も一緒に入れって言ってるようなものだからね。ますますおかしくなるよ。総活躍社会って、女性は二級国民として活躍しなさいってことだからね」
強固すぎるシステムは人を果てしなく抑圧し、そこから生じるストレスは、やがて暴力となり、犯罪・差別・戦争・環境破壊といった害悪を引き起こす。
では私たちは日本に暮らすかぎり、立場主義とホモマゾ社会から抜け出し、自由に生きる事はできないのだろうか……?
→「私が"男装”をやめた理由」はこちら
安冨歩(やすとみ・あゆむ)/東京大学 東洋文化研究所教授
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引用以上
この文章は、とても心に留まった。現代ビジネスも2018年頃までは、良い記事をたくさんだしていた。今では、極右的三文記事ばかりになって、こうした良心的記事が見られなくなった。
私は彼より10歳年長だから、私の世代は、親による「末は博士か大臣か」の立身出世価値観が、もっとひどかった。
私は、父親の精神的圧迫から逃れるために、安富君のように博士になることはできなかった。しかし、本当は宮本常一を継ぐ民俗学者・研究者になりたかった。
学者になっていれば、たぶん、そこそこの業績を残せたと自負はある。
ということは、私自身が、安富氏の指摘する「偉くなりなさい=強迫観念」から未だに抜け出せていないということだ。
「努力して、立派な業績を挙げて、悠々自適の老後」という目標=価値観の呪縛は凄まじいものだ。
こうした立身出世人生観・価値観から完全に自由になれている日本人はいるのだろうか? 地平線の彼方まで見渡してみても、たぶん一人も見えないだろう。
この意味で、「日本人は呪われている」と見るのは正しい。でも、時代の合理性に背中を押されて、これから我々が向かう先に、こうした価値観が必要かといえば、たぶん必要ない。
もっと別の普遍的価値観を共有して生きてゆくことになるだろう。
人間社会の究極の普遍的価値といえば、私は、このブログで限りなく「他人の笑顔を食べて生きる価値観」と繰り返してきた。
我々が、一個の生物として、一個の人間として、地球上で生きて、無限の時間をかけて、数千の過去生・未来生・人生をかけて歩んでゆく「究極の合理性」、ヘーゲルが指摘した「絶対精神=イデー」というものの正体は、「人の笑顔」だと私は数十年前に気づいたのだ。
セレブと呼ばれて、豪邸に住んでレクサスに乗ってみても、莫大な金もダイヤモンドを所有してみても、数億人に君臨する絶対権力も、今、自分に笑顔を投げかけてくれる人々の価値に較べれば、とるに足らないアホらしいものだ。
私の人生は、人の笑顔によって支えられているのだ。我々が向かって歩んでゆく未来には、権力も蓄財もない。そこにあるのは人の屈託のない、裏表のない、優しい笑顔だけなのだ。
「あなたの笑顔を見たくて、私はあなたに奉仕する」
すでに、日本中の社会の底辺で、安くてうまい食堂で、献身的に良い食事を提供してくれている人がいる。彼らは、「あなたの笑顔が見たい」などと口にはしないが、それを糧にして毎日を明るく過ごしている。
あらゆる職人さんが、金勘定ではなく、顧客の笑顔のために働いている。
それが、究極の「絶対精神」による日本社会だったのだ。
安富がいいことを書いている。「女性の活躍する社会」についてだ。あの大詐欺師、安倍晋三政権下でも、稲田朋美・小渕優子・高市早苗・松島みどり・山谷えりこ・三原じゅん子なんて面々がいたが、安富の指摘は、見事に的を得ている。
【女性が活躍する社会っていうのは、男のホモマゾ社会の中に、女も一緒に入れって言ってるようなものだからね。ますますおかしくなるよ。総活躍社会って、女性は二級国民として活躍しなさいってことだからね】
男社会の価値観に、「女性の本源」を忘れて権威欲しさに飛び込んだ女性たちは、封建的な男尊女卑社会を後押しする役割しか与えられなかった。
三原じゅん子なんて「八紘一宇」なんだから、ぶっ魂消た。
今、日本がどこに向かって駆けだしているかというと、少なくとも「人の笑顔を糧にして生きる社会」ではない。むしろ真逆であり「人の悲しみ、絶望を見て金儲けに狂喜する社会」である。
自民党や公明党、維新を支持していれば、必ず歴史を何百年も不合理な向きに後退させる不自由な社会がやってくる。
「社会の合理性」が、どこを向いているのか理解できている政治家は、ほとんどいない。つまり、この社会が嫌でも押し流されてゆく方向を理解できないから、トンチンカン、的外れな議論ばかりして、歴史を逆に回すことしかできない。
もうすぐ、中国と戦争をしなければならないが、戦前、正力松太郎が会長として君臨した「大日本大政翼賛会」のような組織が、日本中のいたるところに、ウジのように湧き出してきて、人々の自由と愛を鋼鉄の鎖で束縛し始めるにちがいない。
ユーチューバーを見ていると、「我こそは大政翼賛会」と言いそうな人物が湧き出しているではないか?
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余談 中国との戦争について
もう台湾や尖閣諸島をめぐって、中国共産党軍と日米同盟の戦争は時間の問題だろう。
私の予想を書いておくと、骨髄まで腐敗した中国共産党軍が、 米軍や自衛隊と戦って、最終的勝利を得るのは非常に難しいが、日本列島や米軍基地に激しい戦禍・打撃を与えることは避けられない。
軍事的に対峙した状態で拮抗する可能性が強いが、問題はロシアの存在だ。
ロシアという国は、プーチン独裁政権の下、領土拡張・国威発揚を至上の価値と思い込んでいる連中だ。
だから日本が中国との戦争で大きなダメージを負ったとき、日本を領有、最低限、北海道を強奪にくる可能性は大いにあるし、日月神示や出口王仁三郎もそれを予測している。
その先は「日本は、一度死んだようになる」と予言されているだけで、どのように変化するのかは難しい。
私は、結局、中国との戦争が、台湾との対等合併に至ると確信している。日本台湾が一国としてアメリカと軍事同盟を結ぶということだ。このあたりまでは地政学的に必然的に進むと考えているが、その先は分からない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47501#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%86%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%80%81%E6%9D%B1%E4%BA%AC,%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E8%A9%B1%E9%A1%8C%E3%82%92%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A0%E3%80%82
「東大教授なんて、高い高い断崖絶壁の上を走るレールを、ひたすら一人で登り続けているようなもの。レールを太くて頑丈にすればするほど、どんどんそこから外れることができなくなる。“レール”って、何のことか分かる? それは、『男らしくあれ』っていう強迫観念。東大教授の大半は男だからね」
そう語るのは、東京大学東洋文化研究所の教授・安冨歩(52)だ。
身体的には男性だが、普段からスカートやワンピースなどの女性の装いをし、テレビ番組や講演会にもその姿で出演する。2014年10月、マツコデラックスの番組「アウト×デラックス」(フジテレビ系)にて「女性装の東大教授」として取り上げられ大きな話題を呼んだ。
装いのみから注目を集めているのではない。気鋭の経済学者としても注目を浴びている。
特に3.11の原発事故後に出版された『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語』(2012年1月出版)では、原発事故を取り巻くマスコミや政治家の言論が、第二次世界大戦前の戦争に関する言論とよく似ており、社会の暴走が加速する時には、きまって知的特権階級の人々の間でよく使用される「欺瞞的で、相手を言いくるめ、服従させるための」話法がメディアや政治の場で頻発すると指摘した。
自分自身が「エリート」であるにもかかわらず展開する痛烈なエリート批判と、その装いによって視線をあびる安冨だが、彼は最初から現在のような自由な人生を歩んで来たわけではない。彼の人生には長い間、家族から植え付けられたと脅迫観念がつきまとっていた。
親の価値観―“靖国精神”で満たされた家庭
安冨の両親は昭和9年、10年生まれ。生まれた時には満洲事変は終わっており、物心ついた時には日中戦争が起こり、太平洋戦争を経験した。父は学校の校長、母は元教師という家庭の長男として安冨は育った。
「男の子は大きくなったら戦争に行って、天皇陛下のために死ぬ。女の子は銃後を守り、息子を兵士として育て、立派に戦死したら靖国の神になったと随喜の涙を流す。私の両親はこの“靖国精神”を植え付けられたど真ん中の世代。私の教育にも当然それは影響した」
終戦後、世は戦後民主主義に急転換。しかし国民の腹の中はまだ靖国精神で満たされている。この世代の多くの人は、この二重構造を背負っていたはずだ、と安冨は指摘する。自らは、そのような両親からのただならぬプレッシャーを全身に受けながら育ったと言う。
「口では『お前の好きにすればいい』と言いつつ、内面では『良い学校に行って、出世しろ!』という無言の強烈なアピール。家族はお父さんの役、お母さんの役、子供の役、とそれぞれが立場を演じているだけ。心の交流は無かった」
「あのね、『勉強しろ』って言葉で命令するのはまだ二流だよ。本当に支配的な親って言うのは、勉強しなさいって言わなくても子供が気配を察して自分で勉強しはじめるような無言のプレッシャーを与えてるの。最初から、親の価値観の枠組みから外れないようにガチガチに仕込んで、そこから外れることすら想像させないんだよ」
中学生のころ、本心では指揮者や作曲家になりたかったが、親には鼻で笑われた。ゴッホ展を見て画家になりたいと思った時には、もう口にすらしなかった。エリートになる道以外に選択肢はありえない。そんな無言の空気が安冨を苦しめた。
父は職場では子供や同僚のことを第一に考え、教育に粉骨砕身する人物ではあったが、家では母親の言いなりであり、安冨の味方ではなかった。
親の期待通りに登りつめたエリートの階段
安冨は親の期待を一身に受けて京都大学経済学部に進学。卒業後は住友銀行に就職し、バブルを発生させる業務に従事したが、優秀なはずの人々が命まで削って異常な活動に没頭する姿に耐えきれず、2年半で辞職した。
京都大学の修士課程に進み、人文科学研究所にて助手を務め、その後、名古屋大学を経て、東京大学の東洋文化研究所にいたるまで、順調に研究者としてのキャリアを築いてきた。そのころは、特に自身の性認識に疑問を持った事はなく、「男の大学教授」としての立場を全うすることに全力をかけていた。
一見、華々しいエリートコースだ。しかし、心の重圧は取れず、たびたびわき起こる自殺衝動や、持病の頭痛に悩み続けたという。
東大教授という、研究の世界では日本最高峰の立場を手に入れたにも関わらず、なぜ安冨の心は晴れず、自責の念に苦しみ続けたのだろう?
「エリートにありがちだけど、高い目標を掲げて全力で取り組み、それが達成できたら“やれやれ失敗せずに済んだ”とホッとすることの繰り返し。達成の瞬間にホッとしても、喜びは感じられない。かといって、挑戦することをやめると気が狂いそうになるので、やめられない」
耐えられないほどの焦燥感。それは、子供のころから両親の教育によって植え付けられたものだった。
どんなに登り続けてもゴールの見えない断崖絶壁を、一人、延々と登り続ける孤独と不安。そこから飛び降りるきっかけを探しながらも、安冨はずっと苦しんでいた。
「靖国の母」から植え付けられた呪縛
最初の“飛び降り”は、妻との離婚だった。
その頃の安冨は、前妻からの度重なる暴言に疲れ果てていたが、「モラル・ハラスメント」という言葉も無かった時代、黙ってそれに耐え続けていた。結婚生活がうまくいっていないこと自体に、自責の念を感じていたからだ。
堪え兼ねてついに離婚を考えたとき、立ちはだかったのは両親の猛烈な反対だった。苦しんでいる安冨を擁護するどころか、あちら側について、「良くても悪くても、とりあえず結婚生活は続けろ」の一点張り。
安冨は激しい自殺衝動に襲われた。その衝動の根源を考えたとき、ようやく気づいた。それは母親から無言のうちに送られてくる「離婚して私のメンツをまるつぶれにするくらいなら、自殺しろ」というメッセージだったのだ。
「今思えば、完璧な息子を産み育てたはずの“良妻賢母の鑑"としての立場が、息子の離婚によって失われる。そういう恐怖心からの反対だったのだろう」
自分の結婚が家族全員を苦しめている――安冨はがむしゃらに離婚した。そうしなければ、本当に自殺してしまうと思ったからだ。両親へは、弟を通じて絶縁を伝えた。すると自殺衝動も消え、持病も急に軽くなったという。
安冨を長い事苦しめていた、母から植え付けられた呪縛。それは立派な兵士を育てようとする精神の現れであった。
教師の資格を持つ安冨の母は、賢くよく働き、子供家族に献身する“良妻賢母”を体現するような女性だった。しかし、母から自分に向けられる期待と強制は、彼にとっては呪縛でしかなかった。
「日本の“正しい母親像”は、戦中に作られたもの。『子どもを立派な兵士として育て、戦死したらニッコリする』って言うね。戦後はその精神が、経済活動に向けられて、“産業戦士”に変化したに過ぎない。
70年経ってもずっとその呪縛が日本人を縛っている。今でも大半の母親は、知らないうちに“靖国の母”を目指している。外側は民主主義だけど、内面はいまだに“靖国精神”。その二重構造が子供を苦しめる」
“靖国の母”に植え付けられた、男は苦しんで戦死してこそ一人前という、無意識のメッセージ。それが安冨を大人になっても苦しめていたのだ。
日本の男を苦しめる「ホモマゾ社会」と「立場主義」
「母親だけじゃないよ。日本は戦時中の軍国主義のマインドのままで、表面だけ民主主義に変わっちゃったからね、精神は復員できていない。女は銃後、男は戦場。その証拠に、日本の社会って、基本的にホモマゾ(ホモソーシャルでマゾヒスティック)じゃない。
たとえば会社組織って、おっさんが集まっていちゃいちゃしてるでしょ、昼も夜も休日も。ずっと一緒にいて、それでいて集団マゾなの。一緒に我慢しようね、みたいな。
つまりは『貴様と俺とは同期の桜』っていう日本軍のモードのままなのよ。表面上は自由で豊かでも、腹の中は、いまだに戦時中なわけ。酒飲んで、一瞬だけプレッシャーを忘れて、また元のホモマゾの中に戻って、の繰り返し。だから日本人の男はこんなに生きづらい」
軍国主義によって構築された「ホモマゾ社会」。それは、第二次世界大戦以降、日本が温存し続けている「立場主義」システムの一部だ、と安冨は続ける。
「立場っていう単語は、他の言語に翻訳できません。日本独特のもの。それが日本人をがちがちに縛り付けて”自分でないもの”にしている」
立場を失くす、立場を守る、立場上できない……何の疑問も持たずに、私たちが普段使っている言い回しだ。しかし、「立場」とは何か、いざ考えてみると、上手く説明できないことに気づく。立場にいる“私”は“私”ではないのか? 立場って、一体、なんだろう?
「『立場主義』システムは明治維新後に『家制度』に変わるシステムとして形成されたと私は考えている。それ以前は家単位で動員されたものが、徴兵制で個人単位になった。
そうすると『お家のために命を捨てる』というイデオロギーが失われるから、代わりに靖国神社が作られた。それを変だと思わせないために、学校教育が全国民に施されて、各人は『家のかわりに、自分の立場を守るために、命を捨てる』ようになった」
無理やり徴兵して、“兵士”と言う立場、“国民”という立場に依拠する形で人を行動させる。実に曖昧な概念なのに、いや、それゆえにこそ、“立場”は日本の社会で物凄いパワーを持ち、人を抑圧している。
立場主義の例として、安冨はSNSでの振る舞いを挙げる。日本人は実名でfacebookをやって、立場上、当たり障りの無い事を書いて、食べ物の写真ばっかりアップする。一方で、匿名でやっているTwitterでは、人をさげずんだり罵ってみせる。他の諸外国ではこういった極端な二面性は見られない。
「立場を守るために、溜まったストレスをどこかで発散しないと気が済まないんだよ。それが自分に向いたら自傷や病気になるし、外に向いたら、他人や家族への攻撃になる。ネトウヨとか、ネトサヨなんてのがあるのも日本だけ」
強固すぎるシステムは人を殺す
第二次世界大戦中に軍隊から生まれた「男らしくあれ」というホモマゾ的な強迫観念と「立場を守れ」という立場主義。この2つのシステムが戦後に著しく成長してしまったからこそ、現在の日本の社会は息苦しいのだ。
「でも日本はそのおかげでありえないくらい戦後の経済復興に成功しちゃったから、ずっと続けてれば良いって、いまだに思ってるわけ。立場を守るために、男は命を投げ出す。それが正しい、それが正義って。おかしいよね。女はある程度やって、くだらなさに気づいたらやーめたって抜けられるけど、男は一生、ホモマゾと立場主義から抜け出せない」
では、日本以外の国々はどうだろうか。安冨はどの先進国にも、人を抑圧する強固すぎるシステムは存在すると語る。
「中国はメンツ主義。メンツがすべて。メンツを守るためには死すらも厭わない。アメリカは多分『幸福で前向きなフリ』を続ける社会。そのフリを続けるために薬物に依存して、それでも続けられなくなると銃器が出てくる。英国やフランスもまた、それぞれに形態は違うけれど、同じような抑圧のシステムを抱えている。
一見、民主主義のふりして、内部はガチガチのエリート主義で非民主的。システムがものすごく上手くできているから文句のつけようがないけど、エリートは精神的に追い詰められていて、階級差別が人々の魂を殺している。だから、男たちはそのストレスをスポーツ観戦で発散して、フーリガンになる」
「女性が活躍する社会」についても、安冨は異議を唱える。
「女性が活躍する社会っていうのは、男のホモマゾ社会の中に、女も一緒に入れって言ってるようなものだからね。ますますおかしくなるよ。総活躍社会って、女性は二級国民として活躍しなさいってことだからね」
強固すぎるシステムは人を果てしなく抑圧し、そこから生じるストレスは、やがて暴力となり、犯罪・差別・戦争・環境破壊といった害悪を引き起こす。
では私たちは日本に暮らすかぎり、立場主義とホモマゾ社会から抜け出し、自由に生きる事はできないのだろうか……?
→「私が"男装”をやめた理由」はこちら
安冨歩(やすとみ・あゆむ)/東京大学 東洋文化研究所教授
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引用以上
この文章は、とても心に留まった。現代ビジネスも2018年頃までは、良い記事をたくさんだしていた。今では、極右的三文記事ばかりになって、こうした良心的記事が見られなくなった。
私は彼より10歳年長だから、私の世代は、親による「末は博士か大臣か」の立身出世価値観が、もっとひどかった。
私は、父親の精神的圧迫から逃れるために、安富君のように博士になることはできなかった。しかし、本当は宮本常一を継ぐ民俗学者・研究者になりたかった。
学者になっていれば、たぶん、そこそこの業績を残せたと自負はある。
ということは、私自身が、安富氏の指摘する「偉くなりなさい=強迫観念」から未だに抜け出せていないということだ。
「努力して、立派な業績を挙げて、悠々自適の老後」という目標=価値観の呪縛は凄まじいものだ。
こうした立身出世人生観・価値観から完全に自由になれている日本人はいるのだろうか? 地平線の彼方まで見渡してみても、たぶん一人も見えないだろう。
この意味で、「日本人は呪われている」と見るのは正しい。でも、時代の合理性に背中を押されて、これから我々が向かう先に、こうした価値観が必要かといえば、たぶん必要ない。
もっと別の普遍的価値観を共有して生きてゆくことになるだろう。
人間社会の究極の普遍的価値といえば、私は、このブログで限りなく「他人の笑顔を食べて生きる価値観」と繰り返してきた。
我々が、一個の生物として、一個の人間として、地球上で生きて、無限の時間をかけて、数千の過去生・未来生・人生をかけて歩んでゆく「究極の合理性」、ヘーゲルが指摘した「絶対精神=イデー」というものの正体は、「人の笑顔」だと私は数十年前に気づいたのだ。
セレブと呼ばれて、豪邸に住んでレクサスに乗ってみても、莫大な金もダイヤモンドを所有してみても、数億人に君臨する絶対権力も、今、自分に笑顔を投げかけてくれる人々の価値に較べれば、とるに足らないアホらしいものだ。
私の人生は、人の笑顔によって支えられているのだ。我々が向かって歩んでゆく未来には、権力も蓄財もない。そこにあるのは人の屈託のない、裏表のない、優しい笑顔だけなのだ。
「あなたの笑顔を見たくて、私はあなたに奉仕する」
すでに、日本中の社会の底辺で、安くてうまい食堂で、献身的に良い食事を提供してくれている人がいる。彼らは、「あなたの笑顔が見たい」などと口にはしないが、それを糧にして毎日を明るく過ごしている。
あらゆる職人さんが、金勘定ではなく、顧客の笑顔のために働いている。
それが、究極の「絶対精神」による日本社会だったのだ。
安富がいいことを書いている。「女性の活躍する社会」についてだ。あの大詐欺師、安倍晋三政権下でも、稲田朋美・小渕優子・高市早苗・松島みどり・山谷えりこ・三原じゅん子なんて面々がいたが、安富の指摘は、見事に的を得ている。
【女性が活躍する社会っていうのは、男のホモマゾ社会の中に、女も一緒に入れって言ってるようなものだからね。ますますおかしくなるよ。総活躍社会って、女性は二級国民として活躍しなさいってことだからね】
男社会の価値観に、「女性の本源」を忘れて権威欲しさに飛び込んだ女性たちは、封建的な男尊女卑社会を後押しする役割しか与えられなかった。
三原じゅん子なんて「八紘一宇」なんだから、ぶっ魂消た。
今、日本がどこに向かって駆けだしているかというと、少なくとも「人の笑顔を糧にして生きる社会」ではない。むしろ真逆であり「人の悲しみ、絶望を見て金儲けに狂喜する社会」である。
自民党や公明党、維新を支持していれば、必ず歴史を何百年も不合理な向きに後退させる不自由な社会がやってくる。
「社会の合理性」が、どこを向いているのか理解できている政治家は、ほとんどいない。つまり、この社会が嫌でも押し流されてゆく方向を理解できないから、トンチンカン、的外れな議論ばかりして、歴史を逆に回すことしかできない。
もうすぐ、中国と戦争をしなければならないが、戦前、正力松太郎が会長として君臨した「大日本大政翼賛会」のような組織が、日本中のいたるところに、ウジのように湧き出してきて、人々の自由と愛を鋼鉄の鎖で束縛し始めるにちがいない。
ユーチューバーを見ていると、「我こそは大政翼賛会」と言いそうな人物が湧き出しているではないか?
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余談 中国との戦争について
もう台湾や尖閣諸島をめぐって、中国共産党軍と日米同盟の戦争は時間の問題だろう。
私の予想を書いておくと、骨髄まで腐敗した中国共産党軍が、 米軍や自衛隊と戦って、最終的勝利を得るのは非常に難しいが、日本列島や米軍基地に激しい戦禍・打撃を与えることは避けられない。
軍事的に対峙した状態で拮抗する可能性が強いが、問題はロシアの存在だ。
ロシアという国は、プーチン独裁政権の下、領土拡張・国威発揚を至上の価値と思い込んでいる連中だ。
だから日本が中国との戦争で大きなダメージを負ったとき、日本を領有、最低限、北海道を強奪にくる可能性は大いにあるし、日月神示や出口王仁三郎もそれを予測している。
その先は「日本は、一度死んだようになる」と予言されているだけで、どのように変化するのかは難しい。
私は、結局、中国との戦争が、台湾との対等合併に至ると確信している。日本台湾が一国としてアメリカと軍事同盟を結ぶということだ。このあたりまでは地政学的に必然的に進むと考えているが、その先は分からない。