2021年度になってから、嫌なことばかり書いている。だから読者も減っているかもしれない。
私の目には、日本の政治には希望が何一つないように見える。これは1990年バブル崩壊時から必然性の鎖で繋がっていることだが、日本社会は、一つの進歩もないまま、劣化地獄に陥り、やがて、すべてを失うように見える。
何度も繰り返してきたことだが、こうなっている本当の原因は、日本人の相当数の価値観が「新自由主義」の幻想に侵されているせいだ。
新自由主義とは、人生と社会の、あらゆる価値の最上段に、「個人の金儲けの自由」を置いたユダヤ人・フリードマンの思想で、資本主義のなれの果てと言ってもいい。
日本における最大の代理人は「竹中平蔵」である。
そこでは、人間同士の温かい交流とか、人を癒やしてくれる笑顔とか、他人のために働く「利他主義」という価値観は反社会的なゴミくず同然と見なされ、嘲笑の対象にされてしまっている。
ただ、他人を蹴落として、自分だけが特権階級に君臨する利己主義だけがもてはやされてきた。
トイレや道端を掃除して、みんなが気持ちよく生きて行ける努力をすることよりも、学歴をひけらかして、権威や地位を見せびらかし、弱者を嘲笑することが人間の価値であるかのように思い込まされてきたのだ。
そんな利己主義を代表する人物が、例えば、堀江貴文とか、橋下徹とか、柳井正とか、孫正義とか櫻井よしことかで、自民党の政治家たちは、二階・安倍・菅はじめ、ほぼ全員がそうで、その体制を直接支えている、自民・公明・維新などの議員に、利他主義者は皆無である。
つまり、日本社会の最上部に、彼ら利己主義者がいる。
これほど上が腐りきっているのに、下が健全になれるわけがない。
彼らは、自分たちの利権を侵す「平等主義」に著しい嫌悪感を抱いていて、少しでも社会主義的な主張をすれば「共産主義者」と決めつけて根拠のない誹謗攻撃を繰り返すのは、1960年代のアメリカ「赤狩り社会」となんら変わらない。
人を癒やそうとして暖かい笑顔を見せるだけで「共産主義者」と決めつけられて、迫害されるのが、この「赤狩り社会」だった。
新自由主義者は、彼らの利権の土台になる国家の存在を、とても大切にしていて、「国を守る」という発想に極度に執着する。国こそが、彼らの利己主義的利益の根源だからだ。
だから、国防兵器とか、国の順位とか、GDPなんかに極端に執着しながら、一方で消費に罰金をかける消費税で、消費という国家全体の経済力の根源を破壊し、大衆を貧困に陥れることで自分たちがトクした気分に浸っている。
母子家庭が貧困に喘いで、食事さえできないことで無理心中が続いているのに、助けようともせず、国防費に莫大な税金を投入して、国民生活は「自助努力」で賄えなどと人情のカケラもない能書きだけを垂れ流すのだ。
新自由主義者が最も嫌うものが「人情」である。この言葉を見るだけで虫唾が走るのだろう。
私が何度も書いてきたことは、そもそも、新自由主義に至る「利己主義」は、鎌倉時代から連綿と受け継がれてきたもので、これは中国からもたらされた「儒教思想」から来ている。
江戸時代はじめに家康が、朱子学を国学として導入してから、それは確乎とした「支配の思想」として民衆に君臨するようになった。
儒教思想の根源的な柱は、「メンツと序列」とでもいうべきか?
儒教は、人間には侵すべからざる「序列」があって、下の者は上の者を敬い服従することで社会の安定が保たれるという考え方である。
これは、春秋時代に孔子が体系化したもので、当時の国家による支配を正当化するための屁理屈であった。
この思想は、国家による民衆支配に、頗る都合の良いものだったので、国家は争って、儒教を政治支配に導入した。
近隣諸国でも、朝鮮や越(ベトナム)に圧倒的な影響を与え、それが日本にも入ってきた。儒教が東アジアを席巻したのは鎌倉時代から江戸時代のことだ。
儒教がもたらした最大の害悪は、序列主義と男尊女卑の封建主義である。もちろん、儒教が犯人というよりは、封建主義の土台の上に、それを正当化する体系的屁理屈として持ち込まれたのだが、朝鮮では、独自の発展を遂げて、社会全体を束縛する序列主義の弊害が現在に至るまで深刻に続いている。
日本に対する「反日姿勢」も、序列意識から「朝鮮の方が日本より上」という強固な自意識=プライドを守るために、国家経済崩壊を目前に控えても、日本排斥を通すことの方がメンツを守るために重要だと思い込んでいる。
自民党に韓中の代理人である二階派と安倍晋三がいなければ、とっくに韓国は滅亡しているはずだ。韓国は、統一教会の飼犬である安倍晋三に守られている。
さて、日本人の大半が、「日本が滅亡する」などと思っておらず、脳天気な人ばかりだ。それは自民党に対する盲目的な信頼が地方に根付いているからだが、残念なことに、地域利権を必死に守ってきた、かつての土着自民党は、田中角栄の時代を最後に、すでに30年も前に消えている。
今の自民党は、国際金融資本の代理人として、日本人のあらゆる資産、水資源・水産林野資源・農業資源・土地・産業まで外国に売り飛ばすエージェントとしての役目しかない。つまり、日本人であることを大昔に忘れてしまった売国奴たちだ。
日本産業の最後のよりどころだった自動車製造まで、菅政権は、あと10年で外国に売り渡すと宣言した。つまりトヨタを見捨てたのだ。
日本中の車を電気自動車に変えると宣言したのだが、その理由は、原子力発電の正当化=グレートリセットしかありえない。これは竹中平蔵の陰謀なのだ。
リニアも電気自動車も、莫大な電力を消耗することになるのだが、現在の発電所ではとうてい不足しているので、「炭酸ガスを出さない」と称する原発をどんどん増設して、日本社会を「電気・電子管理社会」にするという計画だ。
これを「スマートシティ計画」といって、ビルゲイツやアルゴアが大宣伝している「グレートリセット計画」の一環として行われる。
もちろん真実は、地球温暖化の本当の主役は原発温廃水であり、原発の核汚染は、全人類を劣化させ、胎児を殺戮することは、このブログで繰り返し書き続けている。
電気自動車を導入するのはいいが、400Km走って充電に3時間かかり、10年の耐久性もないような致命的欠陥が解決できる見込みは存在しない。
「未来になれば、瞬時に充電できる電池が開発される」という妄想は、原子力発電が、半世紀以上も前に、「未来になれば、核廃棄物の処理方法=トイレが開発されると」トイレのないままマンションを作っているのと、まったく同じ屁理屈である。
そんなもの、できやしない。どんなに進化したって、自動車用電池の充電が瞬時に可能になる時代などやってこない。電池の寿命も、石油原動機の数十分の1のままだ。
ガソリンエンジン車は、30万キロ以上走る耐久性があるが、EV車は、10年がいいとこだ。導入した業界は、今やうなだれて後悔している。
電気自動車に変える理由は一つしかない。それはリニア新幹線と同じで、巨大な電力浪費を行わせ、原発を増やすことを正当化することだけだ。
それで、ゲイツも、ゴアも、竹中平蔵も、究極のボロ儲けができるわけだ。EV化による決定的デメリットは無数にあるが、メディアはほとんど触れようとしない。
さらにいえば、電化社会とは同時に電子化社会であり、民衆をコンピュータと、体内埋め込み型マイクロチップで一挙一投足を監視するヨハネ黙示録のような、オーウェンのような社会がやってくることを意味する。
それが、「グレートリセット」だ。竹中平蔵が推進する事業に、人類を進化させるものなど、あろうはずがない。竹中の懐を暖めるものだけだ。
また、ビルゲイツがウインドウズで世界にコンピュータを普及させた功労者という嘘を信じてはいけない。1985年当時、ウインドウズより、はるかに性能の素晴らしいOS=トロンというシステムを日本人が開発していた。
松下電器がトロンプロジェクトを結成して、ウインドウズより早く世に送り出すはずだったが、世界のミステリー、不可解な123便墜落事故に、開発陣全員が乗っていたことでトロンOSは失われた。現在は家電用チップのOSとして世界を完全に席巻しているが。
このまま、我々が竹中平蔵(小泉・麻生・菅義偉も安倍晋三も、竹中のダミーに過ぎない)をのさばらせることになれば、本当に、正真正銘、日本国も日本人も日本社会も完全崩壊し、子供たちの世代は、世界金融資本のゴイム=奴隷として生かされる人生以外ありえなくなってしまうのだ。
それは、およそ人権と対極にある、中国共産党のような社会になるだろう。
子供たちに必要なものは、完全電化コンピュータ監視社会ではない。たくさんの動物たちと触れあいながら、野山を縦横に駆け巡り、自然に対して素晴らしい感受性を育てる「田舎暮らし」である。
食料を生産できる、たくましい人間を作らねばならない。たくさんの子孫を産んで育てる人々を作らねばならない。
電気やコンピュータに頼った人生など、未来を作る人生ではない。
私の目には、日本の政治には希望が何一つないように見える。これは1990年バブル崩壊時から必然性の鎖で繋がっていることだが、日本社会は、一つの進歩もないまま、劣化地獄に陥り、やがて、すべてを失うように見える。
何度も繰り返してきたことだが、こうなっている本当の原因は、日本人の相当数の価値観が「新自由主義」の幻想に侵されているせいだ。
新自由主義とは、人生と社会の、あらゆる価値の最上段に、「個人の金儲けの自由」を置いたユダヤ人・フリードマンの思想で、資本主義のなれの果てと言ってもいい。
日本における最大の代理人は「竹中平蔵」である。
そこでは、人間同士の温かい交流とか、人を癒やしてくれる笑顔とか、他人のために働く「利他主義」という価値観は反社会的なゴミくず同然と見なされ、嘲笑の対象にされてしまっている。
ただ、他人を蹴落として、自分だけが特権階級に君臨する利己主義だけがもてはやされてきた。
トイレや道端を掃除して、みんなが気持ちよく生きて行ける努力をすることよりも、学歴をひけらかして、権威や地位を見せびらかし、弱者を嘲笑することが人間の価値であるかのように思い込まされてきたのだ。
そんな利己主義を代表する人物が、例えば、堀江貴文とか、橋下徹とか、柳井正とか、孫正義とか櫻井よしことかで、自民党の政治家たちは、二階・安倍・菅はじめ、ほぼ全員がそうで、その体制を直接支えている、自民・公明・維新などの議員に、利他主義者は皆無である。
つまり、日本社会の最上部に、彼ら利己主義者がいる。
これほど上が腐りきっているのに、下が健全になれるわけがない。
彼らは、自分たちの利権を侵す「平等主義」に著しい嫌悪感を抱いていて、少しでも社会主義的な主張をすれば「共産主義者」と決めつけて根拠のない誹謗攻撃を繰り返すのは、1960年代のアメリカ「赤狩り社会」となんら変わらない。
人を癒やそうとして暖かい笑顔を見せるだけで「共産主義者」と決めつけられて、迫害されるのが、この「赤狩り社会」だった。
新自由主義者は、彼らの利権の土台になる国家の存在を、とても大切にしていて、「国を守る」という発想に極度に執着する。国こそが、彼らの利己主義的利益の根源だからだ。
だから、国防兵器とか、国の順位とか、GDPなんかに極端に執着しながら、一方で消費に罰金をかける消費税で、消費という国家全体の経済力の根源を破壊し、大衆を貧困に陥れることで自分たちがトクした気分に浸っている。
母子家庭が貧困に喘いで、食事さえできないことで無理心中が続いているのに、助けようともせず、国防費に莫大な税金を投入して、国民生活は「自助努力」で賄えなどと人情のカケラもない能書きだけを垂れ流すのだ。
新自由主義者が最も嫌うものが「人情」である。この言葉を見るだけで虫唾が走るのだろう。
私が何度も書いてきたことは、そもそも、新自由主義に至る「利己主義」は、鎌倉時代から連綿と受け継がれてきたもので、これは中国からもたらされた「儒教思想」から来ている。
江戸時代はじめに家康が、朱子学を国学として導入してから、それは確乎とした「支配の思想」として民衆に君臨するようになった。
儒教思想の根源的な柱は、「メンツと序列」とでもいうべきか?
儒教は、人間には侵すべからざる「序列」があって、下の者は上の者を敬い服従することで社会の安定が保たれるという考え方である。
これは、春秋時代に孔子が体系化したもので、当時の国家による支配を正当化するための屁理屈であった。
この思想は、国家による民衆支配に、頗る都合の良いものだったので、国家は争って、儒教を政治支配に導入した。
近隣諸国でも、朝鮮や越(ベトナム)に圧倒的な影響を与え、それが日本にも入ってきた。儒教が東アジアを席巻したのは鎌倉時代から江戸時代のことだ。
儒教がもたらした最大の害悪は、序列主義と男尊女卑の封建主義である。もちろん、儒教が犯人というよりは、封建主義の土台の上に、それを正当化する体系的屁理屈として持ち込まれたのだが、朝鮮では、独自の発展を遂げて、社会全体を束縛する序列主義の弊害が現在に至るまで深刻に続いている。
日本に対する「反日姿勢」も、序列意識から「朝鮮の方が日本より上」という強固な自意識=プライドを守るために、国家経済崩壊を目前に控えても、日本排斥を通すことの方がメンツを守るために重要だと思い込んでいる。
自民党に韓中の代理人である二階派と安倍晋三がいなければ、とっくに韓国は滅亡しているはずだ。韓国は、統一教会の飼犬である安倍晋三に守られている。
さて、日本人の大半が、「日本が滅亡する」などと思っておらず、脳天気な人ばかりだ。それは自民党に対する盲目的な信頼が地方に根付いているからだが、残念なことに、地域利権を必死に守ってきた、かつての土着自民党は、田中角栄の時代を最後に、すでに30年も前に消えている。
今の自民党は、国際金融資本の代理人として、日本人のあらゆる資産、水資源・水産林野資源・農業資源・土地・産業まで外国に売り飛ばすエージェントとしての役目しかない。つまり、日本人であることを大昔に忘れてしまった売国奴たちだ。
日本産業の最後のよりどころだった自動車製造まで、菅政権は、あと10年で外国に売り渡すと宣言した。つまりトヨタを見捨てたのだ。
日本中の車を電気自動車に変えると宣言したのだが、その理由は、原子力発電の正当化=グレートリセットしかありえない。これは竹中平蔵の陰謀なのだ。
リニアも電気自動車も、莫大な電力を消耗することになるのだが、現在の発電所ではとうてい不足しているので、「炭酸ガスを出さない」と称する原発をどんどん増設して、日本社会を「電気・電子管理社会」にするという計画だ。
これを「スマートシティ計画」といって、ビルゲイツやアルゴアが大宣伝している「グレートリセット計画」の一環として行われる。
もちろん真実は、地球温暖化の本当の主役は原発温廃水であり、原発の核汚染は、全人類を劣化させ、胎児を殺戮することは、このブログで繰り返し書き続けている。
電気自動車を導入するのはいいが、400Km走って充電に3時間かかり、10年の耐久性もないような致命的欠陥が解決できる見込みは存在しない。
「未来になれば、瞬時に充電できる電池が開発される」という妄想は、原子力発電が、半世紀以上も前に、「未来になれば、核廃棄物の処理方法=トイレが開発されると」トイレのないままマンションを作っているのと、まったく同じ屁理屈である。
そんなもの、できやしない。どんなに進化したって、自動車用電池の充電が瞬時に可能になる時代などやってこない。電池の寿命も、石油原動機の数十分の1のままだ。
ガソリンエンジン車は、30万キロ以上走る耐久性があるが、EV車は、10年がいいとこだ。導入した業界は、今やうなだれて後悔している。
電気自動車に変える理由は一つしかない。それはリニア新幹線と同じで、巨大な電力浪費を行わせ、原発を増やすことを正当化することだけだ。
それで、ゲイツも、ゴアも、竹中平蔵も、究極のボロ儲けができるわけだ。EV化による決定的デメリットは無数にあるが、メディアはほとんど触れようとしない。
さらにいえば、電化社会とは同時に電子化社会であり、民衆をコンピュータと、体内埋め込み型マイクロチップで一挙一投足を監視するヨハネ黙示録のような、オーウェンのような社会がやってくることを意味する。
それが、「グレートリセット」だ。竹中平蔵が推進する事業に、人類を進化させるものなど、あろうはずがない。竹中の懐を暖めるものだけだ。
また、ビルゲイツがウインドウズで世界にコンピュータを普及させた功労者という嘘を信じてはいけない。1985年当時、ウインドウズより、はるかに性能の素晴らしいOS=トロンというシステムを日本人が開発していた。
松下電器がトロンプロジェクトを結成して、ウインドウズより早く世に送り出すはずだったが、世界のミステリー、不可解な123便墜落事故に、開発陣全員が乗っていたことでトロンOSは失われた。現在は家電用チップのOSとして世界を完全に席巻しているが。
このまま、我々が竹中平蔵(小泉・麻生・菅義偉も安倍晋三も、竹中のダミーに過ぎない)をのさばらせることになれば、本当に、正真正銘、日本国も日本人も日本社会も完全崩壊し、子供たちの世代は、世界金融資本のゴイム=奴隷として生かされる人生以外ありえなくなってしまうのだ。
それは、およそ人権と対極にある、中国共産党のような社会になるだろう。
子供たちに必要なものは、完全電化コンピュータ監視社会ではない。たくさんの動物たちと触れあいながら、野山を縦横に駆け巡り、自然に対して素晴らしい感受性を育てる「田舎暮らし」である。
食料を生産できる、たくましい人間を作らねばならない。たくさんの子孫を産んで育てる人々を作らねばならない。
電気やコンピュータに頼った人生など、未来を作る人生ではない。