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1945年に行われたアメリカ最初の大気圏実験で、アメリカ市民に大きな被害が出ていたことが確認された。

2021年01月25日 | 未分類
 https://www.chunichi.co.jp/article/190932
史上初の核実験でがん千例増 原爆投下直前、米研究所
2021年1月25日 10時14分 (1月25日 )

 https://www.youtube.com/watch?v=h4sTU9ma_y8&ab_channel=HISTORYCHANNEL
 1945年7月、ニューメキシコ州アラモゴード近郊の「トリニティ・サイト」で行われた初の核実験で上がった火の玉(米エネルギー省提供)

 米国が広島、長崎に原爆を投下する前の1945年7月16日、西部ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」で実施した人類史上初の核実験を巡り、当時の同州住民のがんの発生は放射性降下物(フォールアウト)被ばくの影響で最大約千例増えたと見積もられることが、25日までの米国立がん研究所の分析で分かった。

 核実験の実施から約75年を経て、健康被害に関する本格的な調査結果がまとめられたのは初めて。
 米国立がん研究所は、過去の放射能実測や気象データを基に解析モデルを使って住民の被ばく線量を評価。核実験当時の住民の聞き取り調査も実施した。(共同)
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 引用以上

 トリニティ実験
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E5%AE%9F%E9%A8%93#cite_note-5

 【トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎県長崎市に投下された。この実験による核爆発は、約20ktのTNTの爆発と同規模のもので、この核実験を以ってしばしば「核の時代」の幕開けとされる 】 註、したがって長崎周辺でも同じ被害が出ていることを意味している。

【トリニティ実験場付近の住民は長年に亘り、判然としないがんの発症例がニューメキシコ州南中部一帯で繰り返し発生し、それにより多くの住民が死亡していると主張した。
 また、政府に対して核実験の放射線量の影響を判断するよう求めた。これに対して2008年に未公表の報告草案がまとめられたが、推計が含まれており住民が納得できるものではなかった。こうした中、2014年9月、実験当時にニューメキシコ州に居住していた住民を訪ね、実験によって汚染された食物の摂取による内部被曝の影響をアメリカ国立がん研究所で調査することとなった】
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中国新聞2015年の記事 (コピー禁止になっていて引用できない)
 http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?bombing=2017-111

 米核実験の被害者「私たちの実態見て」 オバマ氏に訴え 2016年5月29日
  https://www.asahi.com/articles/ASJ5W4WN7J5WUHBI01V.html

  快晴の朝がたちまち地獄に……リトルボーイとファットマンの投下から75年 2020年8月6日
 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53648562

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トランプの胎内被曝?

 トランプ前大統領の印象は、どうにも普通ではない。衝動的、短絡的で、遺伝障害による精神的問題を抱えた人々に似ている。
 これは、安倍晋三にも非常に似ていて、両者の共通点は、2~3ヶ月齢胎児のときに、強い胎内被曝イニシエーションを受けているということだ。

 安倍の場合は、1954年9月24日に出生しているが、1954年3月1日、全世界を激しく核汚染(トリチウム)したブラボー水爆で胎内被曝している。妊娠期間を280日とすると、207日前、つまり73日目(妊娠10週)に胎内被曝したことになる。
 一般に、胎児の一番脆弱で、化学的刺激に弱いタイミングが、妊娠後8~15週(器官形成期)といわれている。サリドマイド禍も、この時期に発生した。
 何が起きるかといえば、知的劣化であり、安倍晋三は典型的だった。
 https://www.rerf.or.jp/programs/roadmap/health_effects/uteroexp/physment/

 トランプはどうか? 1946年6月14日にニューヨークに誕生した。
 冒頭の、トリニティ大気圏核実験が行われたのは、1945年7月16日だった。誕生日から280日を差し引くと、46年8~9月頃に妊娠したことになり、爆発時には、まだ妊娠していないが、核実験場のニューメキシコ州から東海岸北部に向けては、夏場、西風が吹くことが知られていて、大気圏核実験の莫大な汚染放射能(死の灰)が東部の妊婦を襲ったことは間違いないだろう。

 米軍は、1963年の史上最悪の大気圏核実験年に生まれた海兵隊員の知能検査を行ったが、IQが無被曝年に比べて平均で10低かったと公表されている。
 私は、トランプの異常性格を見て、胎内被曝の悪影響を感じている。

1963年生まれの、他年齢、無被曝年生まれと比較した発癌率グラフがあれば一目瞭然なのだが、もちろん核推進政府が核実験による被害のプロパガンダを認めるはずがなく、厚労省もあらゆるデータに手を回して、核実験による超長期的な被害公開を阻止している。
 ただ、統計データから漏れた戸別の有名人発癌情報などによる示唆を見るしかない。

 https://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/article/page77.html
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/search/cancer/cr/201604/546480.html
 https://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/word/cancer-experience.html
 
https://talent-dictionary.com/s/birthday/1963
 
 なお胎内被曝出生児は、近親結婚による遺伝病に似たところがあって、性格的には激昂しやすい「ぷっつん系性格」が多いといわれる。韓国の「火病」強烈なヒステリー性格も、韓国特有の近親婚遺伝障害から来ているといわれる。
 https://leisurego.jp/archives/164230/3
 
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/09/post-12962.php

 日本でも、広島・長崎の被曝地や、全国の原発核汚染地帯、再処理工場周辺などで、遺伝的障害が報告されるようになっている。
 (これを、まとめて公開すれば、原子力産業に対する強烈なダメージを与えることができるはずだ。協力者を求む)


 哲学なき科学・技術

2021年01月24日 | 未分類
 「哲学」という概念は、元々「人生の根本原理」を意味していたが、ヘーゲルは「全宇宙、全存在の根本原理」に発展、純化させ、それを「弁証法」と呼んだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6#:~:text=%E5%93%B2%E5%AD%A6%EF%BC%88%E3%81%A6%E3%81%A4%E3%81%8C%E3%81%8F%E3%80%81%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AD%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC,%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AF%E7%84%A1%E3%81%84%E3%80%82

 根源的な人生観・世界観は、根源的な宇宙観とも一致する「美しい方程式=形而上学」である。宇宙の本質は、アインシュタインの【E=mc²】のように単純素朴で、フラクタルな性質を持っている。
 それが人生観・世界観にも一致する理由は、対象的世界の本質が、認識に反映されるからだと言う。

 弁証法の本質(形而上学)は、マルクス・エンゲルスによって、「対立の統一・否定の否定・量質転化」の三法則に集約された。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95

 それらは事物現象の変化の法則であり、すべての矛盾は対立し、否定され、さらに否定されて止揚され、統一され、やがて一つ上の矛盾のない段階に上がるが、そんな矛盾と止揚の法則は、永遠に繰り返され、すべての矛盾は、「絶対知=絶対精神(イデー)」にたどり着く。
 すべての質的差異は、量的差異によって統一される。

 私は、若い頃、こんな面倒くさい屁理屈に夢中になって、それこそ発狂寸前まで取り組んだものだが、今では、「弁証法」などとダサい学問に向かう若者もほとんどいない。
 当時は、「山へ行くなら山岳同志会に入って厳冬の一の倉沢や滝谷で修行し、哲学をやりたければ、弁証法的唯物論を発狂するまで極めろ」というような「究極病」の時代だった。

 だが、結局、私が気づいたことは、宇宙の真理か人生最高の哲学だか知らないが、所詮は、机上の屁理屈であって、そんなことに脳味噌を消耗させている暇があるなら、野山を歩き回っていた方がはるかにマシということだった。

 千日回峰は、平安時代に延暦寺の相応和尚が始めたものだが、当時、堂にこもって経典の山の中で血眼になって「悟り」を見つけようとしていた学僧に対し、「そんな暇があったなら、歩いておいで」と言って、「毎日数十キロの道のりを歩けば、悟りに近づける」と欺して、身一つで山に放りだしたのだが、私も同感だ。

 私が弁証法を学ぼうとして得たものは、神経衰弱だけだった。だが、山歩きで得たものは、計り知れない。毎日20時間も歩いていれば、本当に、余分な心の荷物をどこかに置いてゆくしかないわけで、酒井雄哉じゃないが、「何もかも捨てて身軽になれば、宇宙も人生も本当に単純素朴になる」のだ。

 心の贅肉、脂肪をそぎ落として、究極に単純化した宇宙と心の本質が「悟り」というもので、これが「本当の哲学」なのだと、私は思うようになった。
 もう一度、弁証法に戻ると、宇宙のすべての事物現象は、矛盾し、やがて止揚され、絶対精神へと純化してゆく。すべての人の心も同じように、矛盾が止揚され、イデーの世界へと上り詰めてゆく。
 矛盾という言葉は、人間の場合は「カルマ」という用語に置き換えることもできる。

 私は、何十年も考え続け、行動して、もしも絶対精神=イデーという究極の知性に向かって、そこにたどり着いたとすれば、その扉の向こう側にあるものは何だろうと思い続け、「きっと、それは『愛』に違いない」と思うようになった。
 理由は、世界の、人類の、心の、存在理由が、「愛」しか見当たらないからだ。
 実は、哲学一般の本質も、昔は『愛知』という表現を用いたのだ。

 人々は、「愛」のために思索し、矛盾と取り組み、一段一段と、イデーの待ち構える真実へと上昇し続けてきた。
 もしも、「愛」が哲学の本質であるとするなら、「愛なき哲学」があってはならない。
 翻って思い出してみれば、核開発のような科学に愛があっただろうか?

 1939年、アインシュタインはルーズベルトに手紙を送った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99

 ファッシズムの三国同盟が成立し、世界は深刻な第二次世界大戦への渦中に躍り込もうとするなか、アインシュタインは、ナチスや日本の仁科が核開発を始めているとの噂を聞き、一刻も早くアメリカが、それを使うことで、資本主義国家群の優位性を守るという発想だった。
 これに力を得て、アメリカは原爆を開発し、1945年、それを日本に投下し、数時間で数十万人の命を奪った。

 後に、アインシュタインは、このことを深く後悔したともいわれるが、一方で、核開発は巨大な産業となり、現在に至るまで、全人類に「悪魔の牙」を剥き続けている。
 戦争兵器=核開発という科学には、最初から「愛」が存在しなかった。そこには「憎悪」だけがあった。

 「人を愛する」という哲学を持っていたなら、どうして大量殺戮兵器など開発できただろう。投下したアメリカ関係者も「戦争を早く終わらせるため、やむをえなかった」と弁解しているが、そうではない。アメリカの核開発関係者は、核の持つ金儲けのポテンシャルに陶酔し、殺戮を実験してみたくて仕方がなかった。
 アメリカの科学は、戦後も、罪なき人々を欺してプルトニウムを注射して実験するなど、731部隊顔負けの悪行非道を重ねている。

 アメリカの科学は愛ではない。それは金儲けなのだ。実は、日本でも、核開発が進められていた。陸軍は仁科芳雄を使って、海軍は湯川秀樹を使って原爆開発に当たらせ、湯川はとうとう成功したが、敗戦数日前に、証拠隠滅のため興南道沖で爆発させた。
 敗戦が遅れていれば、それは実戦配備されたにちがいない。
 
 「愛という哲学」を持たない学問は、必ず、金儲けと戦争に収斂してゆく。
 現代という時代、我々の目の前にある、あらゆる技術、あらゆる科学に、「愛という哲学」は、どれくらいあるのだろう。
 私は、哲学のない科学・技術は、結局、人類を破滅に向かわせる以外の道はないと思う。

 原発・核開発・新幹線・リニア・自動車・電気電子機器・医学など、ありとあらゆる知性の根底に、哲学がなく、利権だけに突き動かされているとすれば、それは、やがて人類を滅ぼす「パンドラの箱」として、あるいは「ダモクレスの剣」として、我々のなかに置かれる。

 これから、若者、子供たちにとって、もっとも必要な知恵・知識とは、私は哲学だと思う。その科学、その技術が、将来、人類を救うのか、それとも滅ぼすのか?
 それを見極めるための哲学が必要なのだ。
 単純にコンピュータやAIカー・アンドロイドに喜んでいてはいけない。もし、それが核開発のように人類を滅ぼすことしかできないとすれば、あなた方は、どのような姿勢で、それに向かうべきなのか?

 単純に、学校で教わったとか、社会が向いている方向だからとか、脳天気なことを言っていると、核開発がもたらしたような悪魔の跳梁跋扈する世界になってしまうだけだ。
 本当に必要なものは何か? という哲学を見極める力がなければ、すべての科学・技術は、恐ろしい凶器であり狂気しかもたらさない。

 若者たちには、本当に心豊かなライフスタイル、人類のあるべき姿を、すべての知識、判断力の根底に置いてもらいたい。


雨の昼下がり、伝えるものは、もう何もないのだけど……

2021年01月23日 | 未分類
 いつのまにか、気づかないうちに老人といわれる年齢になって、死の影に包まれ行く自分を見て、生きているうちに、自分は、いったい何を残したのだろう? と振り返ってみても、「そこには風が吹いているだけ……」。(ごめん、フォークルさん)

 昔、そのまた昔、人々は、個人で生きていたわけではなかった。「その人」ではなく、「一族=部族=一団」とでも表現すべき、集合体で生きていた。
 それは例えば、白川郷あたりの記録をみれば、明治時代まで、一軒の合掌造りで、数十名の人々が共同生活をしていて、柳田国男の秋風帖には荘川で最大42名が一軒に住んでいたと書かれている。

 そこに、個性はあっただろうが、「自分を強く意識する個的自我」は少なかっただろう。男女は別々の部屋で居住し、結婚(性交)は、一つ屋根の同居人とは固く禁止され、必ず他の屋根の異性でなければならなかった。
 もちろん、これは遺伝病を出さないための洗練された「生活の知恵」だった。

 合掌造りには、茶室のような小さな「にじり戸」が設けられ、それが異性に逢いにゆく扉だった。
 性交は、小さな出作り小屋などで行った。生まれてくる子供は、一つ屋根の「みんなの子」だった。一応、男女の関係は特定されていて、もしも、他の異性と浮気でもしようものなら、集落全体から口を極めて罵られたと書かれている。

 人々は、「個人としての人生」を送るのではなく、家に付随した「みんなのための人生」を送った。そこでは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という共同体の合理的な関係があり、白川郷では、人の自我は、その家に付随したものと考え、いわば、珊瑚が一つ一つの胞子に独立しながら、全体で「共生体」を作り出して、それが「一個の存在」であるかのように、人の心は「全体像」を見せても、独立したものではなかった。

 私は、若い頃から全国の山を歩き、「限界集落」を多く見てきた。数十名にまで減った小さな集落では、一人一人に集落を守るための大切な役割があって、一人一人の個性の集合体が、集落の命を司っている。
 そんな不便な限界集落に、国や自治体が道を拓くと何が起きるか? それは限界集落に便宜を図って作られたのに、道は限界集落にとどめを刺す残酷な剣として作用する。
 「拓かれた道」を通って、人々は、そこから出ていってしまうのだ。

 白川郷でも同じことが起きた。冬になれば5メートルもの積雪のある白川郷では、その閉鎖性故に、人々の共有と団結があったのだ。
 そこに、資本主義と道がやってきた。

 戦国時代から、白川郷は「煙硝つくり=鉄砲火薬」に適した環境として知られ、加賀藩は、「お留め村」として外部との出入りを遮断して、白川郷の住民に煙硝作りに当たらせていたのだが、それも明治維新とともに廃れた。
 代わって入ってきたのが生糸産業のような資本主義だった。
 それは高山や岡谷などで最初に一大産業として勃興し、女工さんの人手を求めて、飛騨一帯の娘たちが駆り出されるようになった。

 白川郷からも、娘たちが、白骨や野麦峠を経て高山や松本、岡谷に斡旋されるようになった。
 これが白川郷の共同体を崩壊させた。娘たちは苛酷な労働であっても、そこで稼ぐようになり、一個の個性と自我を成立させていったのだ。

 ひとたび、「個人生活」を知った娘たちは、元の共同体合掌集落に帰りたがらなくなった。六畳一間に10名以上が寝るような生活に戻りたくなかったのだ。そこには個人的自由が存在しなかったのだから。

 一つの共同体では、一人一人に共同体を支えるための大きな役割が課されている。食料生産、家事、介護、子育て、祭祀など、それは決して楽ではないが、共同体の一員として、集落全体をも支える大切な生活要素だった。
 だが、資本主義は、そんな共同体から情け容赦なく、大切な「細胞」を奪っていった。

 とりわけ、若い娘たちが高山や岡谷に出るようになると、合掌造りを支えてきた要素、介護や家事、祭祀が崩壊してゆく。子供が減ってゆく。遺されるのは老人ばかり。
 老人は、孤独に埋もれて朽ちてゆかねばならなくなった。
 共同体では、若い娘に子供が生まれてきて、子供たちは、老人たちの愛と教育をいっぱいに受けて、その死を見ながら育ってゆくのだ。

 老人にとって、子供たちに、自分の人生で得た、すべての知識と経験を教えながら、自分の死に様を見せて去ってゆくというのが、共同体生活の神髄なのだ。
 私自身が、今、自分の死期を前にして、本当にいたたまれないほど後悔しているのは、そうして、自分の得てきたものを伝える子供たちが目の前にいないということだ。
 だから、せめて一生懸命、ブログの文字で遺そうとしている。

 FC2ブログが、どれほど残るのかは分からないが、ヤフーブログで10年以上にわたって書き留めたものは、ヤフーによるブログ閉鎖で灰燼に帰した。半分以上が永久に失われてしまった。
 このブログも、私が死ねば、いつまでも残らないだろう。大切なことは、「生きた子供たち、若者たち」に、私が人生で得た体験、知識を遺すことなのだが、自分は、ほとんど遺せないことが悲しく、残念だ。

 「どれだけ遺せたか?」
 が、人生の成果であるはずなのだが、私の遺すものは、役に立たないゴミばかりだ。
 本当ならば、アルプスのハイジのような、子供たちが全力で体を動かして、たくさんの動物たちと交流して、命の大切さに感動しながら、社会や世界の哲学を構築してゆけるような共同体牧場を遺したかった。

 まあ、他人に対する嫌がらせだけで一生を終える馬鹿と比べれば、多少はマシなのかもしれないが、私は「哲学」を遺したかったのに、残念ながら、風に吹かれて飛んでしまうような言葉の羅列しか遺せないのが悲しい。

 とりわけ、自民党青年部のゴミどもが、私を低俗下劣に誹謗中傷し続けて、なんでこんな愚かな連中が、私を取り巻いているか、それが私の波動が吸引したことによるものなのか、残念でならない。
 たぶん、私が彼らの妄想のなかに生み出された、「被曝しても被害はない」かのような脳天気観念をぶち壊していて、それが絶対に許せないということなのだろう。

 だが、自民党・保守の愚かすぎる価値観=利己主義による世界は、自らの愚劣さによって自滅寸前であり、もう時間の問題で、人々の人生からも、社会からも追放されてゆくだろう。
 それは、人の命より金儲けを上位に置く価値観であり、それ自身の矛盾によって破綻したのだ。

 福島の被曝の真実も、いつまでも隠し通すことができるはずがない。必ず、私が書いてきた恐ろしい真実が人々に共有されるときがくるはずだ。
 福島第一原発の事故で、数千名の人々が、放射能で直接殺されたこと。数千万人の人々が被曝して、心臓病や癌のイニシエーションを受けてしまったこと。
 胎児被曝させられた子供たちの知的劣化が起きていることなどが、誰の目にも明らかにされるはずだ。

 そのときになれば、我々、反原発活動家が続けてきたことの意味を理解してくれる人も増えるにちがいない。
 また、正真正銘の利他主義の時代がやってくるにちがいない。
 もしも、我々の世界に未来があるとすれば、それは「利他主義」だけなのだから。


電通が汐留の本社ビルを売るという

2021年01月22日 | 未分類
  電通とは何か? 単に世界有数の広告企業なのか? 違う……。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E9%80%9A

 上のリンク、「沿革」の1932年の項目を見ていただこう。
 「里見甫が主筆」と書かれているが、実は、電通は陸軍の秘密組織であり、戦時中ではあるが、CIAのような秘密工作を行う組織だった。
 何をやっていたか? といえば、「里見甫」という恐ろしい人物が作った企業というだけで、おおよその見当がつく。

 岸信介とアヘン王の関係を追う〜密売で儲けた「数兆円」はどこに消えた?
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49375

 電通は、里見甫、二反長音蔵が確立したヘロイン麻薬の、昭和通商と並ぶ密売組織だったのだ。同時に、満州・朝鮮・中国における情報収集、要人暗殺などの秘密工作を一手に行っていた。
 まさしく、日本のCIAだったのだ。
 里見甫の同郷、親友であった731部隊、石井四郎隊長とも強い結びつきがあったので、まず確実に731部隊による中国人生体実験に関与している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E5%9B%9B%E9%83%8E

 戦後は、CIAの傘下に入り、日本国内の労働運動・社会主義・共産主義勢力の弾圧に関与し続けたと言われている。
 また、CM業界の利権を独占することで、新聞テレビなどのメディアに圧倒的な統制力を発揮してきた。

 今回、本沢二郎氏の記事が出ているので紹介しておこう。
 電通危機<本澤二郎の「日本の風景」(3971)<五輪中止で大魔神に天罰か、電通破産寸前の行方と報道の自由?>
  http://www.asyura2.com/20/senkyo278/msg/610.html

 以下引用

 <五輪中止で大魔神に天罰か、電通破産寸前の行方と報道の自由?>

 思えば平凡なジャーナリストは、次男と妻を奪われて、東芝の正体を知り始めた。昨年は政府のコロナ対策で、この21世紀の日本に特務機関・電通の正体を学んだ。東芝を警視庁に刑事告訴したが、TBS強姦魔救済事件を想起させるような、東京地検の不起訴に電通が関与していることも分かった。さらに 新聞テレビの報道に関与して、日常的に言論弾圧を繰り返していることも理解できた。極右の安倍晋三や、今の首相・菅義偉の防護服であることも分かった。

 官邸の記者団やテレビ出演者の言動を、完ぺきに監視する体制の存在も分かってきた。ヒラメ記者やヒラメ警察・ヒラメ判事の養成機関だった。血税に横やりを入れて、そこからいくらでもすくい上げる吸血装置も駆使していた。

 人びとに災いをもたらす大魔神そのものの電通だと、厳しく弾劾することが出来る。元自民党国会議員のベテラン秘書による命名は、正確である。悪役トランプの比ではない。

 もっというと、自民党本部も首相官邸も法務検察・最高裁も、三権すべて大魔神の手の中で蠢いている虫のような存在なのだ。

 妻と息子の死が教えてくれたことである。二人が、わが師なのだ。その大魔神に天罰が落ちた。五輪中止で破産寸前に追い込まれている。電通破産で、日本の言論の自由が蘇るのかどうか。

 独裁国と同レベルの日本言論界が、電通沈没で救済されることになれば、コロナは鬼滅の刃となるのだが。

<ビル売却と血税引き抜きで生き延びられるのか>

 9000人の陣容を誇る電通の、人員削減が報道されたことは分かっていた。電通の牙城である汐留の高層ビルを売り出しに出たことが、昨日報道されたが、やはり驚きだった。

 電通が、東京・汐留開発利権を手にして、地上48階建ての高層ビルを2002年に完成したことは、知る人ぞ知るであろうが、鉄壁を誇る電通城を売却するとなると、大魔神の神通力の弱体を裏付けて余りある。

 電通大株主の共同は、いかにも「買い手がつく」というような記事を流していたが、事情通は今朝ほど「東京には事務所ビルは吐き捨てるほど余っている。数千億円も出して買う奇特なファンドなどない」と斬って捨てた。

 いま電通株がどうなのか?気にかけたことなどないが、勢いを示すしっかりとした材料はないだろう。内部留保・秘密口座はどうなのか。脱税し放題であろうから、国税当局が動いていないとなると、全体の奉仕者でないため、罷免の対象となろう。血税関連では、会計検査院の監査も不可欠で、監視の対象になっていようか。さんざん世論調査などでは、いびられてきた野党である。国政調査権を行使する場面であろう。

 筆者も東芝事件では被害者である。東芝と共に反省と謝罪を求め続けることになる。より深刻で大事なことは、電通の言論弾圧への罰則と公平な監視制度の法制化である。

 安倍と菅の防護服について、真相を明らかにしてゆく必要がある。もう一つ大事なことは、国民投票法改正案のことである。電通仕込みのため、資金力のある政府与党の改憲案が成立することになる。公平・公正な国民すべての過半数という、憲法規定を厳守する投票法でないと、憲法違反となる。

 憲法審査会の暴走を許してはならない。極右政権下の電通仕込みの投票法は、排除すべきで運命にあろう。

<米大統領は就任式で憲法堅持、菅は改憲軍拡演説の落差>

 本日、ワシントンに民主党のバイデンが、46代大統領に就任した。彼は「憲法の堅持」を誓約した。菅は、安倍同様に先の施政方針演説で「改憲軍拡」の銅鑼を打ち鳴らした。憲法堅持をしないで、真逆の公約をした日本首相の異様さを、日本国民は注視しなくてはならない。

<電通死闘とSOSの新聞テレビ=言論弾圧は無くなるのか?>

 情報銀行を知らないが、電通が認定されたという。意味不明だが、なんとなく不気味だ。また経産省利権に噛みついたという。

 コロナ関連での血税引き抜き事件について、捜査当局は動いていない。電通の反省も謝罪もない。それでいて再び血税に手を突っ込むという報道は、主権者を愚弄して異様である。経産省は、電通の子会社化しているのだろうか。経産省監視も大事である。

 経産省は梶山静六の倅が大臣だ。静六というと、ガラッパチの静六という印象が残っている。知能教養に恵まれていた人物ではないと見られた。菅はそんな梶山に惚れ、息子を大臣に起用した。利権官庁の役人が占拠する役所だから、電通にとっても、一番懐柔しやすいのだろう。腐敗まみれの役所印象が強い。

 大魔神の神通力が弱くなると、新聞テレビの収益も激減する。どうするか。一般企業並みの、賃金体制にすればよいだけのことである。比例して報道内容も国民大衆からの視点が増える。
 御用学者や御用文化人・評論家も排除されると、日本の言論の自由は、再び元気が出てくるだろう。電通・大魔神と共に沈んでしまうと、日本人の民度もどんどん低下してしまう。

 コロナを礼賛しているわけではない。1日も早く解消したいが、それには広島方式・中国方式を採用するほかない。しかし、他方でコロナは大魔神をやっつけて、国民に恐ろしい正体を暴き出してくれている。

2021年1月21日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 一般社団法人日本IT団体連盟は18日、電通グループのマイデータ・インテリジェンス(東京)のサービス「マイデータ・バンク(MEY)」について、「情報銀行」として認定したと発表した。同連盟が情報銀行として認定した事業者は6社目となる。

広告大手電通は19日、経済産業省の民間委託事業への入札を再開すると発表した。民間委託を巡って批判されたことを受け、昨夏から入札への参加を控えていた。社内の体制を見直し、経産省の新しいルールにも対応できるようになったという。 (朝日)

 電通グループは20日、東京都港区の本社ビルを売却する方向で検討していると明らかにした。売却額は数千億円規模になるとみられる。複数の売却先候補があり、今後絞り込む。 (共同)

(追記)
 数か月留守してAU携帯の支払いが遅れてしまった。するとAUは、一方的に契約を解除してきた。20数年以上使用してきた携帯電話が、使用できなくされた。友人との電話も。情報人間にとっての武器を奪ったのだ。以来、携帯使用をやめたが、やはりそうもいかない。ドコモに切り替えた。

記録しておいた通話記録で、大平正芳さんの地元・香川大学憲法学者の根本名誉教授に、習いたてのSMSを発信。根本さんから久しぶりの電話が届いた。自治労OBの宝田さん中心の憲法勉強会をしているという。香川は護憲リベラルの風土である。憲法を定着させる意味で、東京では全体の奉仕者でない検事総長・林真琴罷免運動を始めた、と紹介すると、彼は「それはいい」と喜んでくれた。一部の奉仕者の公務員を罷免することは「国民固有の権利」だからである。blog「日本の風景」を見るように皆に呼びかけたい、とも約束してくれた。
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 引用以上

 電通の本当の正体は、本沢氏が指摘した事実より、桁違いに恐ろしい秘密陰謀組織だと私は思っている。自家引用で恐縮だが、私が以前、電通について書いたブログも引用しておきたい。

 電通と安倍晋三 2020年06月08日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1148.html

  電通といえば、創始者は「上海阿片王」と呼ばれた里見甫だ。里見は、清国崩壊後(袁世凱没後)の中国で古いヤクザ組織、青幇や紅幇と手を結んで、中国大陸で阿片を売りまくり、その利益を日本陸軍に上納した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB

 ときにヤクザ組織の利権と対立し、当時の青幇頭目であった蒋介石の指図によって、里見の作った北京郊外・通州麻薬精製基地が襲われ、日本人婦女子ばかり、数百名が残虐に殺害される事件も起きた。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 これに憤慨した柳川平助・田辺盛武指揮下の第十軍が、蒋介石の支配下にあった南京城を襲って数十万人規模の大虐殺を引き起こしたといわれる。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 里見は、千葉県の八犬伝で知られる里見郷の出身なのだが、もう一つ、千葉県に里見郷があった。それは、今は存在しない、成田空港になってしまった芝山地区である。(いずれも、南北朝時代の豪族里見氏の城に由来している)
この里見も、麻薬王・里見甫に負けず劣らず恐ろしい。

 実は、731部隊創始者・石井四郎が、部隊を作るとき、ほとんどの人材を、自分の出身地である芝山里見郷(加茂部落)から引っ張ってきたからで、芝山地区が地図から消えた本当の理由は、この731部隊の痕跡を消したかったのではないかと私は思った。
 (これは間違いで、2021年現在、成田空港に隣接して芝山地区は存在します)

 石井史郎と里見甫は、非常に親しかったといわれる。それは、同郷なのだから当然なのだが、二人とも、人間性を放棄し、人類史に残るほどの悪行を重ね、悪魔に魂を売り渡した男としての共通性があった。

 本題の電通に戻ろう。まずは、この写真をご覧いただきたい。

 denntuuhonsya.jpg


これは、2003年に東新橋に開業した、50階建ての電通本社の床である。
 薄気味悪い目玉の洪水は、もちろん「ルシファーの眼」を形象したもので、電通がイルミナティ企業であることを半ば公然と宣言している。
 このビルの設計図は公開されておらず、いったい、どのように使われているのか、未だに詳細が分からない。

 古い、電通銀座本社の玄関はこの通り。

denntuuginza1.jpg


 社標である「五芒星」が玄関上に鎮座している。このビルは、1933年から1967年まで電通本社として使われたので、電通創始者であった里見甫が、引退するまで出入りしたのだろう。
 五芒星は、ユダヤ教では「サタン=ルシファー」の形象として使われてきた。電通とは、里見の創始した最初から、ユダヤ教徒、「イルミナティ=悪魔部隊」と深い関係があったことが示されている。

 電通のことを深く調べようと思っても、グーグルも、ダックダックゴーでさえも、検索がひどく制限されていて、意図的に情報が隠蔽されている。
 私の東海アマブログで、過去に、何度も取り上げてきたのに、今、検索しても何一つ表示されないのだ。これも電通の指図によるものだろう。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-397.html

 電通は、日本最大の広告企業であるが、同時に、あらゆる情報を集中し、そして自在に操作する政治的組織でもある。
 検索エンジンの収入源は、もちろん広告収入なので、電通が自社に都合の良い情報統制をするとき、最初に、検索エンジン関係者に多額の広告収入を融通しておいて、金銭的立場で影響力を行使するのである。
 「言うことを聞かなければ広告を引き上げるぞ!」
 この一言で、すべてのメディアは瞬時に萎縮し、電通の言いなりになるのである。

 「自民党体制の知られざる正体を暴露する、あるいは電通の正体を暴露するような情報は絶対に検索させない」
 それも、検索順位を数十位以下に落とすことで、人々の目に触れないような卑劣な方法で工作するわけだ。だから、私のブログが人々の目に触れる機会は極めて限られている。

 安倍晋三政権が登場してからというもの、警察官僚の北村滋が、日本版CIAの指揮官になって、凄まじい規模での情報統制、改竄、捏造が始まったことは、何度も書いている。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1139.html

 北村滋の情報統制の大半が、電通を経由して行われている可能性がある。
 電通は、安倍晋三政権と頭のてっぺんから爪先まで一体なのである。

 戦前、陸軍統制派が、中国本土に侵攻したときの戦費を調達したのは、里見甫による阿片資金と、岸信介の作った「昭和通商」が阿片と武器を売りさばいたカネ、あとは石原莞爾らの才覚による貿易商売だったといわれる。

 戦前の当時から、中国・満州・阿片・里見甫・岸信介・石原莞爾というキーワードは、完全に一体のものであり、戦後は、電通・岸信介・安倍晋三・北村滋というキーワードに継承されている。

 安倍晋三は、里見甫と岸信介の満州・朝鮮利権を引き継いでいる可能性がある。
 岸は、昭和通商の麻薬販売で得た、当時6000億円ともいわれる資金の一部を米軍に渡して、自身と正力松太郎のA級戦犯放免を取引したことが知られている。
 その残りの金が、ときにM資金と噂されたり、自民党の戦後資金に流用されたことが明らかにされている。

 安倍晋太郎が、選挙工作企業ムサシの最大株主であり、死後は、息子の安倍晋三にそれが引き継がれているともいわれ、ムサシは、安倍晋三の言いなりになって不正選挙を行っているといわれている。

 また、安倍晋三の資金の多くが、韓国の統一教会から出ていると噂されているし、実際に、統一教会の機関誌、世界日報の表紙を飾る安倍晋三が、無関係でいるわけがない。
 http://tokaiama.minim.ne.jp/touitu/123touitu.htm

 安倍晋三と電通は、まさに表裏一体をなして、情報統制支配を行ってきた。
 このことを暴露する記事が、リテラに出ているので紹介する。
 https://lite-ra.com/2020/06/post-5460.html
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 いわば、戦前戦後の日本権力中枢で、巨大な情報統制機関として君臨してきた電通が、本社ビルを売り渡すというのは、とても信じられない事態だ。
 電通の背後には、日本を影で支配している連中がずらりと並んでいる。日本会議も日本財団(笹川財団)も、三菱グループも、原子力産業も一体化して存在している。
 その意味では、電通という企業は、日本原子力産業の代理人であるとともに、北村滋の支配する国家安全保障局(内調を含む)によって守り抜かれてきた。

 何か、我々ではうかがい知ることのできない特別な事情が発生したと思うしかない。
 それは、いったい何か?
 今のところ、確かな情報は確認できていないが、六ヶ所村再処理施設やもんじゅの問題が関係しているのかもしれない。
 これは情報が分かり次第、お伝えするつもりだ。 


100年前の笑顔

2021年01月21日 | 未分類
 この数年、YouTubeに100年前シリーズで、昔の庶民の生活写真をアップしてくれている人がいて、若い頃、民俗学を志した私は、それを夢中になって視聴して、100年前の社会に浸りきっている。

 https://www.youtube.com/watch?v=_uzDccEOn70&ab_channel=%E7%AC%91%E9%A1%94%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%A3%E3%81%95%E3%82%93%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

 https://www.youtube.com/watch?v=Cxg0C2g3Fhg&ab_channel=AnonRoom58

 ちょうど、亡くなった祖母の若い頃、母親が生まれた時代なのだが、60年前の私の子供時代と比べても、それほど大きな差異はないように思えるのだが、現代の人々と比べると、極端な違いが感じられる。

 何が違うかというと、女性や子供たちの笑顔だ。
 100年前の笑顔は、どれをとってみても屈託がなく、人間性の素朴さ、裏表のなさが溢れている。
 翻って、現代の女優さんやモデルさん、若い女性たちの笑顔は、昔と比べて格段に美しいのだが、一方で、裏表と心に秘め隠したものがちらついていて、とても素朴とはいえない。

 それを分析するのは難しいが、昔の人にあって、今の人にないものを考えると、それは「共有と連帯」ではないだろうか?
 昔の庶民には、「私的所有」という概念が乏しかった。「みんなで一緒に生きている」という連帯感が強く感じられて、一人の個人が評価されたり、特権を与えられたり、他の人に君臨したりという差別感がなかったのだ。

 だから、ありふれた笑顔に「自分を守る」という自意識が少なく、他人と喜びを共有し、連帯しているという心のありようが、非常に強く出ている。
 ところが、現代の美女たちの写真には、「自分を守る」強固な自意識が滲み出ていて、自分の権利、自分の財産、自分のもの、を大切にして、他人に奪われないようにする警戒心が笑顔に影を落としている。

 つまり、昔になくて、現代にある「差別感」が写真から漂ってくる。
 昔の人は、「私有意識」が少ないから、周囲の誰とでも喜びを共有し、悲しみも共有し、なぐさめあうことができた。だから裏表のない「屈託のない笑顔」を共有することができた。

 例えば、潮干狩りでアサリをたくさん獲ってきた女性がいるが、彼女の笑顔は、「財産を独占できた」からではない。海の恵みは、みんなの共有財産で、自分がたくさん獲ってきても、帰宅すれば、大半を近所に分け与えてしまう。
 彼女は、自分のアサリが他人の口に入って生み出される笑顔を得れば十分なのだ。そうだ、昔の人々は「笑顔」を食べて生きていた。
 だから、こんなにも笑顔が多いのだ。

 100年前の笑顔は、当時の社会性と、これからの人間社会のあり方に大きな示唆を与えてくれる。
 我々は、再び100年前の屈託のない笑顔を取り戻さなければならないのだと。
 それには、ガチガチに凝り固まった「私有意識」や、「差別観念」から解放されなければならないのだろう。
 
 人間を出自や財産や学歴で序列をつける儒教の秩序は、江戸時代では支配階級だけにあったものだ。庶民には無関係の価値観だった。
 庶民は、一つの集団=共同体に埋もれて生きていた。自分個人が突出して権力を得ようとか蓄財しようなどと志す者は非常に少なかった。
 「みんな」というのが個人よりも大きな、大切な単位だったのだ。

 これから、コロナ禍がもたらす新しい社会秩序は、たぶん学歴や財産ではなく、「みんなで助け合って生きてゆく」という、かつてはありふれていた価値観に戻ることになるだろうと私は思う。

 財産も権威も学歴も、豪邸も高級車も、美人もイケメンも何の価値もない。
 ただ、人々の笑顔に接することだけが人生最高の価値になってゆくだろう。
 そんな時代が来るとすれば、コロナ禍による焼け野原も歓迎だ。

 「起きて半畳、寝て一畳。天下取っても二合半」というのは、信長が言ったわけではあるまい。
 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」というのも家康が言ったわけでもあるまい。どこか市井の庶民の老人が、若者たちへの訓として述べた言葉に違いない。

 この意味は、「決して背伸びしてはいけない。あるがまま、なすがまま、自分の力を冷静に見極めよ」ということであり、「焦らずに、ゆっくり前を向いて歩いて行け」という意味だろう。
 翻って、今はどうか?
 どこもかしこも競争だらけ、人生を焦らせ、背伸びさせ、無理をさせる環境ばかりだ。
 そんな窮屈で愚かな環境のなかで、冒頭に掲げた「笑顔」が生まれるものか。

 素晴らしい笑顔というのは、無理せず、あるがまま、なすがままに、人の幸せを共有して生きている庶民だけが持っている至宝なのだ。

 釈迦の弟子だった比丘尼が言った。
 「霊の世界があるならば、それに応じた供養、対応をしなければならないのではありませんか?」
 釈迦は言った。
 「比丘尼よ、見えない霊の世界など考える必要はない。あなたの見えるもの、聞こえるもの、触るものを大切にして生活しなさい」

 これは何を言っているかというと、「人生を送るにあたって、見えない価値に心を奪われてはならない。私たちが、生きていて、見えるもの、触れるもの、聞こえるものに従って生きよ」
 という意味で、まさしく冒頭に掲げた100年前の笑顔の本当の意味なのだ。
 100年前の笑顔には、「FXで損したらどうしよう、彼氏がイクメンでないから嫌だ、金が足らない、私より美しい者がいる」、とかの夾雑観念はない。

 ただ、周囲にいる人を大切にし、人の笑顔に導かれて生きていた。これが釈迦の到達した悟りではないだろうか?