愛知県あま市七宝町伊福宮東に鎮座される「伊福部(いふくべ)神社」。御祭神は『日本武尊』。
境内由緒書「御祭神は伊福部の連の敬愛する神様であり、天平2年(730)に創建された。明治5年(1872)には郷社に列せられ、同25年(1892)に熱田神宮西方に祀ってあった八百万神の本殿を移し、これが現在の本殿である。」
参道二の朱塗り鳥居
柔らかな日差しの中、まっすぐに続く参道。
「石造連子窓型蕃塀」
欄間上部には「双龍」、羽目部左右に「鯉の滝登り」
羽目部中央に卯年と刻まれた「兔」、おそらくは奉納年を表しているのでしょう。
四方吹き抜けの開放的な「拝殿」
拝殿から続く「幣殿」
幣殿前左右より神域を守護されるのは、昭和四年五月建立の岡崎型狛犬さん一対。阿は毬を手に、吽は前足の間に仔狛を抱いています。
親狛の足の間に収まり毬にもたれて境内を見つめる仔狛。
さらに幣殿のより近くより神域を守護されるのは、昭和五十二年二月奉納の狛犬さん。太い眉が流行りのモンスターキャラを彷彿させる可愛らしい一対。
幣殿奥、真っ直ぐに鎮まられる御本殿
本殿の玉垣の奥深くより神域を守護されるのは、明治四十二年十月奉納の神殿狛犬を思わせる一対。場所的な事も有りこの角度が精一杯ですが精悍で美しい顔立ちです。
幸い透かし塀の向こうと言う立地のお陰で、後姿はこのようにしっかりと!
さらに本殿玉垣の内より神域を守護されるのは、明治十七年三月奉納、昔タイプの狛犬さん一対。阿は角を、吽は宝珠を頭に戴いています。「日吉さんの神使いに似ている」と御亭主殿。
失礼なことをと思いつつ・・言われてみれば確かに・・(^^;)
境内社「津島神社・村上神社・八幡神社」
熱田神宮宮司正七位角田忠行氏による「伊福郷之碑」 傍らの駒札に「伊福と言う地名は元々この地域に伊福部連という氏族が居住していたことによると云われており伊福部神社も伊福部連の祖先を祀ったものである。しかし中世以降「伊福」が転じて「伊麥」と称するようになった為、明治二十二年に県知事に願い出て「伊福村」に変更している。この碑文はその経緯や伊福部連について説明したもので明治二十二年三月に建てられている。」
「神鳳抄(じんぽうしょう)所載碑 伊福部御厨舊地」「明治二十二年三月建立」、(神鳳抄とは、伊勢神宮(内宮および外宮)の領地の諸国一覧表)
石造りのように見える吐水龍
境内一団高くに「御大典記念碑」
一の鳥居近く参道の傍らに咲いていた「黄色花酢漿草(きいろはなかたばみ)」
同じく参道中に咲いていた黄色い花、名前は知らない。
参拝日:2011年4月24日
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なるほど一口メモ
「蕃塀(ばんぺい)」は、一般に愛知県北西部を中心に分布しているといわれる。もともとは「不浄除け」と呼ばれ、現在でも地元の方々は「不浄除け」と呼ぶ場合が多い。ご神体守護の為、不浄なものを遮断する役割。またご神体の強い力を人々が不用意に浴び続けないようにする役割を果たしている。木造・石造りが有り、特に真ん中に連子窓を持つものを「連子窓型蕃塀」と呼ぶ。
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