入母屋造、全面吹き放しの「額堂」は、文久元年(1861)建立で、国重要文化財の指定。 「三升の額堂」とも呼ばれた「第一額堂」が焼失する迄は、第二額堂と呼ばれていました。
堂内には、いわゆる「奉納額」以外の物も幾つか奉納されており、どれも興味深いものばかり。 中央の目立つ位置には、江戸時代末に活躍した名優「成田屋七代目:市川団十郎」の石像があります。
文政4年(1821)、團十郎は一千両の金子をもって額堂を寄進しましたが、昭和40年(1965)の放火により焼失。 石像は焼失後にこちらに移されましたが、鼻に残る傷跡はおそらくその時のものと思われます。
「青銅製大地球儀」は、日露戦争の戦勝記念として明治40年(1907)の奉納。 ここからでは見えませんが、「大日本帝国」の範囲には、銀の象嵌が施されていたそうです。
額堂周囲の貫に施された彫刻は、『後藤勇次郎(二代目:後藤弥太郎名跡)』の手に寄るもの。 迫力ある龍の顔を更に際立たせているのは、左目に嵌め込まれた、青みを帯びた銅眼のゆえでしょう。
残念ながら銅眼が嵌め込まれているのは、左隅頭貫の龍の左目のみで、他は空になっています。 それでもこの迫力は流石・・むしろ木肌の目であることが尚更に鬼気迫るものを感じさせます。
素晴らしいのは獅子も同じ、こちらも銅眼は失われてしまいましたが、その表情の凄さは変わりません。 しかし、獅子と言えば牡丹というのが定番ですが、この獅子は何と竹笹を咥えて遊んでいます。
口に咥えた竹笹の動きが面白いのか、左手で掴もうとするその仕草が、顔の凄みと反比例して何とも微笑ましい。
額堂の壁一面に納められた「奉納額」はどれもその折々の時代を反映して興味深い内容です。 一枚、一枚に、奉納者の心が籠められているのだろうと思うと、知らずに頭が下がります。
額堂内に入る事ができないので、周囲の壁を外から見上げるだけですが、それでも十分に満足できる内容でした。
成田山新勝寺~其の九に続きます
参拝日:2014年5月20日&2019年3月18日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます