倉敷市矢部に鎮座される「鯉喰(こいくい)神社」。御祭神は『夜目山主(やめやまのぬし)命・夜目麻呂(やめまろ)命』、『狭田安是彦・千田宇根彦』が配祀されます。
「吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した。社殿は元禄14年(1701)4月、天保13年3月に造営し現在に至った。大正6年4月、庄村矢部字向山村社楯築神社を合祀した。大正6年10月4日神饌幣帛供進神社に指定された。」岡山神社庁HPより
一の鳥居前、左右より神域を守護されるのは、明治34年9月吉祥日建立の備前宮獅子一対。妙に達観したようなお顔立ちが印象的です。
「楯築墳墓(たてつきふんぼ)」と呼ばれる弥生古墳の頂上に鎮座される神域、決して広いとはいえない境内ですが、塵一つなく、社殿近くには高く積まれた石垣の上に石灯籠が奉納され、地元の方々の崇敬が伝わって来ます。
社殿近くより神域を守護されるのは、玉を抱え込むように手を置き其処に顔を乗せる明治8年4月建立の狛犬さん一対。色々と玉抱きの狛犬さんを見てきましたが、こんな風に体全体を預けるタイプは非常に珍しく思います。残念ながら吽形さんのお顔は剥落が酷く、その表情は窺い知れません。
木の色からまだ新しい築と思える神門から、廻廊のように屋根が続き、真っ直ぐに拝殿・本殿へと至ります。
その神門内より神域を守護されるのは、長い長い時を過されてきたと思われる随身様。すっかりと俗世の色を落とされた風情ですが、僅かに残る袴の藍が鮮やか。
本殿後方には「地神」と刻まれた文字碑があり、〆縄で守られた石碑が建立され、後方には二つの境内社が鎮座されます。
拝殿の屋根、たっぷりの水の中で楽しげに泳ぐ鯉の姿があります。この後に「鵜」がいればまさに伝承の情景なのですが・・流石にそれは無いですね😅。
境内の一角には鐘楼が有り、きちんと釣鐘も残されています。また入り口近くの石燈籠には「三社宮」と刻まれています。ですがそれらに関しての説明は何も無く、気になったままで終わりました。
鯉喰神社の御神体は「包丁と俎板」とも云われているそうです。地元では、温羅を捕えた後に『夜目山主命』が鯉を料理して命をもてなしたという伝承もあるとか。血に染まったというその川を鯉に化けて逃げる「温羅」、追うのは「鵜」に姿を変えた「吉備津彦命」・・・はるかな昔、遠い古代のお話です。
境内を出ると、吉備津・川辺・金毘羅への古い道標が目に止まりました。その昔のこの辺りは、一宮への参拝客や、金毘羅詣での人々で賑わっていたのでしょう。
参拝日:2011年8月16日
吉備津彦命と温羅のその後的な由緒を持つ神社。市を跨いで紹介しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます