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瑠璃光寺(るりこうじ) in 山口県山口市香山町

2024年01月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市香山町に門を構える曹洞宗寺院「保寧山:瑠璃光寺」『薬師如来』を本尊とします。開山:『大庵須益』、開基:『 陶弘房夫人』

「大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現:香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立。応永6年(1399)、義弘は足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳(しょうに)勢と戦って戦死。関ヶ原の合戦の後、萩入りした毛利輝元は、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築。五重塔はその後嘉吉2年(1442)頃に完成。また、後の天文9年(1540)に建てられた仏殿は広島市の不動院に移築され、国宝に指定されています。」山口市観光情報サイトより

現在の仏殿は、陶氏の七代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471)に仁保高野に建立。当初は「安養寺」とし、明応元年(1492)に瑠璃光寺と改名。仁保に所在した事から「仁保瑠璃光寺」と呼ばれました。江戸幕府成立後、毛利輝元が香積寺を萩に引寺したため、元禄3年(1690)に跡地に移転されたのが現在の瑠璃光寺です。

本堂前に立て掛けられた大きな「杓子(しゃくし)」には【人間の生老病死の苦しみを 御救い給う瑠璃光如来】、「檑木(すりこぎ)」には【己が身を 摩り減らしても施しを お与え給う薬師如来】の文字。

目の病気を治すご利益があると伝えられる、出雲の「一畑薬師:山口分院」にもお参りさせて頂きます。

山門の右手に祀られる「瑠璃光寺 鎮守石殿」「瑠璃光寺は古く吉敷郡仁保の地にありましたが、江戸時代元禄3年(1690)にこの地へ移ってきました。この石殿は瑠璃光寺が仁保にあった頃、当山16世の重堂専宗大和尚が、寺の鎮守として慶安3年(1650)に造立したもので、そのことは刻銘によってわかります。今まで仁保の旧地に残っていましたが、このたび瑠璃光寺の鎮守として此処に移し祀った次第です。」現地案内より

山門と繋がる鐘楼入口。納められた梵鐘は天文元年(1532)に藤原之國によって二保大畑村の瑠璃光寺末寺:光明禅寺の梵鐘として鋳造。光明禅寺が廃寺と成った時、当時二保にあった瑠璃光寺に移された事、また山口市指定文化財で永久保存の為、日頃は打つ事が出来ない旨の案内が入り口に明記されています。

回廊の右手にスッキリと美しい袴腰鐘楼。中央後方に国宝:五重塔の相輪が僅かに。

回廊の屋根は、鐘楼の腰袴に吸い込まれるように繋がっています。

回廊の外から見る鐘楼と石造り五重塔

参道石段脇に祀られる「身代わり地蔵」「300年以上前から悪い因縁、病気、縁談、不幸などに見切りをつけたいと願う人々のために、身代わりになってくださるお地蔵様。外目では分かりませんがお身体が2か所、横に切ってあります。身を切ってお救いくださることから「見切り地蔵様」と呼ばれています。」公式HPより

石造五重塔と向かい合うように、幼い嬰児を抱く慈母観音像」。傍らには観音真言と「わらべ地蔵様」

不思議と背筋がピンと伸びるような、心地よい緊張感

回廊から見る境内。息が磨かれていく感覚が更に心地よさを倍増させます。

明日は13代以降の毛利家当主が眠る「香山墓地」一帯を含む「香山(こうざん)公園」の紹介です。

参拝日:2012年11月11日&2013年4月17日&2015年11月11日

 


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2 コメント

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瑠璃光寺 (まっち)
2024-01-22 18:26:22
西京と呼ばれた山口のシンボル的寺院ですね。
でも開基が陶弘房夫人とは存じませんでした。
陶氏はもとは大内一族で歴代の重臣。
でも当ブログでたびたび登場する大内義興の子、義隆の代に弘房の曽孫、陶晴賢が義隆を謀殺して大内氏は事実上滅亡。
その晴賢も有名な厳島の戦いで毛利元就に敗れ中国は尼子VS毛利の時代へ。
主君を誅殺し後に自らも滅んだ家系の寺院がよくも後世に残ったものです。
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まっちさん (tibineko)
2024-01-23 10:30:19
歴史書だけでは知り得ない事情があったのかもしれませんね。
私自身も調べていて驚きました。
もっと深く掘り下げれば、その経緯の一端もつかめるのかもしれませんね。

それでもこれだけのものが残された事に対しては、感謝です。
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