車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

醤油の町大野と大野灯台 in 石川県金沢市大野町

2017年09月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

金沢市大野町、元和年間に大野の町人『直江屋伊兵衛』によって始められた「大野醤油」の生産地として知られる町。関東の濃口醤油と関西の薄口醤油との中間っぽい色合いにやや甘口の大野醤油を初めて口にしたのは、遡る事ウン十年前(笑)。家族とJさんに遠縁の子の五人で金沢一拍の旅での食事時、お刺身に添えられたお醤油の旨さに、私を除く全員が「美味しい!!」と絶賛。実は生魚が全くダメな私、刺身に出された醤油の旨さは分かりませんでしたが、直に味見をした醤油の何とも言えぬ甘さにビックリしたものです。そんな思い出がフイっと蘇ってきたのは、町中を歩き始めた時に鼻腔をくすぐり始めた香りの所為。

分銅の屋号が際立つ建物は、大野醤油の基礎を築いた『直江屋源兵衛』の醸造元「直源醤油(株)」。創業文政八年(1825)、代々直江屋源兵衛の名跡を継いでいるそうで、時間が有れば立ち寄りたかったのですが・・・

悔しい事に今日は単独の街歩き。駐車スペースが分からなかった為、ご亭主殿は車で待機してくれました。でもこんな時の時間って本当に驚くくらい早く、別にご亭主殿から「早くしろ」とか「遅い」とか、一度も言われた訳でもないのに何故か気持ちが急かされます。

ああ、この眺めって良いな・・と思ってデジカメに収めたら速攻で先に進みの繰り返し。今振り返ってみてもそれが町のどのあたりだったのか皆目思い出せません。何と言っても全く未知の土地、後にも先にもこの時が初めての景色(^^;)

路地を曲がるたびに記憶に残しておきたい景色が現われ、その度ごとに時間を気にしつつデジカメを向けて、ゆっくりと見とれる暇も無く先を急ぐ。

私を引き留めたのはこの何とも素敵な看板。でも今となってはこれが何というお店の物なのか皆目見当もつかないのです(((((^_^;)

「宝生寿司」の暖簾が掛かる割烹。店の前に積み上げられた菰樽がお酒なのかお醤油なのか・・(^^;) それすらも確認できていないと言うお粗末さ。

駈足で巡った大野の一画、消化不足のまま終了(笑)ちなみにここ大野町は江戸時代から伝えられる醤油五大生産地のひとつとして知られています。小豆島・竜野・銚子・大野・野田・・・最後の野田以外は全部の産地に出向きました。

たまたま見かけた「大野からくり記念館」。いわゆるからくりで動く仕掛けを様々な観点から紹介した施設。たとえば茶運び人形とか・・時代劇では、殺しの道具としてよく登場してます。時間が無いので外観だけ(^^;)

大野川河口の日本海に面する港町に位置し、北前船の寄港地として繁栄した大野町。駆け足での街歩きを終えて次に向かったのは、金沢の元祖タワーと称される「大野灯台」。実は私たち、何故か灯台を見るのが大好き。ただし車で近くまでいけて、その先は歩ける道で片道20分まで・・と、かなり軟弱ですが、それさえクリアできれば何処でも行きます。

「明治11年(1879)大野町の住人、浅勘七が私設で灯台を建てたのが始まりといわれています。昭和9年(1934)公設標識と管理され、同26年(1951)に現在の姿となりました。高さ26.4メートル(海水面より34.3メートル)、130万カンデラ(光の単位)で、金沢港に入港する船舶をはじめ、沖を航行する船を導いています。」(石川旅ネットより)

金沢港に停泊中の金沢海上保安部所属:巡視船「はくさん」PL43

向いの大陸には、ミサイルで日本を狙うとんでもない国が存在します。果てしなく続いているように見える海ですが、実際にはあまりにも短い距離。現実に何人もの大人や子供がそのとんでもない国の工作員に拉致されました。お題目のような平和憲法が何の役にも立たないと言う事を私たちは知るべきです。

訪問日:2011年10月14日

 


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