旧吉敷郡阿知須町(あじすちょう)は山口県のほぼ中央、瀬戸内海側に位置した町です。東は周防灘に面し、北は山口市、南及び西は宇部市と隣接。町名の由来は「「あじの洲」を意味。「あじ」は古語の小鴨という意味で鴨生原で生まれた鴨が、群れ遊ぶ海浜が阿知須であろうと思われる。」(旧公式HP)「町の木:キンモクセイ」を制定。
町の中心部を井関川が、山口市との境界付近を土路石川が西から東へ流れ、この両河川に挟まれた臨海部に、2.86平方キロメートルの面積を持つ「きらら浜区(阿知須干拓地)」があります。
明治22年(1889)、町村制の施行により吉敷郡井関村が発足。
1899年、井関村大字佐山が分立、吉敷郡佐山村が発足。
1940年、井関村が町制を施行・改称して阿知須町(第1次)となる。
1944年(昭和19年)4月1日 - 山口市・大歳村・平川村・秋穂二島村・名田島村・陶村・小郡町・嘉川村・佐山村と合併、山口市大字阿知須となる。
1947年、山口市大字阿知須が分立、吉敷郡阿知須町(第2次)が発足。
2005年、山口市・吉敷郡秋穂町・小郡町・佐波郡徳地町と合併、改めて山口市が発足。
マンホールには「かつて廻船業の港町として栄えた白壁の居蔵造を象徴する格子柄と、旧阿知須町の町木であった金木犀(きんもくせい)をデザインしてい ます。」(山口市上下水道局:下水道普及課より)
壁画:金木犀
昭和42年(1967)6月制定の町章は「「輪」は和に通じ「和」をもって四方に伸びていこうとする願いを込めている。その左半分は阿知須の「阿」のコザトヘンを、右半分は「可」を図案化したものです。」旧公式HPより
阿知須の由来となった「トモエガモ(別名アジ)」の路上タイル画
そのトモエ鴨から生まれた、阿知須町イメージキャラクター『コッコちゃん』。お洋服の色が違うところを見ると男の子と女の子のバージョンがあるらしいのですが、今となっては子細不明(笑)
150年以上の伝統を持つ「海路安全願祭:十七夜祭」のフィナーレを飾る「阿知須浦まつり:花火大会」。山口県で一番時期の早い花火大会として有名です。
「阿知須代神楽」。「獅子舞と軽業を一緒にした様な観世物で旧藩時代、伊勢から伝わってきた。昔は代官所、庄屋の許可をとり悪魔払いの祈祷として、白幣と抜刀を握って舞い、連獅子、手まりの曲取りを演じていた。」(山口県観光サイトより)
ラストは、道の駅:きらら阿知須の里キャラクター『きららっち』。トモエガモをモチーフに誕生しました。
井関川に架かる福岡橋の親柱「周防大橋と町の木:金木犀」
マンホール画像は二枚だけという残念な結果になりましたが、阿知須駅付近の高架下壁画等々・・それなりに面白いものに出会えたので良しです😊
撮影日:2012年11月17日&2015年11月13日
トモエガモのコッコちゃん
男の子と女の子がいるのかなぁ。
ピンクと水色はそういう事なんでしょうね
ピンクの洋服は「コッコちゃん」で
水色の洋服は「コッコ君」かと(笑)
そのうちの一つ、江畑溜池堰堤は堤高こそ15メートルに満たずダムの要件は満たしていませんが、昭和5年竣工でわが国最初の農業用コンクリート堰堤とされる土木遺産です。
当初は土堰堤として築造されますが工事の豪雨で決壊、再度の決壊を恐れる下流住民に配慮し当時は貴重品だったモルタル造石張堰堤を築き上げました。
公的補助は受けているものの、当時の慣習からすれば工費の過半と労働の提供は受益農家の持ち出しと思われ、そこまでの負担を追っても安定した水源を求める農民たちの熱情がひしひしと感じられます。
2020年の訪問記があるのでよかったらご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/match1128/e/5b95e751095692846c11a98ea3b58127
もうね・・私、本当にダメなんです。
読んでる側から、当時の方達の気持ちが胸に迫って、目頭が熱くなります。
整然と積み上がられた花崗岩の関知石・・
まるで要塞堅固な城の石垣を思わせる美しさに 圧倒されました。
素晴らしい溜池堰堤を見せて頂き
有難うございました🙏
秋穂(あいお)と言い、阿知須町(あじすちょう)と言い、土地の人でしか読めない地名が沢山出てきます。
もともと方向音痴の私は、説明が詳しくなるほど頭の中が混乱し、どっちが海の方か山の方か分からなくなります。
スッキリした格子柄と金木犀のマンホールを見た時、救われる気がいたしました。どなたかの可愛い足がマンホールの大きさを示してくれていましたので、さらによく分かりました。
なので、あまりメジャーとは言えない地域が沢山出てきます。
なんでこんな地名になったんだろうと考えるも、また楽しかったりで、色んな意味でマンホール収集は(マンホールだけに)奥が深いです。
onecat様にはきっと通じる筈 😊