車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

余部橋りょうと「空の駅」 in 兵庫県香美町香住

2023年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

香美町香住区余部、JR西日本の山陰本線鎧駅~ 餘部駅間にある「余部橋梁(あまるべきょうりょう)」。展示された「山陰本線 余部橋りょう」は、かって余部鉄橋の中央部分の現物で、41mの上空にあったものです。

明治45年(1912)3月1日に開通した「初代:余部橋梁」。鋼製トレッスル橋は「余部鉄橋」の通称でも知られ、2010年7月16日夜に運用を終了するまでの98年間、現役で活躍していました。日本海を背景に、満開の桜の中をゆく赤い列車・・まさに絵のような光景です。

昭和34年4月に開設した「餘部駅」の詳細と、その様子を写した当時の白黒写真。右手には「開設記念」碑が建立されています。

クロスに架けられた日の丸をつけて誇らしげに停車する電車。ホーム一杯に、線路の脇に、餘部駅完成を祝い振られる幾十もの日の丸の小旗・・・

わけもなく胸にこみあげる熱い塊の正体が何なのか・・感動と呼ぶにはあまりにも薄っぺらい知識しかない私たちですが、やはり素直に感動としか表現できません。

二代目となる現橋梁は、エクストラドーズドPC橋と呼ばれるもので、2007年3月からの架け替え工事を経て、2010年8月12日に供用が始まりました。

その際、地元からの「餘部駅に余部鉄橋の記念になるものが欲しい」との要望に応えたJR西日本により、元橋脚の一部鋼材を使用したベンチが「余部鉄橋空の駅開設記念碑」と共に設置されています。

近代土木遺産としての価値が高い旧橋梁の橋脚保存については、様々な観点から検討された結果、兵庫県は2009年3月に餘部駅寄りの3本の橋脚・桁を残すパターンを採用。

また余部周辺の観光資源の整備の一環として、道の駅とともに「鉄橋展望台:空の駅」の整備を行い、2013年5月3日にオープンさせました。

高所恐怖症の私が!ありったけの根性を振り絞って!!必死でこの位置まで歩いて来ました(笑)

夕闇がそろそろあたりを包み始める時間帯に加えての生憎の雨ですが、見下ろす日本海の白波は、怖いくらい強烈な印象だったと、これはご亭主殿の感想。何しろ、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さは41.45 mもあるのです・・とても間近まで行くなんて、そんな恐ろしい事(^^;)(^^;)

そうこうしているうちに電車が近づく気配。夕闇が迫り始める時間。雨に濡れたホームに近づく電車の明かりは、わけもなくホッとする安堵感を与えてくれます。

激しさを増す雨に追い立てられるように下界に下りた二人。道の駅が開いているうちに今夜の食材をゲットしなければ。御亭主殿、「鉄橋グッズ」で余韻に浸っている場合じゃないですよ(笑)

明日はお天気だと予報では言ってたけれど、どうだろう? お天気になってくれないと明日の「カニ祭りが~~~~~!!」💦 あっ、また電車が来たみたい。こんなシチュエーションなんて、もう二度とないかも。

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私たちが余部鉄橋の存在を知ったのは昭和61年(1986)12月28日、強風にあおられた回送列車が高さ約40メートルの鉄橋からカニ加工場に転落。 従業員の主婦5人と列車の車掌1人が犠牲となり、6人が重傷を負ったという・・悲惨な事故のニュースからでした。

実際にその橋梁を目の前に・・否、見上げて、事故現場に建立された慰霊碑を見た時、胸が締め付けられるような痛みをおぼえました。私たちにはただ手を合わせ、失われた命に瞑目する事しかできません🙏🙏。

撮影日:2014年11月14日

前後しましたが、この日は明日の「浜坂カニ祭り」に参加する為にこちらの「道の駅:あまるべ」にて車中泊をさせて頂きました。地元特産の美味しいお魚はご亭主殿の夕食のおかずに。おいしそうな柿は自分用とお土産用に😊

車で旅をする者にとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は本当に有難うございました😊😊。

 


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2 コメント

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余部橋梁 (onecat01)
2023-09-17 13:16:40
tibinekoさん。

 行ったことはありませんが、余部橋梁はあまりに有名で、映像だけはいつでも目に浮かべられます。

 高所恐怖症ではありませんが、あの高さと、橋の狭さを思うと電車に乗りたい気持ちがなくなります。

強風で落下した電車の事故も、大きなニュースでした。現場に建立されているのは、観音様なのでしょうか。お顔の静けさと厳かさに、手を合わせました。

 開通式に日の丸の小旗を振る人々の姿、展示された「山陰本線 余部橋りょうの写真、高所恐怖症を乗り越えて立っている貴方の姿、堂々と立たれているtononeko殿など、今回のブログにはたくさん貴重な写真がありました。

 全てが心に残ります。大事にしたいと思います。
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願いの結晶 (tibineko)
2023-09-17 14:04:42
明治42年12月、アメリカから輸入した鉄材を使用し、機械力の乏しい前近代的工法の中にあって、当時最高の技術を駆使して着工され、明治45年1月に完成した「余部鉄橋」。
そのヒストリーへの感動もさることながら、余部近辺の集落は鉄橋の直下にあり、駅からはとても長い急な坂道
そこに石段を造る為に、大人も子供も、集落の全ての人が一つ一つ石を運んだ話は、涙をポロポロ流しながら拝読しました。
初めて自分たちの駅に、汽車が停車した
その喜びを想像するだけで、また涙が止まらなくなりました。

それだけに、悲惨な記憶に成りかねない余部鉄橋の架け替えに対し、「餘部駅に余部鉄橋の記念になるものが欲しい」と訴えた地元の方々の想いに胸を打たれました。
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