車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

金剛福寺と白山神社 in 高知県土佐清水市

2020年08月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・高知県

足摺岬の先に見える「ガジヤバエ」で修行をされたと言う「弘法大師」。室戸岬で修行を重ねた「空海」は、観音菩薩が住むとされる「補陀落(ふだらく)」に最も近い場所として、この足摺岬を選んだと伝えられています。そして岬の周辺には、大師にまつわる「不思議」な名所が幾つも残されています。 

空海は祈祷を行うため、亀呼び場から亀の背中にのって不動岩に渡ったと云われています。この「亀石」は、亀呼び場の方向に向いており、その姿は今も空海に呼ばれるのを待っているようにも見えます。

海上から相当高い位置にある「汐の満干手水鉢」。岩の上には小さなくぼみがあり、満潮になると水がたまり、干潮になると水がなくなると言われています。この位置では、とても海面と繋がっているとは考えらず、まさに不思議たる所以です。

「大師が金剛福寺を創立の時に発見された石で、石の動揺によって孝心をためすと言われる」と説明のある「ゆるぎ石」。伝え聞くところによると、岩を押して、上に乗ってある石が落ちたら親不孝者なんだとか・・身に覚えのある私には試す根性はありません。さて、ご亭主殿の結果は・・😅

「平安時代中頃、賀登上人と弟子の日円上人が補陀洛(お釈迦様の住む浄土)に渡海しようとしたとき、先に弟子の日円上人が渡海してしまったことを悲しみ、賀登上人がこの岩に身を投げ出し、落ちる涙が不増不滅の水になったといわれています。」弟子に先を越されて泣き悲しむ上人・・・💧

弘法大師が修行した道のりを辿る四国八十八ヶ所のお遍路。その総距離は1100kmと言い、徒歩の場合、一般的に40日程度を要するといわれています。
ここ足摺岬には、四国最南端の霊場「蹉跎山補陀洛院金剛福寺(さだざんふだらくいんこんごうふくじ)」

手水鉢の「亀」は弘法大師様が祈祷の際に呼び出していたという亀に因んだものでしょうか。境内には他にも巨大な亀の像が鎮座しています。

とても印象に残った鍾乳石の柱・・・手前の柱には苦悩にゆがんだ人の顔が見えて・・遍路に知り人の後生を願う人の目には、この恐ろしいとも思える顔はどんな風に見えるのだろう。

「足摺山の一夜」と題する20句が刻まれた句碑

寺伝によれば、弘仁13年(822)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建て、安置し開創したと云われています。

ご詠歌【ふだらくやここはみさきの船の棹(さお)とるもすつるも法(のり)の蹉跎山】

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足摺岬の最後はこの地に鎮座される、旧郷社「白山神社」。御祭神は『伊邪那岐命、伊邪那美命』。さらに「金剛福寺奥の院」に鎮座される『白皇権現』を合祀。

「元・白山権現と称し、加賀国の白山比咩神社を勧進、当初白山洞門の頂上に祀られていた。金剛福寺の守護神の一つで、土佐藩主山内氏が崇敬、社殿の修復に関わったとの記述が金剛福寺の棟札に伝わっている。大正5年(1916)に白皇山上にあった白皇権現と合祀され現在地に遷座。以後、足摺岬集落の氏神として崇敬されている。」

鳥居の内、拝殿前より神域を守護されるのは、見た目の丸っこさとは打って変わったきつい面持ちの狛犬さん一対。四国最南端のお社を守るにはこれくらいで無いと勤まらないのかもしれません。

屋根の上には「竹林の虎」

太平洋を眼下に望む足摺岬。白山神社の道路向かいに、決して大きくは有りませんが「靖国神社」が鎮座されています。「靖国で逢おう」を合言葉に散っていった多くの御霊の安らかでありますように・・・・🙏🙏

参拝日:2013年3月24日


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