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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

国譲り神話と稲佐の浜 in 島根県出雲市大社町

2018年06月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市大社町杵築、出雲大社から程近い海岸に、国譲りの舞台となった「稲佐の浜」があります。 古事記には「伊那佐の小濱」、日本書紀には「五十田狭の小汀」として記された浜。

「稲佐の浜」の駐車場に設置された巨大なレリーフ。そこに描かれているのは、日本神話の核とも言える「国譲り神話」のクライマックス。神々の駆け引きはすべてこの浜で始まりました。(以下()内は私のツッコミ)。

高天原から出雲の国を眺めていた『天照大神』は、麗しく実る豊葦原の国の様を見て決めました。「こんなにも豊かに人々が暮らす国を統治すべきは、高天原を統治する自分の子供しかいない!」と・・(いやいや、既に立派な方が治めておられますが、どこをどうすればその思考に?)
そこで『大国主大神』に使者を使わせ、その旨を告げさせる事にしました。ですが、使者の神々は『大国主』の人柄に心を奪われ、あっさり白旗。あまつさえ出雲の国の民となって人々と仲良く暮らす事に決めました(気持ちはわかる!笑)
業を煮やした『天照大神』、最終的には『建御雷神』『天鳥船』をつかわし、武力でもってこの問題の解決を図る事にしました(武力行使ってそれって普通は侵略と言いません??どう考えてもダメでしょう(゜゜;))
伊耶佐の小浜に降り立ち、剣を盾に「天照の御子にこの国を譲れ」と詰め寄る『建御雷』(これを普通は脅迫と言います)

『大国主』は、自分の一存では答えられぬ、息子の『事代主』に代わりに答えさせようと言います(事代主なら上手くやってくれるかもって、思ったんですよね)
ところが『事代主』、いともあっさりと「いかにも天照のお子様に差し上げましょう」・・・・ナンデヤネン(ーー゛) まぁ・・そのおかげで、『事代主』は美保の関に鎮座され、今も大好きな釣り三昧に明け暮れています(笑)

ですがもう一人の息子『建御名方』は承服できず(そりゃ当然です)、力比べで決着をつけようと提案したのです。

稲佐の浜から日御碕に向かう途中の海上に、『建御名方』が投げたと云う「つぶて岩」があります。そうして力比べに負けた『建御名方』は諏訪まで追い詰められて遂には降参。その地を平けく治め、神として諏訪の地に鎮座されました。(どこぞの国と違って、敗者となってもきちんと神として祀られる。これこそ美しい国・日本の所以よ!!)

「稲佐の浜」の砂浜に立つ「弁天島」の頂には「弁財天」が祀られており、かって稲佐湾のはるか沖にあったと言われています。そのため「沖ノ御前」とも「沖ノ島」とも呼ばれていました。昭和60年頃には島の前まで波が打ち寄せていたそうですが、今は島の前まで歩いていけます。

現在は弁財天ではなく、『豊玉姫神』の父神で、海の神とされる『豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)』が祀られています。

旧暦の10月10日、稲佐の浜では、全国の八百万の神々をお迎えする「神迎神事」が行われます。 かがり火の中で行なわれるその光景は、厳粛で美しく、日本人の魂を揺さぶる光景が繰り広げられます。

余談ですが、「つぶて岩」と同じく、日御碕に向かう途中に「筆投島」と呼ばれる島があります。
【平安時代の画聖『巨勢金岡(こせのかなおか)』が、この島を描こうとしましたがあまりの美しさに島を描ききれず、とうとうその筆を投げてしまったことから、「筆投島」と呼ばれています。】展望台案内板より

訪問日:2015年4月21日