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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

慈恵山:円隆(えんりゅう)寺 in 京都府舞鶴市引土

2021年05月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

愛宕山の山すそにある真言宗御室派寺院「慈恵山:円隆(えんりゅう)寺」。『阿弥陀如来・薬師如来・釈迦如来』の3尊を本尊とします。府有形文化財の「三つ棟造り」総門は宝暦3年(1753年)の建之とされ、脇間の前後には四天王像が安置されています。

『慈恵山記』によれば「長徳年中(995 - 999年)、皇慶の開創という。最盛期には院坊70を数えたが、文治4年(1595年)の山崩れで堂宇を消失。江戸時代に入り、田辺藩の藩主であった牧野家の保護を受けて栄えたが、万治2年(1659年)と享保17年(1732年)に火災に遭い、建物をすべて類焼したが、主な仏像などは信者が運び出し無事だったといわれている。そのため、「丹後大仏」といわる阿弥陀如来坐像など、多数の平安時代、鎌倉時代の仏像が今も残っている。境内に現存する建物はその後の再建である。」Wikipediaより

現在の本堂は 天明6年(1786年)、多宝塔は宝暦元年(1751年)。地元の大工『林田伝之丞房章』らによって建之されました。特に境内に残る多宝塔の亀腹を瓦葺にするなど、独創的な建築として価値が高いといわれています。

ちなみにこの丸みを帯びた屋根の部分を「亀腹」と呼ぶ事は、この時初めて知りました😊

境内にはこれらと同様に京都府指定有形文化財となった宝暦10年(1760)建立の「鐘楼」や 元文2年(1737)建立の「鎮守堂」もあったのですが、画像に残し忘れたようです。

寺社建築と言えばほぼ例外なく見つけられる細工瓦。それが古い建物であればその形もまた格別な趣があります。これらは総門・多宝塔などで見かけた細工瓦です。海亀と龍が圧倒的に多いのは、いずれも水を呼ぶ・・火災よけの呪いがあるのでしょう。

ちょっと変わったところでは「三面鬼瓦」を発見。これは他所でも多分目にしたことはないと思います。

「波乗り兎の線彫り」、もう少しくっきりと画像に残せればよかったのですが・・・

最後は恒例の飛び獅子の細工瓦ですが、顎の下の線彫りの球体は何を表しているのでしょう?。いずれにしても「円隆寺」の細工瓦。多宝塔の亀腹とあわせて、瓦好きには必見です。

参拝日:2010年7月10日


朝代(あさしろ)神社 in 京都府舞鶴市朝代

2021年05月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市朝代に鎮座される「朝代(あさしろ)神社」。御祭神は『朝代大神(伊弉諾尊)』

「御祭神は日本民族の祖先神であり初めての夫婦神として結婚の道を開かれて人間生活に不可欠なあらゆる物をお産みになりました。また禊ぎ祓えにより罪穢を祓い清新と発展の方向を示された貴い神様であります。 当神社の御創建は約千三百年前の天武天皇白鳳元年九月、淡路国日ノ少宮をお遷したのに始まります。 近世に入り、城下町田辺(舞鶴)の氏神様として歴代藩主の崇敬篤く、神輿・鳥居などの奉納が続き、士民を挙げての秋の祭礼は大いに賑わいました。また、昭和三年には府社に昇格、「朝の参りは朝代さまよ」や「日毎夜毎の朝代参り」などと民謡にも唄われ、広く崇敬されております。 江戸期の大火に類焼し、元文四年に再建の御本殿(付・再建文書)が平成五年に舞鶴市の文化財に指定されております。」境内社記より

神社入口に立つ一の台輪鳥居、その両脇より神域を守護されるのは明治34年(1901)10月再建の出雲丹後系狛犬さん一対。大きく開けた筈の阿形さんの顎は剥落してしまい、その豪快さを見ることは出来ません。出雲丹後系の狛犬さん、特に阿形の場合、このように下顎から先が剥落しやすいようです。

神社入口の石段より神域を守護されるのは、明治23年(1890)11月吉日建立のの狛犬さん一対。吽形さんは美しい角を持ち、これまでのタイプとは全く異なった独特の風貌は岡山の備中辺りでお目にかかります。個人的には大好きな顔立ちをされています

朱塗りの両部鳥居を潜り左に進むと、平坦地と石段が連続したそれなりに距離のある参道が続きます。

境内入り口より神域を守護されているのは、文政9年(1826)丙戌11月吉日建立の舞鶴市最古の出雲系構えの狛犬さん一対。長い年月を過した体はすっかりと丸みを帯び、そしてやはり阿形さんの下顎から先は剥落しています。

拝殿前より神域を守護されるのは、明治31年(1898)6月19日建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。

弊殿脇より神域を守護されるのは「はじめ」に近い風貌の狛犬さん一対。場所的に角度が選べない為、その表情はあやふや。

元文9年(1739年)に再建された本殿の縁に座り、さらに深くご祭神を守護されるのは、木製の神殿狛犬一対。何となくちぐはぐさを感じさせる顔立ちは、もしかしたら全く別の一対からチョイスしたのかもしれません。

境内には「天満宮、大国神社、梅宮神社、松尾神社、祇園神社、疫神社、稲荷神社、須賀神社、多賀神社、工匠神社、奥姫稲荷神社、塩釜神社、恵比須神社」の境内社が鎮座されています。その全部を残せなかったのがちょっと悔やまれます。

撮影日:2010年7月10日

 


鸕鷀(うのもり)神社&若宮神社 in 京都府舞鶴市

2021年05月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市円満寺に鎮座される「鸕鷀(うのもり)神社」。御祭神は『鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)』

「「鸕」も「鷀」も「ウ(鵜)」の事で、江戸時代の「丹哥府志」には「鸕鷀大明神」とあります。もとは円満寺村の氏神で、天正年間、細川氏が田辺築城の際、同村民は4軒だけ残して、他は喜田へ移住させられ「うのもり」は城内二の丸に残りました。祭神を日本書紀にある「鵜葺草葺不合命」としたのは、明治以降ではないかと思われます」境内案内より

御本殿内より神域を守護されるのは、陶器製の神殿狛犬さん一対。これを狛犬と呼んでいいものかどうかかなり迷うところ・・・・

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舞鶴市余部上に鎮座される「若宮八幡神社」。御祭神は『誉田別尊(応神天皇)、天児屋根尊(春日大神)、菅原道真公(天神様)』

「往昔、余部上村に悪疫がはやり多数の人が日参したり、御百度参りをするのに本社(高倉神社)が遠くて不便なので此処に分社を祀り祈願したのが創めである。分社の年代は明らかではないが宝暦十年(二百八十年前)の餘部上の古地図には既に誌されている。それ以降、悪疫を防ぐ守護神として地域住民から崇敬されている」境内由緒より

境内より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。おそらく剥落防止策であろうと思いますが、前身にセメン吹き付けが成されています。阿形さんの足元の凸部は、おそらく仔狛ではないかと・・😓。

手水舎には、いずこかの屋根に居たと思われる飛び獅子が金色に彩色されて吐龍の役目をしていますが・・右端にあるのはもしかして龍の尾?😲?

参拝日:2010年10月10日


玉岡稲荷神社&嶋満神社 in 京都府舞鶴市

2021年05月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市西町に鎮座される「玉岡稲荷神社」。御祭神は『稲荷大明神』

創祀や創建、由緒は一切不詳。朱塗りの鳥居額には「玉岡神社」と記されています。

一の鳥居より神域を守護されるのは明治20年(1887年)建立の神狐さん一対。体の随所に剥落がありセメンらしきもので補修がなされていますが・・痛々しい。

御本殿へと向う鳥居の前にて神域を守護される神狐さん一対。先ほどの神狐さんと比べると非常にスリムで表情も優しく女性っぽいイメージですね。

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舞鶴市溝尻に鎮座される「嶋満神社」。御祭神は『誉田別尊』。古くより「浮島の八幡さん」として親しまれています。

御祭神が鎮座されるのは山上という事で、鳥居の奥には長い石段がはるか先まで続いています。無理は禁物と言うことで私は下で待機。

「創立年代不詳といえども、此の白糸浜は北海より渡船の要港であった為、妖賊侵入することがあり。そのため、宇佐大神を吹戸の御碕浮嶋の山上に鎮座。諸人これを八幡嶋満大神ト尊称す。」事歴書より

一の鳥居の傍らより神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんの前足の間には玉で遊ぶ仔狛がいます。

二人分の参拝をしてくれたご亭主殿、お疲れさまでした。待っている時間は長かったです。

参拝日:2010年7月9日


白絲濱(しらいとはま)神社 in 京都府舞鶴市浜

2021年05月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市浜に鎮座される「白絲濱(しらいとはま)神社 」。御祭神は『稲荷大神・水無月大明神・蛭子大神

当地は舞鶴軍港化に伴う軍用地として転換されたもので、六条通八島北の「稲荷神社」・七条通八島南の「蛭子神社」・八雲通富士北の「水無月明神」三社を大正二年に合祀、「白絲濱神社」として大社四年に創建されました。

鳥居を潜り参道を進んだ先より神域を守護されるのは、まだ石の色も新しい狛犬さん一対。獅子顔の吽形さんと、どうしても鯰を連想させる阿形さん。鯰が悪い訳では無いのですが・・何故か笑えて😅

境内に鎮座されるお社、迂闊にもご社名を記録するのを忘れてしまいました。

参道より神域を守護されるのは、出雲丹後系狛犬さん。創建時期から考えると、かなり年代を感じさせる一対。

摂社の拝殿前左右より神域を守護されるのは、こちらも出雲丹後系の狛犬さん一対。いささかの剥落はありますが、とても穏やかで良い表情です。出雲丹後系独特のアーモンドアイを穏やかでと言うと、えっ!え~~~!!とよく言われるんですが、私たちにはそう見えるのです😅

同じく境内社「稲荷社」。稲荷の朱の鳥居も奉納されており玉垣も揃えられています。

玉垣の内より神域を守護される神狐さん、満身創痍ですが多分よいお顔をされていたのだろうと思われます。摂社を守護される狛犬さんも神狐さんも、もしかしたら合祀される以前のお社におられたのかもしれません。それであれば創建に比べて時代を経たお姿にも納得がいきます。

そうそう、そういえばこちらの手水石ですが、近くの長谷山に残された「長谷山古墳」の石室に使っていた石だそうです。・・いわゆるアレですよね。

最後は良い表情の留蓋獅子さん、今日も元気に飛び跳ねています。

参拝日:2010年7月9日


水無月(みなづき)神社 in 京都府舞鶴市東吉原

2021年05月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市東吉原に鎮座される「水無月(みなづき)神社」。御祭神は『月夜見命』。

案内に寄れば「吉原の漁民達は、昔、竹屋町の川尻に住んでいたが享保12年(1728)の大火により、今の所に移住させられた。葦(よし)の生える低湿地の為、悪疫の流行が絶えず、災厄を免れる為には「川下に水無月神社(祭神は月夜見命)を奉って夏越の払いをしたらよい」と言う事から、寛保3年(1743)に創始した」

拝殿内に鎮座される御本殿、その左右より神域を守護されるのは「はじめ」に近い感じの狛犬さん一対。青い前垂れでお顔以外が見えないのが残念。

さらに拝殿の前、厳重な柵囲いの中より神域を守護されるのは、出雲構えの狛犬さん一対。長い年月がすこしずつ尖りを削り全体にふんわりと丸くなっています。こうして屋根つきの囲みに中に置かれているのは、奉納年代が古い狛犬さんだからでしょう。

鳥居の内より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは前足の間に仔狛を遊ばせていますが、仔狛の持っている玉に彩色が施されています。これは本場の出雲でも見かけたことが有りませんし、ここ舞鶴でも初見だと思われます。

最後になってしまった境内の手水舎。無数の穴があいあた手水鉢はおそらく波と小石に洗われた所為でしょう。一味変わった吐龍さんにとても良く合っています。

「なるかならぬか水無月さまよ かけた願いが今日とける」と、舞鶴小唄にも歌われる「水無月神社」。鳥居から一歩出ればそこは漁師町の船溜り。独特の潮の香りが、もう離れて随分になる故郷を思い出させて鼻の奥にツンと染みます。

参拝日:2010年7月9日


平(たいら)八幡神社 in 京都府舞鶴市平

2021年05月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴クレインブリッジを渡って直ぐ、舞鶴市平に鎮座される「村社・平(たいら)八幡神社」。御祭神は『天照大神・麿子皇子・誉田別尊』。

「当社ハ往古丹後ノ名神:斎宮明神を勧請シ、主祭神ヲ「天照大神」トシ、後「地主荒神:麿子皇子」ヲ相殿ニ合祀シ、更ニ中世ニ入リテ「武神:八幡神社大神」ヲ相殿ニ祭祀シ、祭神三柱ノ御鎮座ナリ  昭和十五年十一月 謹記」。境内案内板より

境内中央にある「神楽殿」では、祭礼の際に三番叟の奉納が行なわれるそうです。

神楽殿の奥は間口が広く開放的な拝殿があり、深い緑を背景に本殿が続きます。

その拝殿前より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。剥落も無く整った姿を見ると、何故かホッとした気持ちになる・・これはもう理屈では有りません。

御祭神が鎮座される玉垣内より神域を守護されるのは、やはり出雲丹後系の狛犬さん一対。体に掛けられた注連縄が、拝殿前の狛犬さんよりも太いのは何か理由があるのでしょうか?

境内の一画にあった神馬舎には、真っ白い白馬の木像がおさめられています。涼やかな瞳は玉の所為なのですが、とても穏やかで優しいお顔でした。

参拝日:2010年7月9日


八幡大神・市姫神社 in 京都府舞鶴市市場

2021年05月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市市場に鎮座される「八幡大神・市姫神社」。御祭神は『誉田別尊、市杵姫大神』。

一の鳥居の内より神域を守護されるのは出雲構えの狛犬さん一対。ここに鎮座してどれほどの時間が流れたのか・・・すでにその容貌はおろか、阿吽の別さえ判然としません。

由緒「創立年代等は不詳であるが、口伝によれば白糸浜は北海鎮護の要港にて往昔厳島より市杵姫大神が白糸浜の東市市場宮ノ谷に鎮座され、専ら海上の守護神として海鎮明神と尊称されていた。中世市杵姫大神のご神託により宇佐八幡大神を合殿に奉祀してより八幡神社と称するようになった。」境内案内より

拝殿前より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。長い年月の中で、苔は静かに体を覆いその表情をあやふやにしています。

一の鳥居から朱塗りの二の鳥居へと至る参道、その途中には小浜線の線路があります。これと似た場所は出雲の「一畑電車」でも見かけました。

線路の向こう、二の鳥居の両脇より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。こちらも剥落が進み、どのような表情をされていたのかうかがい知る事は出来ません。それでも、ここに存在するという事実が、いかに人々に大切にされてきたかを教えてくれます。

境内社の「稲荷大神」。小さいながらも神狐さんが祠の前を守護されておられます。

御本殿の一段下、「稲荷大神」のお社と共に仲良く並ぶ境内社群・それぞれの社名は記録に残し忘れましたが、いずれも塵一つなく大切に祀られています。

柵の中に大切に守られているこの木は御神木でしょうか?幹の部分は枯れて空になっていましたが、しっかりと伸ばした枝は青々と葉を茂らせ、力強く生を謳歌しています。

うっそうとした木々に包まれた境内、大地に根を張る木々の力強さのほんのひとコマですが、その様は私たちを圧倒させました。むやみに山を裸にすることがどんな災害をもたらすか・・考えさせられる場面です。

この神社の拝殿を守護される狛犬さんはもう一対、いわゆる岡崎型と呼ばれる狛犬さんがいます。

大正時代、愛知県岡崎市の名石工『酒井孫兵衛』によって生み出された「現代風神殿狛犬」。その姿があまりにも整っていた事、またその作り方を岡崎の石工仲間に公開した事もあいまってその形は日本全国に広まり、各地で同様の型が作られるようになったそうです。
2011年の岡崎への旅で『酒井孫兵衛』作の、狛犬さんを訪ねて以降は、このタイプの狛犬さんしか居ないと分かっている神社には、よほど古い物でない限り、《狛犬目当て》での参拝はしなくなりました。理由は外来植物の如く増殖した中国産の狛犬。まるで金太郎飴のように、個性も何もない、まさしく「つくりもの」の狛犬さんを見ていると、無性に情けないような、ひどく残念な気持ちになってしまうからなのです。結果、岡崎型の狛犬さんに対して親愛の情を感じなくなってしまいました。これはあくまでも私の心情なので、何故ダメなのか等と聞かないで下さい😔

参拝日:2010年7月9日


松尾寺駅と岩室(いわむろ)稲荷神社 in 京都府舞鶴市

2021年05月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・京都府

舞鶴市に入って最初に訪ねた「松尾寺駅(まつのおでらえき)」。JR西日本・小浜線の駅で、金沢支社管内でありながら京都府内に位置している唯一の駅・・という事で、駅舎は大正11年(1922)の開業当時のもの。

私たちを出迎えてくれたのは駅員さんではなく、ゆったりと寛いだ様子で眠る猫さん。その穏やかな寝顔を見ているとなんだか幸せな気分になって、なぜか話し声もヒソヒソ😊

舞鶴市字吉坂に鎮座される「岩室(いわむろ)稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神、猿田彦之神、大宮之女神、豊宇気大神、大己貴之神』。

当社縁起に依ると「山を明室山、社を元伍蔵社と称し、往古、天火明命は大国主命の命を奉じて当国を平定し、地を当田国と丹波国堺(丹後の国が置かれたのは和銅六年四月で当時は丹波国と言った)の此の明室山に卜へて、天津磐境に神籬(ひるろぎ)を樹て神宝を奉安し、此の地鎮護の祈願所として祭らせられたのが創祀と伝う。 即ち美保伎玉、御祈鈴、久斯器、御神幣、療病金囲の五種の神宝(当社家に蔵す)を安置し、病を療し諸災を除き、永く国を治め護る神璽とされ、此の故に伍蔵社と称したと言う。(永仁二甲午年三月再写の縁起に記す)」

御本殿入り口にて神域を守護されるのは「稲銭」の首輪を下げられた小さめの神狐さん一対。拝殿の中という事情もあるのか、それほど古いものには見えません。「稲銭」は五円硬貨の事で、稲穂がデザインされている事からこのように呼ばれます。

さらに拝殿前の左右より神域を守護される神狐さん。丸い耳の感じや口元の柔らかい線・・・好感が持てるはんなりと優しい顔立ち。

朱の鳥居の境内入り口より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。使われている「来待石」の脆さゆえに、阿形さんのお顔は判別が難しくなっています。

同じく参道を守護される神狐さん一対。丸い耳は長い年月の間にさらに丸くなり、膨らませたほっぺの丸さと相まって可愛らしさを覚える一対。

社殿の奥に見える400段の石段は、ご本殿のある磐座へと続きます。が・・流石にそれを昇る健脚も根性も持ち合わせておらず、石段下からの参拝とさせて頂きました。

石段の下、ご本殿参道への入り口を守護されるのは、何故か一方だけに赤い前垂れが掛けられた上品な顔立ちの神狐さん一対。

稲荷の境内に稲荷の境内社というのも何だか不思議な感じですが、でも奉納された神狐さんを見ると稲荷社であることは確かなようです。

最後は参道入り口近くに建立されていた碑、「伏見稲荷宮司従四位勲四等 大貫真浦(まうら)氏」の筆になるものです。が・・、達筆すぎて判読できません。

参拝日:2010年7月9日