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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

冨吉建速(とみよしたけはや)神社:八劔社 in 愛知県蟹江町

2016年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

蟹江町須成に鎮座される「冨吉建速(とみよしたけはや)神社」、御祭神は『素戔嗚尊』。「八剱社」、御祭神は『草薙神霊・熱田五神』。地元では「須成(すなり)神社」として親しまれています。

「社号標」「地名のいわれ(須成)」碑。「須成の名は、その昔、木曽川などが運んだ砂が堆積した場所を示す砂成(すななり)が、後になって「須成」という地名になりました。蟹江町の北の端に位置した集落で、中央を南北に蟹江川が流れ、古くから須成神社と龍照院を中心に栄えた地区です。」蟹江町HPより

由緒「天平5年(733)行基菩薩(ぎょうきぼさつ)により蟹江山常楽寺(じょうらくじ)の鎮守として創建、寿永元年(1182)木曾義仲によって修復され、天文17年(1548)織田信長により再建されたといわれています。室町時代の建築で、前流れの美しい屋根の曲線と、桃山時代への推移を示す創建当時のままのかえる股が特徴です。昭和28年に本殿と棟札が、国の重要文化財に指定されました。」蟹江町HPより

朱も鮮やかな国重要文化財の「冨吉建速神社本殿」「八劔社本殿」

重要文化財の本殿を背に神域を守護される狛犬さん。位置的に反対側は拝見できずで、吽形さんだけ。

「拝殿」

拝殿内に架けられていた御本殿写真。

拝殿横の通路奥、「八劔神社」と刻まれた台座の上より神域を守護されるのは異様に大きな耳をお持ちの狛犬さん一対。岡崎でも無く・・他にあまり見かけないお姿です。

こちらでは吽形さんが毬を手に、阿形さんの手元には可愛い仕草で親狛を見上げる仔狛の姿。そう言えば狛犬さんが守護をされるのは二つの神社。もしかして阿形さんの台座には「冨吉建速」と刻まれていたのでしょうか??

本来、拝殿横の通路は鉄柵で閉じられているのですが、この時は何かの集まりがあったらしく、関係者の方のご厚意で狛犬さんの写真を撮らせて頂きました。心よりお礼申し上げます。

拝殿屋根、留め蓋瓦の飾り獅子一対。個性的なお獅子顔が何とも素敵。

「愛知県無形民俗文化財:須成祭 宵祭まきわら船」

拝見は出来ませんでしたが、こちらの神社には町指定有形民俗文化財として「山車人形(面・手)二躯」「彩色陶製狛犬 一対」が所蔵されているそうです。

注連縄の上にいた鳩。柏手の音にも身じろぎ一つせず・・羽の中に顔を埋めたまま、まるで眠っているかのように。

参拝日:2011年4月24日&2017年3月28日

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御神名一口メモ

『熱田五神』、「天照大神」「 素盞嗚尊」「 日本武尊」「 宮簀媛命(みやすひめのみこと)日本武尊の最後の妻」「 建稲種命(たけいなだねのみこと)宮簀媛の兄

 

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小牧神明社 in 愛知県小牧市

2016年11月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県小牧市小牧に鎮座される「小牧神明社」。御祭神は『天照大神』。配祀『金山彦神・建速須佐之男命 』

「永禄六年(1563)、織田信長が清須から小牧山へ居城を移した際、厄除けのために、清須にあった御園神明社を守護神としてこの地に分祀したのが創建である。天正一二年 (1584)の小牧、長久手の合戦では、小牧山に布陣した織田信雄、徳川家康が崇敬したという。」境内由緒碑より

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正三年四月建立の・・多分、浪花系の狛犬さん一対。阿形さんの大口と、吽形さんの悪魔っぽいすまし顔が絶妙のバランス(^▽^)/

吽形さんの足元にしがみ付いて見上げる仔狛、さてさて、何を訴えているのでしょうか?

一棟の社殿に合祀される「摂社:秋葉社・須佐之男社・御嶽社・天神社・稲荷社」

拝殿前より神域を守護されるのは稲荷の神狐一対。建立年は不明ですがどちらにも首の部分に修復の後が有ります。

特に巻物を咥える神狐さんは修復が追い付かなかったのでしょうか?稲荷の宝珠の首輪で補修が成されていました。

「御林稲荷社」の朱の千本鳥居

「松尾神社」

「津島神社」

「山の神社」

2007年に復元された二代目御神馬像

御神木:連理木(れんりぼく)

手水舎

毎年8月20日前後の土曜・日曜日に開催される「小牧秋葉祭の山車絵図」

参拝日:2011年6月4日

 

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根崎八幡神社 in 愛知県安城市

2016年11月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市根崎町に鎮座される「根崎八幡神社」。御祭神は『品陀和気命(応神天皇)』

由緒「寛永15年(1638)に津島牛頭天王社を祀ったことが始まり。元禄7年(194)に、領主松平正基の江戸屋敷近くにあった深川八幡社(現:富岡八幡宮)から分霊を請けて八幡社とした。」

拝殿後方、覆い屋の中に鎮まる御本殿。2008年度の建造物調査で本殿周辺の部材に寛保3年(1743)、あるいは寛保4年(1744)と書かれた墨書が見つかっており、本殿はこの頃の造営と思われます。また覆殿は棟札から弘化2年(1845)に建立されたことが判明しています。

参道入口より神域を守護されるのは、焼き物の神殿系獅子狛犬さん一対。

昭和59年の建立ですから狛犬界ではかなりの新顔ですが、阿吽ともにとてもよい顔立ち。焼物には詳しくないのですが、御亭主殿いわく、「多分、万古焼かな?」との事。ただし全く確証はありません(笑)

参道正面、拝殿前左右より神域を守護されるのは、大正十年(1921)建立の岡崎狛犬さん一対。

岡崎型ですがどちらかと言うと初期の頃の狛犬さんのイメージで、あの独特のいかつさが無く、私的には好ましい顔立ちの一対です。

「境内社:稲荷舎」

稲荷社の鳥居の内より神域を守護されるのは、それぞれに宝珠を手にした昭和13年建立の神狐一対。子狐を手元に置く親狐の姿がとても良いです。

境内に祀られる石祠、側に「八幡神」の碑。古代の神はこのよう祀られていたのかと想像が膨らみます。

玉垣の一段高くに祀られる「祓戸大神(はらえどのおおかみ)」。祓戸大神は『 瀬織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩』の総称で、罪穢れを祓い清めるとされています。

日本人が大切にしてきた心の象徴とも言える「細石」。これがきちんと祀られている神社は、参拝していて不思議なほど気持ちが穏やかになります。

参拝日:2011年9月20日

 

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東端八剱神社 in 愛知県安城市

2016年11月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市東端町に鎮座される「東端八剱神社」。御祭神は『日本武尊・素盞嗚尊・仁徳天皇』

鳥居前左右より神域を守護されるのは、明治7年(1874)8月吉日建立の岡崎天神系狛犬さん一対。

吽形さんには宝珠、阿形さんには角があり、ともに何とも言えぬ穏やかな顔で参拝を出迎えてくれます。

由緒「旧記に醍醐帝四皇子重明親王の苗裔敏親、此の上に住し、源頼朝に仕え宇治及一の谷の役に功を建て、周防の守に任ぜらる。此の際、守本尊として不動尊の像を携う。別に祈願の事あり。治承元年熱田神宮を勧請し、敏親の死後、村民之を氏神として尊信すと伝う。古図に依れば、同じ境内に八剱宮と若宮の二社殿あり。本殿修築の際一社殿に奉斎したるものなり。」境内由緒碑

鎮守の森の向こう、明るく開けた境内に建つ拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和4年(1929)10月建立の岡崎現代型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは足の下に毬を置いています。

拝殿屋根の御神紋は「羽団扇(はねうちわ)紋」。天狗の持ち物として知られる羽団扇を神紋としている神社、私にはここが初見です。

境内にはいくつもの境内社が祀られていた筈ですが、何故か一社も画像に残していません。理由は今もって謎・・・(^^;) 

境内の一角で見かけた「市指定史跡:東端貝塚」

「1951年と1978年に調査を行っており、そのときに縄文時代の土器片や灰釉陶器等の平安時代から室町時代の遺物が出土しました。 貝類の種類は、ハイガイ・アカニシ・マガキ・オキシジミ・アサリなどです。 現在は、八剣神社境内に貝が散布しています。南に存在していた小山貝塚は、1961年に土取り工事によって削平されてしまい滅失しました。」

参拝日:2011年9月20日

 

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明治川神社 in 愛知県安城市

2016年11月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市東栄町に鎮座される「明治川神社」。御祭神は用水守護のための三柱『大水上祖神(みくまりのおやのかみ)、水分神(みくまりのかみ)、高龗神(たかをかみのかみ)』。さらに昭和にかけて、明治用水開削の功労者『都築弥厚命、伊豫田与八郎命、岡本兵松命、西沢真蔵命』を合祀。

由緒 「当社は、明治用水の守護神として、水にかかわりの深い神様、及び明治用水の敷設に功労のあった方たちが祀られている。社伝によれば、文化5年(1808年)頃、都築弥厚なる翁が碧海台地の開発を計画されてから70余年の歳月を経た明治13年(1880年)4月18日、松方正義内務卿参列のもとに用水路竣工の式(水源)という宿願を迎えたという。長年にわたる用水の欠乏により農村は疲弊していたが、用水路の開通によつて一大飛躍に至り、水に由縁の深い神、三柱を同年12月に現在の境内地に勧請し奉った。その後、明治17年10月に社号を明治川神社とし、翌18年10月10日本社落成。大正4年11月、この計画者、都築弥厚大人を合祀。つづいて昭和17年5月、伊豫田与八郎命、昭和26年5月、岡本兵松命がそれぞれ伊佐雄社より、又、昭和31年3月には、西沢真蔵大人「枝下用水」が共に合祀されて用水の守護神として厚く奉斎された。」

二の鳥居を経て、昭和二年十月建立の神橋が架かる神池へ

神明造の拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは『石匠:酒井孫兵衛』によって作られた「岡崎狛犬」一対。

八代続いた『酒井孫兵衛』ですが、実は、正式に孫兵衛を名乗ったのは三代目(弘化三年1846没)からだそうで、奉納年の記載がないこちらの狛犬さんが何代目の孫兵衛さんによって生み出されたのかは不明。ともあれ、昨今巷にあふれる大量生産の岡崎型とは確かに一線を画しています。

「境内社:伊佐雄社」・御祭神は『田中勘七郎命、本多寛三郎命、加藤太兵衛命、黒宮許三郎命、中根祐命、木藤八三郎命、黒川治愿命、本多又左衛門命(北野用水)、小原権太夫命(北野用水)、天野金右衛門命(鹿乗川)、加藤吉右衛門命(鹿乗川)』

由緒「用水開拓に功労のあった十三柱の方々は、何れも存命中に神として奉祀せられた「生祠」。もとは、明治14年上倉池の小島の上に発起者並に出資者を奉祀し、開拓小作のため移住した人々と共に鎮守の神として崇敬の誠を捧げていましたが、この上倉池も開拓し盡されたので、明治18年明治川神社の公認認可を機会に現在の地に遷座。昭和47年8月鹿乗川沿岸用排水土地改良区が明治用水土地改良区に合併したため、北野用水、鹿乗川の開さく改修に功労のあった各二柱が翌48年10月合祀された。」

境内社「伊佐雄社」の神域を守護されるのは大正9年(1920)1月。『石工:本多吉郎』作の岡崎狛犬さん一対。岡崎型ですが個性的な顔立ちです(笑)

神楽殿

神池と神橋

豊かな水が蓄えられた神池には、笠をかぶって田植えをする人を象ったモニュメント。

御神馬

「教化史跡 明治用水」碑。「教化とは、教え導き、よい方向に向かわせること。ついでに史跡とは、遺跡のなかで重要なもの」という意味だそうです。

参拝日:2011年9月18日

 

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不乗森(のらずのもり)神社 in 愛知県安城市

2016年11月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県安城市里町に鎮座される「不乗森(のらずのもり)神社」。御祭神は『大山咋之命』

由緒「第六十三代冷泉天皇の御代(968)に近江国坂本村(大津市坂本町)の日吉大社東本宮より御分霊を観請。当時社頭は、旧鎌倉街道に沿い「野路の宿」と共に「宮橋の里」と称する駅次の所在地であり、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり下馬して拝礼の上通行した。故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社となる。」公式HPより

二の鳥居前左右より神域を守護されるのは、岡崎型狛犬さん一対。愛知県の神社では圧倒的にこの岡崎型狛犬が主役です(^^;)

昭和二年(1927)三月吉日建立。何と言うか・・・強面なんですが妙に唇が分厚くて、その所為で怖さが半減している感じ(笑)

鳥居を潜った先には開放的な神楽殿

神楽殿の前、左右より神域を守護されるのは、昭和三十年(1955)一月建立の招魂社系狛犬さん一対。

神楽殿の屋根には高く足を蹴上げて参拝者を迎える留め蓋の獅子一対。中々に良い表情です。

神楽殿向拝の翼竜の彫刻

明治廿八年九月奉納の絵馬

神楽殿後方には左右に廻廊を持つ幣拝殿。その前より神域を守護されるのは、それぞれに幣を手にする日吉宮の神使い「神猿(まさる)」一対。

神威によって魔が去る(悪魔が退散する)。また、「勝る」とも云い、何よりも美しいものを内蔵した正義の象徴として伝えています。

神猿の足元には、神社の御神紋でもある「双葉葵」の鉢植え。

境内に置かれた双葉葵の御神紋の鬼瓦。

左「境内社:稲荷神社」・右「境内社:東日吉社

左「境内社:秋葉社」・右「不明」

1992年11月3日、安城市の無形民俗文化財に指定された「不乗森神社の湯立神事」に用いられる「幸福釜」。

「さざれ石」と「忠魂碑」

社務所前に広がる「御神田」

三猿像「見ざる・云わざる・聞かざる」

手水舎には尾の先を優雅にくねらせる吐水龍。このタイプは初見です。

境内を優しく包み込む「不乗森」

参拝日:2011年9月18日

 

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村社:神明社(元松(もとまつ)神社) in 愛知県飛島村元起

2016年11月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

飛島村元起之郷に鎮座される「村社:神明社」。御祭神は『天照大神』。地元では「元松(もとまつ)神社」「元松さん」と親しまれています。

「飛島新田が開拓された享和元年(1801)頃に設けられたと考えられる祠が,文化15年(1818)に神社として許可されたと伝わる。境内社として秋葉神社・水神社が祀られる。」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、初期の岡崎型と思われる狛犬さん一対。吽形さんのふっくらとした顎の線や小ぶりな耳など、頻繁に目にする岡崎型にはない、個性的でとても良いお顔をされています。

境内の一画、竹垣の内には四角い石の上部にステンレス製の取っ手付きの蓋状の何かが置かれた・・・これはモニュメント?、それとも記念碑?? 蓋の周囲に文字が刻まれていますが、読み取れたのは「大国魂神社難波祭大鏡餅臼十二個之内・・・・(((((^_^;) 

境内入り口近くに建立される、飛島村指定史跡「津金文左衛門胤臣(つがねぶんざえもんたねおみ)像」

「尾張藩9代藩主・徳川宗睦の命を受け、飛島新田の干拓事業に心血を注いだ津金文左衛門胤臣。その偉業を顕彰すべく浄財を集め、昭和28年(1953)に神明社(元松神社)南側に立てられた。」公式HPより

「開拓百五十年記念碑」

「開拓二百年記念碑」

掃き清められた境内。入り口には社号標と共に「天皇陛下御在位六十年記念」 「天皇陛下御在位五十年記念」の碑が建立されています。

参拝日:2017年3月27日

 

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渚神社 in 愛知県飛島村渚

2016年11月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県飛島村渚に鎮座される「渚神社」、御祭神は『天照皇大神』

「棟札によると文政元年(1818)の創建といい,当初は神明宮と称された。境内社の天満宮は天保2年(1831)に大宝(長尾)家の屋敷から移されたものである。」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和六年奉納の岡崎型狛犬さん一対。中々きかん気な顔立ちですが、胸の下に掛けられた布が大きなお財布のようで、それが妙にマッチしてみえます(笑)

本殿覆い屋の横より神域を守護されるのは、大正九年奉納の狛犬さん一対。岡崎型が続いた後なので、ぽっちゃりとしたお獅子顔の狛犬さんに、御亭主殿思わずガッツポーズ(笑)

御本殿覆い屋の足元に置かれていた「恵比須大国神像」。仔細は不明。

拝殿屋根の留め蓋で、今日も勢いよく飛び跳ねる飾り瓦の獅子一対。

境内社天満宮の留め蓋瓦の飾り獅子。片側からしか写せなかったのですが、この顔立ちは中々のもの。対する鳩さんののんびり顔、まさに絶妙のコンビ(笑)

境内にはいくつかの碑が建立されていましたが、参拝を終えた時点ですっかり失念。気が付いたのは帰宅して画像を整理した時で、まさに時遅し(-"-) きちんとチェックしたつもりでも、ついつい、こういう凡ミスをやってしまいます(^^;)

参拝日:2011年4月24日

 

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竹之郷(たけのごう)神社 in 愛知県飛島村

2016年11月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

愛知県飛島村竹之郷に鎮座される「竹之郷神社」、御祭神名は不明ですがいわゆる『産土神』ではないかと想像します。鳥居の両脇には社号標と「お産の守護神」碑が建立されています。

「文化7年(1810)、海東郡砂子村の社人:栗田築後の家から移したと伝える。安政3年(1856)に社地を高台に移すようにお告げがあった為、現在地に還座。4年後の暴風で旧境内は流された為、その予兆と言い伝えられている。特に安産の神様として信仰が厚く、近隣より多くの参拝者が訪れている。」

一の鳥居前左右より神域を守護されるのは薔薇の花柄の前垂れを付けた岡崎型狛犬さん一対。昭和の建立だとは思うのですが、台座に奉納年は見当たりません。

昭和34年(1959)9月に伊勢湾沿岸を襲った伊勢湾台風により拝殿は大きく被害を受けましたが、昭和40年(1965)に再建されました。

拝殿鬼瓦には「神」の文字。これは神が鎮座されているという意味合い?それとも神社そのものを表しているのでしょうか?

拝殿前左右より神域を守護されるのは、参道の狛犬さんよりも少し強面の岡崎型狛犬さん一対。お揃いの前垂れに隠れていますが、吽形さんの前足に仔狛がしがみ付いています。

本殿覆い屋の左右より神域を守護されるのは、更に威嚇的な岡崎型狛犬さん一対。流石は愛知県(笑)狛犬さんは徹底的に岡崎型で占められています。

本殿の留め蓋飾り瓦の獅子。反対側は撮影できませんでしたが、平べったいユニークな顔立ちです。

参道に並ぶ奉納鳥居。

参拝日:2011年4月24日

 

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八百富(やおとみ)社 in 愛知県幸田町坂崎

2016年11月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

幸田町坂崎御屋敷に鎮座される「八百富(やおとみ)社」。御祭神は『事代主命・菅原道真・素戔嗚命・応神天皇』

神社入口の社号票の手前に「陣屋跡石垣」の案内が、かなり控えめに立てられています。

社伝に「天神山に鎮座のところ、慶長19年(1614)大久保彦左ェ門忠教の屋敷の守護神としてこの地に遷し、以来、明治維新まで大久保家で祭祀をつづけた。大正2年に天神山の天満社、津山の津島社を合祀。大正7年に天神山の市見社・八幡社を本社に合祀。昭和10年、元辨天より現在地(大久保氏陣屋)に遷座。」

手水舎横の「大久保陣屋跡」案内

拝殿の奥、一段高く玉垣に護られて鎮まる御本殿

御本殿近くより神域を守護されるのは、おそらく常滑焼であろうと思われる狛犬さん一対。諦めずに御本殿まで回った甲斐があったというもの。ねぇ、本当に良いお顔をされているでしょう。吽形さんなんて、心なしか映画やテレビで見る「大久保彦左衛門」に似ているような気も・・(^^;)

と思ったのですが、前から見るお顔と、真横から見るお顔のギャップにちょっとタジタジ(笑)

境内の一画にあった「平岩の射割石」

説明には「この平らな大石(片岩)は幸田町大字久保田字平岩に、昔から存在したと言われる「平岩の射割石」の一部である。坂崎に生まれ、若い時から家康に仕えた勇将で、後に尾張の犬山藩主(十二万三千石)平岩親吉の先祖氏重が松平信光に従い坂崎の城主となった時、この名石に因んで「平岩」を名乗ったといわれる。」射割石の名は用水路の橋材にするため割って利用されてきた事からで、聞いてしまえば、なぁ~んだと拍子抜け(^^;)

神社参道の近くに立つ真宗大谷派寺院「正源寺」。『阿弥陀如来』を本尊としますが門前からの参拝のみで、それ以上の情報はありません。

境内の片隅に咲いていた彼岸花、そう言えば明日は秋分の日です。

参拝日:2011年9月22日

 

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