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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

久々野八幡神社 in 岐阜県高山市久々野

2020年04月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市久々野町久々野に鎮座れる「久々野八幡神社」。御祭神は『誉田別命』。通称「西洞の杜」とも称されます。

「勧請年代は未詳、古来より当区の産土神として崇敬され、旧郷名久々野の起因する所なりと云ふ。数河・久々野両区の村社祭神『久々能智神(くくのちのかみ)』を合祀。」岐阜県神社庁より

四方に壁の無い開放的な拝殿の向こうに幣殿、その奥に高山市指定文化財の本殿があるそうですが、覆屋のなかにあり姿を見ることは叶いません。

鳥居の両脇より神域を守護されるのは、昭和26年9月建立の狛犬さん一対。ガチムチの四肢は、まるで中世のギリシャ神殿の柱のようにも見えます。

それにしても・・・・見る角度に寄ったら随分と凶ア・・・いえ!、何でも有りません!😣!

「浦安の舞」などを初めとした神事芸能が披露される「神楽殿」。これだけの舞台なら、大掛かりな神事も期待できそうです。

参拝日:2012年5月17日


御崎 (おさき)神社 in 岐阜県高山市丹生川

2020年04月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市丹生川町町方原田平に鎮座される「御崎(おさき)神社」。御祭神は『八重事代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)』

「創祀未詳なれども、霊峰乗鞍岳の尾先に当たるため、古来その里宮として尾崎大明神、又は尾崎ガ森とも称し、郷内の大社にて、天正の始め塩屋秋貞この裏の山上に城郭を措く。上杉氏の目代として勇威三郡に振るひ、城下に八賀町を開き、この社頭を造営せしと云ふ。其の城郭の跡は現在当社の有なり。寛永七年八月御ラビ寛政九年三月社殿再興。古来当区の氏神なり。」岐阜県神社庁より

石段途中より神域を守護されるのは、これまで見たことも無いユニークな顔立ちの狛犬さん。高山市の狛犬さん達の中でも特にご亭主殿が切望した一対です。

実際に見ると、本当に可愛らしい!!この子達に触れられるのなら、こんな石段なんて・・・石段なんて・・・なんて!!!😅

という事で、思いっきりエコヒイキ。この素敵な狛犬さんたちのポーズと笑顔、私の貴重な読者様にもおすそ分け😆

拝殿奥の本殿は、屋根から下がすっぽりと巨大なカーテンに覆われていますが、そっとデジカメを差し込んで、そのお姿を捉えさせていただきました🙏

本殿を覆うカーテン状の裾には、私たちのような不届き者の見張りを兼ねて、可愛らしい狛犬さんが神域を守護をされています。狛犬さんの分類としては「はじめ」に近いような・・・その素朴な表情を強いて例えるなら・・

市指定天然記念物「御崎神社の四本杉」、推定樹齢は300年以上。残念な事に昭和40年代に落雷に遭い、一本が根元近くで伐採され「三本杉」となってしまいました。

「境内社:天満宮」、御祭神は『菅原道真公』

「御崎神社」の参道入り口近くに立てられていた「尾崎城址」の案内板。「尾崎城」は戦国時代に『塩谷秋貞』によって築かれたと云われており、この山全体が市指定史跡になっています。

参拝日:2012年5月18日


熊野神社と安国寺 in 岐阜県高山市国府

2020年04月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市国府町西門前に鎮座される「熊野神社」。安国寺の守護神を祀る神社として、熊野三山の祭神である『家津御子神(けつみこのかみ)』を主祭神とします。

創建は室町時代末期、安国寺の鎮守として安国寺裏手の山腹に開山。『瑞巖大和尚』が勧請したものと伝えられています。

拝殿前の鳥居脇より境内を守護されるのは、昭和14年(1939)4月建立の狛犬さん一対。飛騨独特のイノシシ顔が更に顕著になってきました。この何とも愛嬌のある顔立ち・・特に特徴のある「鼻」とか・・見慣れるとすごく愛着を感じて可愛い😅

本殿は室町初期の代表的建造物で、昨日紹介した「阿多由太神社」と同じく「三間社見世棚(さんげんしゃみせだな)造」、こちらも国の重要文化財に指定されています。が・・覆屋によって完璧に隔離されており、一瞥すら叶いません。大切な文化財を守る為には致し方ない事なのでしょう。崇神の言葉さえ知らぬ「バカ」が、平気で神域を汚す事例も散見されますから・・やっぱり大切に護って頂く方が良いです。

熊野神社の裏手を奥に進むと、古い祭祀の跡の様な場所に出ます。好奇心一杯の私ですが「熊出没注意!」の立て看板に、ルンルン気分は霧散😱。静かに後辞さりつつ、回れ右! いやいや、君子でなくとも危うきに近寄ってはいけません。

臨済宗妙心寺派の寺院「太平山:安国寺(あんこくじ)」『釈迦牟尼仏(釈迦如来)』を本尊とし、飛騨三十三観音霊場11番札所とされています。

「安国寺」は『足利尊氏・直義』が日本各地に建立した寺の名称で、ここもその一つ、貞和3年(1347)に『瑞巌和尚』によって創建されました。最盛期には七堂伽藍と九の塔頭を有する大刹であったといいます。

境内には岐阜県で唯一、国宝の指定を受けた「経蔵」や、きつね小僧の伝説にまつわる「蛻庵(ぜいあん)稲荷」などがあったらしいのですが、この時は「熊野神社」のご本殿(拝見できなかった)と狛犬さんを目的としていた為、いずれも見ずに終わりました。唯一参拝したのは駐車場に奉られた『延命地蔵菩薩』

地蔵菩薩の真言は「奄訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶(オン・カ・カ・カビサンマ・エ・ソワカ)」。恥ずかしながら意味もわからぬままに三回唱え、まだまだ続く旅の無事を願ってきました。しかし・・今から思えば、何とも勿体無い訪問だったと、先に立たぬ後悔です。

参拝日:2012年5月17日


阿多由太(あたゆた)神社 in 岐阜県高山市国府町

2020年04月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市国府町木曽垣内に鎮座される「阿多由太(あたゆた)神社」。御祭神は『大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)・大物主神』。配祀『家津御子神(須佐之男命)・早玉之男神・熊野久須美命・阿須波之神』。合祀『大己貴命(大国主命)・崇徳天皇』

式内社で、延喜式神名帳:飛騨国内八社の一つ。古くから木曽垣内・三日町・半田の一部の産土神として、また江戸時代にはこの地方の総社として広く崇敬されてきました。御神文は「古曲玉三つ巻」。これまで多くの神社を参拝してきましたが、曲玉の巴紋は初見。

荒城川にかかる赤い欄干の橋を渡り、参道を進むと二の鳥居。石段の先に仰ぎ見るような形で拝殿が鎮座。

「創建時期は不明。日本三代実録によると貞観9年(867)に従五位上を授けられており、古くから位の高い神社であったことが確認できる。江戸時代には権現宮と称されていた。文化年間の調査で、式内社の荒城神社とされたが、再調査の末、式内社の阿多由太神社であることが判明。権現宮から阿多由太神社に改称する。」Wikipediaより

拝殿前より神域を守護されるのは、飛騨特有のイノシシ狛犬の特徴を備えた狛犬さん一対。昭和15年の建立という事で、狛犬の世界ではまだまだ若手😊

覆い屋の中に鎮座される柿葺の本殿は「三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)」。室町時代後期の建立で、昭和36年(1961)に国指定重要文化財に、2016年には日本遺産「飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群」の一つに認定されました。

本殿と並ぶ位置に鎮座される「境内社:稲荷社」。社殿は嘉永年代の作とされ、高山市指定重要文化財。傍らの石碑には「棟梁は糠塚の名工『中垣内八右衛門』と言われている」と記されています。

社殿横に鎮座されるのは「祖霊社」、古の祭祀を思わせる佇まいで、知らず、身が引き締まる感覚。両端には小さな狛犬さんが、大切な何かを見守るような眼差しで、守護をされています。

「阿多由太神社」の祭神『大歳御祖神』、別名を『神大市比売(かむおおいちひめ)』とも称する穀物の神。『須佐之男命』の二番目の妻として「古事記」にのみ登場し、稲荷の神である『宇迦之御魂神』の母神です。

参拝日:2012年5月17日


花里八幡神社 in 岐阜県高山市

2020年04月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市花里町に鎮座される「花里八幡神社」。御祭神は『応神天皇』

「創建年代は不詳。里伝に、清和天皇の貞観年中(西暦859-876)、九州大分県宇佐郡宇佐八幡宮より、大神を石清水に奉請し、国々にも大神を祭らせ給う勅命により、勧請せしものと言う。」「飛騨の神社」より

鳥居の左右より神域を守護されるのは、イノシシ顔とも少し違う、独特の風貌の狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは飾り毬。よく「狛犬って顔が怖い」と言う人が居ますが、この顔を見たら思わず笑顔になるのでは😃

「石工・水木」昭和16年11月の建立は、この時点で狛犬さんはまだ71歳。狛犬界ではひよっこの部類に入る所為か、あまり凄みが感じられません。そのかわり、阿吽共に愛嬌をしっかり振りまいて、参拝者を出迎えてくれます。

時間的に気が急いていたのか、境内のほかの画像は何も無く、神社紹介としてはかなり寂しい内容。このお寒い内容を埋める為、子狛君にも一役かってもらおう!

参拝日:2012年5月18日


桜ヶ丘八幡神社 in 岐阜県高山市

2020年04月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市山口町に鎮座される「桜ヶ丘八幡神社」。御祭神は『応神天皇』。配祀『伊邪那岐命・伊邪那美命・菊理(くくり)姫命・仁徳天皇』。通称「山口の八幡さん」と親しまれています。

「社伝に寛治元年(1087)相州より密宗の僧当地に来り、郷里の平塚八幡を勧請奉祀して、自ら別当の任に当たったのが、その創始といわれる。末裔了善は当地了心寺の開基である。昭和三年に当地区若宮八幡・白山両神社を合祀し、「桜ヶ岡八幡神社」と称する。」「飛騨の神社」より

拝殿下、石段左右より神域を守護されるのは、飛騨ではすっかりお馴染みになりつつある「イノシシ顔の狛犬さん」石工・高忠(高原忠次郎)。昭和9年の建立。

イノシシ顔ですが、横から見るとライオンのようにも見えるという・・・う~~ん、とっても味わい深いお顔😊

鳥居の近くにあった見事な枝振りの桜に気を取られて、結界でもあるトップ画像の鳥居の写真が中途半端になってます。 「桜ヶ丘八幡神社の大枝垂れ桜」・・・きっと桜の時期には、それはそれは見事な姿なんだろうな・・、毎回、毎回、緑一杯に美しく枝垂れる葉桜を見ながら、いつものため息😥

参拝日:2012年5月18日


飛騨山王宮:日枝(ひえ)神社 in 岐阜県高山市

2020年04月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

高山市城山、高山城跡がある城山公園の一画に鎮座される「飛騨山王宮日枝(ひえ)神社」。御祭神は『大山咋神』

一連の高山市の記事で少し触れた高山祭りですが、ここ「日枝神社」では、例大祭として4月14、15日に「山王祭」があり、春の高山祭りとして八幡祭同様、日本三大美祭とされています。

石段参道、鳥居の手前より神域を守護されるのは、昭和4年(1930)1月建立「飛騨の猪狛犬」『石工:高原 忠次郎』。いかにも知ったかですが、全部ご亭主殿の受け売り😁

何がどうで「イノシシ」なのか、実はよく分からないのですが、顔立ちはとても精悍。吽形さんはまだそうでもないですが、上の阿形さんなんて相当威圧的😆

永治元年(1141)、飛騨国国司で三仏寺城城主『飛騨守平時輔』が、近江国「日吉神社」を勧請し、三仏寺城の近くに創建。養和元年(1181<)、『源義仲』により三仏寺城は落城し「日枝神社」も焼失。天正13年(1586)、『金森長近』が飛騨国に入り、高山城に入城。慶長10年(1605)に「日枝神社」を高山城の鎮護神とし、現在地へ移転した。元禄5年(1692)に飛騨国が天領となり高山城が廃城となった後も、高山陣屋(飛騨郡代)の鎮護神とされた。」

長い参道を進み、さらに長い石段を登ると朱の鳥居、さらに😓石段の先に拝殿が見えてきました。

拝殿の奥に見える本殿は昭和13年(1938)の築だそうですが、どっしりとした静かな佇まいが何とも好ましい。かっての本殿は、昭和10年(1935)の豪雨で裏山が崩れて倒壊したとか・・・生い茂る木々も山崩れは防げなかったのでしょうか・・

拝殿前にそびえているのは、高さ43m、樹齢1000年といわれる、県指定天然記念物の「日枝神社の大杉」

「日枝神社」の境内社には実にユニークな狛犬さんが居ると言う事で楽しみにしていたのですが、画像整理してみると「御祓い所」を含めて三社しか参拝していません。こちらは「天満宮」、小さ目の撫で牛さんが社殿の前に鎮座しています。

続いて「山王稲荷神社」で、かなり新しいものと思われる神狐さんが社殿前を守護されています。

社務所近くの「車御祓い所」。ここでは何と木彫りの狛犬さんが守護をされています。

この一見荒っぽく見えるノミの後、木肌独特の何ともゆるやかな暖かさは、岐阜県の旅で何度か目にしてきた「円空仏」の顔立ちを髣髴させます。大きいだけで親しみも味わいも無い大量生産の輸入狛犬なんぞと比べるのも失礼なのですが😁、本当に良い顔立ち。

日枝神社「御旅所(おたびしょ)」は、春の高山祭りの際に、お神輿がお休みになられる処。高山陣屋前の中橋の袂、もちろん、町歩きの途次に参拝してきました。

参拝日:2012年5月17日


高山:ふらりそぞろ歩き~其の三 in 岐阜県高山市

2020年03月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

3日目となった高山の町歩きもいよいよラスト。今更ですが、伝統的な町並には、国や自治体の文化財に指定された建物が多くあります。江戸時代を髣髴させる町中で一際異彩を放っているのが、昭和11年(1936)に建てられた「飛騨高山 天狗総本店(国登録有形文化財)」。妻飾りに描かれた天狗の鏝絵は、特にご亭主殿の目を引いたようです。

特別に国や自治体の指定が無くても、思わず振り返ってしまう建造物は沢山あります。一見何の変哲も無いように見えるこのお店、私にはとてもお洒落に感じました。

上のお店とはまったく別の場所ですが、蔵を利用した素敵なディスプレイの店舗も何軒か拝見させていただきました。自主規制して商品の掲載はしていませんが、並んで写真に納まりたくなるようなお店に出会うと、無条件で嬉しくなります。

町歩きの途中に見かけたこんな歯医者さんなら、絶対に無駄に抜いたり削ったりなんてしないだろうな・・。最近、近代的かつ大人数のスタッフが売りの歯医者で、抜かなくても良かった歯を抜かれ、もの凄く嫌な思いをした私、一度抜いてしまった歯は元に戻せないんだぞ!!😭

本町2丁目のCCボックスに、とてもユニークなモニュメントを見つけました。彼の名は馬頭組の火消し「勇みの丁次」。本町2丁目のシンボルキャラクターなんだそうです。モニュメントにしてしまうと色々制限があって「アレ」ですが😅、イラストではかなりの美形。

モニュメントの下の柵に「馬頭」と題された二種の、馬の絵がありました。調べたところ、町内にある「山桜神社」は、主君を火事の危機から救った「名馬:山桜」の厩舎跡に創建された神社で、鎮火などの守護神として崇められています。「山桜」の死後は馬頭様として崇められ、松倉山馬頭観世音の縁日には「馬頭の紙絵馬」を奉納。その年ごとに祈願をした後、家の玄関を入ったところの壁に貼るという風習ができました。この「馬頭様紙絵馬」、絵柄は様々でしたが、私達がお邪魔したどのお店にも貼られていて、とても興味深く拝見させていただきました。火消しの馬頭組は、ここからつけられたんですね。

気になる建物、気になる置物・・・・書き上げれば際限ないのは、それだけ高山の町歩きが素敵だったと言う証かもしれません。保存されたフォルダの画像を見ながら、今年こそは絶対に再訪を果たしたいと、しつこく心に誓うのです。そしていつも、ガッカリ溜息をつく羽目になるのです😣

心に誓うと言えば・・・楽しみにしていた「宮川の朝市」ですが、前日の日程が思ったよりもはかどったからという理由で、ご亭主殿ときたら、急遽、高山迄足を延ばし・・結局、朝市のアの字も味わえず・・・・風に羽をあそばせる鷺の姿が妙に心に残りました。その後この件は事あるごとに蒸し返されて、ご亭主殿を「いぢめる」材料になりました😄

訪問日:2012年5月17日


高山:ふらりそぞろ歩き~其の二 in 岐阜県高山市

2020年03月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

見て面白いと思うものは人それぞれですが、我が家のご亭主殿、感性が似ているのか、それとも長い年月の間に私のツボに慣らされてしまったのか、街歩きの折々に、唐突に面白い発見をして楽しませてくれます😊

鍛冶橋の上にある手長足長の銅像、手長足長は出雲神話で簸川(ひのきかわ)の川上に住んだ足名椎(あしなづち)とその妻手名椎(てなづち)をモデルにしたとされています。なぜ「八岐大蛇」神話のヒロインである櫛名田比売(くしなだひめ)の両親の名がここに出てくるのか・・・しかもこんな「変わり果てた姿」で(大爆笑😆)

観光客が多く訪れる場所には、その土地ならではのお土産ショップが並び、見て歩くだけでも楽しいのですが、油断すると直ぐにお財布が緩むのが難点 😓 こちらはうさぎの雑貨:高山うさぎ舎の「うぼぼ」。キャラクターはこのお店だけのオリジナルで、「サルぼぼ」ならぬ「うぼぼ」・・・・まぁ、可愛いから何でもOK😆

「兎ぼぼ」があるなら「牛ぼぼ」だって有りですよね?、何といっても飛騨は「飛騨牛発祥の地」なのですから😊

布キャップ専門店の店先、入り口で頑張るマネキンさんのインパクトががあまりにも強くて、ご亭主殿、すっかりメロメロ 😍

こちらもご亭主殿の心を鷲づかみにしたマネキンの「獅子」。売り物よりもインパクトが強いってどうなの?・・・と言うか、何のお店だったっけ??

町歩きの途中で見かけた、祭礼の様子を描いたと思われる絵。もしかして上の獅子は、この獅子舞がモデルなのかな?

祭礼と言えば、町中で見かけた「屋台蔵」。高山祭りの屋台はこの中で解体されること無く保存されています。説明に掲載された美しい屋台を見ていると、人の多さが嫌いで祭りを敬遠してしまうご亭主殿も、心が動くようです。(屋台蔵と説明は別々)

豪華絢爛な屋台を彩る彫刻の数々、さて、この獅子の飾りは何処で見たものだったのか・・流石に8年も前の事なので記憶が・・・😓

観光地と言えばお約束の「顔出しパネル」、もちろん商店街のあちこちでミーハーな観光客(私たち)の足を引き止めてくれます。

高山の町歩き、フォルダを見返しながら「何と言ってもダントツはこれだよね」と、珍しく意見が一致した「とある理髪店」。ウインドウ越しの中の様子に釘付けの私たちを「どうぞ、中に入って見ていって」と、声をかけてくださったご主人に誘われて・・・いや~~~!!外で見るよりも更にパワーアップの店内に、テンションがあがりました😲

そもそも足を止めたきっかけは、壁から飛び出す龍の鏝絵。何とご主人の手作りだそうで、他にも紹介しきれないほど沢山の画像があるのですが、見るもの聞くもの、ただただ驚き。

美女の等身大看板収集が趣味との事で、実は彼女たちの為の住まいも別にあるとか。それに関してのテレビ取材も受けたそうで、当時の録画映像や、趣味と本職を兼ねた養蜂の話しなど、ついつい長居をしてしまいました。あれから八年ですが、今も沢山の美女に囲まれ、更にパワーアップされている事でしょう。その節は本当に楽しい時間を有難うございました。(顔出しOKの許可は頂きました)

しつこくもまだまだ続く「高山町歩き」続きは高山:ふらりそぞろ歩き~其の三で。

訪問日:2012年5月17日


高山:ふらりそぞろ歩き~其の一 in 岐阜県高山市

2020年03月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

昨日に続いての町歩きは上三之町。この通りの初夏の風物詩は、「久田屋」さんの藤の花。と言っても前もって知って訪ねた訳ではなく、全くの偶然。この美しい情景にはしばし言葉をなくしました。

2012年の訪問ですから、もう8年も前の話になるのですが、今でも高山の町歩きで一番心に残ったお店はと聞かれたら、間違いなく「藤の花暖簾のお店」と答えます。

店名は多分・・覚えていません😅 季節の花が一番綺麗な時期に訪れる事ができたというのは、まさに幸運でした。

昨日のブログの最後に登場した「秋葉様」。実際に高山の町歩きをしていると本当に沢山の「秋葉様」に出会います。数寄屋風の構えが美しい「洲岬屋」さんの前、見事な枝振りの松に守られるように鎮座される「秋葉さま」、1枚の絵の中にすっぽりと納まったような人力車は、客待ち?それとも休憩中?

石灯籠のような「秋葉様」は寛保3年(1743)の創建。

「高山市政記念館」前の「秋葉様」は延享3年(1746))の創建。アップで無いのが残念。

朝市通りの端にあった「秋葉様」、その気になって探せばもっと沢山見つけられたのでしょうが、限られた時間であれもこれもの旅、これ位が限界でしょう。

宮川沿いのどのあたりだったか?「飛騨の山の水」。もう一つは中橋の袂にあった「飲料水」。どちらも柔らかくてまろやかで美味しく頂きました。

水といえば、このからくり人形は、水の力で動いているそうですが、幾ら待っていても一向に動く気配が有りません。柵には動かなくても無理に動かさないようにと貼紙😓 動いているところ見たかったけど・・残念!

銅像とか碑には妙なアンテナが働いてどうにも素通りできない私。高山陣屋前の中橋公園で、「飛騨の匠 韓志和(からしわ)木鶴大明神」と書かれた不思議な像を見つけました。

説明では「飛騨の匠の一人と伝えられる彫刻の名手で、平安時代初期に自作の木鶴に乗り込み中国に乗り込み、時の皇帝に入神の妙技を見せたと言われる伝説上の人物」とあり、その手にはノミと槌が握られています。

高山陣屋近くには「青雲 若き日の山岡鉄舟」と刻まれた銅像もあります。飛騨郡代であった父や母と共に飛騨に赴き、10歳から17歳までの間を高山で暮らしていたそうで、この像はその縁に寄るものと思われます。

「いわきの早蕨(さわらび)」で有名な和菓子処「いわき」。看板が乗った屋根の上で下界を見下ろすのは、瓦製の大黒様、船の上から身を乗り出す大黒様、物思いにふける目で遠くを見る大黒様。夢中になって「いわきの早蕨」を買うの忘れました😥。

大黒様」と言えば、鍛冶橋の袂で小槌を振る大黒様、後ろには【 夏の日や   鍛冶屋の歴史 橋の名に 】

町歩きで見つけた「あんなもの&こんなもの」続きはまた明日。

訪問日:2012年5月17日