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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岡山県旧有漢町(高梁市)

2022年01月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧上房(じょうぼう)郡有漢町(うかんちょう)は岡山県の中央部、吉備高原に位置した町です。真庭市。加賀郡吉備中央町に隣接。有漢の歴史は、承久3年(1221)相模国三浦氏の一族、秋庭三郎重信が、承久の変の戦功によって備中国有漢郷を統治するようになり、その後600年の歳月を経て明治維新をむかえました。町域は高原と山林で占められ、古くは教育文化の村として栄え、多くの文化遺産にも恵まれています。「町の木:赤松」「町の花:サクラ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

町では、うかん常山公園の「風の舞台」に設置された七基の石の風ぐるまをシンボルモニュメントとし、「風をあつめ、風を起こす」を合言葉に広域的な地域間交流がすすめられています。

旧キャッチフレーズは「高原のオアシス・うかん ~風を集めるまち~」

明治22年(1889)、町村制の施行により、上房郡有漢村・上有漢村が発足。

1956年、有漢村・上有漢村が合併、町制を施行し上房郡有漢町が発足。

2004年、高梁市、川上郡成羽町・川上町・備中町との対等合併により、新たに高梁市となりました。

マンホールは見つけられませんでしたが、上水道関連の空気弁・消火栓・仕切弁がありました。

昭和42年(1967)9月制定の町章は「有漢の“う”の字を力強く表現しています。両有漢の合併を意味するもので、中央の円は平和を象徴し、下部の両脚は安定を、また両肩は将来の発展と飛躍を表現したもの。」合併協議会資料より

旧町役場があった一画は『綱島梁川(つなしま りょうせん)』生誕の地だそうで、近くには多分彼のものと思われる歌碑も建立されています。ここまで達筆に崩されると、文字を拾うのは難しい😓

撮影日:2010年8月11日


ご当地マンホール in 岡山県旧成羽町・旧備中町(高梁市)

2022年01月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧川上郡成羽町(なりわちょう)は岡山県中西部の吉備高原に位置した町です。高梁市、新見市、川上郡川上町・備中町、小田郡美星町、阿哲郡哲多町に隣接。町域の大半は高原と山林で占められ、町の中央部を流れる高梁川支流の成羽川沿いに小盆地を形成。江戸時代には成羽藩の陣屋があり、北部の吹屋地区にはかつて銅と弁柄の鉱山があり、その元締めであった広兼氏と西江氏の邸宅が往時の権勢を偲ばせています。また、備中神楽発祥の地として現在でも盛んに神楽舞が行われています。「町の木:アカマツ」「町の花:ササユリ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「豊かで明るい文化の町 なりわ」

また成羽地区は、備中神楽発祥の地として現在でも盛んに神楽舞が行われており、1979年2月に国の重要無形民俗文化財に指定されました。「町の木:アカマツ」「町の花:ササユリ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「豊かで明るい文化の町 なりわ」「備中神楽 発祥の町」


明治22年(1889)、町村制の施行により、川上郡東成羽村・成羽村・中村・吹屋村が発足。

1901年、東成羽村が町制を施行、川上郡成羽町(一次)となる。

1906年、成羽町と成羽村が合併、川上郡成羽町(二次)が発足。

1955年、成羽町と中村が合併して川上郡成羽町発足(三次)。翌4月、吹屋町を編入。

2004年、高梁市、川上郡川上町・備中町、上房郡有漢町との対等合併により新・高梁市となりました。

マンホールは見つけられませんでしたが、「備中神楽:素戔鳴命のオロチ退治」がデザインされたカラー消火栓がありました。

同じく、素戔嗚尊がデザインされたカラー仕切弁。

昭和4年(1930)5月23日制定の町章は「ナ・リ・ワ」を図案化したもので、ひとつの円を中心に、さらに大きい円が、次々と想像せられ、遠く、大きく拡がる波紋も中心は一つで、内部の固い団結力を示し、3本の線は外部に放射して勢いを意味し、平和と発展を象徴したもの」合併協議会資料より

吹屋地区に設置されていた町章付きの止水栓。

地名のみの排水弁・空気弁・消火栓

成羽川:神楽橋の欄干には、「備中神楽:素戔鳴命の大蛇退治」に登場する『素戔鳴命』の像が設置されています。

神楽の見所の一つである刺繡が施された衣装。登場人物が一目でそれとわかる神楽面。こんなにも手の込んだ親柱を見たのは、おそらく初めてと思われます。

橋の対岸には『奇稲田姫(​くしいなだひめ)』

「八岐大蛇」から救われた『奇稲田姫』は、出雲八重垣にて『素戔嗚命』と結婚し、共に出雲の祖神となります。

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旧川上郡備中町(びっちゅうちょう)は岡山県中西部の吉備高原に位置した町です。川上郡成羽町・川上町、阿哲郡哲多町・哲西町に。また県を跨いで広島県神石郡油木町・豊松村、比婆郡東城町に隣接。町域の大半は高原と山林で占められています。町の中央部を高梁川支流の成羽川が流れており、岡山県南への電力と工業用水の需要拡大に対応するために建設された日本最大規模の重力式アーチダム「新成羽川ダム」、および同時に形成された「備中湖」があります。また漆の産地であり「備中塗」などの工芸品を産し、布賀地区は、世界的に大変珍しい逸見石など鉱物・鉱石が産出されることでも知られます。「町の木:ウルシ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:キジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、川上郡富家村 ・平川村・湯野村が発足。

1956年、富家村、平川村、湯野村合併、町制を施行し、川上郡備中町が発足。

2004年、高梁市、上房郡有漢町、川上郡成羽町、川上町の対等合併により新・高梁市となりました。

マンホールは見つけられませんでしたが、備中町のキャラクター『ビスターくん』の消火栓を発見!。ほかにも空気弁や仕切弁が存在するようですが、調査不足でこれ一枚だけ。

昭和36年(1961)6月20日制定の町章は「円で円満を表現し、備中町の「び」と「中」を図案化し、前途の躍進を象徴したもの。」合併協議会資料より

撮影日:2010年8月11日&2012年8月8日


ご当地マンホール in 岡山県高梁市

2022年01月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

高梁市(たかはしし)は岡山県の中西部に位置する市です。2004年10月1日、高梁市と上房郡有漢町、川上郡成羽町・備中町・川上町が合併、現在の高梁市となりました。総社市、井原市、新見市、真庭市、加賀郡吉備中央町に。さらに県を跨いで広島県庄原市、神石郡神石高原町に隣接。古来から備中国の中核であり、近世では幕藩体制のもと備中松山藩を中心として繁栄してきました。一級水系の高梁川が市の中心部を貫流し、かつては高梁川を利用して高瀬舟によって玉島港まで物資の輸送が盛んに行われた為、高梁は物流の中心として発展。現存天守の中で唯一の山城であり、最も標高の高い場所にある松山城の眼下に広がる高梁の城下町は、武家屋敷や町家、神社仏閣などが立ち並ぶことから備中の小京都と呼ばれます。「市の木:アカマツ」「市の花:サクラ」「市の鳥:ヤマセミ」を制定。

キャッチフレーズは「交流・創造都市 たかはし ひと・まち・​自然にやさしい高梁」

明治22年(1889)、町村制の施行により、上房郡高梁町・松山村・津川村・今津村・川面村 ・巨瀬村 、川上郡玉川村 ・宇治村・松原村・高倉村・落合村、阿賀郡中井村が発足。

1929年、上房郡高梁町が松山村を編入。

1954年、上房郡高梁町、津川村、川面村、巨瀬村、川上郡玉川村、宇治村、松原村、高倉村、落合村が合併。市制を施行し初代高梁市が発足。

1955年、高梁市が上房郡中井村を編入。

1970年、高梁市が上房郡賀陽町佐与谷大字上竹・西の各一部を編入。

マンホールは、中央に市章があるだけの規格タイプのみです。

昭和30年(1955)4月14日制定の市章は「限りなき紺碧の大空に 躍進する高梁の頭文字 (文化)Tに、観光松山 城を偲び、産業資源 (松葉で示す)は、広 く海外(生産)に伸び て(四方尖端)いる高 梁市を表徴す。」公式HPより

マンホールは味気ないですが、空気弁、消火栓には「備中松山城」が描かれています。(木山神社参道付近に設置)

岡山自動車道高梁SA:備中松山城

「松山おどり」と書かれた小さい蓋は、「備中たかはし松山踊り」の幟用ではないかと思われます。(備中高梁駅付近に設置)

幕末に備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷の生誕地、高梁市をPRする為に生まれた高梁市キャラクター『ほうこくん』。手に持っている本には「節約のすすめ」がぎっしりと・・・・

撮影日:2010年8月11日


ご当地マンホール in 旧勝北町(津山市)

2021年12月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧勝田郡勝北町(しょうぼくちょう)は岡山県の北東部に位置した町です。津山市、苫田郡加茂町、勝田郡勝央町、奈義町に。さらに県を跨いで鳥取県八頭郡智頭町に隣接。町名は勝北郡(=勝田郡の北部)で、構成する旧3村がすべて古くよりこの郡に属していたことに由来。町の南部は津山盆地の北東部にあたり、平坦で水田が広がり溜池も多く、北部は中国山地の一部で750m~1100m級の山岳地帯で氷ノ山後山那岐山国定公園に属します。また、東部には日本原演習場が南北に広がっています。「町の木:ケヤキ」「町の花:サツキ」「町の鳥:ウグイス」を制定。北部の中国山地と南西部の丘陵地との間に南北に開けている。

旧キャッチフレーズは太陽燦燦! つながる心 広がる未来」

明治22年(1889)、町村制の施行により、勝北郡新野村・広戸村・勝加茂村が発足。

1900年、郡制の施行により勝北郡と勝南郡が合併、勝田郡となる。

1955年、新野村、広戸村、勝加茂村が合併、町制を施行、勝田郡勝北町が発足。

2005年、苫田郡阿波村、加茂町、久米郡久米町とともに津山市に編入されました。

マンホールのデザインは「血液サラサラ運動」のシンボルマーク。血液の一滴とその中に人を配し、周囲に手を繋ぐ人々で、互いに助け合う様子がデザインされています。

昭和33年(1958)11月制定の町章は「SHOBOKUの頭文字Sを外円にして飛躍的な北を配したもので、円満、調和、飛躍、発展を象徴し、静と動を兼ね備え町をイメージして制定しました。」旧公式HPより

「勝北 黒媛の里」のいわれ。「水原古墳(伝黒媛塚)昭和12年に発掘した横穴式石室の古墳、陶棺(長さ222㎝高さ84㎝)勾玉、管玉、ガラス玉、銀環銅環、刀子などの出土品は東京国立博物館に保管。古事記下巻にある吉備の山県における仁徳天皇と黒媛の美しいロマンは、山形の地名が遺るこの地の物語と古くから語り伝えられており、この古墳を黒媛塚という。」勝北町教育委員会

撮影日:2010年3月1日&2015年4月24日


ご当地マンホール in 岡山県旧阿波村(津山市)

2021年12月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧苫田郡阿波村(あばそん)は岡山県の北部に位置した村です。苫田郡加茂町に、また県を跨いで鳥取県鳥取市、八頭郡智頭町に隣接。。村域は1,000メートル級の山に囲まれ、地内の94%が山林で占められており、農業・林業が主産業。集落の一部には茅葺屋根の民家や水車・棚田などが残る地域も存在し、地内には推定樹齢500年を越える尾所の山桜など、美しい自然が多く残されています。「村の木:杉」「村の花:コブシ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治5年(1872)、 西下組・東下組・大畑組・尾所組・大杉組が合併し旧・阿波村となる。

明治22年(1889)、町村制の施行により、苫田郡阿波村が発足。

2005年、苫田郡加茂町、久米郡久米町、勝田郡勝北町と共に、津山市に編入されました。

旧キャッチフレーズは「自然との語らい 阿波」

マンホールには、「村の木:スギ」と「村の花:コブシ」、それに「村の鳥:ウグイス」が描かれています。

一之渡橋近く「村の花:コブシ」

昭和47年11月15日制定の村章は、「阿波村の頭文字をカタカナにした「ア」を、円形にして図案化したものです。」

一之渡公園内「芝桜の村章」

県道118号線「加茂川・一之渡橋」親柱、「八幡神社の花祭り」

「加茂川・一之渡橋」親柱、「茅葺民家と水車」

撮影日:2015年4月24日


ご当地マンホール in 岡山県旧久米町(津山市)

2021年12月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧久米郡久米町(くめちょう)は岡山県中北部に位置した町です。津山市、久米郡中央町・旭町、苫田郡鏡野町、真庭郡落合町・久世町に隣接。山陽-山陰を結ぶ美作地方の中心部として古くから開け、条里制遺構も残されています。久米川の低地を姫新線が通じる交通要地で、中心は千代地区。町の東端部は津山盆地の西端に位置し比較的平坦ですが、東端部の大半は吉備高原に属し、山林と丘陵で占められています。道の駅:久米の里には全国規模で有名になった「コックピットに人間が乗り込んで歩かせる事のできる”モビルスーツΖガンダム”の模型」が展示されています。「町の木:梅」「町の花:菊」を制定。

道の駅に隣接する「パークロード白鳳の広場」に建つ、久米廃寺跡記念モニュメントの五重塔。

久米廃寺は今から約1,300年前(白鳳時代)に創建された寺院ですが、火災にあい、平安時代の前半には廃寺となったと言われています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、久米北条郡倭文中村・倭文東村・大井東村・大倭村・久米村・大井西村が発足。

1900年、郡制の施行により久米北条郡と久米南条郡が合併、久米郡となる。

1940年、倭文中村と倭文東村が合併、久米郡倭文村が発足。

1943年、大井東村と大倭村が合併、久米郡大東村が発足。

1952年、大井西村と大東村が合併し、久米郡大井町が発足。

1955年、久米村、倭文村、大井町が合併、久米郡久米町となる。

2005年、苫田郡加茂町・阿波村、勝田郡勝北町とともに津山市に編入される。

マンホールには町章を中心に、碁盤と鎖状の十文字を組み合わせ、鎖の中に「町の木:梅」を描いています。

昭和31年8月11日制定の町章は「「久」を円形にして「町民の和」と「米」を「芽」になぞらえ「Λ」とし、「生々発展」を象徴しています。」合併協議会資料より

集落遺跡を擁する久米町の消火栓は、古代茅葺住居と、ホースを手にした消防士がデザインされています。

国道429号線の休乢トンネルに描かれているのは、国指定史跡「三成古墳」の住居・発掘された出土品と思われます。

撮影日:2010年3月1日&2015年4月24日

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道の駅:久米構内の西側に展示されている、身長7メートルの「モビルスーツΖガンダム」。機体は久米町在住の中元正一氏が自ら設計書を描き、たった一人で、7年の歳月をかけて製作。2000年に久米町に寄贈され、町によって格納庫が建設されました。

津山市宮尾の国道181号線沿いにある「道の駅:久米の里」。2015年4月の島根・広島車中泊の旅の帰路では、こちらで車中泊をさせて頂きました。早めに到着できたお陰で「活菜館」でお土産用に大量にお野菜を購入。 自分用に購入した地元のイチゴが、大粒で甘くてとっても!!美味でした。

車で旅をする者にとって、こうした施設は本当に有難く大切な場所です。

改めてその節は「ありがとうございました!!」 🙏🙏


ご当地マンホール in 岡山県旧加茂町(津山市)

2021年12月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧苫田郡加茂町(かもちょう)は岡山県の北部に位置した町です。津山市、苫田郡鏡野町・上齋原村・阿波村、勝田郡勝北町に。また県を跨いで鳥取県鳥取市、八頭郡智頭町に隣接。町の中心である加茂川沿いの小中原と、因美線に沿う桑原地区に僅かに平地が開けるが、大半は山林。かつて砂鉄を多産した時期も有りましたが、今は木材と牛の生産が行なわれています。加茂川沿いに見える一画は「人咲く、水と森の郷: 川の学校公園」。春には美しい桜が見られるお花見スポットだそうです。「町の木:ヒノキ」「町の花:サツキ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「みまさか桧の里:子孫にのこす木の文化:加茂町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、苫田郡加茂村・上加茂村・東加茂村・西加茂村が発足。

1924年、加茂村が町制を施行、苫田郡加茂町となる。

1942年、加茂町、西加茂村、東加茂村が合併。改めて苫田郡加茂町が発足。

1951年、加茂町から新加茂町が分立。

1954年、加茂町、新加茂町、上加茂村が合併、新たに苫田郡加茂町が発足。

2005年、苫田郡阿波村、久米郡久米町、勝田郡勝北町とともに津山市に編入されました。

マンホールには「加茂川の清流と鮎」「町の花:サツキ」「町の鳥:ウグイス」が描かれています。

「加茂川:太郎橋」の親柱は、「加茂川の清流と鮎」「町の花:サツキと町の鳥:ウグイス」

中央にあるマークが不明の小型プラ汚水枡。撮影場所は加茂町桑原地区で、他のデザインマンホールと同じ場所に設置。町のシンボルでもないし・・・どこかで見たような気もするし・・何だろう??。

昭和32年12月9日制定の町章は「加茂町の頭文字をひらがなにした「か」を図案化したものです。」

撮影日:2015年4月24日


ご当地マンホール~其の二 in 岡山県津山市

2021年12月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

昨日に続いて、津山市マンホール其の二古代律令時代より美作国の中心地として発展してきた津山。山地の多い美作において平野面積が大きな津山盆地に位置することから、出雲街道の宿駅なども置かれ、一宮の門前には市が立ち戸川宿が成立するなど、古くより開けてきました。戦国時代後半には、森蘭丸の弟の森忠政が18万6500石を拝領し戸川に入封。中世に山名氏が築城した鶴山城跡地に築城し、新たに城下町を築き、鶴山を津山へと改称。森家断絶後は、越前松平家が10万石で入封、そのまま明治維新を迎えました。

中央に大きく市章、それを取り囲むように、全体に麻の葉繋ぎのように市章がデザインされています。

全体に津山市の花:桜がデザインされた小型マンホール。

津山城址の石垣と桜がデザインされたプラ汚水枡

中央に「つやま下水道」。全体に「市の花:桜」をデザインしたもの。

中央に「市の花:桜」を一輪。上下に「つやま」「おすい」の文字。

昭和7年(1932)3月4日制定の市章は「旧津山藩の槍印。参勤交代に親藩松平家の威勢を示したもので、昭和7年に、これをかたちどって市章に制定した。俗に「剣大(けんだい)」という。」公式HPより

消防車の周囲に「市の花:サツキ」がデザインされた消火栓。

津山市林田町に本拠を置く「津山ガス」マンホール

撮影日:2008年8月16日&2015年4月24日&2019年12月15日


ご当地マンホールとマンホールカード第11弾 in 岡山県津山市

2021年12月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

津山市(つやまし)は中国地方東部、岡山県北東部に位置する市です。2005年2月28日、苫田郡加茂町・阿波村、勝田郡勝北町、久米郡久米町を編入。真庭市、苫田郡鏡野町、勝田郡勝央町、奈義町、久米郡美咲町に。また県を跨いで鳥取県鳥取市、八頭郡智頭町に隣接。北部・西部を中国山地、東部を美作台地、南部を吉備高原に囲まれた津山盆地を形成し、かつては県北の雄都と呼ばれ、美作地方および津山都市圏・中国山地の中心都市として発展してきました。「市の木:クス」「市の花:サクラ・サツキ」を制定。

キャッチフレーズは「笑顔あふれる ふるさと津山」

明治4年7月14日(1871年8月29日)、 廃藩置県により津山県の県庁所在地となり、明治9年(1876)に 岡山県に編入。

明治22年(1889)、町村制の施行により、西北条郡津山町・林田村・院庄村・西苫田村・二宮村・久米南条郡福岡村・佐良山村・一宮村が発足。

東南条郡東苫田村・田邑村・高田村・神庭村・高倉村・高野村・東一宮村、勝南郡河辺村・大崎村、勝北郡広野村・滝尾村が発足。

1900年、郡制の施行により、東南条郡、東北条郡、西西条郡、西北条郡が合併、苫田郡となる。久米南条郡、久米北条郡が合併、久米郡となる。勝南郡、勝北郡が合併、勝田郡となる。

1923年、苫田郡林田村が町制を施行、改称し苫田郡津山東町となる。

1929年、苫田郡津山町・津山東町・西苫田村・二宮村・院庄村、久米郡福岡村が合併、市制を施行し津山市が発足。

1941年、津山市が苫田郡東苫田村、久米郡佐良山村を編入。

1951年、苫田郡一宮村と東一宮村が合併、新たに一宮村となる。

1954年、津山市が、苫田郡田邑村・一宮村・高田村・神庭村・高倉村・高野村、勝田郡河辺村・大崎村・広野村・滝尾村を編入。

マンホールには津山城址と「作州津山」の旗指物を肩にする「ごんご」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット展示

津山市観光PR​マスコットキャラクターは、吉井川に棲む「ごんご」の『活波鶴丸(かっぱつるまる)・さくら姫』。津山市の素敵なところや美味しいものをPRしています。

旧加茂町域の集落排水事業所の門で見つけた『活波鶴丸』。桜姫はまだ誕生していなかったのか、綺麗な桜の絵😊

「ごんご」は津山地方の方言で「かっぱ」の事。ごんご通りの商店街には、沢山のブロンズ「ごんご」が住み着いています。キューリを手にしてご満悦な「ごんごの鶴太郎」。その気になって探せば上にも下にもお店のウインドウにも・・・😁

中国自動車道:勝央SA記念スタンプ「津山ごんごまつり:ごんちゃん」

撮影日:2008年8月16日&2015年4月24日&2019年12月15日

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2019年12月14日、第11弾として全国61自治体で種類(累計自治体種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「津山市」のマンホールカードは、「津山観光センター」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「津山城」と「ごんご(河童)」がデザインされています。

「デザインのモチーフとなっているのは津山城とごんご(津山の方言で河童のこと)です。 津山城は津山藩初代藩主・森忠政が1616年(元和2)に鶴山(つるやま)に完成させた平山城です。 明治の廃城令で建造物は取り壊されましたが、2005年には「備中櫓(びっちゅうやぐら)が復元され、現在では鶴山公園(かくざんこうえん)として西日本有数の桜の名所となっています。 また、市内を流れる吉井川(よしいがわ)には河童が生息していたという言い伝えが残っており、夏の時期にはごんごの名を冠した「津山の納涼ごんごまつり」が開催されるなど、市民に親しまれる存在となっています。」

津山観光センターの「ごんご」

訪問日:2019年12月14日


ご当地マンホール in 岡山県勝央町

2021年12月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

勝田郡勝央町(しょうおうちょう)は岡山県の北東部、中国山地の南部に位置する町です。津山市、美作市、勝田郡奈義町、久米郡美咲町に隣接。中国山脈の主峰 那岐山の南にあり、北部は緩やかに傾斜する丘陵が起伏。中南部は町を南北に貫流する滝川に沿って開け、町の中心地「勝間田」は、かつて出雲往来でにぎわった美作7宿のひとつとして知られています。また「足柄山の金太郎」の愛称で知られる『坂田金時』終焉の地と伝えられています。「町の木:カシ」「町の花:ツツジ」を制定。

キャッチフレーズは「心豊かに安心して暮らせる自然と文化のまち“元気な勝央”」

明治22年(1889)、町村制の施行により、勝南郡勝田村・高取村、勝北郡植月村・古吉野村・吉野村が発足。

1891年、勝田村が勝南郡勝間田村に改称。

1900年、郡制の施行により、勝南郡と勝北郡が合併、勝田郡となる。

1901年、勝田郡勝間田村が、植月村大字平を編入。

1906年、勝間田村が町制を施行、勝田郡勝間田町となる。

1954年、勝田郡勝間田町、植月村 、高取村、古吉野村、吉野村(大字豊久田の杉原地区以外)が合併、勝田郡勝央町が発足。

1955年、旧高取村池ヶ原・堂尾地区を津山市に編入、現在に至ります。

マンホールには、坂田金時終焉の地の関連から「熊にまたがる金太郎」が描かれています。

倉敷マンホールサミット展示蓋

昭和30年7月1日制定の町章は「「ショウ央」の文字を図案化したものです。」

勝央町マスコットキャラクター 『きんとくん』。坂田金時の没後千年を記念して誕生しました。勝央町の自称“プリンス”として、勝央町のPRに走り回っています。

中国自動車道勝央SA記念スタンプ「金太郎(坂田金時伝説)」

勝央町では、近年黒大豆の生産に力を入れており周辺自治体と併せ岡山県の収穫高は日本一を誇るようになりました。そんな勝央SA下り限定キャラクター『黒豆ちゃん』。ブランド黒豆「作州黒」から生まれた可愛い女の子です。

撮影日:2008年8月16日&2013年5月20日