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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール~其の二 in 岡山県矢掛町

2021年12月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

小田郡矢掛町(やかげちょう)のご当地マンホール、二日目は旧小田地区のマンホール、ゆるキャラマンホール、規格蓋、上水道関連です。

小田地区のマンホールには「町の木:赤松」と、「町の花:桜」が描かれています。

矢掛町役場内展示蓋

倉敷マンホールサミット展示蓋

矢掛町役場内展示蓋は、やかげ観光大使「やかっぴー」。桜吹雪の中で、毛槍を持った奴さんになりました。

倉敷マンホールサミット展示蓋

星明りの下でまじめに読書にいそしむ「やかっぴー」

楽しそうに歌を歌っている?「やかっぴー」、背景に「町の花:サクラ」がデザインされています。

矢掛町に生息する宿バード『やかっぴー』。「やかげ観光大使」として2014年に誕生、吉備真備にちなんだ冠は、実はホタルなのです😄

昭和39年5月1日制定の町章は「矢掛の「や」を図案化したもので、力強い団結のもとに将来の発展をめざし躍動している姿を表わしている。」公式HPより

撮影日:2009年9月20日&2017年8月11日


ご当地マンホールとマンホールカード第5弾 in 岡山県矢掛町

2021年12月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

小田郡矢掛町(やかげちょう)は県南西部に位置する町です。倉敷市、笠岡市、井原市、総社市、浅口市に隣接。岡山都市圏及び岡山都市雇用圏に含まれており、特に倉敷との繋がりが深く、町の面積の半分ほどを中山間地域が占めており、比較的面積が広い町であるが、人口のほとんどが平野部、特に矢掛、川面、小田に集中。旧山陽道の宿場町で、中心市街地には現在も往時の町並みが残り、矢掛本陣・矢掛脇本陣などが国重文文化財の指定を受けています。「町の木:アカマツ」「町の花:サクラ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「歴史かおる文化の町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、小田郡矢掛村・美川村・三谷村・山田村・中川村・川面村・小田村が発足。

1896年、矢掛村が町制を施行、小田郡矢掛町となる。

1925年、小田村が町制を施行、小田郡小田町となる。

1954年、矢掛町と美川村、三谷村、山田村、川面村、中川村が合併、新たに小田郡矢掛町が発足。

1961年、小田郡小田町を編入。

マンホールには、宿場町矢掛を象徴する「奴」と「毛槍」が描かれています。

倉敷マンホールサミット展示蓋

旧来のオレンジベースのマンホール

倉敷マンホールサミット展示蓋

ハンドホールにもオレンジベースのものがあります。

「矢掛の宿場まつり」のお行列を彩る美しい姫さんやお殿様よりカッコ良いと秘かに噂される「奴さん」。町の様々な場所に出没し、矢掛ブランドのロゴにも使われています。

撮影日:2009年9月20日&2017年8月11日

明日は旧小田町地区マンホール、観光大使「やかっぴー」マンホール、他の紹介です。

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「矢掛町A」のマンホールカードは、「やかげ町家交流館」でいただけます。

2017年に設置開始されたマンホールには「奴」と「毛槍」がデザインされています。

「矢掛町は、旧山陽道の18番目の宿場町として栄え、全国で唯一、本陣と脇本陣が共に国指定重要文化財として現存する町です。 毎年11月の第二日曜日には市街地を舞台にして、往時の姿のままの絢爛豪華な大名行列が再現されます。 本マンホール蓋は、大名行列の中でもっとも印象的な「奴」と「毛槍」をモチーフにデザインしました。 「奴」と「毛槍」は独特な動きをするので見逃せません。 「下にー下にー」の声とともに街道を練り歩く大名行列は、見るものを江戸時代さながらの空間へといざないます。 マンホール蓋の絵柄とともに、1976年から続く矢掛の秋の風物詩をぜひご堪能ください。」

倉敷マンホールサミットで戴いた缶バッジ

配布先で頂いたマンホールマップ

訪問日:2017年8月11日


ご当地マンホール in 岡山県旧熊山町(赤磐市)

2021年12月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧赤磐郡熊山町(くまやまちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。
備前市、赤磐郡瀬戸町・山陽町・赤坂町、和気郡佐伯町・和気町に隣接。標高508メートルの熊山を最高に、300から200メートル前後の山々に囲まれて、町の中央を東から西に貫流する吉井川の流域平坦地と、北から南に流れる小野田川、これに西から合流する可真川沿いに僅かに平地が開けますが、全体的には丘陵と山林で占められています。また熊山一帯の山塊には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在、最大の石積遺構1ヵ所が国指定史跡「熊山遺跡」として保存されています。「町の木:マツ」「町の花:サクラ」を制定。

旧キャッチフレーズは「人 モノ 文化の交流するまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、和気郡熊山村・磐梨郡豊田村・小野田村・可真村が発足。

1900年、郡制の施行により 磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。

1953年、熊山村村域大字勢力・千躰・奥吉原と豊田村、小野田村、可真村が合併、町制を施行し、赤磐郡熊山町が発足。(熊山村弓削は万富町に編入)

1954年、旧可真村大字弥上を万富町へ編入。

2005年、赤磐郡山陽町、赤坂町、吉井町と合併。市制を施行し赤磐市が発足。

マンホールには「町の花:サクラ」と特産品の「葡萄」、町名に因んだ「くま」がデザインされています。(熊山浄化センター近くの県道79号線)

熊山町勢力地区のデザインは「町の木:松」と、吉井川の「鮎」がデザインされています。

上水道関連の蓋は、町名に因んだ「くま」さんが大活躍。周囲に桜、手に抱えているのは特産の葡萄のようです。

同じデザインなので似たようなものと思われがちですが、実はこんなに大きさが違います。

昭和46年2月制定の町章は「図案は熊山町の円満融和を表し、備南に磐居する雄峰熊山を力強く図案化したもので左右に伸びる翼は、町の将来の飛躍と発展を表現したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2008年8月16日


ご当地マンホール in 岡山県旧吉井町(赤磐市)

2021年12月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧赤磐郡吉井町(よしいちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。赤磐郡赤坂町、和気郡佐伯町、御津郡御津町・建部町、久米郡柵原町・久米南町に隣接。町名は町の東部を流れる吉井川に由来。吉備(きび)高原上に立地し、大半は山林で占められています。中心地区の周匝は吉井川とその支流吉野川の合流点にあり、吉井川舟運の川港として、近世は岡山藩家老池田氏の陣屋町として発展。町の中心地である周匝地区の茶臼山頂上には、今から460年ほど前の戦国時代に築城された茶臼山城址があります。現在は、城山公園として整備されており、頂上近くまで車で行けるとか。天守閣型の展望台からは、周匝平野や吉井川と吉野川が合流する様が一望できるそうです。「町の木:アカマツ」「町の花:ツツジ」「町の鳥:キジ」を制定。

また、2000年にはツチノコ発見騒動があり、以来、町役場に「つちのこ探検隊」を結成。「つちのこ基金条例」が制定され、生体捕獲した者には2,000万円の懸賞金を出すなど、町おこしを兼ねたツチノコ探索が取り組まれていました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、赤坂郡周匝村(すさいそん)・山方村・佐伯北村・仁堀村・布都美村が発足。

1900年、郡制の施行により、赤坂郡と磐梨郡が合併、赤磐郡となる。

1954年、赤磐郡周匝村、山方村、佐伯北村が合併、町制を施行し吉井町が発足。

1956年、仁堀村、布都美村の一部を編入。

2005年、赤磐郡山陽町・熊山町・赤坂町が合併、赤磐市となりました。

マンホールには「町の花:ツツジ」と「町の鳥:キジ」、特産品の「葡萄」が描かれています。

昭和36年10月制定の町章は「町名の「吉井」を組み合わせたもので、「ヨシ」は翼をもって躍進を意味し、「イ」は円形として町民の融和、団結、円満を表現したものです。」合併協議会資料より

こちらは、おそらく昭和29年の吉井町発足当時の町章と思われます。「全体の形で「吉い」を表している」と想像されますが、確かでは有りません。

撮影日:2008年8月16日~18日


ご当地マンホール in 岡山県赤磐市:旧山陽町:旧赤坂町

2021年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

赤磐市(あかいわし)は岡山平野の北東部に位置する市です。2005年3月7日 、赤磐郡山陽町・赤坂町・熊山町・吉井町が新設合併して発足しました。岡山市、備前市、久米郡久米南町・美咲町、和気郡和気町に隣接。地名は郡制の施行により発足した赤磐郡に由来。県内三大河川の一つである吉井川が市の北東部を流れ、市域の大半は丘陵と山林で占められています。

赤磐市仁堀にある「岡山フォレストパーク ドイツの森」は、その立地を生かした農業公園として、ジャージ牛の乳しぼり体験・アルパカ・ミニブタたちとのふれあい等々で、家族連れに人気のスポットとなっています。「市の木:松」「市の花:桃・桜」を制定。

キャッチフレーズは「人“いきいき”まち“きらり”」

2005年7月31日に制定された市章は「赤磐市の「ア」をモチーフに、躍動感とふれあいのイメージを表現しました。赤は市民の活力を、緑は豊かにとりまく自然と文化と歴史を象徴し、未来をみつめ活気あふれる赤磐市の発展を意味しています。」公式HPより

赤磐市のマスコットキャラクター『あかいわモモちゃん』。桃の花輪飾りと立体的なぶどうの粒がポイントの明るくて元気な女の子です。

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旧赤磐郡山陽町(さんようちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。岡山市、赤磐郡赤坂町・熊山町・瀬戸町、御津郡御津町に隣接。町の中央部は比較的平坦で、東西は100m ~ 380mの丘陵。地域内には南方前池遺跡(県指定)、両宮山古墳(国指定)、備前国分寺跡(国指定)等の史跡や、千光寺三重塔等があり、古代~中世~現代にいたる営みが残されています。南北朝時代には鳥取荘が置かれて長講堂領となっていましたが、一時期、児島高徳が恩賞により形式的な所領としていたといわれています。モモと葡萄の栽培が盛んな事から、町には巨大な桃のガスタンクがランドマーク的役割をはたしています。「町の木:松」「町の花:桃」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、赤坂郡東高月村・鳥取下村・鳥取中村・西高月村・西山村が発足。

1900年、郡制の施行により、磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。

1902年、東高月村、鳥取下村、鳥取中村が合併、赤磐郡高陽村が発足。

1926年、西高月村が改称、赤磐郡高月村となる。

1953年、高陽村、高月村の一部・西山村が合併、町制を施行し赤磐郡山陽町が発足。(高月村の残部は岡山市に編入)

2005年、赤磐郡赤坂町・熊山町・吉井町と合併、市制を施行し赤磐市となりました。

マンホールには特産の「モモとブドウ」、上部には町章が表記されています。

昭和50年(1975)1月制定の町章は「頭文字の「山」を図案化したもので、山の字が円から2方に飛び出して町制の力強い飛躍と発展を象徴し、外の円は町民の団結と協調を象徴したものです。」合併協議会資料より

自治体名のみの古い消火栓は、山陽町馬場の「旧赤坂高等尋常小学校本館」付近にあったもの。

最後は山陽町を流れる砂川に架かる「下市橋」の親柱。特産の桃と葡萄がデザインされています。綺麗に彩色されていたら・・思わず頬ずりしそう😅

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旧赤磐郡赤坂町(あかさかちょう)は岡山県南部に位置した町です。赤磐郡山陽町・熊山町・吉井町、和気郡佐伯町に隣接。町域には高塚古墳のほか、約150カ所の古墳があり、須恵器が出土するなど、古くから生活が営まれていた事が伺えます。町の大半は丘陵と山林で占められ、地域内には5つの寺院と、30の神社が立地しているています。「町の木:カイヅカイブキ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、赤坂郡鳥取上村・軽部村・笹岡村が発足。

1900年、郡制の施行により、磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。

1953年、鳥取上村、軽部村、笹岡村が合併、町制を施行し、赤磐郡赤坂町が発足。

1956年、布都美村の一部を編入。(残部は吉井町・御津郡御津町に分割編入。)

2005年、山陽町・熊山町・吉井町と合併、市制を施行し赤磐市となりました。

旧赤坂町域は、義姉の案内でかなりの範囲を捜し歩きましたが収穫はゼロ。その後、義姉が探してきてくれた「町章の有る消火栓」が唯一の収穫となりました。

昭和44年(1969)11月制定の町章は「赤坂町の「赤」を図案化したもので「★」は町民の団結。町の発展を象徴し「●●」は町民みんなの和と産物である桃、葡萄を表したものです。」合併協議会資料より

撮影日:2009年5月5日&2012年1月25日


ご当地マンホール in 岡山県旧佐伯町(和気町)

2021年11月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧赤磐郡佐伯町(さえきちょう)は岡山県の中東部に位置した町です。和気郡和気町、赤磐市、美作市、久米郡美咲町に隣接。古代より官道に沿う要衝の地であり、「和名抄」には「布志乃(藤野)」の名が見られます。またこの地方一帯は、筑紫・吉備・出雲・飛鳥の4大古代日本文化の発祥地といわれ、古代豪族の興亡の跡として、町内には3世紀から7世紀にかけて大小100基に余る古墳が存在し、鉄を精錬した製鉄跡も数多く遺されています。町の中央を北から南に吉井川が貫流し、町中心部の吉井川が大きく蛇行したあたりに小盆地が形成され、そこに町役場など行政・商工業の施設が集中。また標高430mの三保高原の一角に広がる佐伯ファミリーパーク」は、手頃に高原気分を味わえる公園として人気です「町の木:ウメ」「町の花:サクラ」「町の鳥:カワセミ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、和気郡山田村・塩田村・磐梨郡佐伯本村、佐伯上村が発足。

1900年、郡制の施行により磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。

1942年、 佐伯本村、佐伯上村が合併、赤磐郡佐伯村が発足。

1955年、赤磐郡佐伯村、和気郡山田村、塩田村が合併、和気郡佐伯町が発足。

2006年、和気郡和気町と新設合併し、新たに和気群和気町となりました。

マンホールには、佐伯ファミリーパークのシンボル「風車」と、「町の花:桜」がデザインされています。

昭和44年7月制定の町章は「さえきのさ」の文字を図案化したもの。上は大空に羽ばたく鳥のように飛翔・向上する町勢を表し、下の円形は町民の融和・親睦・団結・円満を現しています。末永く町民に愛され、親しまれる事を願って選定されました。」合併協議会資料より

撮影日:2011年8月17日


ご当地マンホール in 岡山県和気町

2021年11月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

和気群和気町(わけちょう)は岡山県の南東部に位置する町です。2006年3月1日、和気郡和気町と佐伯町が合併し、新たに和気町となりました。備前市、赤磐市、美作市、久米郡美咲町に隣接。吉井川沿いに開けた町で、町域の大半は山林。町の中心は吉井川と金剛川が合流する地点で小盆地を形成しており、ブドウやリンゴをはじめ、スモモ、サクランボなどの果樹栽培が盛んです。和気清麻呂の生誕地として、また全国各地のおよそ100種のフジを集めた藤公園、和気鵜飼谷温泉、和文字焼きで知られる「和気富士」などが知られており、岡山県内や近畿地方を中心に各地から観光客を集めています。「町の木:さくら」「町の花:フジ」を制定。

キャッチフレーズは「元気 やる気 日本一 のまちづくり」

2006年3月1日制定の町章は「カタカナの「ワ」をモチーフにして、「ケ」を組み合わせたデザインです。全体に日本一の藤の花が風に揺れるイメージで、うるおいと安らぎのあるまちをあらわしています。」公式HPより

和気町PRキャラクターの『わけまろくん』。「和気清麻呂公」に憧れ、“強い信念”を持って、仲間の『フジコちゃん』『タンタン』と共に和気町のPR活動に取り組んでいます。

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旧和気群和気町(わけちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。北は英田郡英田町、東は吉永町、南は備前市、西は赤磐郡熊山町、和気郡佐伯町に隣接。西部を吉井川が南流し、東方より西流する金剛川と町南端の初瀬池から北流、のち西流する初瀬川を合流。町域の藤野地区は、和気清麻呂の生誕地として知られ、和気清麻呂を祀る和気神社が鎮座します。

1889年、町村制の施行により和気郡和気村・本荘村・日笠村・藤野村、磐梨郡石生村が発足。

1900年、郡制の施行により、磐梨郡と赤坂郡が合併、赤磐郡となる。

1901年、和気村が町制を施行、和気郡和気町(旧・第一次)が発足。

1950年、本荘村が町制施行、和気郡本荘町となる。

1953年、和気郡和気町、本荘町、日笠村、藤野村、赤磐郡石生村が合併、新たに和気町(旧・第二次)が発足。

旧和気町のマンホールは、中央に町章が表記された規格タイプのみ。

昭和39年(1964)10月制定の町章は「和気町の「ワ」と「ケ」の二文字をカタカナで表現し、円形は円満な和を意味付けています。中央の三角状は、海外四方八方に飛躍発展を図案化したものです。」合併協議会資料より

マンホール探しの途中で見かけた「登録有形文化財:旧永井家住宅」。大正5年(1916)に歯科診療所兼住宅として建てられました。

江戸切り仕上げ石を積んだ基礎、外壁の下見板張り、木製の上げ下げ窓、塔屋をもつ瓦葺屋根など、建物の随所にその当時の進取の気風が表現されています。

旧永井家住宅の直ぐ近くにあった「和気郵便局」の建物。右から左に書かれた文字の古さからも、それなりの年代物と思われます。

人の気配も無く、和気町の公式サイトにも特に記載が無く、現役なのかどうかも不明という謎の建物。

撮影日:2009年5月5日&2015年5月3日


ご当地マンホール in 岡山県旧吉永町(備前市)

2021年11月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧和気郡吉永町(よしながちょう)は岡山県の南東部に位置した町です。備前市、和気郡和気町、英田郡作東町・英田町に、また県を跨いで兵庫県赤穂郡上郡町、佐用郡上月町に隣接。町の中央部を八塔寺川が北から南に貫流。町の南部を東から西へ金剛川が流れ、町の南西部で八塔寺川と合流。合流地付近が町の中心であり小盆地を形成していますが大半は山林。八塔寺川には、昭和51年の台風による災害を契機として建設された多目的ダム「八塔寺川ダム」があり、近隣はダム公園として整備されています。「町の木:ヒノキ」「町の花:ウメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、和気郡英保村・神根村・三国村が発足。

1948年、英保村が町制を施行、和気郡英保町が発足。

1948年、英保町が吉永町に改称、和気郡吉永町となります。

1954年、吉永町、神根村、三国村が合併、新たに和気郡吉永町が発足。

2005年、備前市、和気郡日生町との対等合併により備前市吉永町となりました。

マンホールには「八塔寺川を飛び交うホタル」「町の木:檜」「町の花:梅」がデザインされています。

2017年11月18日開催の、倉敷マンホールサミット:展示マンホール。

昭和40年10月1日制定の町章はひらがなの「よ」を3つ組み合わせて図案化したものです。中央の円形は町民の団結と円満を意味し、三方向に突き出した三角形は八塔寺山、竜泉山、敦土山を中心として四方に連なる広大な山林をあらわしています。また3つの小円は3カ町村合併による本町の生い立ちを意味しています。全体を亀の形にあらわしているのは、旧岡山藩池田家歴代の墓所に用いられている巨大な亀石にヒントを得て何事もあせらず、着実な歩みを続ける町民のねばり強さを象徴しています。」合併協議会資料より

吉永町加賀美の地に神亀5年『弓削道鏡』が開基したと伝えられる「照鏡山:八塔寺」。山岳仏教の聖地として栄え、盛時には72もの僧坊があったと伝えられています。

標高400mの高原に開ける「八塔寺の村」。昭和49年に県下で初めて、山上全体が「八塔寺ふるさと村」として登録、保存・整備が行われています。(上記二枚の画像提供:義姉)

八塔寺川ダムカード

撮影日:2013年7月22日&2017年11月17日


ご当地マンホール in 岡山県旧日生町(備前市)

2021年11月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧和気郡日生町(ひなせちょう)は岡山県の東南端に位置した町です。備前市、また県を跨いで兵庫県赤穂市に隣接。町域は瀬戸内海に面し、県内最大の鹿久居島・大多府(おおたぶ)島・頭島などの日生諸島へは、日生港からフェリーが出航。主産業は漁業で、近年ではカキ・ハマチの養殖が行われ、漁港で開催される「五味の市」は県内外からの客で賑わいます。相対的に平地は少なく山林で占められており、耐火煉瓦工場が多い事でも知られています。「町の木:ヤマモモ」「町の花:ヤマツツジ」「町の鳥:アオサギ」「町の魚:シャコ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、和気郡日生村・福河村が発足。

1906年、日生村が町制を施行、和気郡日生町が発足。

1955年、日生町、福河村が合併、新たに和気郡日生町が発足。

2005年、備前市、和気郡吉永町との対等合併により備前市日生町となりました。

マンホールには、本土と大小13の島々からなる日生諸島の地図。上には旧日生町章。漁業の町らしく大漁旗に蛸、チヌ、湊に立つ住吉灯台やヨットなどがデザインされています。

昭和47年4月1日制定の町章は「中央は波間から力強く昇る日輪で(日生町の町勢)を表し、右の波は男波、左の波は女波を表し、町の躍進を右の男波で、協調を左の女波で表現しています。」合併協議会資料より

日生駅前から庁舎へと続くタイル歩道の上には、日生町の名産品などがデザインされたタイル画が嵌め込まれています。カキ養殖が盛んで「カキオコ(牡蠣入りのおこのみやき)」で町おこしを行っている町らしい「カキ」と「桜」。

「鹿が多い(=久しく居る)」ことから鹿久居と名づけられた「鹿久居島」。今も、野生のシカが鹿久居島から頭島への橋を渡る姿が目撃されています。

日生本土や日生諸島での「観光みかん狩り」も有名、季節には多くの人が訪れます。

漁業を主産業とする日生町。大人の掌を広げたくらいの「カレイ」は、煮付けにするととても美味しいのです。

「町の魚・シャコ」。実は私の数少ない大好物の一つなのですが、最近は滅多に水揚げされなくなったらしく、市場でも売られていないと義姉が嘆いておりました。

撮影日:2008年8月17日&2015年12月29日


ご当地マンホール in 岡山県備前市&旧備前市

2021年11月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

備前市(びぜんし)は岡山県の南東部に位置する市です。2005年3月22日に(旧)備前市、和気郡日生町、吉永町が合併し、新たに備前市となりました。岡山市、瀬戸内市、赤磐市、美作市、和気郡和気町に。さらに県を跨いで兵庫県赤穂市、赤穂郡上郡町、佐用郡佐用町、海上で姫路市家島。更に海上で香川県郡小豆小豆島町、土庄町に隣接。瀬戸内海に面した市域は海岸線が入り組んでおり瀬戸内海国立公園の一部を成し、また、市の中心地・片上地区に片上湾が入り込んでいます。日生地区には島嶼が点在。全体的に平坦な場所が少なく丘陵地帯を成し、市全体の8割ほどを山林が占め、北東部の吉永地区は標高300~500mの高原地帯にあり、市の南西端が岡山平野の最東端に当たり僅かに平野が開けます。日本六古窯の一つ「備前焼」と、耐火煉瓦・漁業の町として知られています。「市の木:カイノキ」「市の花:サツキ」「市の魚:サワラ」を制定。

キャッチフレーズはと みどりと のまち」

2005年6月16日制定の市章は「「びぜん」の頭文字、「び」を海の青と、山林の緑、太陽と焼き物の炎を象徴する赤で図案化したものです。」公式HPより

マンホールは、新市章のある規格蓋と、同じく親子蓋タイプを見つける事が出来ました。

撮影日:2010年8月12日&2016年8月14日

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旧備前市(びぜんし)は岡山県南東部に位置した町です。瀬戸内市、赤磐市、和気郡和気町・日生町・吉永町に。また県を跨いで兵庫県赤穂市、赤穂郡上郡町に隣接。瀬戸内海:片上湾、日生湾に面し、鹿久居島、曽島、鴻島、頭島、大多府島、鶴島などの日生諸島を有します。また日本六古窯の一つ「備前焼」の里として知られ、特に伊部地区で盛んな事から「伊部(いんべ)焼」とも呼ばれ、市の表玄関である伊部駅舎の壁には、備前焼の獅子を象ったレリーフが人々を出迎えてくれます。

明治22年(1889)、町村制の施行により、和気郡伊部村・片上村・香登村・伊里村・鶴山村・三石村・邑久郡鶴山村が発足。

1901年、片上村が町制を施行、和気郡片上町が発足。

1906年、三石村が町制を施行、和気郡三石町が発足。

1912年、伊部村が町制を施行、和気郡伊部町が発足。

1927年、香登村が町制を施行、和気郡香登町が発足。

1951年、片上町、伊部町が合併、第一次和気郡備前町が発足。

1951年、伊里村が町制を施行、和気郡伊里町が発足。

1955年、 備前町、伊里町、香登町、鶴山村、邑久郡鶴山村 が合併、第二次和気郡備前町が発足。

1971年、備前町、三石町が合併、市制を施行、第一次備前市が発足。

旧備前市のマンホールには「備前焼宮獅子」と「備前焼のふる里」の文字がデザインされています。

2017年11月18日開催の、倉敷マンホールサミット:展示マンホール。

備前焼宮獅子

昭和46年(1971)9月4日制定の市章は「「ビ」の図案化で、円形で市民の融和、平和、団結を表し、輪郭より突出する右手は大空を力強く指差し、向上、発展、飛躍を示し限りなく前進を続ける備前市を象徴しています。」合併協議会資料より

伊部地区はまさしく「備前焼のふる里」。家の防犯にも一役買ってくれそうな精悍な宮獅子も、気軽にお買い求めできます😊

町を歩けば、至る所に陶器専門店があり、ショーウインドウを覗けばこんなものまで!と、思わず手に取りたくなる作品も展示されています。

撮影日:2008年5月2日&2010年8月12日