goo blog サービス終了のお知らせ 

車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岡山県旧久世町(真庭市)

2022年03月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧真庭郡久世町(くせちょう)は岡山県北部、真庭郡の南部に位置した町です。津山市、真庭郡勝山町・落合町・湯原町、久米郡美咲町、苫田郡鏡野町に隣接。町名については、「曲瀬川」の「くぐせ」が「くせ」となった等をはじめ、他にも諸説があります。近世において久世陣屋が設置された事から陣屋町として栄え、 また、出雲往来の宿場町として、本陣が置かれていました。町の北部は急峻な山林に囲まれており、河川沿いに農村集落が連鎖状に散在しています。「町の木:ケヤキ」「町の花:サクラ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大庭郡久世村が発足。

1896年、久世村が町制を施行。大庭郡久世町(初代)となる。

1900年、郡制の施行により、大庭郡と真島郡が合併、真庭郡となる。

1901年、久世町大字山久世を真庭郡一宮村へ編入。

1904年、久世町が真庭郡川南村を編入。

1955年、久世町、美和村が合併、(2代)真庭郡久世町が発足。

2005年、真庭郡勝山町、落合町、湯原町、八束村、川上村、中和村、美甘村、上房郡北房町が合併、真庭市となりました。

マンホールには、岡山三大だんじり祭りの1つ「久世祭りのだんじり」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

昭和35年10月制定の町章は「「くせ」の文字を図 案化したものであ る。」合併協議会資料より

旧久世町鍋屋に残る国重要文化財「旧遷喬(せんきょう)尋常小学校校舎」。『江川三郎八』の設計による明治後期の擬洋風校舎。予定が狂って見学できなかった心残りのスポットですが、期間限定の「なつかしの学校給食」なるイベントが開催されています。偏食が服を着て歩いているような私にとって、小・中通して一番いやな時間だった給食・・何が何でも見学したいと思わなかった最大の理由がこの「学校給食」のフレーズだったかもしれない😔

撮影日:2013年4月23日


ご当地マンホール in 岡山県旧落合町(真庭市)

2022年03月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧真庭郡落合町(おちあいちょう)は岡山県中部、吉備高原の北部に位置した町です。津山市、高梁市、真庭郡勝山町・久世町、久米郡美咲町、加賀郡吉備中央町、上房郡北房町に隣接。町の中心は「旭川」と「備中川」が落ち合う地で、町名もそれに因みます。もと高瀬舟遡航の終点であり、町域の大半が山林で占められています。別所大字吉念寺に咲く県天然記念物「醍醐桜」は樹齢を700年とも1000年とも伝えられ、開花時期になると全国から花見客が訪れる事でも有名です。名前の由来は隠岐の島に配流される途上の後醍醐天皇がこの桜を愛でたという伝説によるもので、新日本名木百選の一つに選定されています。「町の木:ウメ」「町の花:白梅」「町の鳥:ウグイス」「町の魚:アユ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、真島郡落合村・瀬田河村・天津村・鹿田村・下方村・関川村・美原村・上田村・船津村が発足。大庭郡河内村・大庭村・河陽村が発足。

1897年、落合村が町制を施行、真島郡落合町(初代)となる。

1900年、郡制の施行により、真島郡と大庭郡が合併、真庭郡となる。

1901年、下方村と鹿田村が合併、真庭郡木山村が発足。

1904年、落合町、瀬田河村、天津村が合併、真庭郡落合町(2代)が発足。関川村、美原村が合併、真庭郡美川村が発足。上田村、船津村が合併、真庭郡津田村が発足。

1905年、大庭村、河陽村が合併、真庭郡川東村が発足。

1955年、落合町、津田村、木山村、美川村、河内村、川東村が合併、真庭郡落合町(3代)が発足。

1961年、落合町大字吉の一部を久米郡旭町へ編入。

2005年、真庭郡落合町、勝山町、久世町、湯原町、川上村、八束村、中和村、美甘村、上房郡北房町が合併、真庭市となりました。

マンホールには、吉念寺集落の小高い丘の上にある「醍醐桜」がデザインされています。

昭和35年4月1日制定の町章は、落合の頭文字「お」を飛躍的に図案化したものです。

撮影日:2013年4月23日


ご当地マンホール in 岡山県旧勝山町(真庭市)

2022年03月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧真庭郡勝山町(かつやまちょう)は岡山県の北部に位置した町です。真庭郡湯原町・久世町・落合町・美甘村、上房郡北房町、阿哲郡大佐町に隣接。海抜1.030mの星山等の山々に囲まれ、旭川およびその支流の新庄川・月田川に沿って開け、かつては城下町として、作西の政治・経済・交通・文化の中心地として知られてきました。また、総面積の85%を山林が占めており、木材の集散地として西日本でも有数の「木材のまち」として知られています。「町の木:ヒノキ」「町の花:モクセイ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、真島郡勝山村・川西村・一宮村・月田村・井原村・富山村が発足。

1896年、勝山村が町制を施行、真島郡勝山町(初代)が発足。

1900年、郡制の施行により、真島郡と大庭郡が合併、真庭郡となる。

1901年、一宮村が真庭郡久世町大字山久世を編入。

1902年、井原村、富山村が合併、真庭郡富原村が発足。

1907年、勝山町(初代)、川西村、一宮村、月田村が合併、真庭郡勝山町(2代)が発足。

1949年、勝山町大字月田が分離、真庭郡月田村が発足。

1955年、勝山町(2代)、月田村、富原村が合併、真庭郡勝山町(3代)が発足。

2005年、真庭郡勝山町、湯原町、落合町、久世町、川上村、八束村、中和村、美甘村、上房郡北房町が合併、真庭市となりました。

マンホールには全体に「町の花:モクセイ」が敷き詰められており、下に「勝山町」、上に「下水」の文字が表記されています。

昭和44年(1969)5月制定の町章は「1:カツ山を図案化 したもの 2:旭川を中心に平和に育まれた町を表現した」合併協議会資料より

旭川に架かる鳴門橋

旭川の豊富な水量と清らかな水質の中で育つ「鮎」

「城内速日神社」の祭礼で奉納される「勝山祭り:喧嘩だんじり」のレリーフ。岡山三大だんじり祭りの1つで、勝山の地が一年の中で最も盛り上がりを見せる時です。

元若連・中若連・上若連・西若連・城若連・新若連・旦若連・川若連・原若連」と華だんじりの「北若連・郷若連」。11若連(わかれん)の法被につけられる「シルシ」がデザインされた路上タイル画。勝山祭りが終わると、町には冬が訪れると言われています。

撮影日:2013年4月23日


ご当地マンホールとマンホールカード第15弾 in 岡山県真庭市

2022年03月26日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

真庭市(まにわし)は岡山県北部、中国山地のほぼ中央に位置する市です。2005年3月31日、上房郡北房町、真庭郡勝山町・落合町・湯原町・久世町・美甘村・川上村・八束村・中和村が合併して市制を施行、真庭市となりました。津山市、高梁市、新見市、加賀郡吉備中央町、久米郡美咲町、苫田郡鏡野町、真庭郡新庄村に。また県を跨いで鳥取県倉吉市、東伯郡三朝町、日野郡江府町に隣接。市の北部に広がる蒜山高原は酪農が盛んで、特に飼育頭数日本一を誇る「ジャージー牛」の乳製品は全国的にも知られ、南部には美作三湯の「湯原温泉」、のれんの町並みで知られる「勝山町並み保存地区」があり、蒜山高原とともに観光エリアを形成しています。「市の木:ヒノキ」「市の花:桜」「市の動物:ジャージー牛・オオサンショウウオ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と地域資源を活かした人と環境にやさしい「杜市(とし)」 真庭」

全体に大きく「醍醐桜」が描かれた旧落合町のデザインマンホール、自治体名が「真庭市」に代わっています(倉敷マンホールサミット:展示マンホール)

2005年3月31日制定の市章は「真庭市の「ま」の文字を図案化。緑は9町村の特徴である豊かな森林、青はそこに流れる旭川・備中川やその支流の豊かな水資源、橙色は真庭人の温かい心と生命感あふれる明るい未来を表しています。円を用いた構成で優しさを表現。全体で「豊かな自然と地域資源を活かした人と環境にやさしい「杜()市()」=真庭市を表しています。」都市データパックより

真庭市キャラクター『まにぞう』は、真庭に住む杜(もり)の妖精。人懐っこく好奇心旺盛。太陽ときれいな水と澄んだ空気が大好きです。2011年から真庭市観光キャラクターとして観光PRの活動を始めました。

マンホール撮影日:2013年4月23日

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました

2021年8月17日に第15弾として全国20自治体で22種類(累計780自治体580種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「真庭市」のマンホールカードは、「GREENable HIRUZEN」でいただけます。

2021年に設置開始されたマンホールには「GREENable HIRUZEN」がデザインされています。

「マンホール蓋にデザインされているシンボリックな建築物は、東京・晴海に建てられた建築家・隈研吾氏の建築作品を、真庭市蒜山(ひるぜん)地域の観光・文化の発信拠点である「GREENable HIRUZEN」に移築したものです。 真庭市産材のヒノキを重ねて接着したCLT(直交集成板)と鉄骨の組み合わせによる大胆なデザインのこの建築物は、ヒノキの故郷真庭市で再生されたことから、サステナブルの象徴ともいえます。 このマンホール蓋は隈研吾氏の協力により製作されました。 サイクリングなどが充実する当地でのアクティビティとともに、マンホール蓋もゆっくりとお楽しみください。」


ご当地マンホール in 岡山県旧大佐町(新見市)

2022年03月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧阿哲郡大佐町(おおさちょう)は岡山県西部の北端に位置した町です。東は真庭郡新庄村・美甘村・勝山町、西は新見市、南は上房郡北房町に。また県を跨いで北は鳥取県日野郡日野町に隣接。町域は阿哲カルスト台地に立地し、標高は350m内外から1000m、集落は高梁川の上流小坂部川およびその支流域に形成。新見市との境界にある大佐山(988m)は、パラグライダーの飛行場やキャンプ場があるリゾートエリアとして、また大佐ダム湖の周辺に整備された「お~さ源流公園」では、水遊びやカヌー、キャンプなどを楽しむ事が出来ます。「町の木:ヒノキ」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、阿賀郡刑部村・丹治部村・上刑部村が発足。

1900年、郡制の施行により、阿賀郡と哲多郡が合併、阿哲郡となる。

1927年、刑部村が町制を施行、阿哲郡刑部町が発足。

1955年、刑部町、丹治部村、上刑部村が合併、阿哲郡大佐町が発足。

2005年、新見市、阿哲郡神郷町・哲多町・哲西町との対等合併により新・新見市となりました。

マンホールには「町の木: ヒノキ」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:ウグイス」に「大佐山のパラグライダー」と「小坂部川」がデザインされています。

大佐町「こうち」地区マンホール

大佐町「ふせ」地区マンホール

大佐町「上刑部」地区マンホール

中国自動車道:大佐SA記念スタンプ「大佐山のパラグライダー」

昭和42年(1967)3月制定の町章は「大佐の大を図案化したもので、上部は三ケ町村合併と大佐山をあらわし、下部の円は町の親和と平和を示しており、将来の発展と飛躍を目指し、伸びようとする意欲を表現したものである。」合併協議会資料より

「←新見 大佐山→」の標識の下にあった平松交差点のレリーフ

「町の鳥:うぐいす」

「町の花:しゃくなげ」

撮影日:2013年4月23日


日本一の親子孫水車 in 岡山県旧神郷町(新見市)

2022年03月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

新見市神郷下神代、国道182号沿いにある「夢すき公園」。ここに「日本一の親子孫水車」があると言う事で、朝一で立ち寄ってみました。

手前から親、その向こうに子、更に奥に小さく孫水車

茅葺屋根と水車の組み合わせは、牧歌的・・と言いたいところですが、流石にこれだけ水車が大きいと・・・なんか違う😓

屋根より高い直径13.6mの巨大水車、位置を変えて見ても・・・なんか違う

親子孫の名の通り、順番に巨大になってゆく水車。そう言えば、中国自動車道のPAからもこの三連水車が見えてた気がする。あれはどのPAだったかしら?

園内には「紙の館」もあり、申し込めば紙漉体験もできるそうです。が・・流石に午前8時前のこの時間。施設は勿論閉じられているし、そもそも我々以外に訪問者の姿も無く、遅い満開の桜に染められた優しい景色も独占状態。

と・・はるか向こうに電車の音が聞こえてきたので急いで土手に駆け上がったご亭主殿。残念ながらデジカメのシャッターに指が触れるより早く通過してしまいました。ほんの一瞬の事に呆然と立ち尽くすご亭主殿、いや、気持ちはよく分かります。

中国自動車道:大佐SA記念スタンプ「日本一親子孫水車」。でも大佐SAから、親子孫水車は見えません😅

訪問日:2013年4月23日

------------------------00----------------------

旧阿哲郡神郷町(しんごうちょう)は岡山県北西部、中国山地に位置した町です。新見市、阿哲郡哲多町・哲西町に。また県を跨いで鳥取県日野郡日南町。さらに県を跨いで広島県比婆郡東城町に隣接。古くより良質砂鉄の採取地であり、釜地区は、たたら製鉄の中心として繁栄。町内の多くは石灰岩で形成され、笹尾鉱山などで石灰を産出。北部には高瀬鉱山跡があり、昭和終期までクロムを産出していました。「町の木:ヒノキ」「町の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、哲多郡神代村・新郷村が発足。

1900年、郡制の施行により、哲多郡と阿賀郡が合併、 阿哲郡となる。

1955年、神代村、新郷村が合併、町制を施行し阿哲郡神郷町が発足。

2005年、新見市、阿哲郡大佐町・哲多町・哲西町との対等合併により新・新見市となりました。

昭和35年(1960)3月17日制定の町章は「神は示、郷は巴の字で表現し、図案化したもの。旧神代村・新郷村の結びつきを意味し、四方に飛躍して新和と平和を目指して伸びようとする意欲を表現している。」合併協議会資料より

マンホールに関しては上下水とも、デザイン蓋も規格蓋も見つける事が出来ませんでした。唯一「夢すき公園」で見つけた自治体章のある空気弁ですが・・

残念ながら自治体章は高梁市の市章で、いわゆる越境蓋と呼ばれるもの。という事で、神郷町ご当地の蓋を見つけられた方、是非!!是非とも画像を下さい!!

撮影日:2013年4月23日


ご当地マンホール in 岡山県旧哲西町(新見市)

2022年03月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧阿哲郡哲西町(てっせいちょう)は岡山県の最西北部に位置した町です。高梁市、阿哲郡神郷町・哲多町に。また県を跨いで広島県比婆郡東城町に隣接。吉備高原の西部、中国山地の南部に位置し、主集落八鳥地区は、近世吉岡銅山への物資輸送で栄えてきました。高原部は哲西牛の産地で知られます。町の中東部には西の尾瀬と呼ばれる、国天然記念物「鯉ヶ窪湿原」があり、また太鼓を打ち、田植え歌を歌いながら行う「哲西の太鼓田植え」は2008年3月に岡山県の重要無形民俗文化財に指定されています。「町の木:ヤブツバキ」「町の花:オグラセンノウ」「町の鳥:キジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、哲多郡矢神村・野馳村が発足。

1900年、郡制の施行により、哲多郡と阿賀郡が合併、 阿哲郡となる。

1955年、矢神村、野馳村が合併、町制を施行し、阿哲郡哲西町が発足。

2005年、阿哲郡大佐町、神郷町、哲多町との対等合併により(新)新見市となりました。

マンホールには「鯉ヶ窪湿原」と「町の花:オグラセンノウ」「町の鳥:キジ」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

昭和49年(1974)4月制定の町章は「平仮名の「てっせい」を図案化したものである。円形は町民相互の「協力」「円満」「平和」を、横の曲線は町政の「向上」「進展」「飛躍」を表す。」合併協議会資料より

撮影日:2013年4月23日&2015年4月23日

------------------------00----------------------

新見市の南西端部、国道182号沿いにある「道の駅鯉が窪」 。2013年4月の旅ではこちらの道の駅で車中泊をさせて頂きました。季節を先取りした鯉のぼりや、花田植えのジオラマなど、興味深い展示が沢山あり、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました。

車で旅をする私たちにとって、こうした道の駅は本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は本当に有難うございました。🙏🙏


ご当地マンホール in 岡山県旧哲多町(新見市)

2022年03月22日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

旧阿哲郡哲多町(てったちょう)は岡山県北西部に位置した町です。新見市、高梁市、阿哲郡神郷町・哲西町に隣接。吉備高原の北部、高梁川の支流である本郷川の東部に位置し、町域は高原と山林で占められます。中心となる本郷は吉岡銅山の採掘用鉄具製造の鍛冶屋町として発達。産業として米作・林業・石灰石の採掘や、和牛飼育が行われています。「町の木:赤松」「町の花:スズラン」「町の鳥:キジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、哲多郡新砥村・萬歳村・本郷村が発足。

1900年、郡制の施行により、阿賀郡と哲多郡が合併、阿哲郡となる。

1955年、新砥村、萬歳村、本郷村が合併、町制を施行し阿哲郡哲多町が発足。

2005年、新見市、阿哲郡大佐町・神郷町・哲西町との対等合併により新・新見市となりました。

マンホールには荒戸山を背景に、「町の木:アカマツ」「町の花:スズラン」「町の鳥:キジ」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

昭和31年(1956)5月制定の町章は「全体の▽形は三か村の合併を意味する。てつ多は哲多を表現する。「多」は図案の為「タ」が二つ重なっている。左右空間はより大きくのびようとする意。」合併協議会資料より

町の花:スズランを手にしているのは、哲多町シンボルキャラクター『サーチ君』。哲多町蚊家(こうのいえ)地区の天王八幡神社の境内とその周辺は、岡山県下でも珍しい「金ボタル」が生息しており、昭和34年3月27日に県天然記念物に指定されています。

撮影日:2015年4月23日


ご当地マンホール in 岡山県新見市&旧新見市

2022年03月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

新見市(にいみし)は岡山県の北西端部に位置する市です。2005年3月31日 、新見市、阿哲郡大佐町・神郷町・哲多町・哲西町が合併、新たに新見市となりました。真庭市、高梁市、真庭郡新庄村に。また県を跨いで鳥取県日野郡日野町・日南町に。さらに県を跨いで広島県庄原市に隣接。北部は中国山地、南部は吉備高原のそれぞれ一部を成し、面積の85パーセント以上を山地が占め、1000 m前後の山々が複数存在。市域の北側の中国山地を分水嶺にした高梁川の上流域に位置し、井倉峡、阿哲峡、御洞渓谷など、河川による侵食で形成されたV字谷が多数見られます。市内の大半がカルスト台地上に位置し、市の北部と南部の山地には「満奇洞」「井倉洞」に代表される複数の鍾乳洞が見られこの地質を活かして、石灰石の採掘も行われてきました。「市の木:ヒノキ」「市の花:ツツジ」「市の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「豊かさの実感 安全・快適・情報文化都市 にいみ」

2021年4月25日、第14弾として新見市のマンホールカードが配布され、それに伴いマンホールも設置されたようです。でも未収集なので見本です😅

「千屋牛」のモニュメント

------------------------00----------------------

旧新見市(にいみし)は岡山県の北西部に位置した市です。高梁市、阿哲郡大佐町・神郷町・哲多町、上房郡北房町に。また県を跨いで鳥取県日野郡日野町、日南町に隣接。市街地は高梁川上流の新見盆地に開け、鎌倉時代には京都の東寺の荘園があり、川をはさんで上市・下市の市場が所在。姫新線、伯備線の開通で、上市に駅前集落が発達。盆地から下流は石灰岩地帯で石灰石工業が盛ん。また、北部の千屋は千屋牛の産地として知られています。

明治22年(1889)、町村制の施行により、阿賀郡新見村・美穀村・草間村・豊永村・菅生村・熊谷村、哲多郡上市村・石蟹郷村 が発足。

1896年、新見村が町制を施行、阿賀郡新見町が発足。

1900年、郡制の施行により、阿賀郡と哲多郡が合併、阿哲郡となる。

1946年、上市村が町制を施行、阿哲郡上市町が発足。

1954年、阿哲郡新見町、上市町、美穀(みよし)村、草間村、豊永村、熊谷村、菅生村、石蟹郷(いしがさと)村が合併、市制を施行し新見市が成立。

草間地区集落排水のマンホールには「井倉峡」と「絹掛の滝」。「市の花:ツツジ」と「特産のピオーネ」「高梁川の鮎」がデザインされています。

倉敷マンホールサミット:展示マンホール

市内は市章のみの規格蓋。

昭和29年(1954)12月25日制定の市章は「新見の頭文字を平仮名で意匠し、工業都市新見の道感を盛り込み拡大発展する都市として印象付けている。」旧・新見市制時に制定され、新制後も継承される」公式HPより

鬼伝説が多数残る「鬼だらけの里新見」の鬼のキャラクターがデザインされた仕切弁。

鬼のキャラクターと赤鬼、満奇洞がデザインされた消火栓。

新見市千屋地区の農協施設には『千屋牛娘』なる萌えキャラがいます。

撮影日:2013年4月23日&2015年4月23日


ご当地マンホール in 岡山県西粟倉村

2022年03月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

英田郡西粟倉村(にしあわくらそん)は岡山県の最北東端に位置する村です。美作市に。また県を跨いで兵庫県宍粟市。さらに県を跨いで鳥取県八頭郡智頭町・若桜町に隣接。中国山脈の南斜面に開かれた谷あいの山里で、面積の約95%が山林、その内の約85%を杉や檜などの人工林が占める傍ら、貴重な自然が残る若杉天然林(若林原生林)があります。また私有林を村で一括して管理・活用する「百年の森林」事業のほか、家具など森林資源を活用した起業や移住者誘致による地域おこしでも知られます。「村の木:杉」「村の花:サツキ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「湯の里・木の村・雪の国・にしあわくら」「上質な田舎へ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、筏津村、大茅村、影石村、坂根村、知社村、長尾村が合併し、吉野郡西粟倉村が発足。

1900年、郡制の施行により、吉野郡と英田郡が合併、英田郡西粟倉村となりました。

マンホールには、「中国地方随一のラジウム温泉につかってご機嫌なタヌキ君」を中心に、「村の花:さつき」「村の鳥 :うぐいす」がデザインされています(国民宿舎あわくら荘の駐車場内)

その昔、この地の洞窟に住む傷を負ったタヌキが、塩谷川のほとりで傷を癒しているところを地元の狩人が見つけ、その場に湯が湧き出ているのを発見したという伝説が残る「あわくら温泉」。時代は下り、今では駅前の露天風呂に浸かってご機嫌なタヌキさん一家。

大正13年(1924)10月制定の村章は「西粟倉村内にある駒の尾山、ダルガ峰などの山々を象徴したもの」

ウエルカムボードには、西粟倉村イメージキャラクター『ラブちゃん』の春夏秋冬が描かれています。

西粟倉村影石にある「智頭急行:あわくら温泉駅」

撮影日:2012年4月14日&2016年10月19日

------------------------00----------------------

国道373号の「道の駅・あわくらんど」。いつも新鮮な野菜や果物が豊富に販売されていて、鳥取方面に行く折には、必ず立ち寄りついつい買い込んでしまう、お気に入りの道の駅。

ここでの車中泊はまだ経験ありませんが、駐車場の一画にこんな張り紙を見つけました。「駐車場での食事、自炊、火の使用は禁止いたします」。車旅をする者にとって大切な場所を、自ら失う愚を犯す人たちの事、心から残念に思います。