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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

山北八幡宮~其の一 in 香川県丸亀市

2021年03月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

丸亀市山北町に鎮座される「山北八幡宮」。御祭神は『品陀和気尊、息長帯姫命、玉依姫命』  『波仁夜須神、水波女神、天照皇大神、大物主神』の四座が合祀され、丸亀市の産土神として崇敬されています。

境内由緒「宝暦の社記によれば当社往昔は、船山に鎮座ありて船山大明神と奉称せられしが、船山後に亀山と称せらるるに至り。よって亀山大明神と称せらるるに至れりとありて、伝うる所によれば、往古亀山は船山又は波越山と称せられ、海潮山のふち迄満ち来りしを以てこの山に於て船を造り又修理せしより船山と称したり。 後年この沖に大亀来たりしを捕らえて朝廷に献ず。以来沖を丸亀沖と称し山を亀山と称するに至れりと言う。~以下略」

二の鳥居前より神域を守護されるのは、昭和10年(1935)9月23日建立のなんともおどけた表情の狛犬さん。

この顔で出迎えられたら、心の憂いなぞ一気に吹き飛んでしまいそうです。

鳥居を潜って神橋・随身門と続きますが、何とそちらにも沢山の狛犬さんが神域の守護を担当されていました。

まずは「山北八幡宮」一番の最年長で、寛政5年(1793)8月吉日建立の狛犬さん一対。出会ったのは2011年ですから当時211歳😲。何ともユニークな表情で頑張っておられます。

続いては文政12年(1829)正月吉日建立の、これもかなりお年を召した狛犬さん一対。吽形さんは頭上に宝珠を頂き、阿形さんは角を持ち、口中に玉を咬んでいます。

随身門前より神域を守護される、昭和5年(1930)1月9日建立の狛犬さん一対。

ちょっと扁平頭で、どんな場所にいても笑顔を誘うムードメーカー的存在。この底抜けに明るい笑い顔を見れば、たいていの悩みは消えるかも。

随身門を潜って参道正面、〆鳥居の向こうに、千鳥破風・唐破風を備えた華麗な拝殿が見えています。こんな鬱陶しい雨の中ですが、だからこそ尚更に神域の澄んだ静けさが心地よく感じられて思わず深呼吸。

参拝を済ませたらそのまま境内の散策。こちらの建物は絵馬殿ですが入り口は閉ざされており、内部は公開されていません。

絵馬殿には、県指定有形民族文化財「山北神社奉納 京極侯参勤交代御船揃絵馬」が収蔵されているとか。実際に見る事は出来ませんが、大きな写真付の説明が添えられています。

神馬舎の格子の隙間からは、奉納された木製の黒馬・白馬の姿を見ることができます。

白馬の優しい優雅な顔立ち、黒馬のいかにも自信に満ちた精悍な体つき・・もしかしてこの一対の御神馬は夫婦馬かもしれません。

神馬が登場したので、こちらはブロンズ製の御神馬、腹掛けには八幡宮の「三つ巴紋」ではなく、「五三の桐紋」が輝いています。

こちらのブロンズ製の犬像は、神馬の横に奉納されていたものですが、特に何かの注釈も無く、何故ここに奉納されているのかわかりません。

広大な「山北八幡宮」の境内、小さな祠も含める境内社は11社にも及び、見所はまだまだ続きますが・・・~続きは明日のブログで

参拝日:2011年6月16日


丸亀城 in 香川県丸亀市

2021年03月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

丸亀市のシンボル的存在「丸亀城」。市街地の南部に位置する標高66mの亀山を利用し、縄張りはほぼ四角形。亀山の廻りを堀(内堀)で囲んだ渦郭式(かかくしき)の平山城で、別名「亀山城・蓬莱城」とも呼ばれます。

緩やかであるが荒々しい野面積みと、端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせた「扇の勾配」と呼ばれる石垣。山麓から山頂まで4重に重ねられた石垣の高さは、合わせると60メートルにもなり、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートル。「石垣の名城」として観光案内にも記され、2006年4月6日には 日本100名城(78番)に選定されています。

城跡の全域は国の史跡に指定されて「亀山公園」として市民の憩いの場となっています。現存天守のほかに大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は国重要文化財に指定されているとのこと。 生憎の雨ですが、案内に沿って行けるところまで歩こうと言う事になりました。

旧藩主居館の表門だった玄関先御門は、「御殿表門」とも呼ばれ、江戸時代初期の建築。お城の門としては珍しい薬医門(やくいもん)形式となっています。

「大手一の門」は、寛文10年(1670)頃に建築され、藩士が太鼓を打ち、刻(とき)を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれています。ひとかかえもある大きな柱や梁(はり)でしっかりと組まれ、大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門(やぐらもん)。東側には、出陣に際し武者を一堂に集めた桝(ます)形があります。

「大手二の門」は一の門と同時に建てられた、高麗門(こうらいもん)形式の門。大手とはお城の正面のことを指し、追手とも書きます。

雨の降りがきつくなってきたので「丸亀城内観光案内所」に避難。入り口では某局大河に便乗した浅井三姉妹に出迎えられました。次女:お初は「京極高次」の正室になりましたが、それから三代後の「京極高和」が、丸亀城初代藩主なんですね。(TVは見ませんが、その程度なら知っています)

しばらく様子を見ていましたが、時間的にもそんなに余裕を取っていない事もあり、丸亀城はここで終わり。 見事な石垣に見送られ次の目的地へと移動しましょう。

それから6年後の2017年8月、マンホールカード目的で丸亀市役所まで来ましたが、結局丸亀城への再訪は叶いませんでした。いつも思うことですが、私達の「又、次の機会に・・」くらい、当てにならないものは無いかもしれません😅

訪問日:2011年6月16日


出雲大社讃岐分院 in 香川県三豊市豊中町

2021年03月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

三豊市豊中町比地大に鎮座される「出雲大社讃岐分院」。御祭神は『大国主大神』ほか五柱の神々が奉られます。

創建は明治12年という事で、神社としては新しく境内の様子も何となくこざっぱりとした現代的な雰囲気。

一の鳥居から拝殿へといたる参道、その途中より神域を守護されるのは、注連飾りを体に架けられ、体の半分はありそうな大きな玉を抱く狛犬さん一対。小さい耳のせいなのか・・狛犬と言うよりもカピパラさんっぽい😅

拝殿の近くには『大国主命』と「因幡の白兎」の像が建立されています。でも、『大国主命』と「因幡の白兎」が出会うのは、意地悪な兄神と共に「八上比売」に会いに行く途中の筈。これからお妃を貰う予定の末の神様としては、もう少し若々しくても良かったと思うのですが😓

拝殿には、優しく穏やかで、それでいて若々しく生真面目な姿の『大国主命』の絵馬が奉納されています。

神話の中に登場する『大国主命』、背中に担いだ大きな袋の中身は、意地悪な兄神たちの荷物で、決して金銀財宝が入っている訳では有りません😅

ちなみにお名前の「ダイコク」の音が一緒と言う事で、何故か同一視される事も多い『大黒天』。でも、もう何度繰り返したか分かりませんが😅、私の中では完全に別の神様。
むろん『大黒天』も目出度い福の神様なので、決して疎かにしているわけではありませんが、大国様とは全く別個の神様です😠

こちらの神社では、節分の前日と当日に節分祭が行われ、毎年、6千から7千人の人出で賑わうとか。

【おごそかに ついな(追儺)目出度し 節分祭】

参拝日:2011年6月15日


鉾(ほこ)八幡宮 in 香川県三豊市財田町

2021年03月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

三豊市財田町財田上に鎮座される「鉾(ほこ)八幡宮」。御祭神は「大鞆別命(おおともわけのみこと)、息長足媛命、玉依姫命」

参道入口より神域を守護されるのは、随分と長い胴体をお持ちの狛犬さん一対。胴体に合わせた台座なので、大きな玉が半分ずり落ちています。阿形さんのあの口は、落としかけた玉をあわてて引き戻した時の表情なのかもしれませんが・・それにしても似てる・・・・ミミズクさんに😓

由緒に「財田三郷とよばれていた財田上、財田中、財田西にはそれぞれ御神体として鉾がお祀りされていた。天正六年(1578)、時の橘城主大平伊賀守国秀が、現在の七尾山に社殿を建立。財田郷鎮護の神として、この三郷の鉾を合わせ祀り、伊予国三島宮神主 宮崎大和守を祀官として迎え、以来財田郷総氏神として祭事を継承現在に至る。」

境内入口を守護されているのは、ふさふさとしたあごの毛が印象的な狛犬さん一対。しっかりと玉を抱え込んだ手は力強く確かですが、その足の細さがとても不安定で心配😔

左から「境内社:高良舎」、文亀2年(1502)に鎮座され、『竹内宿禰』を祭神とします。「神輿蔵」を真ん中に、右側に「境内社:宝田宮」『日清・日露26柱・大東亜戦争283柱』さらに『大久保甚之丞、正木美隣、岩崎直太』。社殿は明治40年に建立されました。

社殿前より神域を守護されるのはスフィンクスのような姿勢の狛犬さん一対。折からの雨をうけてなにやら思案顔。でもあんまり上を向いていると、雨が口に入ってしまいますよ😅

境内の一画に奉られる境内社。石祠の中にはどんな謂れがあるのか、丸い石がぎっちりと詰め込まれています。これほど清浄な空気の神域、悪戯とは思えませんが、その由来が気になって仕方ありません。

その境内社群の一画を守護されるのは、これも玉を大切に抱えた狛犬さん一対。吽形さんの上向きの顔は、我が家のアイドル的存在の愛猫にそっくりで、ついつい顎の下をなでたい欲求が・・・😆

最後はきちんと扉のある石祠の境内社、社名は不明。

第十五代目宮崎康平宮司顕彰碑【節を守里 真を求める】

参拝日:2011年6月16日


履脱(くつぬぎ)八幡神社 in 香川県三豊市仁尾町

2021年03月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

仁尾町仁尾に鎮座される「履脱(くつぬぎ)八幡神社」。御祭神は『息長帯姫命・品陀和気命・玉依姫命

由緒「仁治二年(1239)三月四日草木の庄地頭「藤原政澄」、山城国男山八幡宮の神霊を小山の峰に奉齋して弓矢の神と爲せしに肇(はじま)る。政澄等が神霊を男山より奉遷するに際し、村民挙げて村堺の峠に迎え、餉を奉むれり。依ってその地を餉峠という。昔大神この地にて御草履を脱がせ給い、石上に御休憩あらせられし御縁故により履脱八幡宮と称え奉れり。依ってこの石を履脱の石と称す」履脱石案内より

江戸時代前期に建立されたご本殿は、檜皮葺き三間社流れ造りの様式。お天気に恵まれたお陰で、久々に美しいご本殿を拝見する事ができました。

一の鳥居前より神域を守護されるのは、浪速タイプの狛犬さん一対。建立年は不明ですが江戸後期の頃と推測され、貫禄的にも申し分ないお顔立ち。

松に囲まれた参道、突き当たりには随身門があり、珍しく立ち姿の随身様が神域の守護をされています。

随身門前より神域を守護されるのは、出雲丹後系を思わせる風貌の狛犬さん一対。吽形さんの胸元にすがりつく仔狛が何ともいじらしく、可愛く思え、出来るならばそっと抱きかかえて・・・拉致したい😅👊。

拝殿の右手には「履脱八幡神社記念碑」と、旭日旗と日章旗をクロスさせた紋章の碑が並べて建立されています。

参拝日:2011年6月15日


船越八幡神社 in 香川県三豊市詫間町

2021年03月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

三豊市詫間町大浜に鎮座される「船越八幡神社」。御祭神は『応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

由緒「創祀年代は不詳、一説には神亀元年(724)、宇佐八幡宮より勧請したとも伝えられる。 古来より当村の産土神として村民の崇敬が篤く、往時から船越八幡と称した。」神社名鑑より

一の鳥居脇より神域を守護されるのは、嘉永4年(1851)8月吉祥日建立のたれ耳狛犬さん一対。縛られた前足は何のお呪い? まぁ、機嫌よく笑っておいでなので「良し!」なのでしょう😊

境内を真っ直ぐに進むと神門を兼ねた随身門。

随身門内より神域を守護されるのは、矢大神、左大神。傍らにはそれぞれに木造の神殿狛犬さんがしっかりと従っておられます。長い長い時間が、鮮やかだった筈の色を削り落とし、それが独特の風情になっています。

でも出来うるなら、そのお姿が何時までも残されますように・・関係者の方々、どうぞよろしくお願い致します🙏

神門から真っ直ぐに延びる参道。隅々まで清掃が行き届いた境内の中央に、唐破風屋根の拝殿。

参拝のためにと拝殿の前に立ってビックリ!😲、何とお賽銭の的が置かれているのです。人間の心理と言うものは不思議なもので、的などあると、ついつい狙ってみたくなるもの。外れると再度挑戦する人もいるのかも😅

拝殿後方、神橋を隔てた先の本殿中門前を守護されるのは、神域の守護を任せるのが切なくなるような心細そうな顔の浪速タイプの狛犬さん一対。

「吽・グッスン💧・・もう浪花のあの家に帰りたいよ~」「阿・だめだよ~。そんな事言ったら、石工の父ちゃんに怒られちゃうよ~」

こちらには随分と沢山の絵馬が奉納されています。大切に扱われているのは、古いものにも拘らず、驚くほど状態が良い事で想像がつきます。けれど誰もが拝見できる状態でこんなに綺麗な絵馬は、本当に珍しいと思います。

大正六年奉納の岩戸開き、明治四十四年奉納の神功皇后ご出産の図・・神社奉納の絵馬として定番中の定番で、宮彫刻の題材にも多く使われています。

この御成婚記念の奉納絵馬は明治天皇でしょうか?左上には伊勢夫婦岩の日の出、中央に大きく富士山・・威厳に満ちたお姿です。

拝殿の屋根に御神紋を象った細工瓦を発見しました。「八正万」の文字の中に浮かぶ宝船・・のようにも見えますが、境内の幟旗にも同じ紋が染め抜かれていたので、御神紋の類であろうと思うのですが・・・

「境内社:金比羅神社」は石段下からの参拝で失礼させていただきました。

境内入り口近く、老爺の浦島太郎が、玉手箱を持って亀に乗った像が建立されています。お話的にかなり矛盾のある像ですが、多分、なにか深い考えがあって作られたのでしょう。

「西伯利亜(シベリア)凱旋記念碑」

神社の外、道路向かいに「浦島太郎郵便局」があり、ポストの横にはまだ少年の面立ちの浦島太郎さんが、玉手箱と釣竿をもって亀の背にまたがっています。

参拝日:2011年6月15日


旧観音寺市内~あちこちウォッチ in 香川県観音寺市

2021年03月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

観音寺市マンホールにも、市章にも採用されていた「銭型・寛永通宝」、市内の至る所に出没します。たとえば、ポケットパークの床一面に敷き詰められた巨大寛永通宝のタイル画。

もちろん床や道路以外だけでなく、橋柵にだって「銭型・寛永通宝」。

コンクリート製のガードでは「市の木:松」とセットになって登場します。

市の玄関口となる観音寺駅、駅前に架かる美しい「大正橋」の親柱には超立体の「寛永通宝」。銭型平次さんでも、これを悪党に投げるのは流石に無理でしょうね😲

ついでに橋柵のモニュメントは「市の花:ツツジ」と「市の花:松の木」。ともに昭和49年(1974)に制定されています。

さらに「銭型・寛永通宝」、足元や側面だけでは有りません。目線をあげると・・ほら、あんな場所にも😲

香川県道21号丸亀詫間豊浜線沿いに位置する「道の駅・ことひき」。ここには、「銭型」のつながりという事で「世界のコイン館」が併設されています。館内には125か国、約2000点のコインを初めとして各国の貨幣や古い貨幣を展示。また、1億円分の紙幣の切りくずや、ヤップ島の世界一大きい石のお金なども展示されているそうです。

銭型つながりで『銭形平次と愛妻お静』の顔出しを見つけた時には思わず笑ってしまいました。「銭形」の単語で『銭形平次』が登場するあたり、人気番組だった証しかもしれません。

ラストはコイン館の隣にある、国の登録有形文化財「観音寺郷土資料館」。右端に見えている高さ5.5mの時計台は、コイン館のシンボル「からくり時計」ですが、私たちが訪れた時は故障中😔

木造2階建・寄棟造・桟瓦葺の洋館は、大正3年(1914)に「旧三豊郡農会農事試験場」として建築。現在は観音寺郷土資料館として、市内の考古・歴史・民俗に関する郷土資料を収集、展示しています。

訪問日:2011年6月15日


琴弾(ことひき)八幡宮と銭形 in 香川県観音寺市

2021年02月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

観音寺市八幡町・琴弾山山頂に鎮座される「琴弾(ことひき)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・玉依姫命』。

社伝に「大宝3年(703)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝えられる。その時、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」と社名が付けられ、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立。大同2年(807)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院として第68番札所に定めた。」画像は〔琴弾八幡宮:神幸殿〕

二の鳥居、境内入り口にて神域を守護されるのは、明治18年(1885)3月建立の備前焼獅子狛犬の一対。

阿形さんの足元がセメンで固められているのは長い年月の中での破損の所為で、決して、夜な夜な琴弾公園を散策するからでは有りません😅

随身門を潜り、ここから378段の石段を登れば拝殿・本殿へと至ります。

随神門前より神域を守護されるのは、大きな玉に寄りかかるように手を置く、明治27年(1894)8月吉日建立の狛犬さん一対。「(吽) こらっ!しゃんとせんか!しゃんと!!」「(阿)・・はぁ~~~疲れたがね~」そんな会話が聞こえてきそう。

随身門を抜けて石段を見た瞬間に脱力感・・・・・足に問題を抱える私には長い石段参道は試練と言うより拷問に近い💧 時間的なものもあってご本殿への参拝はここで終了。

という事で、後は下の境内に奉られる神々を参拝させて頂くことにしました。
「境内社・庚申神社」の社殿前を守護されているのは、昭和50年(1975)10月建立の狛犬さん一対。まるで運動会の玉ころがしに興じる小学生のように大きな目を輝かせて、何とも微笑ましい顔立ち。

こちらは「境内社・山之神神社」の社殿前を守護される、昭和27年(1952)建立の狛犬さん。活発そうな阿形さんに比べると、吽形さんはとても大人しめで、玉の上の手も心持ち控えめ。

国の礎となり尊い命を捧げられた方々の御霊を祀る「忠魂碑」。玉垣には「忠勇」の文字と、「碇に星」の紋章。

慰霊塔は先の戦で亡くなられた方々の御霊をお慰めする為に建立されたものです。

「安永四年(1775)地元の俳人小西帯河が所蔵していた芭蕉真蹟短冊を二六庵竹阿の指導で創建その後破損していたものを天保十年(1839)半月庵五蕉の指導で再修された.」(看板より)

【早苗とる 手もとやむかし 志のぶ摺(もじずり) はせを 】

参拝の後、一方通行のドライブウエイを使えば車で頂上まで行けるという事で立ち寄った展望台。 東西122m南北90m周囲345mの巨大な砂絵は、琴弾山々頂から見るときれいな円形に見えるとか。この銭形を見れば健康で長生き、しかもお金に不自由しなくなるそうで、出来れば御利益に預かりたいものです😄

高橋藍川氏・現代漢詩【白帆鷺の如く滄溟に入る 水愈碧に松愈青し 通年千年客の拾うなく 砂浜歴々銭形を見る】 

【ひうちなだ 浪路の末の雲はれて いよの高嶺に 雪ふれるみゆ 堀野林治】

参拝日:2011年6月15日


四国鉄道発祥地 in 香川県多度津町

2021年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

多度津町栄町にある「多度津駅」。JR四国:土讃線の起点となった駅で、駅前には鉄道発祥地の碑が建立されています。またこの地は少林寺拳法の総本山・総本部があることでも知られており、駅案内パネルのコメントは「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」。

構内にある「転車台」「給水塔一」「給水塔二」の3施設が国の登録有形文化財に登録されていますが、私達が目に出来たのは給水塔のみ、それが一なのか二なのかは分かりません😓

また少し離れた広場には「58685(8620形)蒸気機関車」が、静態保存で屋外展示されています。

8620形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が導入した、旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。と言ってもそれがどのような機能をもっているのか、鉄道オタクになり損ねたご亭主殿には全然分かっていません。したがって私も全く!!分かっていません 😅

蒸気機関車を見て懐かしいと思えるほど乗車経験もないのに、それでも心を惹かれるのは何でだろう?でもとりあえず、眺めていて絵になることだけは確か😄

「少林寺拳法発祥のまち」という事で、町内には、少林寺拳法の総本山・総本部もあるそうですが、流石にそこまでは回りきれませんでした。考えてみればここだってマンホール撮影で偶然立ち寄って、言ってみればめっけもんの場所。あまり贅沢はいえません😓

訪問日:2011年6月16日


旧木田郡役所 in 香川県三木町

2021年02月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・香川県

三木町大字池戸に残る「旧木田郡役所」。ドーマー設置による大正洋風様式の端正な郡役所は、香川県内に建てられた擬洋風建築の旧郡役所庁舎として現存する、唯一のものとされています。

木田郡林村(現:高松市林町)の 宮大工『吉峰長太郎正一』により大正8年(1919)に建築。下見板系擬洋風建築の特徴を色濃く映した構造を持ち、大正15年(1926)に郡役所としての機能を終えるまで、郡役場として使われてきました。

その後、香川県の所有となり、昭和5年(1930)から香川県蚕業試験場として運用。その際に繭を保管する切妻造りの土蔵が正門の東側に増築されました。

昭和56年(1981)、香川県農業試験場の移転を受け、跡地および建築物を三木町が買い受け、昭和58年(1983)より池戸公民館として運用を開始。以降、保全塗装や瓦の葺き替えなどによる定期的な整備改修が行われてきました。

屋根の上にドーム状の丸屋根を持つ塔状のドーマー。洋風建築の代名詞的シンボルですが、実は緻密な日本建築の粋が凝らされいるあたりに、宮大工の矜持が感じられます。

三木町重要文化財の「旧木田郡役所庁舎」・・・悔しい事にこの日は月曜日だった為、休館💦。とは言え、予期しなかった出会いだった事を思えば、こうして外部の見学が出来ただけでも僥倖と思わねば。

公民館前の道路向かいは、かって多くの物資や旅人が行き来した長尾街道。漆喰壁や虫籠窓のある家というのは、そこにあるだけで「美しい景色」になります。それゆえに、これだけで終了とは・・やっぱり勿体無いなかったなぁ😩

訪問日:2011年6月17日