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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県旧山都町(喜多方市)

2024年11月30日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡山都町(やまとまち)は福島県の北西部に位置した町です。喜多方市、熱塩加納村、高郷村、西会津町、会津坂下町。町の北部の飯豊連峰山頂付近で県を跨いで新潟県新発田市、阿賀町。山形県飯豊町、小国町に隣接。飯豊連峰山頂の神社とその参道が山都町に属するため、飯豊連峰の三国岳、種蒔山、飯豊山、御西岳と続く稜線に沿って、細長く突き出た形の町域を有します。「町の木:飯豊(いいで)杉」「町の花:シャクナゲ」「町の鳥:セキレイ」を制定。

旧キャッチフレーズは「飯豊とそばの里 山都町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、摩耶郡山都村・小川村・木幡村・相川村・一ノ木村・早稲谷村・朝倉村が発足。

1950年、山都村、小川村、木幡村が合併、摩耶郡山都町(第一次)が発足。

1954年、山都町、相川村、一ノ木村、早稲谷村、朝倉村賢谷・沼ノ平地区が合併、山都町(第二次)が発足。

1955年、 河沼郡千咲村大字三津合を編入。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、熱塩加納村、高郷村と合併、喜多方市山都町となる。

マンホールには町章を大きく配し、中に「町の木:飯豊杉」と「町の鳥:セキレイ」下に「町の花:シャクナゲ」。周囲の三角は「そばの実」を図案化。

町章を中心に種々の模様がデザインされたマンホール。喜多方市建設部下水道課によれば、特にこのデザインに意味は無いそうです。

昭和29年3月3日制定の町章は「 山都町の「山ト」を歯車に図案化したもので、町民の平和、友情を表わし、町勢のたゆまぬ発展を象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月19日

 


ご当地マンホール in 福島県旧熱塩加納村(喜多方市)

2024年11月28日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡熱塩加納村(あつしおかのうむら)は会津盆地の最北端に位置した村です。喜多方市、山都町、更に県を跨いで山形県米沢市、飯豊町に隣接。熱塩の地名は村内に熱湯の湧出することに由来すると伝えられ、現在も熱塩温泉(純食塩泉・61℃)があります。 また加納地区には慶長年間(1596~1615)に開発された岩尾銀山があり、明治期には銅山として再掘され「加納鉱山」と呼ばれていました。

「村の木:杉」「村の花:姫小百合」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により摩耶郡熱塩村・加納村・朝倉村が発足。

1954年、熱塩村、加納村、朝倉村板ノ沢・瀬戸尻・村杉地区が合併、摩耶郡熱塩加納村が発足。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、山都町、高郷村と合併、喜多方市熱塩加納町となる。

マンホールには中の円に「村の木:杉」と「村の鳥:ウグイス」。周囲に「村の花:姫小百合」がデザインされています。

上に「あつしおかのう」の文字。全体に「村の花:姫小百合」がデザインされた小型マンホール。

昭和49年3月15日制定の村章は「熱塩加納村の“ア”の文字を図案化したもので、躍動する若人の姿を表わし、未来への限りない発展と村民の融和を象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月21日

 


ご当地マンホール in 福島県旧喜多方市(喜多方市)

2024年11月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧喜多方市(きたかたし)は、福島県の北西部、会津盆地の北に位置した市です。熱塩加納村、塩川町、山都町、北塩原村、会津坂下町に、更に県を跨いで山形県:米沢市に隣接。市域一帯は、会津の北方に位置していた事から「北方(きたかた)」と呼ばれていましたが、明治8年に5村を合併して町制を施行した際、喜び多い町という意味の「喜多方」と改められました。北西に飯豊連峰の雄大な山並みが連なり、東には名峰磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げ、豊かな自然に恵まれた風光明媚なまちです。「市の木:松」「市の花:さつきつつじ」「市の鳥:セキレイ」を制定。

日本三大ラーメンの1つに数えられる「喜多方ラーメン発祥の街」として知られ、蔵が多く立ち並ぶ街並みを楽しめることから「蔵の街」としても有名です。 キャッチフレーズは「蔵とラーメンの町」

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、耶麻郡喜多方町・岩月村・上三宮村・関柴村・熊倉村・慶徳村・豊川村・松山村が発足。

1954年、喜多方町・岩月村・上三宮村・関柴村・熊倉村・慶徳村・豊川村・松山村が合併、旧喜多方市が発足。

マンホールには全体に大きく、「市の木:松」がデザインされています。

蔵の町らしく「蔵」がデザインされたマンホール。鏝絵の部分が北方市になっています。

「市の花:サツキツツジ」がデザインされた側溝蓋。

昭和36年8月19日制定の市章は「市名頭文字「き」の図案化。翼型は、躍進を、円型は融和を表徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月20日

この日は「道の駅:喜多の郷」にて車中泊をさせて頂きました。「喜多方市蔵の湯」が隣接しており、徒歩で行けてしかも格安!。道の駅内のレストランもご亭主殿の目を引くメニューも一杯。

2012年10月に誕生した「喜多方ら~メンチ」。ラーメンの麺から具材、全てを刻んだものを地元豆腐店の豆腐でつなぎ、醤油ラーメンのスープで味付けしたもの。さて、彼の名前は・・やっぱり「ら~メンチ君」なのか??

車で旅をする者にとってこの様な道の駅は、本当に有難く大切な場所です。改めて、その節には有難うございました。🙏🙏

 


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県喜多方市

2024年11月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

喜多方市(きたかたし)は福島県会津地方の北部、福島県の市では最西端に位置する市です。2006年1月4日、耶麻郡熱塩加納村・塩川町・山都町・高郷村と合併、改めて喜多方市が発足しました。会津若松市、北塩原村、西会津町、磐梯町、会津坂下町、湯川村に、また県を跨いで山形県米沢市、飯豊町、小国町。新潟県阿賀町に隣接。

市の約6割が林野で、東部、西部、北部地域を中心に、山林が広がっています。一方、市の中心部から南部にかけては、平坦な地形で、市街地を囲むように、田園地帯が広がっています。市の南端には、一級河川である阿賀川が流れ、猪苗代湖を源とする一級河川の日橋川や山林地帯からの支流が集まり、只見川と合流し、山間地帯を蛇行しながら、新潟県に向かって流れています。

「市の木:飯能スギ」「市の花:姫小百合」「市の鳥:セキレイ」「市の魚:イトヨ」「市の昆虫:ホタル」を制定。

キャッチフレーズは「力強い産業 人が輝く 活力満ちる安心・快適なまち」

2006年7月4日制定の市章は「喜多方市の『喜の旧字』をモチーフに、歴史と文化の創造と交流・情熱を赤、自然との調和と共生を緑で表現し、5市町村が一体となり輝く明日へ向かって市民一人ひとりがのびのびとジャンプしている姿を表し、市と市民の飛翔をイメージしています。」公式HPより

きたかた喜楽里博のマスコットキャラクター、牛の男の子『みんべぇ』。愛する喜多方への熱い思いが認められ、喜多方観光物産協会の公式アカウントも兼務中です。

撮影日:2015年6月20日

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マンホールカード、頂きました。

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「喜多方市」のマンホールカードは、「喜多方市役所下水道課」でいただけます。

2019年に設置開始されたマンホールには、キャラクター化した「ひめさゆり」「セキレイ」「飯豊スギ」「イトヨ」「蛍」がデザインされています。

「喜多方市の花「ひめさゆり」、木「飯豊スギ」、鳥「セキレイ」、魚「イトヨ」、昆虫「ホタル」をイメージしたキャラクターがデザインされたマンホール蓋です。 「ひめさゆり」は、豊かさと明るさのあふれる市の象徴、「飯豊スギ」は、未来に向かって限りなく発展する市の象徴、「セキレイ」は、今後更なる発展と活性化を目指す市の象徴、「イトヨ」は美しい水と豊かな自然を誇る市の象徴、「ホタル」は美しい水と豊かな自然を誇るふるさと喜多方市の象徴となっています。 中央にある喜多方市の『 喜の旧字 』をモチーフにした市章を囲むように描かれています。」


ご当地マンホール in 福島県北塩原村

2024年11月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

耶麻郡北塩原村(きたしおばらむら)は福島県の北西部に位置する村です。磐梯町、猪苗代町、喜多方市に、また北方は県を跨いで山形県米沢市に隣接。標高200~300mの北山地区、400~500mの大塩地区、800~1,000mの桧原・裏磐梯地区に分かれ、南東には磐梯山(1,816m)、東は西吾妻山(2,035m)と西大巓が連なり、村域の約80%は山間部で、農用地はわずか2.5%となっています。

桧原・裏磐梯地区においては、明治21年の磐梯山噴火により吾妻川・大川入川・小野川・中津川などが堰止められ、桧原湖、小野川湖、秋元湖、曽原湖、五色沼などの湖沼群を生み、磐梯山とあわせた美しい自然景観がつくりあげられ、昭和25年国立公園に指定。県内随一の観光地となっています。「村の木:大山桜」「村の花:水芭蕉」「村の鳥:シジュウカラ」を制定。

キャッチフレーズは「日本で最も美しい村」

明治22年(1889)、町村制の施行により、摩耶郡北山村、大塩村、桧原村が発足。

1954年、耶麻郡北山村、大塩村、檜原村が合併、耶麻郡北塩原村が発足。

マンホールには中央に番いの「村の鳥:シジュウカラ」、周囲に「村の木:大山桜」「村の花:水芭蕉」が六分割でデザインされています。

昭和49年(1974)3月制定の村章は「北塩原村の「北」の文字を図案化したもので、全体の円は住民の協和を、北の中心が接しているのは団結を、左右の円は未来を目指し発展を象徴する」公式HPより

明治21年の磐梯山噴火と共に生まれた、北塩原村PRキャラクター『バンダイくん』。あまりにも大きな被害を出してしまった為に、山奥で人目に付く事なくひっそりと暮らしていましたが、2010年春に「磐梯山周辺の人達の役に立ちたい」と思い立ち、イベントのお手伝いをしたり観光案内をしたりして、地域のPRに貢献をしています。ちなみ噴火は、バンダイくんのせいではないのですが、本人はとても申し訳なく思っているらしい。

撮影日:2015年6月20日

 


ご当地マンホール in 福島県磐梯町

2024年11月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

耶麻郡磐梯町(ばんだいまち)は福島県会津盆地北東部に位置し、磐梯山および猫魔ヶ岳の山麓の南斜面に位置する町です。猪苗代町、会津若松市、喜多方市、北塩原村に隣接。標高1819mの磐梯山や厩岳山・猫魔ケ岳等を北限として、南限は猪苗代湖を水源とする一級河川日橋川が流れ、町域には平坦地はほとんどありませんが、日射や湧水に恵まれ稲作に適した条件となっています。

平安初期の大同2年(807)、奈良の学僧『徳一』によって創建された慧日寺は、会津仏教文化の拠点として栄え、寺領18万石・寺僧3,800坊、衆徒4,000を擁していたといわれ、会津一円を寺領として支配していました。治承・寿永の乱で平氏方に味方しますが、横田河原の戦いで木曾義仲と戦って敗退。以後慧日寺は衰退し、天正17年(1589)に蘆名義広と伊達政宗が戦った摺上原の戦いの兵火を受け、堂塔伽藍のほとんどを焼失しました。

「町の木:こぶし」「町の花:りんどう」「町の鳥:オオルリ」を制定。
キャッチフレーズは「-自分たちの子や孫が暮らし続けたい-」

明治22年(1889)、町村制の施行により、摩耶郡赤枝村・大谷村・更科村・磐梯村の区域をもって磐梯村が発足。

1960年、磐梯村が町制を施行、摩耶郡磐梯町となる。

マンホールには「町の木:こぶし」に止まる「町の鳥:オオルリ」、下に「町の花:りんどう」がデザインされています。

昭和39年(1964)10月2日制定の町章は「輪郭は山の文字を形どり、内線はバン(磐)の文字を図案化し、 磐梯山を象徴せるものにして、 磐梯町の代表的磐梯山の雄姿を表現することによって町章とする。」公式HPより

磐梯町マスコットキャラクター『ロボばんじぃ』。「ばんだい」の響きが同じというご縁で、オモチャメーカー「バンダイ」の協力により誕生。名前は、ロボットの「ロボ」、磐梯町の「ばん」、慧日寺の「じぃ」から。得意技は「ばんじぃジャンプ」です。

中央公民館前にある謎の「トーテムポール(サンダーバードとキラーホエール)」。2001年のうつくしま未来博でカナダ館に展示されたもので、カナダ国オリバー市と姉妹都市を結んでいる縁で同町に寄贈されました。また後方には会津嶺万葉歌碑も建立されています。

【 会津嶺の  国をさ遠み 逢わなはば  偲(しの)びにせよと 紐結ばさね 】
(磐梯山のあるこの国が遠くなって逢えなくなったら、お前を偲ぶよすがにしよう。だから心を込めて下袴の紐を結んでおくれ。)「万葉集、東歌三四二六番」

撮影日:2015年6月27日


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県猪苗代町

2024年11月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

耶麻郡猪苗代町(いなわしろまち)は福島県の会津地方、猪苗代湖の北岸に位置する町です。会津若松市、福島市、二本松市、郡山市、北塩原村、磐梯町に、また県をまたいで山形県米沢市に隣接。東西北の三方を会津磐梯山をはじめとする山々に囲まれ、南には猪苗代湖があり、古来より福島県中通り地方と会津地方を結ぶ主要街道の中継地点として、また交通の要衝として戦略上重要視されてきました。町域には11件の国重要文化財を含む62件もの多種多様の文化財があり、活火山を三つも抱える珍しい自治体です。「町の木:ナナカマド」「町の花:鷺草」「町の鳥:白鳥」を制定。

キャッチフレーズは「ともに地域を育て、みんなが心地よく暮らせる町」

明治22年(1889)、町村制の施行により耶麻郡猪苗代町、磐瀬村、磐保村、吾妻村、翁島村、千里村、月輪村、長瀬村が発足。

1941年、耶麻郡猪苗代町が磐瀬村、磐保村を編入。

1955年、猪苗代町が吾妻村、翁島村、千里村、月輪村と新設合併、改めて耶麻郡猪苗代町が発足。長瀬村を編入。

マンホールには、全体に「町の花:鷺草」がデザインされています。

猪苗代湖と磐梯山を背景に、二羽の「町の鳥・白鳥」。磐梯山の上には「町の木:ナナカマド」がデザインされています。

猪苗代湖と磐梯山を背景に、二羽の「町の鳥・白鳥」。周囲には稲穂がデザインされています。

周囲に幾何学風にデザインされた猪苗代湖の波紋、中央に町章と「町の鳥:白鳥」がデザインされています。

中央に町章、三分割上部に「磐梯山」。左下に「町の花:鷺草」、右下に「町の鳥:白鳥」がデザインされた、プラ汚水枡。

磐梯山と猪苗代湖の白鳥がデザインされた側溝蓋。

猪苗代湖の白鳥

昭和50年(1975)12月12日制定の町章は「猪苗代町の頭文字「い」を図案化したもので、中央部分の白地は磐梯山を、下部の黒地は猪苗代湖をイメージしています。また、円形は団結と町政の円満な発展を象徴しています。」公式HPより

仕切弁

排泥弁

中央に「地」、上に「地中熱」と書かれた小型蓋。猪苗代町ではCO2排出量がほぼゼロで、持続的に発電が可能な再生可能エネルギーとして「地熱発電」の開発を積極的に進めています。自然条件に左右されず安定的に発電できる「ベースロード電源」であり、また、発電に使用した熱水はハウス栽培などに利用できるなど、地域経済へのメリットもあると紹介されています。

 猪苗代が生んだ世界の偉人・野口英世博士をモチーフにしたとっても研究熱心な『ひでよくん』 手にもつ「試験管」がトレードマークです。

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マンホールカード、頂きました。

2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「猪苗代町」のマンホールカードは、「猪苗代町役場 上下水道課窓口」でいただけます。

1994年に設置開始されたマンホールには「磐梯山と稲穂」と「猪苗代湖と白鳥」がデザインされています。

「猪苗代町のマンホール図柄は、町を代表する4つでデザインしました。 会津富士とも呼ばれる秀峰「磐梯山」、中央分水界の東西に水を注ぎ下流域を潤す「猪苗代湖」、毎年湖のほとりで越冬する「白鳥」、町の名産品の代表格である米の「稲穂」を図案化しています。 マンホールの作成にあたっては、町内中学生から公募した図案をモチーフとしました。 猪苗代湖は天然のダム湖で、その下流域の郡山市や会津若松市のかんがい用水や飲料水などの水源となっています。 猪苗代町では、福島県内の町村で最初に下水道事業に取り組み、猪苗代湖をはじめとする公共用水域の水質保全に努めています。」


ご当地マンホール in 福島県旧河東町(会津若松市)

2024年11月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧河沼郡河東町(かわひがしまち)は会津盆地の中に位置した町です。会津若松市、湯川村、塩川町、磐梯町、猪苗代町に隣接。町域の西部は水田、住宅地が広がり、町域の北部を日橋川が流れており、東部の地域には山林が広がります。町域には会津高野の異名を持つ「八葉寺」や、会津藩の最高学府「日新館」が復元されており、多くの観光客に人気です。

「町の木:桜」「町の花:菊」「町の鳥:鳩」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、河沼郡日橋村(にっぱしむら)・堂島村が発足。

1957年、日橋村、堂島村が合併、河沼郡河東村が発足。

1978年、河東村が町制を施行、河沼郡河東町となる。

2005年、会津若松市に編入。会津若松市河東町となりました。

マンホールには「町の鳥:鳩」を中心に「町の木:桜」を散らし、周囲に「町の花:菊」が町章を捧げるようにデザインされています。

 昭和47年()12月23日制定の町章は「河東町の河という文字を図案化したもので、中央の円は円満を表し、右側のとがった部分は「勇気と誇りをもって躍進する」ことを意味している。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月27日 


ご当地マンホール in 福島県旧北会津村(会津若松市)

2024年11月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧北会津郡北会津村(きたあいづむら)は、阿賀川と宮川に挟まれた平坦な扇状地に位置した村です。会津若松市、会津本郷町、会津高田町、新鶴村、会津坂下町に隣接。

村域は会津盆地の中にあり、町域の東を阿賀川、町域の西を宮川が流れ、村土の70%が農地で構成。また、田村山塚越にある「前方後円墳:田村山古墳」からは、内行花文鏡、直刃などが出土し県の重要文化財に指定されています。「村の木:ケヤキ」「村の花:オオマツヨイグサ」「村の鳥:カッコウ」を制定。

旧キャッチフレーズは「ホタルとイトヨの里」

明治22年(1889)、町村制の施行により北会津郡荒井村・舘ノ内村・川南村が発足。

1953年、荒井村と舘ノ内村が合併、北会津郡荒舘村が発足。

1956年、荒舘村と川南村が合併、北会津郡北会津村が発足。

2004年、会津若松市へ編入。会津若松市北会津町となりました。

マンホールには北会津の「村の花:おおまつよいぐさ」に水をやるホタルマスコット「ピカリン」がデザインされています。

ホタルマスコット「ピカリン」「ホタル宣言」

昭和46年(1971)10月1日制定の村章は「北会津の北を図案化したもので、村民の平和と円満、勇気と誇りを表し、村勢の着実な前進を象徴したものである。」合併協議会資料より

北会津町中新井にある「歴史的景観指定建造物:小森家住宅長屋門と土蔵」。長屋門は明治期、土蔵は昭和3年(1928)と昭和8年(1933)の築。

小森家住宅近くの三差路に建立されていた「湯殿山」「古峰神社」「石祠」「記念碑」「煉瓦造りの時計台」仔細不明。

撮影日:2015年6月30日 


ご当地マンホール~規格蓋~ in 福島県会津若松市

2024年10月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

都市としての会津若松市の起源は、至徳元年(1384)の『蘆名直盛(あしな なおもり)』による黒川城(若松城)築城に遡ります。以降、城下町「黒川」は、蘆名氏の領国支配の拠点として、また当時奥州最大の都市として発展を遂げていきました。天正17年(1589)、伊達氏が蘆名氏を滅ぼし、黒川を新たな本拠地としましたが、翌天正18年、『豊臣秀吉』の奥州仕置により黒川には『蒲生氏郷』が入封。氏郷は出身地の滋賀県日野町にある「馬見岡綿向神社(蒲生氏の氏神)」の参道周辺にある「若松の杜」に因んで、「黒川」を「若松」へと改めました。氏郷の死後、『上杉景勝』が入封しますが、関ヶ原の戦いで『徳川家康』に敵対して敗れ、米沢へ移封。その後、蒲生秀行、加藤嘉明などの領主を経て、寛永20年(1643)に徳川秀忠の子保科正之が入封。会津松平家の祖となり、以後若松は会津藩の城下町として発展してきました。

かつて「幻の村」と呼ばれていた大戸町芦牧地区には、千数百年前の開湯と伝えられる「芦ノ牧温泉」があり、「芦名氏ゆかりの湯」として、東山温泉と共に観光客に人気のスポットです。

昭和2年(1927)4月26日制定の市章は「明治戊辰の戦役でその名を馳せた会津藩の旗印や、白虎隊士など会津藩士の肩章として使われていた「會」の字をデザイン化したもので、会津若松市の歴史と伝統の重みを表すとともに、市民の調和を象徴しています。」公式HPより

会津若松市千石町に本社を置く「若松ガス」小型蓋。

会津若松をこよなく愛する『会津侍若松っつん』。2014年6月、定例記者会見で市長が公認宣言をした事で、会津若松市PRの公認キャラクターにスピード就任したエリートキャラクター。大好きな会津若松について熱く語っていると、いつの間にか等身大の人間に変身してしまう体質。見られて燃えるタイプ、形から入るタイプ、ほめられて伸びるタイプ😅。本人曰く、ゆるキャラではなく、渋キャラなのだ😠。

会津若松市観光PRキャラクターは、市のシンボル「鶴ヶ城」がモチーフの『お城ボくん』。アニメ監督・漫画家・作家・タツノコプロ顧問などで活躍された『笹川 浩氏』が生みの親です。

某局の大河ドラマ「八重の桜」を応援すべく誕生した起き上がり小法師、ハンサムウーマンの『こぼちゃん』。ピンクの衣装を羽織って八重に扮したこぼちゃんは、頭には八重桜の冠を乗せています。

会津若松市花春町にある「御薬園」のPRキャラクター、御種人参の妖精『おたねちゃん』。頭の上にはいつも、人参🥕の赤い実が鈴なりです。

撮影日:2015年6月29日