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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 福島県昭和村

2024年12月29日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡昭和村(しょうわむら)は福島県会津地方の西南部に位置する村です。可沼郡柳津町、南会津郡下郷町、南会津町、只見町、大沼郡会津美里町、金山町、三島町に隣接。

村の面積のほとんどが急峻な山で、82%が山林。村の中央を野尻川が貫流し、その河岸段丘に10の集落があります。村名は昭和時代に合併した事に由来。かっては峡谷の難所であり、村人は峠越えで往来するしか道がありませんでした。「村の木:ヒメコマツ」「村の花:サユリ」「村の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「からむし織とかすみ草の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡野尻村、大芦村が発足。

1927年、野尻村、大芦村が合併、大沼郡昭和村となる。

マンホールには中央に村章、放射状に「村の花:サユリ」「村の鳥:ヤマガラス」が交互にデザインされています。

上記と全く同じデザインですが、こちらは集落排水用で左下の「公」の文字が「集」に変わっています。

昭和42年(1967)3月20日制定の町章は「鳩の羽根に「ショウワ」を配し、表したもの」

昭和村公式マスコットキャラクター『からむん』は、昭和村を愛するからむしとカスミソウの妖精。 頭の形は七夕の織姫とカスミソウ。 足は昭和村の駒止湿原や矢ノ原湿原の清水、胴体はからむしの茎を表現しているそうです。

撮影日:2015年7月2日


ご当地マンホール in 福島県旧会津本郷町(会津美里町)

2024年12月27日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧大沼郡会津本郷町(あいづほんごうまち)は会津盆地の南端部に位置した町です。会津若松市、会津高田町、南会津郡下郷町に隣接。町の北部は盆地が広がり比較的平坦ですが、中南部は山間部が広がり町域の70%が森林。町の東側、会津若松市との境を阿賀川が南北に流れています。東北最古の窯場といわれる会津本郷焼で知られており、その発祥は1593年、会津若松城主・蒲生氏郷が城の改修のために播磨国から瓦工を招き、瓦を焼かせたのが始まりといわれています。「町の木:赤松」「町の花:山ツツジ」「町の鳥:セキレイ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡本郷村・氷玉岡村・川路村が発足。

1903年、本郷村が町制を施行、大沼郡本郷町となる。

1925年、氷玉岡村・川路村が合併、大沼郡玉路村となる。

1954年、本郷町が玉路(たまじ)村と合併。

1992年、本郷町が会津本郷町と改称。

2005年、会津高田町、新鶴村と合併、大沼郡会津美里町となる。

マンホールには東北最古の歴史を持つ「会津本郷焼」の急須がデザインされています。

会津本郷焼の急須

1992年3月31日制定の町章は「「A」と「H」を合わせて図案化したもの」

本郷町から会津本郷町に「町名変更記念宣言書」「白鳳の山を望み 豊かな大地の中で 土と炎の伝統を守り 未来にはばたく 会津本郷の歴史 今ここに始まる」

旧本郷町時代の町章入り制水弁。

撮影日:2015年6月30日


ご当地マンホール in 福島県旧新鶴村(会津美里町)

2024年12月23日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧大沼郡新鶴村(にいつるむら)は会津盆地の中西部に位置した村です。柳津町、会津若松市、会津高田町、会津坂下町に隣接。佐賀瀬川周辺に広がる鶴沼川と佐賀瀬川の複合扇状地に開けた会津盆地は米どころとして知られますが、村域の50%が森林で占められています。村域には縄文遺跡、古墳、条里遺構も残されており、また江戸時代には若松城下から現:柳津町の軽井沢銀山へ通じる銀山街道があり、交通の要所として栄えてきました。「村の木:エンジュ」「村の花:菊」「村の鳥:ヒバリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡新田村、鶴野辺村が発足。

1898年、新田村と鶴野辺村が合併、大沼郡新鶴村が発足。

1949年、西山村大字軽井沢の上平地区を編入。

2005年、大沼郡会津本郷町、会津高田町と合併、大沼郡会津美里町となる。

マンホールには村のイメージキャラクター「ニッキー」を中心に、上に「村の木:エンジュ」、下に「村の花:菊」枠部分に「NIITURU」の文字が出会因されています。

特産の会津米から生まれた、新鶴村イメージキャラクターニッキー

昭和48年(1973)12月制定の村章は「新鶴の「に」をつるの姿にかたどり、「にいつる」と組み合せて図案化。胴と羽は村民の融和と団結、豊かで円満な平和を表し、首と口ばしは限りない発展を願い、明日へ飛躍する新鶴村を表しています。」新鶴村勢要覧より

撮影日:2015年6月28日

 


ご当地マンホール in 福島県会津美里町&旧会津高田町

2024年12月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡会津美里町(あいづみさとまち)は福島県西部を占める会津地域の、ほぼ中央に位置する町です。2005年10月1日、大沼郡会津高田町・会津本郷町・新鶴村が合併して発足しました。西は柳津町、北は会津坂下町、東は会津若松市、南は下郷町、昭和村に隣接。高田梅や朝鮮人参など特徴的な農産物や「会津」発祥の起源に由来する伊佐須美神社、東北最古の焼き物として知られる会津本郷焼や、野口英世博士ゆかりの中田観音などの由緒ある神社仏閣などがあり、古い歴史と美しい自然に恵まれた町です。「町の木:えんじゅ」「町の花:あやめ」「町の鳥:せきれい」を制定。

キャッチフレーズは「まるごと いいね!会津美里 ~人咲き 花咲き 文化輝く 希望あふれる未来へ~」

2005年12月16日制定の町章は「会津美里町の「A」と「ミ」をモチーフに、温泉や清流などの豊かな四季、緑あふれる山や川の恩恵と歴史、3つのウェーブは3地域が融合し、安らぎと活力あふれる会津美里町イメージ、グリーンは発展・調和・健康を表現しています。」公式HPより

「町の花:あやめ」の路上タイル画

会津美里町PRキャラクター『あいづじげん』。江戸時代に活躍した「慈眼大師:天海大僧正」にあやかって名づけられタヨ。僕が生まれてすぐに大震災に見舞われたけど、被害を受けたふるさとを起き上がり小法師のごとく復興させるため、今日も元気に活動中!

撮影日:2015年6月28日

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旧大沼郡会津高田町(あいづたかだまち)は会津盆地の南西部に位置した町です。柳津町、会津若松市、会津本郷町、新鶴村、昭和村、下郷町に隣接。北部・東部は盆地の平野部が広がり、コシヒカリ、ひとめぼれなどを中心とした稲作が盛んで、南部・西部は山間地となっており会津高原へとつながっています。町域には、国宝一、国重要文化財五、県重要文化財十二、町重要文化財四十を擁し、「会津文化発祥の地」ともいわれています。「町の木:梅」「町の花:アヤメ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡高田村・田川村・赤沢村・永井野村・尾岐村・東尾岐村・旭村・藤川村が発足。

1896年、高田村が町制を施行、大沼郡高田町となる。

1927年、高田町が田川村を編入。

1955年、高田町、赤沢村、永井野村、尾岐村、東尾岐村、旭村、藤川村が合併、大沼郡会津高田町となる。

2005年、会津本郷町、大沼郡新鶴村と合併、大沼郡会津美里町となる。

マンホールには中央に、四方に「町の花:あやめ」、周囲に「町の木:梅と梅の実」がデザインされています。

中央に「町のキャラクター:あやめちゃん」、四方に「町の花:あやめ」がデザインされています。

中央にシルエットになった「あやめちゃん」

会津高田町PRキャラクター『あやめちゃん』

左に「町の花:アヤメ」、右に「法用寺:三重の塔」がデザインされた工業排水用マンホール。

「法用寺:三重の塔」

昭和40年(1965)9月10日制定の町章は「たかだまちの「た」を図案化し町民の和と未来に向って躍進する町勢を象徴している。」会津高田町勢要覧より

撮影日:2015年6月28日


ご当地マンホール in 福島県柳津町

2024年12月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

河沼郡柳津町(やないづまち)は福島県会津地方の西部に位置する町です。西は西会津町と三島町、北は会津坂下町、南は昭和村、東は会津美里町に隣接。南端に博士山(はかせやま)があり、南部は山地が目立つ地形で、町を南北に滝谷川が流れ、町の北部を横切る只見川に合流します。かって只見川の河岸は明治時代までは柳の大木が繁茂しており、大同の頃(約1200年前)、南岩坂(今の柳津)の河岸に三本の大柳があり、船やいかだの発着所であった事が柳津の地名の起こりと言われています。「町の木:柳」「町の花:桐」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「赤べこ伝承 発祥の地」

明治22年(1889)、町村制の施行により、河沼郡柳津村・倉戸村・飯谷村、大沼郡西山村が発足。

1921年、河沼郡柳津村、倉戸村、飯谷村が合併、柳津村が新設。

1942年、柳津村が町制を施行、河沼郡柳津町となる。

1955年、大沼郡西山村と合併し、改めて河沼郡柳津町を新設。

マンホールには「町の花:桐」、中央に「町の鳥:ウグイス」。下に「町の木:柳」がデザインされています。

昭和年(1962)10月1日制定の町章は「片仮名の「ヤナイヅを図案化したものです。町名の由来は、昔只見川の河岸に三本の大柳があり、船の発着所であったのでヤナイヅという地名が起こったといわれており、また伝説では只見川の梁場を由来するともいわれ、昔は梁井戸と呼ばれていたこともありました。」公式HPより

「福満虚空藏菩薩圓藏寺」の守り本尊である、丑と寅を組み合わせた『うとちゃん』。会津柳津名物のあわまんじゅうが大好きで、1日になんと113個ものあわまんじゅうを食べるのです。赤い顔は、柳津町が「赤べこ発祥の地」という事から「赤べこ」になっているのです。そして実は『うとこちゃん』という恋人がいるのです。

会津柳津名物の「あわまんじゅう」。江戸時代、福満虚空蔵で有名な円蔵寺付近で大きな火災があり、円蔵寺の一部もその被害を受けました。この時、当時の住職が「もう二度とこのような災難に”あわ”ないように」という思いを込め、粟を使ったまんじゅうを作ったのが始まりだと言われています。

撮影日:2015年7月1日


ご当地マンホール in 福島県西会津町

2024年12月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

耶麻郡西会津町(にしあいづまち)は福島県の会津地方、北西部に位置する町です。東に会津坂下町、喜多方市、南に金山町、柳津町、北及び西は県を跨いで新潟県阿賀町に隣接。町の面積の約86%は山林で、西に越後山脈が走り、北には磐梯朝日国立公園の雄姿、万年雪を戴く飯豊連峰が間近に望まれ、中央に電源の宝庫、阿賀川が13の支流を集めて西に流れ、日本海に注いでいます。西会津地方には、会津三十三観音の札所としても知られている霊地が点在しており、「会津の霊地」信仰の里として古い歴史と美しい自然に恵まれた町です。「町の木:桐」「町の花:乙女ゆり」を制定。

キャッチフレーズは「笑顔つながり 夢ふくらむまち~ずーっと、西会津~」

明治22年(1889)、町村制の施行により耶麻郡新郷村・奥川村、河沼郡野沢町・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村が発足。

1954年、耶麻郡新郷村・奥川村、河沼郡野沢町・尾野本村・登世島村・睦合村・下谷村・群岡村・上野尻村・宝坂村が合併、耶麻郡西会津町が発足。

1960年、耶麻郡高郷村束松地区を編入。

マンホールには、中央に町章、「周囲に町の花:乙女ゆり」がデザインされています。

昭和29年(1954)9月20日制定の町章は「西会津町の「西」を図案化したもので、上部の円は住民の協和を三角形の三辺は自由、平等、友愛を基調とする民主主義の精神を、V字形は町政自治の発展を象徴しています。」公式HPより

西会津町PRキャラクター『こゆりちゃん』。霊峰・飯豊山の使者で、町の花「おとめゆり」の妖精。 頭の触覚で楽しい事を探し、背中の葉っぱでできた羽根で飛び回ります。 足には特産品である「桐下駄」を履いています。

「道の駅:西会津よりっせ」で購入したチョコレートタルトの「赤べこペッコペコ」。数ある商品の中でこれを選んだ理由はただ一つ・・包装紙の「赤べこ」が可愛い~~~~~😍💗😍 これを友人J🐣さんにプレゼントして、包装紙だけ頂戴と言ったら、思いっきり拒否られてしまった😭

撮影日:2013年6月19日


ご当地マンホールとマンホールカード in 福島県会津坂下町

2024年12月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

河沼郡会津坂下町(あいづばんげまち)は福島県の会津盆地西部に位置する町です。湯川村、喜多方市、会津若松市、柳津町、会津美里町、西会津町に隣接。会津若松、喜多方、高田それぞれが三里であるため、「坂下のバカ三里」とも呼ばれました。町の中部から東側は盆地が広がり比較的平坦で水田が多く、西側は山林が多く、町の東側から北側にかけて阿賀川が流れているほか、西部には只見川が流れており、古来より交通の要所として栄えてきました。「町の木:桜」「町の花:菊」「町の鳥:うぐいす」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、河沼郡坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が発足。

1955年、坂下町、若宮村、金上村、広瀬村、川西村、八幡村が合併、河沼郡会津坂下町となる。

1960年、耶麻郡高郷村高寺・片門・束松地区を編入。

マンホールには、重さ約5トンの米俵を引き合う伝統行事「初市大俵引き」の様子がデザインされています。

重さ約5トンの大俵

昭和40年(1965)3月16日制定の町章は「坂下(ばんげ)を“さかした”と読み違え易いので、その読み仮名の頭文字を取って図案化した。大きな円は地域の和、小さな円は家庭の和とし、縦の線はそれを有機的に結び付け、明日への発展を促進することを表している。」公式HPより

「大江戸助六流 会津坂下安兵衛太鼓」がデザインされた側溝蓋。会津坂下町は忠臣蔵:堀部安兵衛の誕生の地です。

「会津若松市の越境蓋」。設置は民間の住宅会社が開発した場所で、会津若松で開発した時のマンホールを持ち込んだとの事です。

巨大なタイル画、腰に刀を差している所を見ると『堀部安兵衛』のようにも見えますが、仮装したランナーのようにも見える・・謎のデザイン😅

戊辰戦争で女性ながらも薙刀を手に持ち果敢に戦った娘子隊の『中野竹子女史』を愛らしく表現したイメージキャラクター『こたけちゃん』。会津坂下町のPRのために頑張っています。

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マンホールカード、頂きました

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「会津坂下町」のマンホールカードは、「会津坂下町役場 建設課 上下水道班」でいただけます。

2013年に設置開始されたマンホールには「大俵引き」がデザインされています。

「このマンホール蓋のデザインは、約400年続く坂下初市(毎年1月14日)の奇祭「大俵引き」をモチーフに制作しました。 大俵引きは、極寒の中、下帯一本の男衆が東西に分かれ、長さ4メートル、高さ2.5メートル、重さ5トンの大俵を勇ましく引き合う祭礼です。 上町(東方)が勝つとその年の米の値段があがり、下町(西方)が勝と豊作になると伝えられています。 また、引き子は一年間無病息災で過ごせるとされ、全国から志願者が集まります。 大俵引きの後は会場となる役場前で「福豆俵まき」が行われ、福豆俵を拾った人は一年間福が授かるといわれています。」


ご当地マンホール in 福島県湯川村

2024年12月06日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

河沼郡湯川村(ゆがわむら)は福島県会津地方中部に位置し、日橋川を北端、阿賀川(大川)を西端とする村です。喜多方市、会津若松市、会津坂下町に隣接。中世以来、佐原・芦名・蒲生・上杉・加藤氏の封城下でしたが、寛永末期に保科氏の領土となり、幕末頃、旧笈川、勝常の両村と旧堂島村の一部を合わせて笈川組と称し、塩川代官所の支配に属しました。合併後の地名は、笈川村と勝常村との間に流れていた「湯川」に因みます。「村の木:イチョウ」「村の花:紫陽花」「村の鳥:カッコウ」を制定。

キャッチフレーズは「米と文化の里」

明治22年(1889)、町村制の施行により、河沼郡笈川村・勝常村が発足。

1957年、笈川村、勝常村が合併、河沼郡湯川村が発足。

マンホールには「村の木:イチョウ」「村の鳥:カッコウ」「村の花:紫陽花」がデザインされています。

昭和51年(1976)10月20日制定の村章は「「3人寄れば文殊の知恵」の諺と同様に、回りの3つの円は、湯川村を流れる川の名「大川」「湯川」「せせなぎ川」を表わし、その3本の川が、村全体を創り、湯川村の限りない前進を象徴したものである。」公式HPより

湯川村マスコットキャラクター『湯川まいちゃん』。ご飯に合う食べ物なら何でも食べちゃう、あわてんぼうで食いしん坊な女の子。お誕生日は8月18日(八十八=米)。チャームポイントは頭につけたご飯粒だそうです。

撮影日:2015年6月28日

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マンホールカード、頂きました

2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「湯川村」のマンホールカードは、「湯川村役場窓口」でいただけます。

1997年に設置開始されたマンホールには「村の木:イチョウ」「村の鳥:カッコウ」「村の花:紫陽花」がデザインされています。

「湯川村はおいしい会津湯川米を育む美しい田園の風景と、勝常寺に代表される歴史的遺産に囲まれた「米と文化の里」です。 本デザインは、昭和62年に制定された村の花・木・鳥を題材に、合併30周年を記念して制作されたものです。 村の花「アジサイ」は、村内に数多く植栽され、梅雨の時期に多彩な色の花をつけて人びとの目を楽しませます。 村の木「イチョウ」は寺や神社の境内などに見かける馴染みの深い落葉樹で、秋の紅葉は一面を別世界のように彩ります。 村の鳥「カッコウ」は、初夏に飛来する鳥で、その鳴き声は五月空の田園に心地よく響き、農作業の疲れを癒す風物詩として親しまれています。」


ご当地マンホール in 福島県旧塩川町(喜多方市)

2024年12月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡塩川町(しおかわまち)は会津若松市と喜多方市の中間に位置した町です。喜多方市、北塩原村、磐梯町、会津若松市、湯川村、会津坂下町に隣接。町の中心部はほぼ平坦な低地となっており、町の南端の中心部の周囲を大塩川が回り込みながら、日橋川に合流します。昔、その合流地点近くに周囲18mの泉があり、そこから塩水が湧き出て大塩川に注ぎ込んでいた事が 「塩川町」の地名の由来と伝えられています。また、江戸時代、阿賀川を利用した舟運と、米沢街道によって物流が栄えたた事で、阿賀川を航行する船で塩を運んでいたから「塩川町」になったという説もあります。「町の木:柳」「町の花:花菖蒲」を制定。

旧キャッチフレーズは「屋号とのれんの街 塩川」

明治22年(1889)、町村制の施行により、摩耶郡塩川村、堂島村、姥堂村、駒形村が発足。

1909年、塩川村が町制を施行(旧)塩川町となる。

1954年、(旧)塩川町、姥堂村、駒形村が合併、摩耶郡塩川町が発足。

2006年、喜多方市、耶麻郡山都町、熱塩加納村、高郷村と合併、喜多方市塩川町となる。

マンホールには中央に大きく「町の花:花菖蒲」と花の上に町章。周囲に小さく「町の花:花菖蒲」を散りばめています。

「町章」と「町の花:花菖蒲」のレリーフ。

昭和39年10月24日制定の町章は「塩川町、堂島村、姥堂村、駒形村の1町3ヵ村の合併を表現し、これを2本の太い町民の腕が一致団結して支え、上に
広がる白線は末広がりに町の前進と向上を示し、融和のもとに「し」の字を近代的に図案化したものである。 」合併協議会資料より

防火水そう・・・・まさかこのレリーフの裏??

撮影日:2015年6月28日

 


ご当地マンホール in 福島県旧高郷村(喜多方市)

2024年12月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧摩耶郡高郷村(たかさとむら)は福島県の西北部に位置した村です。東は喜多方市、熱塩加納村、西は西会津町、南は阿賀川をはさんで会津坂下町、高郷村と隣接。北は磐梯朝日国立公園の飯豊連峰(最高峰・大日岳2,128m)によって新潟・山形の両県に接しています。町の総面積の約82%を山地森林が占めており、田・畑はわずかに9%前後。北部飯豊山山麓を源として発する一ノ戸川が町の中央を縦断しており、途中、早稲谷川、五枚沢川、宮古川を合わせて、町の南部を横断する阿賀川に合流。耕地は合流点付近の南部平坦地を中心として各河川流域に点在しています。「村の木:ケヤキ」「村の花:姫小百合」「村の鳥:ウグイス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により耶麻郡山郷村、河沼郡高寺村・片門村・束松村・新郷村・千咲村が発足。

1954年、河沼郡高寺村・片門村・束松村が合併、河沼郡高寺村となる。

1955年、耶麻郡山郷村、河沼郡高寺村・新郷村・千咲村が合併、河沼郡高郷村が発足。村名は高寺村の「高」と山郷村の「郷」を合成。

1960年、高郷村が、河沼郡から耶麻郡に変更。旧高寺村域の高寺・片門・束松の一部を河沼郡会津坂下町に編入。残部の束松地区が耶麻郡西会津町に編入。

2006年、喜多方市、耶麻郡塩川町、熱塩加納村、山都町と合併、喜多方市高郷となる。

マンホールには村章を中心に「村の花:姫小百合」、周囲に「ボートを漕ぐ人」がデザインされています。

阿賀川のダム湖を利用して昭和27年の国体開催のときに作られた、全長1000m 6レーンの公認コース「荻野漕艇場」

昭和50年10月9日制定の村章は「高郷 ( タカサト ) 村 の「タ」を図案化したもので、外の輪(和)は高郷村が永遠に平和に発展することを願い、中心の円は丸く未来に向かって前進することを象徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2015年6月19日