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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

橋場のばんば~ in 福島県檜枝岐村

2025年01月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

昨日紹介した桧枝岐歌舞伎の舞台がある愛宕社・鎮守社への参道途中に、「橋場のばんば(おばぁさん)」と呼ばれる石像が祀られています。

ばんばの石仏は、子どもを水難から守ってくれる水神様。ばんばの頭にお椀のフタをかぶせると、どんな願いでも叶えてくれます。

最近では縁結び、縁切りの神様として信仰され、悪縁を切りたいときは、新しいハサミを。良縁で切りたくないときは、サビて切れないハサミを供えるのだとか。

ばんばが座るお堂の入り口左右に奉納された、巨大な糸切鋏。向かって左はギトギトといかにも鋭い切れ味を想像させる鋏。向かって右には、すっかりさび付いてしまった鋏。ご丁寧に刃の部分は鎖で縛られています。

もちろん良縁を大切にしたい方が奉納した鋏には、これでもかと言うように紐が巻かれており、奉納者の想いの強さが窺えて、思わず「ガンバレ!」と心で応援。もちろん、私たちも錆びた鋏みの前で、二人の縁の糸が切れないようにお参りしてきました 😊

「開村者の墓印  明治中頃まで、これより北に住家はなく、この付近は倉や墓石が並ぶ村外れであった。本村集落の北川道脇に、カラマツ(枯死)、桂、黒檜の三本が等間隔にあり、古老の話によると村を開いた人で、南より治部右エ門・勘エ門・勘佐エ門の墓印だと云う。」パネル案内より

橋場のばんばの近く、檜枝岐村下ノ原・国道352号沿いの道端にたたずむ六体のお地蔵様。桧枝岐村は山深い里のため、昔から冷害に悩まされ、とくに凶作の年には餓死者も出る程でした。ゆえに、働けぬ赤ん坊が「まびき」されるという悲惨な行為もありました。この稚児像は、口べらしのために「まびき」された霊を弔い、母の嘆きを慰めるために建立されたものです。🙏🙏

切ない話の後は可愛いカワウソ君の像を

橋の上から見る「伊南川」

桧枝岐村と群馬県との境にある「尾瀬国立公園」。中学の音楽の時間に習った「夏が来~れば思い出す・・遥かな尾瀬~野の小径」のあの尾瀬が、ここからでも行けるのです。と言ってもここからさらに車で走り、シャトルバスに乗り換えて沼山峠を越えて・・・無理!!絶対に!!無理!😱😱

南会津町へと引きかえす途中に見かけた・・・一応「滝」かな。実はこの時、私たち普通の水に餓えていました。手持ちの水筒は空っぽ。予備の水も空。ずっと探しているのに、お店もコンビニも無い。自販機はジュース系ばかり・・どれだけこの水が美味しそうに見えた事か😭😭 

訪問日:2015年7月2日


檜枝岐神社奉納歌舞伎舞台 in 福島県檜枝岐村

2025年01月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

檜枝岐歌舞伎とは関係のない「万里姫」の像で終わった昨日のブログ。二日目は地歌舞伎が演じられる「歌舞伎舞台」の紹介ですが、その前に・・檜枝岐村居平に鎮座される「愛宕神社・鎮守神社」。御祭神は火伏の神として知られる「愛宕神」。参道石段上に鎮座される「鎮守神社」。御祭神は「鎮守神」

毎年5月12日の「愛宕神社祭礼」・8月18日の「鎮守神祭礼」には、境内において奉納歌舞伎が催されます。画像左に見えるのが「檜枝岐の舞台」、右手の建物は2012年に開館した「歌舞伎伝承館:千葉之家」

桧枝岐歌舞伎が演じられる、茅葺きの芝居小屋「奉納歌舞伎舞台」

檜枝岐の地歌舞伎は鎮守神の祭礼に歌舞伎を奉納する目的で上演されるのですが、頂いたパンフレットには「江戸中期の寛政、文化時代から二百年以上の歴史を持つ農民芸能は、かつて村人たちが伊勢参りなどに出かけた折りに見覚えたものが、今日まで伝承されたものです。役者は村人たちで、代々役を継いでいる家も多いとか。近松の名作を昔のままの姿で鑑賞できると遠方から多くのファンが訪れます」

国重要有形民俗文化財の舞台で演じられる、県重要無形文化財の地歌舞伎。そうして、山の麓に建つ舞台を取り囲むように、すり鉢状の斜面に築かれた石積の客席。参道の正面奥に鎮座されるのは「鎮守社」のお社。

最大収容人数は村の人口よりも遥かに多い約1000人。平地よりも数多くの観客を動員でき、また半円状の斜面は音が反射して音響効果も高められる。客席自体が、自然の地形を巧みに利用した最高の舞台装置の役を果たしているのです。

尾瀬会津観光協会のHPによれば「檜枝岐の歌舞伎は元来鎮守神の祭礼に歌舞伎を奉納するという形で上演され、村民もこれを楽しむというものでした。したがって建物は神社に向かって建てられ、拝殿のような形態をとっています。 明治26年の大火で消失し、明治30年頃に再建されたのが現在の舞台です。全村火災という大災害に遭い、当時の貧しい暮らしの中で、村民が総力をあげて作ったと思われます。」

上部に破風があり、前面に廂がある切妻造。軒端の様式はこの地域の民家などにみられる「兜造」で、舞台の上手に座の低い太夫座があり、花道は上演時に設けられます。

舞台中央部に固定式の二重があり、その四方に角柱。二重の前後に唐紙を入れる事ができるようになっており、短い時間に舞台設定を変える事が出来ます。

「歌舞伎伝承館千葉之家」に展示されていた奉納歌舞伎の様子。境内を埋め尽くす圧倒的な観客席の様子に、胸が躍ります。

「歌舞伎伝承館千葉之家」

境内参道に建立されていたのは「袖萩とお君の像」。雪の中、盲目の袖萩が娘のお君に手を引かれ、懐かしい我が家の軒先に立ち尽くし泣き崩れる・・昨日紹介した「奥州安達ヶ原:袖萩祭文の段」の一場面です。

訪問日:2015年7月2日


檜枝岐歌舞伎 in 福島県檜枝岐村

2025年01月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

江戸時代から村民の手によって受け継がれてきた伝統芸能「檜枝岐歌舞伎」。県の無形文化財に指定されており、毎年5月12日と8月18日に奉納歌舞伎として上演されます。

また、9月の第1土曜日には観光歌舞伎としての上演があり、奉納歌舞伎とはまた違った雰囲気で地歌舞伎の世界を楽しむことが出来ます。2012年には、歌舞伎伝承館が整備され檜枝岐歌舞伎の歴史を学ぶことができるようになりました。

檜枝岐村見通にある「道の駅:尾瀬檜枝岐」に併設された歴史民俗資料館には、村の歴史の紹介と共に、檜枝岐歌舞伎の衣装や資料等が展示されています。

「義経千本桜 狐忠信」・・佐藤忠信に化けた狐忠信さんが追手をやっつけ、見得を切る場面です。

大向こうから「日本一!」の声が飛ぶ場面。旅芝居ならおひねりが飛ぶ場面です(って、古ッ!!! 😅  )

実際に着用された衣装。どの演目の、どの役の方が着用された着物だったのか、確認し忘れました。

演目ごとの「かつら」も展示されています。

写真は「奥州安達ヶ原:袖萩祭文の段」。降りしきる雪の中、勘当された親の家の戸口で、涙ながらに境遇を語る盲目の袖萩。母の身を案じながら健気に母をかばう娘・お君。観客席はし~~~~~んと静まり返り、多分あちこちで鼻をすする音が・・・

これらの資料が展示されている「檜枝岐村歴史民俗資料館」の入口には、万里小路藤原秀房の娘「万里姫」の像が建立され、その手杓からは温かい源泉がこぼれています。「かつて尾瀬沼のほとりに住んだ万里姫は近くに湧く温泉で身を洗い温め雪のように白くモチのように柔らかな素肌美人であったと言い伝えられております。」と言う事で、檜枝岐歌舞伎とは関係のない、檜枝岐温泉のPRでした。 

訪問日:2015年7月2日


JR只見線:会津蒲生駅~只見駅 in 福島県只見町

2025年01月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

只見川に影を写す蒲生岳のシルエットに心を残しつつ、続いて訪ねたのはJR只見線「会津蒲生駅」

駅舎の後方に見えるのは標高828mの蒲生岳。そのとがった山容から『田部井淳子さん』が「会津のマッターホルン」と名付けたそうですが、どうだろう? 蒲生岳のなだらかな三角錐と、マッターホルンの鋭く尖った三角錐。私のような山の素人には「そうなのかな?」・・・・😓

それはさて置き、北国の夏は遅いと言いますが、それでも7月ともなれば、人の手が入らないあぜ道は、あっという間に夏草の繁殖を許してしまいます。本来であればこの場所には、摩擦に磨かれた線路が鈍い光を放っている筈なのに、見渡す限りの夏草・・また夏草。

2011年3月の東日本大震災、これに追い打ちをかけた7月の新潟・福島豪雨。只見線は鉄橋の流出や土砂崩れによる線路の崩壊などで、甚大な被害を受けました。

特に会津川口・只見駅間は被害が大きく、只見川に架かる第5、第6、第7の橋りょうが流出したほか、第8只見川橋りょう付近では盛土の崩壊が起きました。豪雨被害から4年後・・・・線路は夏草の侵略を許し続け、手を触れても鉄の感触は伝わってきません。

乗降客の少ない路線、採算の取れない路線の復旧に多額の税金を投じるのは間違っている・・そうなのかもしれません。それでもこんな幟を見てしまうと田舎育ちで世間知らずの私は、やっぱり胸が痛むのです。「つながれ つながれ 只見線」「つながれ つながれ 只見線」

会津蒲生駅を後にして只見駅に向かう国道252号線の途中に見かけた、JR只見線の高架橋。

昭和38年(1963)に完成した会津蒲生駅~ 只見駅間の叶津川に架かる全長372mの「叶津川橋梁」。7月の豪雨災害で叶津川は増水・氾濫しましたが、本橋梁には影響はありませんでした。

見慣れた鈍い色の線路がよこたわる「只見駅」近くの踏切。

駅舎の向こうに小さく見えた「キハ18」

あのホームは現役なのだろうか?只見駅から小出駅までの線路は生きていると聞いたから、ではきっとあの電車は小出駅に向かうのだろう。

見慣れた駅社内の風景。時刻表に路線図。近在のお店の看板・・ああ、間違いなくここは電車の駅なんだと再認識する。

自然首都・只見へようこそ JR只見駅の記念スタンプは山深いトンネルを抜けてくる「キハ18」

福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ全長約135kmの「JR只見線」。豪雨災害の後、JR東日本の懸命な復旧作業により、只見線の大部分で運行が再開されましたが、被害が特に大きかった会津川口~只見駅間は2022年9月30日まで、バスによる代行輸送が続きました。只見線を復旧したい・・地元の強い思いはついに実を結び、2017年6月に只見線の復旧が決定。被災から11年2か月となった2022年10月1日、地元の人々の願いを受けて、JR只見線はつながりました。

訪問日:2015年7月1日


一編の詩~只見川と蒲生岳 in 福島県只見町

2025年01月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

只見川と蒲生岳

はるか奥に見えるのは、あれは多分「十島橋」

只見川に立ち込める川霧は刻一刻と姿を変え

眼下の景色を朧に変える

只見川は水鏡となってその美しく尖った山容を映し出す

なだらかな曲線を見せて空高く・・・

なだらかな曲線を見せて水鏡の奥深く・・

天に向かって聳えるその全容が見たくて退けば・・

水鏡は姿を消し、裾野は別の顔を覗かせる

立ち込める川霧の中に浮かび上がる「第八只見川橋梁」

塩沢橋と並ぶのは只見線の鉄橋

痛々しく傷つき、疲れ果ててしまった鉄橋

そこまで見届けて・・私たちは引きかえす。

見送ってくれたのは小さなしじみ蝶

訪問日:2015年7月1日


金山町内~あちこちウォッチ in 福島県金山町

2025年01月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

金山町中川上居平、「道の駅:奥会津金山」の敷地内に建つ「旧五十島家住宅」。沼沢地区の五十島家が江戸時代中期の宝暦頃に建てたものを現在の場所に移築。原形を残したまま正確に復元したものです。

どこからどう見ても真夏の服装の御亭主殿、東北の雨にすっかり冷え切ったようで、囲炉裏の温もりが恋しい様子😅

「只見線復旧復興募金」。僅かばかりですが、美しい景色を見せて頂いたお礼の気持ちを込めて・・

2011年7月の新潟・福島豪雨で甚大な被害を受け、福島県の会津川口―只見間27.6kmで運休が続いていたJR東日本:只見線。地元の方の念願であった運行が2022年10月1日から再開されたと聞きました。長かった11年、地元の方達を含めた多くの方々の尽力と熱意と執念が実現させた只見線全線復旧・・できるものなら今一度現地に行き、見る事が出来なかった第一橋梁を走る電車を見たかったと心から思います。

国道252号線を隔てた向かいに門を構える曹洞宗寺院「滝谷寺(りゅうこくじ)」。近くに立ち寄ったのもご縁の一つ。宗派の礼儀は存じ上げませんが、二人揃ってお参りさせて頂きました。

石仏様のお顔はこの上なく優しく、私たちに笑みを見せてくれます。

会津川口駅では「カッコ良い」転車台を見学。そこから只見川と平行に走る国道252号の右手にダムを発見!。山道や林道は遠慮したい軟弱者ですが、こんな風に苦労せずにみられるダムは貴重😊。 金山町水沼、阿賀野川水系只見川にある東北電力「上田(うわだ)ダム」ダムマイスターのブロ友さん風に説明するなら、提高 34m。発電用の重力式コンクリートダムで、総貯水量・20500千m3。洪水吐用のローラーゲートは5門。

いわゆる「天端」と呼ばれる道。ダムによっては立ち入り禁止の所もあるようですが、ここは通行可能のようです。止まない雨ですが珍しい景色を見る事ができて、ちょっと得した気分😊

上田ダムを後にふたたび国道252号を走行。ふと見上げた山沿いにJR只見線の「細越拱橋(きょうきょう)」。昭和14年(1939)に竣工されたコンクリート製の8連アーチ橋で、 通称:めがね橋と呼ばれています。

2015年の訪問当時、目に入る只見線の線路はどこも草の浸食が激しく、言葉に出来ない切なさを感じたものです。

金山町滝沢上ノ山の一隅にある「大塩天然炭酸水」。春にかけて湧き出る炭酸水は貴重な軟水にして微炭酸というまろやかな口あたり。今回、とっても楽しみにしていた場所です。後日談ですが、2019年に開催された第14回20ヶ国:地域首脳会合において、ミネラルウォーターとして提供されたそうです。

国内産としては大変珍しい、地下において自然の炭酸ガスがほどよく溶け込んだ天然炭酸水と言う事で「物凄~~~~く!!」期待していたのですが・・・「井戸の水位が下がった為 つるべ等を撤去しました(美味でない)自然のなせる業なので何卒ご了承ください」😱 確かに、ズームで見た井戸には、水の気配が有りません😭 

更に後日談ですが、この記事を書いている2024年現在、井戸は塞がれており、炭酸水を汲む事は出来ません。ただし、近くに取水口が設けられており、そちらで美味しい天然炭酸水を取水できるそうです。

訪問日:2015年7月1日


第四只見川橋梁 in 福島県金山町

2025年01月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

奇蹟の一枚・・・私たちはこの写真をそう呼んでいます。

もちろん、この程度の写真は条件さえ揃えば誰でも写す事が出来ます。雨が降って、それが小止みになった時間にこの場所に立つ。が、私たちがここに立つには高速をフルに使ってノンストップで9時間。初日から予定はぎっしり詰まっている、この場所に上記の条件を見計らってカメラを向けるというのはほぼ不可能。だからこそ私たちにとって上の写真は「奇蹟の一枚」なのです。

金山町水沼にある「第四只見川橋梁」ビュースポット。

少しずつズームを繰り返し、只見川に架かる橋梁に焦点を合わせてゆく。

やがてクッキリと橋梁のアーチが見えてくると、後方の山々は墨絵の様相を見せて景色を彩り出すのです。

只見川の水面から立ちのぼる川霧は、ゆっくりと高さを増し、ふうわりと、これ以上ない優しさで橋梁を包みこむ・・それは幻想的な異世界の景色。

金山町のJR只見線「会津水沼駅」と「会津中川駅」の間、只見川に架かるJR東日本・只見線の鉄道橋「第四只見川橋梁」の水沼只見線ビュースポット。霧の中にくっきりと浮かび上がる水色の橋梁もまた、幻想的に美しい。

訪問日:2015年7月1日


会津川口駅:転車台 in 福島県金山町川口新町

2025年01月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

金山町川口新町にあるJR東日本:只見線「会津川口駅」・・ですが、今回のお目当ては駅ではありません。

駅舎の窓越しから見る線路・・では無く、その向こうに見える只見川・・でも無く。

お目当ては駅舎を出てしばらく歩いた先にある「手動の転車台」。転車台とは読んで字のごとくで、車体を転回させるための台。決して鉄オタではない二人ですが、機関車とか扇形庫とか転車台が見学できると聞くと、立ち寄らずにはいられないのです😊

何がどうで気になるのかと聞かれても、多分満足な答えはありません。それでもとにかく見学できると聞くとじっとしていられなくて、多少の無理で叶うのなら立ち寄ってしまいます。

転車台の前に待機しているのは・・・窓の円形ワイパーから想像するに、冬でも使えるモーターカー?

鉄道設備が好きというだけで全く詳しくない二人。でここからはどこかで読んだ知識から、こちらの転車台は50フィートの上路式。枕木締結式のバランスト型で、大正四年(1915)の製造だそうです。

これで最上に運が良かったら、機関車が転車する場面を見る事が出来たかもしれませんが、流石にそれは欲張り過ぎ😓

車止め??

贅沢言いません、せめて普通の電車でも・・・なんて、やっぱり贅沢ですよね😅

訪問日:2015年7月1日


からむし織の里 in 福島県昭和村

2024年12月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

昭和村佐倉上ノ原にある「道の駅からむし織の里しょうわ」。からむし織の文化を伝える施設として、奥会津昭和村振興公社が2001年より運営。2014年に道の駅に登録されました。

「古代布 からむし織」

着物好きな人ならさして不思議にも思わない名称ですが、上布や伝統工芸に興味ない人には「からむし=殻虫・唐虫・カラムシ」と変換する人もいて、認知度の低さに逆に驚かされました。まぁ・・確かにムシと付くと止むを得ない気もします。前置きが長くなりましたが「からむし」は、イラクサ科の多年草で「苧麻(ちょま)」とも、また茎からとれる繊維の名称から「青苧(あおそ)」とも呼ばれます。現在、本州では昭和村が唯一の産地であり「小千谷縮・越後上布」の原料にも用いられています。

棒ガヤの垣の中の「昭和村からむし」。え??、これって抜いても抜いても生えてくるあの厄介な雑草じゃないの!?と思われたアナタ。ええ、その感想、多分間違っていません(笑)。

ところが茎の皮から採れる「靭皮(じんぴ)繊維」はとても丈夫で、績(う)んで取り出した繊維を紡いで糸にし、縦糸と横糸を織って布にすると、着物好きには垂涎の「上布(じょうふ)」になるのです。(績む=繊維を目的の細さに裂き、繋いで糸にする事) 長く着付けの講師をしていた私ですが、7桁のお値段に負けて遂に入手は叶いませんでした。

この苧麻、日本では有史以前から繊維用に栽培されていた事が文献などにも残されており、朝廷や豪族が部民(専門の職業集団)として糸を作るための「麻績部(おみべ)」、布を織るための「機織(はとりべ、はとり)」を置いていた事が解明されています。また日本書紀の、持統天皇7年(693)条によれば、天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(からむし)」が挙げられています。

縄文の昔から人間と共に生きてきた植物との営みを伝える「からむし工芸博物館」。館内では、からむしの歴史から、上布で作られた様々な収蔵品が、営みにまつわる道具とともに展示されています。

からむしは、雪がとけた5月中旬頃に根を植え、2年目以降の旧暦4月の中の日を目安に「からむし焼」をおこないます。これは、からむしの発芽がばらばらなので、先に出た芽を焼くと共に根に刺激を与えて一斉に発芽させる為に行います。また、害虫の駆除や焼いた灰を肥料にする意味もあります。

積もったばかりの平らな雪の上に上布を広げる「雪晒し」。太陽の熱によって雪が溶けて水蒸気になる時、殺菌・漂白作用のある「オゾン」が発生。これが布目を通る時に化学反応が起きて繊維が漂白されるという効果を利用したもので、汚れやシミなどを落とし漂白し、柄をより鮮明に浮き立たせるために行われます。

歴史のある「からむし織」は県の文化財に指定。原料となる「からむし」の栽培方法は国の保存技術に選定され、2017年に国の伝統的工芸品に。また、からむし織りのはた音は「日本の音風景100選」に選定されました。

昭和村大芦、からむしの里を後にふと目に留まった「中組山神社」。石段・石灯籠・石鳥居が村有形文化財の指定を受けています。石段下からの拝礼で・・・

山越えの私たちの前に現れた昭和村名水10選の看板。「天狗の冷泉」の名とその由来を読み、そっと手を浸せば思わず肩がブルっと震える。初夏の日差しもここまでは届かないようです。

訪問日:2015年7月2日


会津美里~あちこちウォッチ in 福島県会津美里町

2024年12月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

会津美里町西勝に伝承される「西勝彼岸獅子舞」、太夫獅子、雄獅子、雌獅子の三体で舞われる獅子舞。寛永3年(1626)西勝集落が大火により全焼し、後、天明の大飢饉、その後の疫病によって村の人口が半減した寛政10年前後に、獅子の霊力にあやかろうと、火伏せと五穀豊穣、死者の供養のために、招致したものと伝えられています。 毎年・春の彼岸の春分の日を中心に町内と西勝集落を踊り子、笛、太鼓などによって舞が披露されています。

会津美里町船場にある「向羽黒山城一の曲輪(本丸)」、陸奥国にあった日本最大級の山城。城跡は国の史跡に指定されていますが、ここを登ってゆく根性は無し😓

でも登山口に設けられた駐車場からの眺めは最高にステキ😍 さすがに「会津盆地一望の ビューポイント」の説明はだてじゃない。

「古釜18567年(安政5年)1920年代(明治末期)まで使用。大釜1860年(万延元年)1920年代(明治末期)まで使用。」『水野瀬戸右衛門 共同窯跡』水野瀬戸右衛門以下16名共同窯と言う事で16名の氏名が記されています。

近くの「会津美里町観光協会」の一画に展示されていた鬼瓦

会津美里町高田甲に建立された「慈眼大師御誕生地」碑。大正13年、舟木舘跡に建立された天海大僧正の生誕地をしめす石標。刻字は輪王寺門跡大照円朗大僧正による書。昭和43年(1968)2月22日に町指定史跡に指定されています。

天海大僧正の生誕地の斜め向かい、会津美里町公民館前に立つ「天海大僧正」石造と「護法石」

天海僧正は天文5年(1536)に会津美里町(高田地区)に舟木景光夫婦との間に生まれ、幼名を兵太郎といいました。なかなか子宝に恵まれなかった舟木夫婦は文殊堂に籠って子供の誕生を祈願した結果、天海を授かったといわれています。舟木夫婦は子供が産まれたことを記念して「護法石(ごほういし)」を屋敷敷地内に建立したといわれています。この石は「遥拝石」とも呼ばれており、天海が太陽を拝んだことが由来とされています。また、この石には「天一」とも刻まれています。

「天海大僧正」の右に見えていた色鮮やかなお神輿は、国指定重要無形民族文化財に指定されている会津美里町:御田植祭太鼓台」。祭りの連と呼んで良いのかどうか不明ですが「第一仲若」の太鼓台のようです。

会津美里町新屋敷稲荷宮甲に残る町指定文化財 新屋敷一里塚」。「下野街道沿いに位置するこの塚は、かって寛文七年(1667)に国に設けられた一里塚で当時坂下一高田一大内一田島への盆地西部の交通史上重要な史跡である。これ以外のものはすべて破壊されており、東側のこの一里塚が遺された唯一の物である。」現地案内

会津美里町新屋敷東十二神甲に鎮座される「十里神社」。通りすがりにお見掛けした神社故、鳥居前の拝礼で失礼します。

通りがかりに見かけた巨大大俵・・あれは確か坂下坂下町で見たもの・・え??私たち、道を間違えた!!?? いえいえ、大丈夫。実は会津美里町にも、四百余年の伝統を誇る「奇祭 大俵引き」があるのです。

 町の目抜き通りで。日没後にかがり火や提灯の明かりの中で行われる豪快綺麗な正月行事「大俵引き」。 長さ五メートル、直径三メートル、重さ三トンの大俵を町内の若者が上手と下手に分かれて引っ張りあい、 上手が勝つと米の値段が上がり、下手が勝つと豊作になるといわれています。新鶴PAの地域案内地図に見かけた「大俵引きの里」には、両方の地名が入っていました。

訪問日:2015年6月28日&6月30日