千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

須磨の光源氏

2006-05-22 19:16:48 | 源氏物語
源氏物語を歩く、今回は須磨です。遠いです。
地下鉄京都駅・JR新快速神戸・JR快速須磨・山陽電鉄と乗り継いで着いた須磨寺は浜風の吹く小さな駅でした。駅を出たところに平の重平とらわれの松があり説明を受けた後太陽の照りつける市中をうろうろ新興住宅が多く増え先生もアレおかしなと迷われる有様。
したの写真は須磨霊泉の説明をされる先生勢いよく出る水は上流・中流・下流と分け今も使い分けておられる。
説明を受けてる最中も次々と近所の方が訪れタンクに詰める人洗濯をする人使った後は美しく整えて行かれる。マナーは満点やった。



光源氏は時の政府、右大臣派から迫害を受け、自ら都を去り遠く須磨の地にわずかな供を連れたどり着く、毎夜のように美しい人を訪ね又若き宮人と熱く語り合った日々は遠く去り一人静かに琴(一弦琴)を奏でる毎日近くを行く船人にも聞こえ哀れを誘ったそうな。
と言う物語りながら、当地の長、明石の入道の野望である娘を参内させることが光源氏の須磨滞在によって現実の物となった。光源氏にとっても入道の莫大な財力を味方に取り入れる。したたかなくだりのお話も聞かせていただいた。
光源氏はその美しい容姿だけでなく卓越した政治力も併せ持っている凄い人であるらしい。

下の写真は松風村雨堂碑で在原行平が須磨に流され寂しい日々を送っていたが村の娘(もしほ・こふじ)を村松・村雨と名付けて側に置き暮らしていたがやがて都に帰れる日烏帽子と狩衣を松に掛け“立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰りこむ”の唄を残した。と伝えられる。