千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

合格発表、ホントやったんや

2007-01-31 18:17:30 | 京都便り(京都通)
待ちに待った京都検定の試験結果が郵送されてきた。自己採点と少し違ったが3級は83点で見事合格、2級は66点しか取れず(ー4点)不合格となった。
3級の合格率は53.3% 2級は50.8%やったそうです。



自分の中では2級は大健闘やったと思う凄く難しかったし全く知らない問題も出たなかでの66点やから良かったと思っている。
でも、今一度挑戦をして70点を目指したい。
“やってやれないことはない”合格する人が有るのやから退化しつつある我が脳にむち打って今年の暮れ再度挑戦しよう(未だやるの・・・我が脳はぶつぶつ言っている気配有り)
取りあえず階段を一段上がりました。


何と暖かな一日

2007-01-30 22:41:21 | 新太極拳
朝から暖かな太陽に恵まれて洗濯物を干す作業も日差しがまぶしい、今日は昼間の講座が休みとなったため気が緩んだのか目が覚めたのは7時を廻っていた。
教室の前で火曜日来られるのは久しぶりのクリスさんと会った。まで6時前なのでオーナーに怒られるかも、と言いながら“いいっか”行こう



暖かい日の割に集まりは今一生徒は少なめで始まった。
今日は何時も痛む膝とは少し場所が違うところが疼きやる気を削がれる。
休みながら皆さんに付いていかなければ置いてけぼりにされたら大変やから頑張らねばならない。
剣は2回套路を繰り返したが一箇所戸惑うところがあるのが心配。
36式はみんなで套路を1回、上級者で1回、2組に分かれて3回計5回の套路を行った。汗が滴る。




春の便りは故郷から

2007-01-28 19:23:13 | 故郷関連&日々諸届け
友人から電話があり中学校の同窓会の知らせが入ったとか、
私は故郷を離れ引っ越しをしたり生家も今はない状態なので音信不通者の枠に入っていると思う。
“備考欄にあんたの事書いとくしな”って言ってくれた。
楽しみでもあり不安もある。この時期の思い出は少なくて自分が中学の3年間どう過ごしたかあまり覚えていない。担任の先生の名前も覚えていない体たらくであるから情けないかぎり。
小学生の頃を覚えているのにどうして中学時代は覚えていないのか自分でも不思議や。
3月の同窓会に出席すれば自分探しの会になるのかもしれない。
ソフトボール部に入り夕方遅くまでグランドにいて真っ黒に日焼けしていたのは覚えているし顧問の先生はたしか黒ちゃんって呼んでいたように思う。
同窓会の前に新年会やでと早々に話しは纏まった。
よう遊びますねぇおばちゃん。

師範・拳士試験

2007-01-27 19:38:12 | 新太極拳
1月27日いつもより1時間早く師範・拳士試験実技の部が京都教室で行われた。
師範1名・拳士13名これまでにない多くの挑戦者でフロアは熱気で一杯一種独特の緊張感が漂う中実施された。
挑戦者の息遣いが見学の私たちにも伝わってくる。



時間前、休息時間を惜しんで最後の調整をする受験者の皆さん。
何と励ましたらいいのか言葉が見つからないまま見守る応援団の皆さん。
言葉にはなりませんがみんな一生懸命応援してました。
日頃の成果を出し切って套路を終えた笑顔がすごく良かった。



高槻教室のMさんの見事な開脚のすごかったこと、羨ましいですねぇ。
体の硬い私は生まれ直して来なければ絶対出来ない凄技でした。
ドキドキの挑戦を終えられホットされたことと思います、ゆっくりお休みください。
そして明日から新たな挑戦に向かって頑張りましょう。


講座・歌舞伎の世界

2007-01-26 19:00:04 | 歌舞伎・映画・落語など
本日の講座は新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)野崎村
奉公先の油屋(家業は質屋です)で身に覚えのない疑いをかけられ故郷野崎村の養父のもとに帰った久松は養女お光と祝言を挙げる事となっていた。
そこへ奉公先の娘・お染が恋しい久松に会うため野崎詣りに託けて久松を訪ねてくる・・・・・田口先生の解説で物語を分かりやすくお聞きしていると舞台の模様が浮かんでくる、何度か見た出し物やから懐かしい。
後半2005年2月、東京歌舞伎座で公演された凄いビデオ人間国宝だらけの野崎村を見せていただいた。
お光:芝翫  (昭和3年生まれ、76歳、人間国宝)17歳?
久松:鴈治郎 (昭和6年生まれ、73歳、人間国宝)18歳?
お常:田之助 (昭和7年生まれ、72歳、人間国宝)お染の養母
久作:富十郎 (昭和4年生まれ、75歳、人間国宝)お光の義父
お染:雀右衛門(大正9年生まれ、84歳、人間国宝)17歳?
仰天するような配役でお染さんは何と84歳で17歳娘役をこなされるのです。
お顔さえ見なければ(失礼)初々しい所作で17歳になり切っておられます。
又別に
お光:勘九郎(現・勘三郎)
久作:勘三郎(先代)
お染:玉三郎
こちらは未だ先代勘三郎さんが存命の頃の野崎村で玉三郎さん、勘九郎さんの若い頃の(今も若いですが)舞台で瑞々しく先の人間国宝と比べるのは酷なような気がするビデオでしたが前回に続いて勘三郎さんが見られて良かったデス。
講義の最中に私の携帯が鳴り出し慌てましたがそのメロディが歌舞伎調呼び出し音なので皆さんに受けたようです。
益々楽しいこの講座来月は「本朝廿四孝」の八重垣姫です。



オフ日の大仕事

2007-01-25 20:34:42 | Weblog
先週金曜日の深夜ウイルスに害されて「隔離出来ませんでした」と恐ろしいことを宣言され今日のオフ日まで恐ろしながら置いておいた。幸い控えのパソコンが使えたので不自由は無かった物の不安の一週間を過ごしたが10時問い合わせ時間を待ちかまえ電話した。

無線ランと断線していてYBB光と繋いだりウイルスチェックを済度したり電話を切ったり繋いだりしながら結果が出てみるとウイルスが消えていた
訳分からへん 何でやろ
係の人はウイルス入ったとき「インストールしましたか?」と聞かれた。
そう言えば「何かインストールしなさい。って書いてあったからやりましたわ」
「はい、それで修復されたかもしれませんね」だって。
あれだけ緊急とか何とか赤い字で100以上入っていたのに「ウソみたい、信じられへん」

何かわからへんうちに正解に導かれていたんやわ。
何はともあれ、めでたし、めでたし気がつけば12時を過ぎていました。

大久保教室大遅刻

2007-01-24 19:13:55 | 新太極拳
少し時間があるかとパソコンを開けたのが間違いの元でハッ、と気づいたときにはすでに9時半どうやら1時間時計を見間違えていた模様 (/_;)
用意もそこそこにすっ飛んで行きました。 
おまけに鈍行電車は遅い、のんべんだらりとコトコト走っているので焦りまくりや



教室に着くと24式が始まったところで、アァ良かった。
24式は未だ最後まで行っていないので外す訳にはいかないのやから
未だ足と手がバラバラの感じが抜けない36式やと自然と手と足が付いてくるけど戸惑いがいっぱいでバラバラ状態、年会まで後1ヶ月やのに焦る~



帰りバス停の側の川に白鷺と青鷺を見つけた。池の中の青鷺を土手の上から白鷺が覗き込んでる“アァ、あそこに餌があるのに~”怖くて行けないのかなぁ。
仲良うしいや~。絵本の中に居るような風景をバスが来るまでノンビリ眺めていた。


拳士試験頑張れ

2007-01-23 22:44:31 | 新太極拳
いよいよ拳士試験も間近に控えて挑戦する人は緊張も高まっていることと思う。
落ち着いて平常心(無理か)で頑張って欲しい。
今日来ておられたお二人は回を重ねる都度完成度を上げておられる様子・・良かった。
次の土曜日が特別に輝いた日に成りますように祈っています。(これってプレッシャー??)



剣の套路、36式の套路の後2組に分かれて私たち、「め組」は更に36式を2回剣を2回套路を繰り返した。
ヒデ先生この「め組」って名前変えませんか。江戸時代の火消しみたいで嫌いなんですが。
 


気っもちい~い

2007-01-23 21:42:44 | 歌舞伎・映画・落語など
お楽しみカラオケ風景です。力一杯大きな声を張り上げるのは気持ちいいですよ。でもカラオケよりもおしゃべりが楽しく集まっています。
亭主のこと年金のこと老後のこと(今が老後か)果てはお墓のことまで話しは尽きることがありません。若い人が聞けば暗くあきれ返る話題かもしれませんが結構楽しいのです。
今は2月に旅行に行こうと計画をこねこねと練っています。
北陸の方に美味しい魚と蟹をたらふく食べようという美味しい企画です。



カラオケは早々に切り上げ向かいの喫茶店に直行話しの続きです。
毎週同じは無しばかりでこの屋のマスターも呆れていることでしょう。
本日は遺言書について討論を交わしました。(そろそろ用意せな




源氏物語講座・平安神宮

2007-01-22 21:24:54 | 源氏物語
平安遷都1100年を記念して昔の朝堂院を模して建てられた平安神宮が今回の講義拠点でした。神宮道で集合と言うことで5番のバス一本で行ける、こんな事は滅多にないこと10時に家を出てゆっくり間に合った。
美術館前を出て暫くすると向かい側の神宮道バス停にもう大勢集まっておられるのが見えた。同じ神宮道でも凄く離れて停留所がある。
交差点で先生や先輩方が待っておられるので“皆さん彼方で待っておられますよ”
お知らせして其方に急いだ。




平安神宮の大鳥居は日本一大きな鳥居です。世界一でもあります。
朝堂院の3/5の規模やそうですがその昔朱雀天皇の子斎宮14歳と六条御息所が伊勢へ下る際朝堂院にある大極殿で別れの櫛の儀が行われた場所と同じに再現されています。葵祭に斎王代が乗る四方輿と同じ輿に乗り左奥の永福門より入り大極殿で儀式があり以後伊勢で尼宮としての暮らしが待っています。
凄くもの悲しい行く末ですね。



岡崎の疎水沿いを通って東山三条より京都駅に行き、またまた京一で昼食を挟み午後の講義に入りました。
受講者の声“たまには違うとこで食事したいなぁ”“折角岡崎まで来たのに”
私の横に座られた人は丹後の宮津からはるばる講義を受けに来ているとか、凄い。
朝7時半に家を出られたとかすごいなぁ。
例によって食後の講義は眠い生憎先生が目の前におられるので辛かった。
終了後イノダの喫茶店に飛び込んだ。