千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

源氏物語・稲荷詣で

2011-01-20 20:30:53 | 源氏物語
源氏物語後半宇治十帖に登場する薫の君、匂宮が足繁く通った宇治への道。
JR東福寺駅より河原道を通って稲荷山頂までが今日のコースです。

スライドショー

東福寺は紅葉の名所でことに通天橋から見る紅葉は美しくその季節には
大勢の紅葉狩りの善男善女で賑わいます。
その通天橋から見えるのが臥雲橋を初めて通りました(穴場かも)

塔頭の寺院が多く並んでいました。
その先は山道に入る手前で私は離脱させて貰いました。
山道では到底付いていける体力はないと思うし迷惑は掛けられません。

1人になり芬陀院(雪舟庭園)へ、静かで拝観客はゼロで受付に人影もなし、
拝観料300円を三宝に乗せ「お邪魔します」と座敷に上がった。

雪舟といえば襖絵や掛け軸でお馴染みの画家ですがこのお寺では作庭をしています。
鶴亀の庭がそれですが、何と亀が動くそうです、そこで動かないように、
亀の背に石が置かれています。

幼い頃こんな話しを聞きませんでしたか?
幼い日の雪舟が、お寺に小僧として修行中絵ばかり好んで経を読もうとしないので、
寺の僧は雪舟 を仏堂の柱にしばりつけてしまいました。
しかし床に落ちた涙を足の親指につけ、床に ねずみを描いたところ、
僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許しました。
そのねずみは走り回っていたそうです。

後に画聖とまで言われた雪舟らしい逸話です。

その後伏見稲荷にも足を伸ばしました。
千本鳥居をゆっくり潜り奥の院へ、重軽石を持ち上げてみました。
矢張り重いです、右側が心なしか軽かったような気がします。

皆さんと一緒に稲荷山頂で食べるはずのおにぎりは持ち帰り夕食として頂きました。

鳥羽作道を行く

2010-11-18 20:05:08 | 源氏物語
源氏物語の舞台を訪ねての講座で今日は鳥羽作道から石清水までジャンボタクシーで巡った。
半年ぶりの講座再会で心弾む1日となった。

10時カルチャーセンターエントランスホールに集合すると懐かしい顔ぶれが揃っている。
ジャンボタクシーと普通のタクシー1台に分乗して出発



最初は羅城門跡です、平安京の朱雀大路南端にあった楼門で芥川龍之介の小説羅生門に有るように鬼が出て人を取るとか屍が折り重なって捨ててあるとかおどろおどろしい場所であったとか
楼上に安置されてた兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)を以前から見たいと思っているが今は東寺にあり非公開となっていて見ることが出来ない。
何時の日か一般公開の日が有ると信じてアンテナを張っているが・・・





左 やわた 八幡宮の道しるべ




鳥羽殿跡です、白河法皇(1053~1129)が応徳3(1086)年譲位と同時に,鳥羽に造営した院御所を鳥羽離宮(鳥羽殿)といい,全域180町に及ぶ広大なものであったそうです。

金網ギリギリに説明版が有ります
読みにくい、写真が撮りにくい、誰が設置したのですか
設置した方仕上げに満足していますか、不親切です



桂川と鴨川の合流点の河川敷に大きな石が3つあります。
どこから誰が運んだのでしょうか。



土手に美しい菊が風にそよいでいました。



淀城址のお堀端、うつくしいですね、
淀城は伏見城を廃城とし、新たに淀の地に城を築く事を決めました。
淀は、水陸の要所であり、かつ京都の喉元を押さえる重要な場所に位置していましす。
当初は、伏見城の天守を移築する予定で天守台が築かれましたが、実際には一回り小さな二条城の天守が移築されたそうです。





石清水八幡は私1人だけケーブルで登りました、5分足らずで登り切ります。
広場や楼門当たりをウロウロしているうちに皆さんを見つけましたが既に拝殿内を見学された後でした

広場の待合室?で持参のお弁当を広げ、本日の講座はお開きとなりました。
歩いて下山する人ケーブルカーに乗る人に別れもちろん私はケーブル派です





登山口にある「やわた走井餅」でお抹茶とお餅を頂き亭主殿のお土産に1個お買い上げです
次回は1月です、以前行った大雲寺(岩倉実相院近く)で未だ見ていない箇所があるらしい


宇治十帖を訪ねて

2010-01-30 07:51:17 | 源氏物語
金曜日夜、太極拳メルマガに向けて送ったはずのものです。
今朝メルマガを開けると「京に住んで」はお休みと記されていました。
おかしいなぁと思いメールホルダーを開けると何という事でしょう!!
先週分を送っているではありませんか。

改めてこちらに転記させていただきました。(ボケは死ななきゃ治らない・かな)


冬にしては暖かい雨の降った金曜日宇治に出かけた。
午前中は教室で講義があり午後は宇治十帖の物語の舞台である史跡?など
平等院、宇治川周辺「源氏物語を訪ねる」講座です。

幸い移動を始めた午後には雨も上がり足元を気にする心配も有りません。
まず最初「夢の浮橋」跡だったであろう広場が宇治橋のたもとに有ります。
紫式部が薫君と浮舟の恋の構想を練っているのでしょうか石像が有りました。
夢浮橋之古蹟碑も傍らにあります。





今は新興住宅と化している高台にも史跡がありますが以前にも行っている為
私は県神社近くのお茶屋さんでお抹茶など頂きエスケープを決め込みました。

流石本場の御茶屋さんですね、凄くまろやかで美味しいお茶を頂きました。
その店主は京都検定2級に合格されていて店には拡大された合格証が、
飾ってあり暫し京都検定苦労話など出来ました。


再度合流後橋を渡って宇治神社の前で、匂宮が浮舟の居場所を探り出し、
二人はともに小舟で橘の小島へ渡る場面のモニュメントがありました。
この石像は以前来たとき無かったような気がします。




宇治神社から少し歩いたところに橋寺がある。
門から即高い石段があり登るのは断念したがここは宇治橋の守り寺といわれ、
宇治橋の成り立ちを刻んだ石碑で下部を継ぎ足したことから「宇治橋断碑」
と呼ばれる重要文化財があります。



宇治には多くの源氏物語の足跡があり未だ宇治詣では続くらしい。
願わくば桜の咲く頃に訪れたいものです。


光源氏の足跡

2009-10-23 22:29:21 | 源氏物語
「源氏物語の舞台を訪ねて」今日は「桂から嵯峨釈迦堂」を巡りました。
午前中は教室で講義を受け昼食後阪急で嵐山まで行きそこから徒歩です。



渡月橋はいつ見ても優雅です。
平安の世では橋はもう少し上流だったとか



係留されている屋形船に青鷺が・・・長閑な風景


嵯峨野の風景・・・竹林・・・絵になりますなぁ



天皇の代替わりに伴い伊勢神宮の斉宮に選ばれた皇女が禊ぎをされた野々宮神社。
一年間潔斎した後に伊勢神宮へ
新しい斎宮が選ばれる度に場所を移して造営された。



落柿舎の遠景です、 辺り一帯のどかな田園風景は初めて訪れた時と同じです。
庭の柿の木に実がたわわに実っていました、ひなびた感じがするこの庵は、 外見は小さな田舎家と言った感じですごく狭いです。
藁葺きの小さくて素朴な佇まいがなんとも心がやすらぎます。



清涼寺(釈迦堂)は光源氏のモデルといわれる嵯峨天皇の皇子、源融の山荘「棲霞観」があったところが、のちにお寺となりました。
境内には美味しいと評判のあぶり餅を売る茶屋もありました。



源融の墓所前で先生の説明を聞いています。

百人一首に 「滝の音は たえて久しくなりぬれど 名こそ流れて なお聞こえけれ」

と歌われた「名古曽の滝」跡がある大覚寺まで行かれる皆さんと私は釈迦堂で
別れました。
急ぐ途中に有った嵯峨豆腐で有名な「森嘉」で大好きな飛竜頭を買って慌ただしく帰途につきました。


源氏物語の舞台を訪ねて

2009-08-27 18:56:46 | 源氏物語
,07年3月に当時の「源氏物語を歩く」講座が相馬先生のご病気で、
突然打ち切られた。

今日から再び先生は替わられているが「源氏物語の舞台を訪ねて」を
受講することにした。
既に半分ぐらい終了していると聞き些か焦ってはいる。

今回訪れた須磨と明石は以前にも参加した箇所ではあるが、
久しぶりに懐かしい場所に戻った。

村上帝社

平安時代の末、太政大臣藤原師長は琵琶の名人であったが、
唐に渡って一層奥義を極めたいと願い、都を出て須磨にやってきた。
しかしその夜、村上天皇と梨壺女御(なしつぼにょご)の霊が夢に現われ、
琵琶ひきの妙手を師長に伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、
「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰った。



須磨の関

下の写真は明治初年土中から見つかった石碑です。正面には「長田宮」、
側面には「川東左右関屋跡」と書かれています。
出土された場所は東方100mに暗渠となった千森川と旧西国街道の、
交叉する地点であった。

須磨の関がどこにあったかは3説あり、現光寺・関守稲荷神社・多井畑厄神の、
いずれかの近くに在ったという説である。



源氏寺
正しくは、藩架山現光寺(ませがきさんげんこうじ)です。
 江戸時代の地誌では、ここが光源氏の居住地と伝えられており、
昔は「源光寺(げんこうじ)」・「源氏寺(げんじでら)」とも呼ばれていました。



須磨寺

須磨は源平興亡の舞台となった地で、須磨寺にも平敦盛の首塚などの史跡があり、須磨寺境内には源平の庭が作られ、平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を、
実物大のモニュメントで再現しています。
宝物館には、平敦盛の青葉の笛、甲冑、書画などの展示源平ゆかりの品や、源平合戦にまつわる資料の展示、日本最古の一弦琴などが保存されています。
他にも、境内には義経腰掛松、弁慶の鐘、敦盛首洗池といった史跡も残されています。

 


無量光寺

光源氏の屋敷だったとされ、小さな赤色の「源氏稲荷」が片隅に建っている。
山門は戦災をまのがれ美しい姿をとどめている。
総欅造りで名工左甚五郎が作ったと伝えられている。

無量光寺の前にある細い道「蔦の細道」は、光源氏が「明石の君」が住む「岡部の館」へ行く為に通った道だとされている。明石入道の「浜の館」は、隣の善光寺(戒光院、円珠院の総称)付近にあったとされている。



移動の途中、昼食をお寿司屋さんで取りました。
敦盛寿司です、盛り合わせですがさば寿司にうのはな(玉子かなぁ)まぶしは
初めて食べました。
可成り大盛りですがほとんど完食しました、美味しかった。



源氏物語現地講座休講

2007-03-19 22:11:18 | 源氏物語
昨年4月より源氏物語の講座を受け物語の舞台となる現地で講義を受けた。
葵祭の当日勅使を勤める光源氏を一目見るために牛車で駆けつけた姫君達の車争いの現場が初めての講義場所で一条通を歩いた。広い通りやったそうやけど今は車がやっと通る細い道になっている。



一年間色々な物語の拠点を歩いた、普段何気なく歩く道に石碑があったり屋敷跡があったり、私の知らない京都が彼方此方に散らばっていた。
「相馬先生体調不良のため講座休講します。」突然の知らせに吃驚した。
2月26日やったか明石での講義では凄くお元気で先頭を歩いておられた。
1月やったかなぁ、80歳のお誕生日をみんなでお祝いしたばかりです。
源氏物語はまだまだお聞きしたい箇所が多くあります。
早く体調を戻されて元気に講座を再開していただきたいと心より思っております。

源氏物語in明石

2007-02-26 20:17:53 | 源氏物語
チョンボしました。明石行くのに近鉄の改札に入ってしまい慌てて向かい側の改札へ、ギョ、新幹線ややっと新快速の改札へたどり着きカードを入れるとバタッ、改札が閉じてしまいました。スルッと関西のカードはjRでは使えないのです。
トリプルチョンボです。
京都駅だけで草臥れてしまいましたよ。ちなみに明石へ行くのは3回目です。

もたもたしてる内に9:30に乗り遅れ9:45出発、何とか間に合いました。



前回は明石城に入りましたがお城を右に見てテクテクと歩きましたねぇ30分以上
いい天気で日差しが暑い、岩屋神社から明石の入道が住んでいた無量光寺へ蔦の細道を通り光源氏が住んでいた戒光寺へ此処は昔は広い境内やったと推察できるが今はせせこましい感じがした。近くには光源氏月見の松などもあり保存されている。戒光寺に桜が咲いていました。



源氏物語は小説であって現実のものではないが京都にしろ明石にしろ其所此処に史跡がある。私の頭で現実とごちゃごちゃ混ざってしまっている部分がある。
邸の奥に住む紫式部が各地の模様をどうして把握できたのか、今の世の中ではネットで瞬時に回答が出るが当時は思うに任せなかったのでは無いかと推察するが不思議やなぁ。いくらモデルがあったとしても不思議は深まるばかりです。
難しい話しは置いといて・・・・・お昼です。
写真の他お刺身・天麩羅・茶碗蒸し・筍ご飯など難しい話しより食欲ですね。


源氏物語講座・平安神宮

2007-01-22 21:24:54 | 源氏物語
平安遷都1100年を記念して昔の朝堂院を模して建てられた平安神宮が今回の講義拠点でした。神宮道で集合と言うことで5番のバス一本で行ける、こんな事は滅多にないこと10時に家を出てゆっくり間に合った。
美術館前を出て暫くすると向かい側の神宮道バス停にもう大勢集まっておられるのが見えた。同じ神宮道でも凄く離れて停留所がある。
交差点で先生や先輩方が待っておられるので“皆さん彼方で待っておられますよ”
お知らせして其方に急いだ。




平安神宮の大鳥居は日本一大きな鳥居です。世界一でもあります。
朝堂院の3/5の規模やそうですがその昔朱雀天皇の子斎宮14歳と六条御息所が伊勢へ下る際朝堂院にある大極殿で別れの櫛の儀が行われた場所と同じに再現されています。葵祭に斎王代が乗る四方輿と同じ輿に乗り左奥の永福門より入り大極殿で儀式があり以後伊勢で尼宮としての暮らしが待っています。
凄くもの悲しい行く末ですね。



岡崎の疎水沿いを通って東山三条より京都駅に行き、またまた京一で昼食を挟み午後の講義に入りました。
受講者の声“たまには違うとこで食事したいなぁ”“折角岡崎まで来たのに”
私の横に座られた人は丹後の宮津からはるばる講義を受けに来ているとか、凄い。
朝7時半に家を出られたとかすごいなぁ。
例によって食後の講義は眠い生憎先生が目の前におられるので辛かった。
終了後イノダの喫茶店に飛び込んだ。

源氏物語・現地講座

2006-12-25 19:39:01 | 源氏物語
今回の講座場所は何時も通勤時に通っていた北大路堀川付近少し下がったところに島津製作所に囲まれた位置に紫式部の墓所がある。
ひっそりとよく手入れのされていた。昔、講師である相馬先生がこの付近の中学に奉職されていて生徒と一緒にお墓を清掃されていたと懐かしそうに話しておられた。当時の新聞に美談として掲載されたそうで、伝統は続いているのかしらね。



次は雲林院(うりむいん)昔は離宮やったそうで4千5百坪あり広々していたそうですが今はこじんまりした佇まいです。光源氏も桐壺天皇が亡くなったとき悲しみに暮れて此処を訪れています。



1667年浅井了以の書く「うんりんいん・出来齊・京土産」に一時庄屋となった雲林院に僧が訪れる絵本が残されています。
この付近は細い路地や図子が多く一番細い図子をみんなで通ってみた。
路地(ろーじ)は道を挟んで玄関が向かい合っている物で奥は突き当たりになっている。
図子は玄関は表通りにあり道は通り抜けられる。
が、今はその定義は曖昧で混ざっていた。これも時代のなせる技なのか。
時間オーバーや、と食事場所、烏丸御池近くのハートンホテルに移動、このホテルは週一お茶する会で毎週のように来ていたところ。
今回は2階の濱登久でゆっくり会食その後の講義の眠かったこと食後のコーヒーは効き目が無かった。


源氏物語を歩く (大雲寺)

2006-11-27 18:43:55 | 源氏物語
源氏物語・若紫の巻に出てくる光源氏と若紫出会いの地である「北山のなにがし寺」これは鞍馬寺と言われていたが、大雲寺説も東京サイドで言われているそうです。
「吹き迷う 深山おろしに夢さめて 涙もよほす 滝の音かな」
この歌にある滝の音は大雲山であれば妙見の滝がある。
心の病に効く滝で昔から加持祈祷をする垢離場(こりば)があり寝泊まりする籠屋(こもりや)がたくさんあったとか。
又近くに観音水という井戸があり心の病、眼病に効く御香水が汲まれていた。
その名残が大雲寺境内であったところに岩倉病院が今もある。
あっ、話それてる、ここの滝は「不動明王」と「妙見菩薩」が祭られている下から滝水が二本出ているが細く流れている。この滝の音が聞こえるのか。

後(しりえ)の山に立ち出て、京の方(かた)見たまふ
この山は展望が悪く景色は見えない、(実際山に登って試された)



難しい話は置いといて紅葉の美しかったこと透けるような赤、ルビーのような輝きを放っていた。近頃こんな美しいモミジは見たことがない。
下の写真は落ち葉です、うつくしく友禅柄みたいでこちらも好きです。
どんよりした空模様でしたが降ることもなく昼には京都駅に着き第二会場(京一)へ昼食を挟んで講義は続きます。