秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
よろしくお願いいたします。

夏越祭

2010-06-30 04:59:21 | こよみ
6月30日(旧暦5月19日 六白 大安 辛亥)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

今朝は大粒の雨の降る朝となりました。

昨日も気温が上がり、建物の中に熱がこもるようになっています。

半年前は寒い寒いと言っていましたが、今は蒸し暑いという言葉を繰り返し口にしています。

「季節の移り変わりは、地軸の傾きによるものである」といったことがわからなくとも、特に日本の季節ははっきりと変遷していきます。


夏至が過ぎるとだんだん日が短くなるといっていましたが、厳密に言うとそれは少し間違えているようです。

日の入り(日没)の最も遅くなるのは、日本では夏至から7日後となります。

ちなみに日の入りが最も早くなるのは、冬至の15日前だそうです。


今日は、昨晩の日本の健闘をご覧になった方が多いと思います。

残念ながら試合には敗れ、初のベスト8進出にはなりませんでしたが、PK戦まで粘り強く戦い続けた姿に、深い感動を覚えたと思います。

次のW杯は2014年、ブラジルで行われます。

再び日本代表の雄姿に声援を送れるように、また頑張ってもらいたいと思います。

そして今回戦った代表の選手やスタッフ方には、本当にお疲れ様といった気持ちです。


さて、今日で6月も終わりとなります。

6月の終わりも、12月の終わりの大みそかと同様に、「大祓(おおはらえ)」といった神事が行われます。

別名は「夏越祓(なごしはらえ)」「名越」「六月祓(みなづきはらえ)」といい、知らないうちに犯してしまっている罪や穢れを落とすため、人形(ひとがた)といった紙に名前を記入したものを流したり、茅で編んだ輪の中をくぐったりして、疫病や災いを除く行事となっています。

神田明神 夏越大祓


ほとんど最近では記念日ブログと化していますが、本当に毎日何かしらの行事があり、そのお陰で話題には事欠かないものとなっています。

しかし、これが1年で1周してしまった後はどうするのか、書いている本人も考えていないでしょう。

とにかく明日からも心機一転できるように、今日の一日を過ごしていきたいと思います。

補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先

有限会社 千葉建築

〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4

電話 0182-45-2325 FAX  0182-45-2304
携帯 080-1837-5342

mail kchiba@poem.ocn.ne.jp

クリスチャンと音楽家

2010-06-29 05:02:58 | 歴史と文化
6月29日(旧暦5月18日 五黄 仏滅 庚戌)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

湿度が高いせいか、すでに寝苦しい夜を過ごされている方も多いかと思います。

エアコンや扇風機を使っていると、夏になったことを実感します。

しかし、直接風を体に当てたりするのは良くありませんので、タイマー運転や風向に注意して使用されることをおすすめします。


先週末の土曜日には友人の結婚式があり、朝の段取りを終えた後、そちらへ向かいました。

梅雨時期としては珍しく五月晴れとなり、女神の加護を受けた6月の花嫁と、ともに歩む新郎を中心として、お互いの親類・友人たちの祝福を浴びてとても楽しい式となりました。

中学や高校卒業以来、久しぶりに顔を合わせる同期生もいて、昔話や今の話が尽きることなく続きました。

高校の同期生は、それぞれ出身中学はさまざまでしたが、やはり今年の旧盆の時期に行われる「厄年の同期会」についての話題が出ました。

地元に残っている人が役員になり、あと1月半に迫った本番に向けて段取りを進めているとのことでした。

わが増田中学校の同期会でも、久しぶりに再開した友人との尽きることのない話が盛り上がってくれることを強く希望しています。


結婚式の話題が出ましたが、情報誌『ゼクシィ』の調べでは、2008年度にはキリスト教式が64%、神前式18%、人前式16%で、相変わらずキリスト教式が根強い人気となっているようです。

日本人のキリスト教信者は総人口の1%で、カトリックが約45万人、プロテスタント各派が合わせて約65万人ほどだそうです。

特に抵抗無くこうした結婚式のスタイルが受け入れられている事は、いい意味で日本人独特の宗教観の表れなのかもしれません。



さて、話をどうやって本題に持っていくべきか難しいところでしたが、今日は一人の日本人音楽家の命日となっています。

「荒城の月」「花」「鳩ぽっぽ」などの唱歌で有名な、瀧廉太郎です。彼はクリスチャンとしての面も持っていました。

1879年(明治12年)8月24日に、江戸時代には豊後国日出藩(大分県)の家老職を代々勤めていた瀧家の長男として、東京に生まれました。

父は新政府の官僚や地方官を歴任し、それに従って幼い頃から富山県や大分県などへ移り住みました。

1894年(明治27年)に上京し、15歳のときに東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学しました。

3年後に本科を首席で卒業した後、研究科へと入学し、20歳の時に教授嘱託となりました。

17歳の頃には「砧(きぬた)」「春の海」などを発表し、作曲とピアノ演奏の才能を開花させていきました。

当時の唱歌は、外国曲に日本語詞を付けただけの曲が多かったのですが、瀧は「日本オリジナル」の歌を作り出したパイオニアともいえます。


21歳の時の1900年10月に、瀧は洗礼を受けてキリスト教徒となりました。

この年には「荒城の月」や、「花」を含む組曲「四季」、「箱根八里」「お正月」という名曲を次々に作成しました。

また、日本人作曲家として初めて「メヌエットロ短調」というピアノ曲を作り、歌曲だけでなく、器楽曲も作曲するようになりました。


1901年の春には文部省の命により、メンデルスゾーンが設立したドイツのライプチヒ音楽院に外国人留学生として入学しましたが、わずか2ヶ月で肺結核を患い、1年後には帰国することになりました。

帰国後は、父の実家のある大分県で療養していましたが、1903年(明治36年)の6月29日、23歳の若さで亡くなりました。

最後の作曲曲は『憾(うらみ)』というピアノ曲でした。

自分の最期の時を感じるようになり、心残りといった気持ちが強かったのでしょうか。

本人だけでなく、これからのますますの飛躍を期待した、若い才能に対する周囲の人々も同じような心境だったと思います。

憾(滝廉太郎) URAMI Bedauernswert Den 14 Februar 1903 HMV130



瀧の曲を耳にしたことのない日本人はいないかと思います。

歌の主題にこめられた情景が浮かぶのはもちろん、懐かしさや寂寥感をはじめとしたさまざまな情感を感じ取ることができます。

幼い頃から西洋音楽やキリスト教に触れてきたことと、各地の自然豊かな土地で身につけた感性も、彼の音楽の重要な構成要素だと思います。


瀧廉太郎が亡くなって100年以上が過ぎましたが、彼の残した曲はこれから100年後も間違いなく残っていくものと思います。

童謡や唱歌に歌われている風景が、その時代にも残っているようにすることは、現代に生きる我々の義務の一つだとも思います。

花/滝廉太郎/無伴奏女声三部合唱


補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先

有限会社 千葉建築

〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4

電話 0182-45-2325 FAX  0182-45-2304
携帯 080-1837-5342

mail kchiba@poem.ocn.ne.jp

もうすぐ7月

2010-06-28 09:20:00 | 建築日記
6月28日(旧暦5月17日 四緑 先負 己酉)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

引き続き雨の警戒が必要な朝となりました。

横手市はこれまで大雨とまではなっておらず、現在は小康状態といった形です。

ただ突然降ってくることもありますので、十分に注意したいと思います。


梅雨の時期なので、当然の如く雨は降る確率は高くなっています。

その中でも今日は「雨の特異日」となっており、毎年雨が特に降りやすい日となっています。例を挙げると、東京では53%の確率でこの日は雨だそうです。


さて、週初めの今日ですが、6月もあと残すところ2日となりました。

6月の「水無月」は、水の無い月ではなく、田んぼなどに水を張る時期などの意味で「みずのつき」という意味ということを以前にご紹介しました。

6月が終わると、1年も半分が過ぎたことになります。

これから夏の夜、秋の夕暮れと続いてまた今年も冬がやってきます。

こうして一年一年を繰り返し、少しずつ人間は年をとっていきます。

その一年間を切り取ったとき、後で悔いの残ることの無いように、一日を一所懸命に過ごしたいと思っています。


6月の別名に触れたので、せっかくですので来月の別名もご紹介いたします。

7月は「文月」となります。

読み方は「ふづき」あるいは「ふみづき」となり、語源としては七夕の短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った風習にちなんでいるそうです。

または旧暦7月(新暦の8月10日以降)は稲穂が膨らむ時期であり、「含み月」「穂含み月」が転じたという説もあります。


7月は何と言っても「七夕」でしょう。

もともとは中国から奈良時代に日本に入ってきた行事であり、中国の文化圏の台湾・ベトナム・韓国などでも節句としてある風習です。


また、7月は全国的に梅雨が明けて暑くなり、学校では夏休みが始まるなど、なんとなく気持ちが高まりやすい時期だと思います。

7月19日には海の日があり、盆をはじめとした夏祭りの季節でもあります。

しかし最近の傾向として、梅雨明け前の一週間は大雨が降り、大規模な水害が発生する場合もあります。

年によっては猛暑や冷害に見舞われるなど、不安定な天候の時期でもあります。

そういった時期には体調も崩しやすくなってきます。


7月、8月と楽しい時期を健康的に過ごせるように、日々の健康管理に注意を払いたいと思います。


補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先

有限会社 千葉建築

〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4

電話 0182-45-2325 FAX  0182-45-2304
携帯 080-1837-5342

mail kchiba@poem.ocn.ne.jp

菖蒲(あやめ)花咲く

2010-06-27 07:41:47 | 横手市 増田町
6月27日(旧暦5月16日 三碧 友引 戊申)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

東北地方も今日夜半から大雨のおそれがあるとの事で、十分な警戒が必要になりそうです。

今はまだ曇りですが、空は暗めな日曜の朝となっています。


今日は七十二侯の「菖蒲花咲く」となっています。

ここでの菖蒲はあやめのことです。

6月中旬から7月上旬にかけて、各地のあやめの名所では花が咲き誇っています。

横手市内でも、平鹿町の浅舞公園で昨日から「あやめ祭り」が始まっているそうです。

公園内では、100種類、3万株、50万本のあやめが咲いており、今年は例年より開花が1週間強遅くなったとの事です。

7月4日までいろいろなイベントが開かれ、7月4日には「あやめマラソン大会」が行われます。

第29回あやめ祭り

横手市ホームページ あやめマラソン


横手市内の各地で、夏の風物詩ともいえる祭りが開かれ始めてきています。

先日のラジオで、秋田県は特に重要無形文化財の祭りが多く、冬だけでなく夏祭りも盛んな土地柄だといっていました。

京都や東京など、日本の中心から遠ざかっている分、自分たち独自の祭りで楽しむという風潮があるのかもしれない、とのことでした。

増田町でも、8月16日のたらいこぎ選手権大会、9月には花火大会など、これから秋にかけて盛り上がりを見せる祭りも出てきます。

いろいろと足を伸ばして、自分でも各地の祭りを楽しみたいと思います。

補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先

有限会社 千葉建築

〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4

電話 0182-45-2325 FAX  0182-45-2304
携帯 080-1837-5342

mail kchiba@poem.ocn.ne.jp

雷と学問の神様

2010-06-26 08:38:20 | 歴史と文化
6月26日(旧暦5月15日 二黒 先勝 丁未)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

昨日のラジオ、テレビではサッカーの話で持ちきりでした。

1998年のフランス大会以来、自国開催をのぞいて日本がW杯に出場できていること自体が凄いことですが、さらに勝利を重ねていることに大きな喜びを感じることができます。

国際舞台で日本人が活躍したり、日の丸がたなびく姿を見ると、自然と胸を張りたい気分となります。これも日本で生まれた証なのでしょうか。


晴れやかな気分を少し害するようで申し訳ございませんが、皆様は「たたり」というものを信じますでしょうか。

というのも、今日はそれにかかわりのある日となっているからです。

時は平安時代の930年(延長8年)の旧暦6月26日(新暦7月24日)、平安京の清涼殿(内裏=天皇の住居)に落雷があり、大納言の藤原清貫をはじめとする公卿や官人ら数人が死亡した出来事がありました。

当時の天皇の醍醐天皇はこの出来事に衝撃を受け、病に付した挙句3ヵ月後に崩御しました。

ほぼ即死した形の藤原清貫は、大宰府に左遷された菅原道真の監視を、道真の政敵の藤原時平に命じられていたという背景もあります。


菅原道真は代々宮廷の学者をつとめる家の出身で、宇多天皇の命によってさまざまな政治改革を成し遂げた人物です。

当時は藤原氏が権勢を誇っていましたが、おごりの為か政治がおろそかとなり、特に地方の代官の悪政を見逃して農民は貧困にあえいでいました。

それを是正すべく、右大臣の道真は、地方政治の建て直しと農民保護の政策を実行しようとしましたが、彼と考え方の異なる左大臣藤原時平は、政略によって彼を九州・大宰府の地方官に左遷させてしまいました。


▲福岡県の大宰府があった跡地です。政権のトップからこの地へ移され、はるか京を思う日々を過ごしたそうです


道真は903年に亡くなりましたが、時平も909年に39歳で亡くなりました。

道真の死後から、相次いで天災や旱魃(かんばつ)が起こり、そして今回、日本の中枢である内裏への落雷が発生しました。

これらは、はるか大宰府の地に「流された」道真の無念が怨念となり、たたり神となって雷を落としたと考えられました。


やがて菅原道真は名誉を回復され、怨念を鎮める為に「天神様(雷神)」として祀られるようになり、後年には生前の学者としての面から「学問の神様」という信仰もなされるようになりました。

天神様を祀った神社は、大阪の北野天満宮をはじめとする各地の天満宮社として、今では受験生が多く訪れる地となっています。


▲福岡県の太宰府天満宮です。このときは受験シーズンで、受験生やその家族でごった返していました


▲本殿の横には「飛梅」という梅があります。
道真は京から大宰府へ発つとき、自宅の梅の前で
「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな」
という歌を詠むと、梅は道真を慕って京から大宰府へ飛んできたという伝説があります

さて、梅雨の終わりには、雷が鳴るといいます。

梅雨明けの太陽で湿った大気が温められ、上昇気流を発生させて積乱雲をたくさん作ることがその原因となるからです。

とはいっても、今年は梅雨入りした関東で激しい雷が鳴ったりすることもあり、前線の延び方次第で様相が変わるそうです。

ゴロっと鳴った雷の音は、たたりでないことを祈りたいものです。

補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先

有限会社 千葉建築

〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4

電話 0182-45-2325 FAX  0182-45-2304
携帯 080-1837-5342

mail kchiba@poem.ocn.ne.jp