5月31日(火曜 旧暦4月29日 八白 友引 丙戌)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
荒れ気味であった天候も回復し、今朝の日差しは気持ちよくなっています。
今日の仕事も張り切っていきたいと思います。
明日からは6月に入ります。
2011年もあっという間に、折り返し地点が近づいてきています。
今年の前半に関しては、あまりにも多くのことがありすぎて、誰しもが心の整理を付け難い状態にあると思います。
3月11日に発生した東日本大震災と、東京電力・福島第一原発事故は、未だにその衝撃とあまりにも大きな影響になす術が無く、戦後日本が走り続けてきた道と、その価値観をもう一度冷静になって考え直す必要性に見舞われています。
震災の被災地と原発事故は、現在でも予断を許さない状態にあり、決して楽観視できる情況にはありません。
しかし、必ず事態が好転していくことを願い、それに向けて頑張っている現場の作業員や、震災からの復興へ向けて汗を流している自衛隊・消防・警察をはじめとする方々を思いながら、自分が今できることを精一杯やっていくことが必要だと思っています。
明日からは「衣替え」も行われます。
衣替えは、古代中国の「更衣」という文字に由来するとされ、宮中において旧暦の4月1日と10月1日に、夏服と冬服にそれぞれ着替えることが、平安時代の日本において定着したことに始まります。
更衣は、天皇の着替えを担当する女官の役職のことも指しており、またその後天皇の後宮(寝所)に侍る女官の位の一つを表したことから、民間では更衣と呼ばず、「衣替え」という言葉で広まっていきました。
ちなみに、日本や中国において、身分の高い人はトイレの度に服を変えていたことから、更衣とはトイレのことも示すという説もあります。
鎌倉時代には、調度品なども夏用・冬用に取り替えることも意味し、江戸時代には着物の種類も増えたことから、幕府によって公式の衣替えが4回も行われたそうです。
明治時代には役人や軍人に洋装が採用され、衣替えは2回となりました。
それがやがて学生の制服にも採用され、民間企業にも広まったことで、現代のような衣替えの風習がずっと続いていくこととなりました。
さて、この衣替えという風習は、日本だからこそ定着したとも言えます。
ほとんどの地域で四季がはっきりとしており、夏は高温多湿、冬は厳寒となる地域において、一年を通して全く同じ服を着るということはつらいものがあります。
住環境の性能が向上し、年間を通して温度差の少ない住宅というものができてきたのは、せいぜいここ30年ぐらいであり、それまで人々が暖や涼を得るには、衣服で調節することが先決でありました。
世界各地にはいろいろな民族衣装というものがありますが、それはその地域の気候などに対応するために発展していったものと考えられています。
一説には、人間が着衣を行ったのは約65万年前にさかのぼるという説もあり、その時代には「原人」が地球上に存在していたとされています。
衣服を着用することで、人間は厳しい自然環境から身を守り、怪我や病気のリスクを軽減していたとも考えられ、またその過程において衣服や装飾品といった「ファッション」が、人間のステイタスや集団における「序列」を表すものとなっていったとも言えます。
それはさておき、衣替えをすると気分まで代るような気がします。
昨年のような酷暑は思い出したくもありませんが、日本の暑い夏を乗り切るためにも、その気温に応じた着替えというものは大切なことです。
明日から心機一転で、残りの一年を頑張っていきたいと思います。
補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先
有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
荒れ気味であった天候も回復し、今朝の日差しは気持ちよくなっています。
今日の仕事も張り切っていきたいと思います。
明日からは6月に入ります。
2011年もあっという間に、折り返し地点が近づいてきています。
今年の前半に関しては、あまりにも多くのことがありすぎて、誰しもが心の整理を付け難い状態にあると思います。
3月11日に発生した東日本大震災と、東京電力・福島第一原発事故は、未だにその衝撃とあまりにも大きな影響になす術が無く、戦後日本が走り続けてきた道と、その価値観をもう一度冷静になって考え直す必要性に見舞われています。
震災の被災地と原発事故は、現在でも予断を許さない状態にあり、決して楽観視できる情況にはありません。
しかし、必ず事態が好転していくことを願い、それに向けて頑張っている現場の作業員や、震災からの復興へ向けて汗を流している自衛隊・消防・警察をはじめとする方々を思いながら、自分が今できることを精一杯やっていくことが必要だと思っています。
明日からは「衣替え」も行われます。
衣替えは、古代中国の「更衣」という文字に由来するとされ、宮中において旧暦の4月1日と10月1日に、夏服と冬服にそれぞれ着替えることが、平安時代の日本において定着したことに始まります。
更衣は、天皇の着替えを担当する女官の役職のことも指しており、またその後天皇の後宮(寝所)に侍る女官の位の一つを表したことから、民間では更衣と呼ばず、「衣替え」という言葉で広まっていきました。
ちなみに、日本や中国において、身分の高い人はトイレの度に服を変えていたことから、更衣とはトイレのことも示すという説もあります。
鎌倉時代には、調度品なども夏用・冬用に取り替えることも意味し、江戸時代には着物の種類も増えたことから、幕府によって公式の衣替えが4回も行われたそうです。
明治時代には役人や軍人に洋装が採用され、衣替えは2回となりました。
それがやがて学生の制服にも採用され、民間企業にも広まったことで、現代のような衣替えの風習がずっと続いていくこととなりました。
さて、この衣替えという風習は、日本だからこそ定着したとも言えます。
ほとんどの地域で四季がはっきりとしており、夏は高温多湿、冬は厳寒となる地域において、一年を通して全く同じ服を着るということはつらいものがあります。
住環境の性能が向上し、年間を通して温度差の少ない住宅というものができてきたのは、せいぜいここ30年ぐらいであり、それまで人々が暖や涼を得るには、衣服で調節することが先決でありました。
世界各地にはいろいろな民族衣装というものがありますが、それはその地域の気候などに対応するために発展していったものと考えられています。
一説には、人間が着衣を行ったのは約65万年前にさかのぼるという説もあり、その時代には「原人」が地球上に存在していたとされています。
衣服を着用することで、人間は厳しい自然環境から身を守り、怪我や病気のリスクを軽減していたとも考えられ、またその過程において衣服や装飾品といった「ファッション」が、人間のステイタスや集団における「序列」を表すものとなっていったとも言えます。
それはさておき、衣替えをすると気分まで代るような気がします。
昨年のような酷暑は思い出したくもありませんが、日本の暑い夏を乗り切るためにも、その気温に応じた着替えというものは大切なことです。
明日から心機一転で、残りの一年を頑張っていきたいと思います。
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〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
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