秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
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雷と学問の神様

2010-06-26 08:38:20 | 歴史と文化
6月26日(旧暦5月15日 二黒 先勝 丁未)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

昨日のラジオ、テレビではサッカーの話で持ちきりでした。

1998年のフランス大会以来、自国開催をのぞいて日本がW杯に出場できていること自体が凄いことですが、さらに勝利を重ねていることに大きな喜びを感じることができます。

国際舞台で日本人が活躍したり、日の丸がたなびく姿を見ると、自然と胸を張りたい気分となります。これも日本で生まれた証なのでしょうか。


晴れやかな気分を少し害するようで申し訳ございませんが、皆様は「たたり」というものを信じますでしょうか。

というのも、今日はそれにかかわりのある日となっているからです。

時は平安時代の930年(延長8年)の旧暦6月26日(新暦7月24日)、平安京の清涼殿(内裏=天皇の住居)に落雷があり、大納言の藤原清貫をはじめとする公卿や官人ら数人が死亡した出来事がありました。

当時の天皇の醍醐天皇はこの出来事に衝撃を受け、病に付した挙句3ヵ月後に崩御しました。

ほぼ即死した形の藤原清貫は、大宰府に左遷された菅原道真の監視を、道真の政敵の藤原時平に命じられていたという背景もあります。


菅原道真は代々宮廷の学者をつとめる家の出身で、宇多天皇の命によってさまざまな政治改革を成し遂げた人物です。

当時は藤原氏が権勢を誇っていましたが、おごりの為か政治がおろそかとなり、特に地方の代官の悪政を見逃して農民は貧困にあえいでいました。

それを是正すべく、右大臣の道真は、地方政治の建て直しと農民保護の政策を実行しようとしましたが、彼と考え方の異なる左大臣藤原時平は、政略によって彼を九州・大宰府の地方官に左遷させてしまいました。


▲福岡県の大宰府があった跡地です。政権のトップからこの地へ移され、はるか京を思う日々を過ごしたそうです


道真は903年に亡くなりましたが、時平も909年に39歳で亡くなりました。

道真の死後から、相次いで天災や旱魃(かんばつ)が起こり、そして今回、日本の中枢である内裏への落雷が発生しました。

これらは、はるか大宰府の地に「流された」道真の無念が怨念となり、たたり神となって雷を落としたと考えられました。


やがて菅原道真は名誉を回復され、怨念を鎮める為に「天神様(雷神)」として祀られるようになり、後年には生前の学者としての面から「学問の神様」という信仰もなされるようになりました。

天神様を祀った神社は、大阪の北野天満宮をはじめとする各地の天満宮社として、今では受験生が多く訪れる地となっています。


▲福岡県の太宰府天満宮です。このときは受験シーズンで、受験生やその家族でごった返していました


▲本殿の横には「飛梅」という梅があります。
道真は京から大宰府へ発つとき、自宅の梅の前で
「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな」
という歌を詠むと、梅は道真を慕って京から大宰府へ飛んできたという伝説があります

さて、梅雨の終わりには、雷が鳴るといいます。

梅雨明けの太陽で湿った大気が温められ、上昇気流を発生させて積乱雲をたくさん作ることがその原因となるからです。

とはいっても、今年は梅雨入りした関東で激しい雷が鳴ったりすることもあり、前線の延び方次第で様相が変わるそうです。

ゴロっと鳴った雷の音は、たたりでないことを祈りたいものです。

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