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邪馬台国は纒向説(桜井市)が、俄然有利に!/奈良新聞「明風清音」第66回

2021年11月23日 | 明風清音(奈良新聞)
邪馬台国論争については、多くの人たちが関心を寄せている。NHKBSプレミアムでは、2021年の元旦に「邪馬台国サミット2021」を放送した。
※トップ画像はNHKのHPから拝借した。

「邪馬台国はどこにあったのか?」「女王・卑弥呼とは何者なのか?」長年にわたる九州説と近畿説の論争はいまだ決着を見ていない。また、近年相次ぐ考古学的な発見からは、古代日本の姿をめぐる新たな知見が続々登場している。今回、第一線で活躍する研究者が一堂に会して「邪馬台国サミット2021」を開催!最新の証拠や資料をもとに自説をぶつけ合う歴史激論バトルを繰り広げる。これを見れば邪馬台国論争の最前線がわかる!

というふれ込みだったが、各研究者が静かに自説を述べただけに終わった。私は素人だし奈良県民なので、畿内説(纒向説)をとる。最近の研究などから見えてきた「邪馬台国は纒向だ」という論拠について、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿した(2021.11.18付)ので、以下に全文を紹介する。

邪馬台国「畿内説」考
邪馬台国論争がなかなか決着しないなか、「結局、邪馬台国は九州ですか、畿内ですか」というご質問をよくいただく。

▼百家争鳴「邪馬台国論争」
私は当然「畿内説」に立つが、一般的な説明としては〈近年の邪馬台国所在地論争は、考古学的調査結果と絡みあう形でますますヒートアップし、例えば吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市吉野ヶ里町)や纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)といった弥生時代の大遺跡と卑弥呼の所在地を重ね合わせる論議がその代表格である。また古墳出土品の年代測定の精緻化により、箸墓古墳(奈良県桜井市)の築造年代が三世紀半ばまで上がってきたことで、近畿説論者の間では箸墓被葬者論争(卑弥呼か、台与[壱与]か、それ以外の王か)も熱を帯びてきた。今や百人いれば百人が邪馬台国や卑弥呼について自説を唱える百家争鳴状態に陥っている〉(佐藤信編『古代史講義』ちくま新書)。

▼畿内説は「纒向説」
「九州説」では候補地が10ヵ所以上あり、大規模な環濠集落跡や城柵跡、物見櫓(やぐら)跡が見つかった吉野ヶ里遺跡が形勢有利なものの、現時点ではまだ候補地を絞り込めていない。しかし「畿内説」はもはや「纒向説」だと言っても過言ではない。纒向遺跡で平成21年に発見された3棟の建物が、卑弥呼が生きた3世紀前半に建てられたものと推定されている。また平成19年に出土した木製の仮面は、巫女などによる祭祀に使われたものと考えられている。 

同年には、3世紀前半のベニバナの花粉(染料や化粧品に使う)も見つかった。エジプト原産のベニバナは日本には自生しないので、纒向遺跡は中国などとの交易があったのだろう。

これらを受け〈今日では邪馬台国の所在地は畿内説が有力になっていると言えます。同様に現在の日本史の教科書には、九州説と畿内説の両方が紹介されていますが、注釈として「奈良県桜井市の纒向遺跡では、2009(平成21)年に3世紀前半頃の整然と配置された大型建物跡が発見され、邪馬台国との関係で注目されている(山川出版社『改訂詳説日本史B』)とあります〉(本郷和人著『変わる日本史の通説と教科書』宝島社新書)。

▼「やまと(やまど)こく」
井沢元彦氏は、『逆説の日本史』(小学館文庫)などで早くから、古代中国では邪馬台国は「やまたいこく」ではなく「やまと(やまど)こく」と発音されていたと指摘していた。〈私が言い続けていたことが幸いしたのかどうかわかりませんが、現在の教科書には、「やまたいこく」というふりがなだけでなく、括弧書きですが、「やまとこく」という読みが併記されています〉(『学校では教えてくれない日本史の授業 天皇論』PHP文庫)。

その記載例として、山川出版社の前掲書、三省堂『日本史B改訂版』、桐原書店『新日本史B』の3冊を挙げている。そして井沢氏は邪馬台国が「やまとこく」であるなら、邪馬台国はヤマト政権(大和朝廷)と同じものだと考えるのが自然だ、としている。

しかも纒向遺跡には、日本最古の大型前方後円墳・箸墓古墳がある。〈箸墓古墳こそ(3世紀半ばに死んだ)卑弥呼の墓ではないかと考えたのですが、(『逆説の日本史』の)原稿にはそう書けなかったのです。なぜ書けなかったのかというと、考古学の先生に箸墓古墳は4世紀のものだから絶対に違う、と言われたからです。(中略)ところが、ここ数年の間に、箸墓古墳は卑弥呼の時代と同じものだということになったのです〉(同書)。

さらに『魏志倭人伝』には、卑弥呼の墓は径百余歩(直径144㍍余り)とある。するとこれは後円部の直径約150㍍の箸墓古墳と一致するのだ。九州では、こんな大きな墓(古墳)は見つかっていない。百家争鳴の邪馬台国論争、纒向説での早期決着を期待する。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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