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「修験道」は「脳化社会」へのアンチテーゼ/奈良新聞「明風清音」第96回

2023年11月18日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。昨日(2023.11.17)掲載されたのは〈「脳化社会」と修験道〉。修験者である田中利典師の著作を読んでいて、養老孟司さんの主張との共通点を発見したので、それを書いた。

人工物ばかりの都市(=脳化社会)で病んだ心を修行(体=自然)で回復させる、という修験道は、まさに現代にマッチした宗教である。以下、全文を紹介する。

修験者で僧侶の田中利典氏は、金峯山寺長臈(ちょうろう)で種智院大学客員教授。偉いお坊さんであるが、平明達意な文章をお書きなので、私はご著書やフェイスブックを愛読している。何度か、お目にかかったこともある。

先日、利典氏の代表作とも言うべき『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)を再読していて、「ハレの装置としての山修行」の一節に目が止まった。

そこには〈山に入り、汗をかきかき山歩きすることは非日常(ハレ)であり、日本人にとって山に入ることは神仏のおわす聖なる世界にふれることです。ですから、修験道の山の修行は、ハレが失われた現代社会の中で、ハレの装置としての機能を果たすことができると私は思っています〉。

このように利典氏は「山修行=非日常(ハレ)」と「ハレが失われた現代社会=日常(ケ)」を対比され、ハレを取り戻す装置が山修行であるとする。

また利典氏のブログ「山人のあるがままに」には、こんなエビソードも紹介されている。〈(山修行に参加した)統合失調症の青年が「最初来たときは歩く自信などぜんぜんなかったのに、途中で絶対帰ってはいけない、絶対帰ってはいけないと山に言われているような気がして、とうとう最後まで歩き通すことができました」と自慢げに話していた〉。

〈正に山修行の自然力に触れたから、修行をやり遂げたのだろう。統合失調症も引きこもりも、都会の疎外された生活が生んだ現代病である。もちろんさまざまな原因はあろうが、自然との関係を取り戻すとき、その多くの患いは癒される。それも山岳信仰の持つ大きな力であると思っている〉(2013年7月13日付)。

ふと「あれ、これとよく似た話を読んだことがあるな」と思い本棚を探っていると、養老孟司著『唯脳論』(ちくま学芸文庫)が出てきた。おお、修験者の利典氏と解剖学者の養老氏は、表現を変えて同じことを言っていた。

『唯脳論』のカバーには、〈文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、そして心……あらゆるヒトの営みは脳に由来する。「情報」を縁とし、おびただしい「人工物」に囲まれた現代人は、いわば脳の中に住む〉。

その昔、ヒトは自然の洞窟の中に住んでいた、それが今は脳の中に住んでいるというのだ。人工物ばかりの都会は「脳化社会」つまり、すべて脳が作り出した社会だ。例えば建築物は、建築家の脳が作り上げたイメージを具体化したものだ。極端に言えば「世界は脳の産物である」。これに対するアンチテーゼが「身体=自然」(自然の世界)である。

養老氏が『唯脳論』を刊行したのは1989(平成元)年だが、はるか昔から、修験者はそれを知っていた。身体を酷使する厳しい山修行(非日常)により、脳化社会のなかで抑圧されてきた「身体感覚」を取り戻し、精神を整えて再び社会(日常)に戻っていく。

しかも養老氏は、仏教は「自然宗教」だとする。〈もともと仏教は、都市から発し、田園に出た宗教である。それは若い釈迦についての「四門出遊」という説話がみごとに示している〉(『養老孟司の人間科学講義』ちくま学芸文庫)。

お釈迦さまは、城塞都市を出て老人、病人、死人に会い、最後に出家を決意する。〈釈迦はその都市を出て、菩提樹の下で悟りを開く。つまり仏教は都市から出て、都市生活に欠けるものを補強する〉(同書)。

これで修験僧である利典氏と養老氏の主張が一本につながった。乱読癖も、時には役に立つものだ。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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2 コメント

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アンチテーゼ (ヨッピー(長越洋子))
2023-11-18 15:25:42
>アンチテーゼ」とは哲学の用語で、ある理論などを
>否定するために出される反対の理論のことです。「テーゼ」は「命題」という意味で、「反対の」という意味の「アンチ」を付けて「反対命題」という意味になります。

↑と早速調べました。アンチテーゼという言葉は全然知らなかったので恥は一時と(笑)
読書家の鉄田さん、ずっと以前から尊敬申し上げておりますが実にいろんな範囲の本を読まれていて・・・私もお裾分けでちょっぴりながら読書習慣がついてきたというところです(笑)
このお二人が繋がった!正直驚きました。なるほどなあ・・と頭の悪い私は何度も何度も書かれた文章を読みつつ何とか理解出来ましたってところです。
「修験道という生き方」新潮選書 この本もパラパラで終わっていたので必死で読んでいるところですING・・・養老孟司さんの「唯脳論」これはタイトル見るだけで読みたい願望がふつふつです。早く読んでみたいな(o^―^o) 
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『唯脳論』と『考えるヒト』 (tetsuda)
2023-11-19 12:24:50
長越さん、いつもコメント、ありがとうございます。楽しい「yoppi2628-0311のブログ」も、拝読いたしました。

> 「修験道という生き方」新潮選書 この本もパラパラ
> で終わっていたので必死で読んでいるところです

この本は、良い本ですね。

> 養老孟司さんの「唯脳論」これはタイトル
> 見るだけで読みたい願望がふつふつです。

私は『バカの壁』の少し前から、養老さんのご著書を読んでいますが、この人の本は難しいです。

養老さんの代表作『唯脳論』を読む前に、『考えるヒト』(ちくま文庫)をお読みになった方が、入りやすいと思います。ご参考に。
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