恒例の津島神社(奈良県磯城郡田原本町549)の「祇園まつり」、今年(2019年)は7月20日(土)と21日(日)の夕刻から開催される。津島神社は平安時代の創建とされ、お祭りは江戸時代から続く伝統行事である。田原本町のHP「祇園まつり」によると、
※写真は、すべて2011年7月17日の祇園まつりで撮影
五穀豊穣、悪疫退散を祈り、毎年7月に行われる津島神社の例祭で、通称「祇園さん」で親しまれている。「大和の大坂」と呼ばれるほどの豊かな財力をもとに、古くから盛大に行われてきた。今も中和地方最大の夏祭りとして、近隣各地から集まった人々で賑わう。
開催日 令和元年7月20日(土曜日)・21日(日曜日)
場 所 津島神社、イベント広場とその周辺
この記事に関するお問い合わせ先
担当課:観光・まちづくり推進課商工観光係 電話:0744-34-2080
この神社は平安時代の天治2年(1125)の創建とされる古社である。『日本歴史地名大系』「津島神社」によると、
[現]田原本町祇園町 旧村社。祭神は素盞嗚(すさのお)命・誉田別(ほんだわけ)命・武甕槌(たけみかづち)命・経津主(ふつぬし)命・天児屋根(あめのこやね)命・比売(ひめ)大神。当社の棟札写(田原本藩日記)に「天治二年巳年九月十五日建之」とある。もと祇園社と称した。
近世初期に平野長泰が入封した際、郷里尾張の津島神社(現愛知県津島市)と祭神を一にすることにより崇敬した。延享三年(一七四六)の寺院本末帳(内閣文庫蔵)は境内の黄檗宗神宮じんぐう寺を記し、神宮寺は感身(かんじん)院とも称していたが、明治の神仏分離で廃され、現社名に改めたという。七月一七日から三日間、祇園祭が行われ、田原本町の各町内には立山が設けられる。かつては境内の浄瑠璃舎で浄瑠璃が奉納されていた。
明治の神仏分離で社名が改められた経緯などは、「どちらの祇園さん?」という記事にまとめたので、ご覧いただきたい。皆さんぜひ、20日(土)と21日(日)の夜には、津島神社へ!
※写真は、すべて2011年7月17日の祇園まつりで撮影
五穀豊穣、悪疫退散を祈り、毎年7月に行われる津島神社の例祭で、通称「祇園さん」で親しまれている。「大和の大坂」と呼ばれるほどの豊かな財力をもとに、古くから盛大に行われてきた。今も中和地方最大の夏祭りとして、近隣各地から集まった人々で賑わう。
開催日 令和元年7月20日(土曜日)・21日(日曜日)
場 所 津島神社、イベント広場とその周辺
この記事に関するお問い合わせ先
担当課:観光・まちづくり推進課商工観光係 電話:0744-34-2080
この神社は平安時代の天治2年(1125)の創建とされる古社である。『日本歴史地名大系』「津島神社」によると、
[現]田原本町祇園町 旧村社。祭神は素盞嗚(すさのお)命・誉田別(ほんだわけ)命・武甕槌(たけみかづち)命・経津主(ふつぬし)命・天児屋根(あめのこやね)命・比売(ひめ)大神。当社の棟札写(田原本藩日記)に「天治二年巳年九月十五日建之」とある。もと祇園社と称した。
近世初期に平野長泰が入封した際、郷里尾張の津島神社(現愛知県津島市)と祭神を一にすることにより崇敬した。延享三年(一七四六)の寺院本末帳(内閣文庫蔵)は境内の黄檗宗神宮じんぐう寺を記し、神宮寺は感身(かんじん)院とも称していたが、明治の神仏分離で廃され、現社名に改めたという。七月一七日から三日間、祇園祭が行われ、田原本町の各町内には立山が設けられる。かつては境内の浄瑠璃舎で浄瑠璃が奉納されていた。
明治の神仏分離で社名が改められた経緯などは、「どちらの祇園さん?」という記事にまとめたので、ご覧いただきたい。皆さんぜひ、20日(土)と21日(日)の夜には、津島神社へ!
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