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熊野速玉大社(熊野新宮)またの名を「熊野権現」/熊野霊場をゆく(3)

2022年05月25日 | 記紀・万葉
熊野霊場をゆく(3)では、熊野権現、熊野新宮とも呼ばれる「熊野速(早)玉大社」(和歌山県新宮市新宮1番地)を紹介する。
※トップ写真は、平重盛の手植えと伝わる熊野速玉大社の梛(ナギ)のご神木。
推定樹齢は約1,000年で、日本一の梛の巨樹だ。写真はすべて2022.5.12に撮影


熊野速玉大社に到着する頃には、雨が本降りになってきた

私は本宮(熊野本宮大社)に対して「新宮」だと思っていたが、元宮の神倉神社(旧宮)に対して「新宮」と呼ばれるのだそうだ。山深い熊野本宮大社と違い、こちらは熊野川の河口に近く、海に向かって開けた土地にある。JR新宮駅からも徒歩15分ほどだ。熊野三山協議会の公式HPによると、


熊野速玉大社の飛地境内摂社「神倉神社」の社殿とゴトビキ岩。写真は同協議会のHPから拝借

熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇58年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。


熊野速玉大社拝殿、奥の本殿の屋根が見える

御祭神は、熊野速玉大神(イザナキノミコト)・熊野夫須美大神(イザナミノミコト)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。

特に、孝謙天皇の御世、日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中でも逸早く『熊野権現』の称号を賜りました。「権現」とは仮に現われるの意味で、神様は御殿の中のもっとも清浄な奥処に鎮まりましますので、私達の目にはそのお姿を直接見ることができません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて、我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透していきます。


梛のご神木(トップ写真に同じ)

奈良朝末期にいたって、熊野速玉大神は衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。


速玉大社の次に向かったのは熊野古道大門坂(東牟婁郡那智勝浦町)


老杉の大木は、樹齢800年とか

さらに、中世熊野信仰の興隆にともない、皇室、公卿、武士中心から庶民信仰へと発展し、過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして、「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。



熊野速玉大社のあとは、熊野古道大門坂経由で那智の滝へ向かった。続きは、また後日!
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