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神さまが乗ってきた「船石」信仰が残る 船山神社(平群町)/毎日新聞「やまとの神さま」第45回

2023年05月29日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.5.25)掲載されたのは〈天下り伝説の「船石」/船山神社(平群町)〉、執筆されたのは、同会会員で平群町在住の喜多村英夫さんだった。
※トップ写真は、磐座信仰を伝える船山神社の拝殿と陽石(右中段)=平群町三里で

この神社のことは知らなかったが、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載されている古社だった。女性自身を象(かたど)った巨石のある西の「石床(いわとこ)神社」と、男性のシンボルの陽石のある東の船山神社が、対をなしているのだそうで、これは興味深い。では、全文を以下に抜粋する。

船山神社(平群町)
船山(ふなやま)神社は平群谷の東側に位置し、平群町三里(みさと)の旧安明寺村と旧中之宮村の氏神として祭られています。後方の矢田丘陵の八合目付近には丸木舟状の三つの巨石(長さ約6~8㍍、幅約2㍍)があり、神が乗って天下ってきた「船石」として信仰されてきました。

由緒は明らかではありませんが、平安時代の「延喜(えんぎ)式」の神名(じんみょう)帳に記載のある古い神社です。船石付近に祭られていた「船上(ふなかみ)神社」を近世に山麓(さんろく)の船山神社に合祀(ごうし)したと伝えられています。

その船山神社も以前は南西約200㍍の旧中之宮村にありましたが、1915(大正4)年、旧安明寺村の春日神社の境内地に船山神社の名で遷座しました。こうした経緯で祭神は船山神(ふなやまのかみ)、春日神社の天児屋根命(あめのこやねのみこと)、住吉大明神です。本殿は小ぶりの春日造り風です。

平群谷で巨石を神の依代(よりしろ)とする磐座(いわくら)信仰の古社として「西の石床(いわとこ)神社(同町越木塚)、東の船山神社」と並び称され、共に豊穣(ほうじょう)を祈る対象として信仰されています。船山神社の旧社地の東側に船石に続く道があります。

現社地の拝殿前の石段の右側には、男性器を模した「陽石」があります。旧社地から移されたといい、大きくて、印象的です。(奈良まほろばソムリエの会会員 喜多村英夫)

(住 所)平群町三里475
(祭 神)船山神、天児屋根命、住吉大明神
(交 通)近鉄平群駅から東へ徒歩約20分
(拝 観)境内自由
(駐車場)無し
(電 話)無し


コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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Unknown (平群町民)
2024-01-30 20:35:09
船山神社の祭神は、船山神、天児屋根命、天照大御神の説が有力です。
また、「鮒上神社」が、現在の船山神社の旧社の旧社だったのです。
「鮒上神社」の麓に船山神社ができて(現在の船山神社の南西200m)、その船山神社に「船上神社」は合祀されます。
その後、1915年に春日神社の境内地に遷座されるのです。
情報に深謝 (tetsuda)
2024-01-31 16:53:33
平群町民さん、情報ありがとうございました。

執筆者の喜多村さん(平群町民)にもお伝えし、情報を共有しておきます。
訂正願います (平群町民)
2024-02-01 15:40:33
2か所、「船上神社」を誤って「鮒上神社」と入力してしまいました。申し訳御座いませんでした。
了解 (tetsuda)
2024-02-02 09:36:03
はい、そのつもりで読んでいました、お気遣いなく。

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