goo blog サービス終了のお知らせ 

tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

愛の悲劇!狭穂姫(さほひめ)伝承の地 狭岡神社(奈良市)/毎日新聞「やまとの神さま」第35回

2023年02月23日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.2.16)掲載されたのは〈不比等が創始 狭穂姫伝説も〉、執筆されたのは同会ガイドグループで活躍されている竹内和子さんだった。狭岡神社のある丘の上は、狭穂姫伝承の舞台とされる。日本大百科事典「狭穂姫」には、
※トップ写真は狭岡神社の本殿=奈良市法蓮町で

垂仁天皇の皇后。実兄の狭穂彦より天皇の殺害を命ぜられたので、姫の膝枕で眠る天皇を三度刺そうとするが果たせない。その涙に目覚めた天皇は、夢のなかで佐保から降ってきた雨のなか、小蛇が首に巻き付いたのは何の予徴であろうかと問う。姫の自白により反逆を知ると、天皇は狭穂彦を攻め、姫は宮を抜けて兄のいる稲城 (いなぎ) に入る。

姫への愛情から天皇は攻撃の時を遅らせ、敏捷な軍士にその救出を命ずるが、姫は稲城の中で生まれた天皇の御子 だけを渡し、兄とともに燃える稲城の中で命を終える。実兄の共同治政の誘いには、古い彦姫制の最後の残像をとどめるが、この話は、中国の『捜神記 (そうじんき) 』などに話材を求めて散文だけで語られた、古代における女性の愛の悲劇の白眉といえる。



右が笠女郎の万葉歌碑。写真は『奈良万葉の旅百首』(京阪奈情報教育出版)から拝借

では、記事全文を以下に紹介する。

狭岡神社(奈良市)
東大寺転害門から法華寺までが佐保路と呼ばれています。その中ほどに狭岡(さおか)神社の石と朱塗りの二つの鳥居が立っています。神社は鬱蒼(うっそう)とした森の中にあります。奈良時代の初めに藤原不比等が国家鎮護と、藤原氏の繁栄を願って邸宅の佐保殿の岡の上に創始したと伝わります。

氏子さんの話では、藤原氏は、狭岡神社に参籠(さんろう)して「日待ちの神事」を行ってから、春日参りをしたそうです。祭られている天神(あまつかみ)八座は、山から下りてくる田の神の若山咋神(わかやまくいのかみ)をはじめ、田植えの女神、田に水を引く神、夏の太陽の神、秋の収穫の神、稲の成長の神など五穀豊穣(ほうじょう)の神々です。

鳥居をくぐると左手に垂仁天皇の皇后の名前を刻む「狭穂姫(さほひめ)伝承地」の石碑が建っています。狭穂姫は反乱を起こした兄と天皇のどちらにつくか苦悩し、兄に従うことを決めましたが、炎につつまれて亡くなりました。狭穂姫が幼いころに水面に姿を映したと伝わる鏡池もあります。

石段を上がると佐保に邸宅のあった大伴家持に笠女郎(かさのいらつめ)が贈った万葉歌の碑が立っています。「君に恋ひいたも術(すべ)なみ平城山の小松が下に立ち嘆くかも」。悲恋に終わった女郎の息遣いが聞こえてきそうです。(奈良まほろばソムリエの会会員 竹内和子)

(住 所)奈良市法蓮町604
(祭 神)若山咋神、若年神(わかとしのかみ)、妹若沙那売神(いもわかさなめのかみ)、弥豆麻岐神(みずまきのかみ)、夏高津日神(なつたかつのかみ)、秋毘売神(あきびめのかみ)、久久年神(くくとしのかみ)、久久紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)
(交 通)バス「教育大付属中学校」下車、徒歩約5分
(拝 観)境内自由。駐車場無


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする